第9話 ちょっと変わった二人の日誌
窓から見える木々の若葉が、どんどん新緑に染まっていくこの季節。
あと数日経てば、もうすぐ6月だ。梅雨になる。
雨は嫌いじゃないけど、それで電車が混んだり遅延したりするのが憂鬱だったりする。
「……これで完成、と」
あれから、私は小説――と呼べるかどうか怪しいものを書くことになった。
そりゃ今までは読むだけの人。言葉こそ知ってるけど、執筆するための技術がない。
小説を書くというのは実に大変な作業だと、つくづく思い知らされた。
それに今回書くテーマは、アズの言った『私たちの日常』。
……日記と何が違うのだろう。そんな疑問が何度も浮かびながら何とか書き連ねた。
「あ、もう出来てるじゃん! 見せて見せて!」
悪戦苦闘しながらも、最後の文章の句点を打ち終わった、その瞬間。
タイミング良いことに、私の家に来ていたアズが後ろから抱きついてきた。
「いいけど。アズって活字読めるの?」
「なにその、私が本の読めない馬鹿みたいな言い方!?」
「課題の本が難しくて読めないーって泣きついてきたの、誰だっけ?」
「うぐぐっ。……だ、大丈夫だって!」
悔しそうな声を上げながらも、アズは意気揚々という感じで文章に目を通し始めた。
……しかし、読んでいくうちにだんだんと表情の雲行きが怪しくなっていく。
「うわっ」
「ん?」
「うわ、うわうわうわうわうわ!!」
「ど、どうしたのよ!?」
いきなり素っ頓狂な声を上げ初めたアズの姿に、私も思わずたじろぐ。
「硬い、文章が硬すぎるよ! こんなの誰も読みたいと思わないって!!」
え、そうなの?
アズから突然言われた言葉に、心を打たれたような感覚に陥った。
「……ど、どの辺がそうなのよ?」
「それはもう全体的に! あと意味不明な言葉もあるよ、『愁眉を開く』とか!」
「あぁそれは……『心配しているものがなくなって安心する』という意味で――」
「知らないよ! そんな日本語検定一級に出そうな言葉!」
……元々は中国の故事から来た言葉なんだけど。突っ込もうとする前にアズが口を出す。
「ネットに上げる小説って、文章がわかりやすい方がウケるんだよ」
「そ、そうなの?」
「わかってなかったのか~。まったく、しょうがないなぁ。愛ちゃんは」
そんな私に、やれやれと行った感じの態度のアズ。ちょっとだけむっとする。
「この私が――この小説を、翻訳してみせるよ!」
「翻訳も何も、至ってまともな日本語なんだけど」
読みにくいのは確かなんだろうけど、ここまで言われるのは流石に心外だ。
私だって頑張って書いてきた。流石にこのままアズの言いなりにはなりたくなかった。
「でも明日には投稿するつもりなんだよ。どうするの?」
「なら徹夜でやってみせるよ!」
「……言い切るね」
前言撤回しようか。そこまで言うのなら……アズに任せるのもいいかも。
実際にweb小説というのは文章が軽くて、誰でも読める方が人気なのはよく聞く話。
それに、文章が小難しいから小説、ラノベやケータイ小説、webの小説は軽いから小説じゃないとは私は思わない。
あの夏目漱石の文学だって当時は、大衆向けだと馬鹿にされたわけだし。
私はこだわりが強いタイプではあるけど、その点はあまり気にしなかった。
「……じゃ、私は寝るから。おやすみ」
「おやすみ~! 起きたらあっと驚かしてみせるよ!」
「期待してるよ。あと無理はしないでね」
「任せて!」という元気のいい声を背に、寝室へと私は向かう。
アズにはああ言ったけど、本当はいつ投稿しても私は構わないんだけどね。
でも、やる気になってるのに水を差すのはどうかと思うので黙っておくことにする。
鈴のような声で囀る小鳥。都内では珍しい音が聞こえて、私は目が覚めた。
「んっ、ふわぁ」
夜遅くまで執筆に勤しんでいたせいか、ちょっと眠気が取れていない。
大きなあくびを1つ、2つ。出てきた涙を拭いながら頭を現実へと戻す。
……あ、アズはどうなったんだろ?
「すぅ……すぅ……」
意識をすれば、微かに聞こえる寝息。デスクに寄りかかる形で寝ていた。
「まさか、本当にやったんだ……」
驚きを隠せないまま、アズを起こさないようにパソコンを立ちあげる。
そのパソコンの画面に広がってきたのは想像を超える光景だった。
私が書いていた小説が、全て誰でもわかるような言葉で書き直されていたのだ。
アズの傍らには、国語辞典とスマートフォン。きっと苦労したはず。
そんなことを思いながら作品を読んでいく。出来に関しては個人的に納得行かない部分もあったけど……大体は文章の意味を汲み取っているし、妥協できる範囲内だ。
「私とアズの、合作か」
それに……こうして呟いてみると、感慨深いものがあるとは思う。
誰かと協力して小説を書くなんて――アズがいなきゃ永遠にできなかったし。
そう思うと、すごく嬉しくなるような気持ちになって顔が綻んでしまった。
「ありがとね、アズ」
寝ている彼女に聞こえないだろう感謝を述べた。
大きな達成感に包まれて、意識が現実へと向けられる。
あ、そういや、今何時だっけ。気になって壁に立て掛けている時計を見た。
「って、もう七時なの!?」
あまりの衝撃で完全に目が覚めた。……まずい、何もしていないのに!
顔を洗うことだって、服に着替えることだって、朝ごはんを取ることだって。
「すや~、すや~」
そして――こんなにぐっすり寝ているアズを起こすことだって。
急かもしれないけど、ここでちょっと変わった二人の日誌は一旦幕を閉じる。
そりゃ日常なんだからしょうがない。毎日同じようなお話を書くわけにもいかないし。
だけど終わりを迎えるんじゃないとは言っておく。そのうち続きはあるはずだ。
「ほら! アズ、起~き~な~さ~い~!!」
「むにゃむにゃ……。あと五年……」
「即身仏にでもなるつもり!? いいから早く起きる!」
だって、私たち二人がいる限り――どたばたとした、このお話は続いていくのだから。




