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「落ち着いたか?」
「はい……ご迷惑をおかけしました」
しきりに謝る目の前の少女をなだめ続けてふとお互いに名前さえ知らないことに気付いた。
「そういえば君名前は何て言うの?」
「え?」
「オレ達はまだ自己紹介すらしていないよ?」
また顔を青くた少女は放っておくとまた謝りだしそうだったので機先を制し先に名乗っておく。
「オレはアル。アル・タロッサ」
ちなみに苗字は数年前につけられた名前だ。オレのような孤児で田舎者の中には苗字がない人間も少なくないけど、ギルドには名前と苗字を登録する必要がある。
その時にライシャさんが「適当でいいだろそんなもん」と言ってさっさと登録してしまった。確かにどうでもよかったけどな。
「私はメル・スコーレです」
「スコーレ……確か東にある村の名前だったっけ」
「はい。その村の出身なんです」
人口の少ない村では役職や村の名前を苗字代わりに使うこともあるらしい。地図でしか見たことはないが一人旅でここまで来るのは難しいはずだ。行商隊か何かについてきたのか?
そして青い紫陽花亭に来たことも偶然ではないだろう。東の出身なら目当ては間違いなくライシャさんだ。
「ひとまずギルドマスターに相談しよう。オレよりもライシャさんの方が力になれるはずだ」
「わかりました」
疑いのないまなざしはどことなく子犬を連想させる。……つくづく冒険者には向いていな気がする。
「そういうわけでこのギルドに登録させてもらえませんか?」
女店主はじろりとメルを一瞥して何か口を開きかけたが、その前にメルが割り込んだ。
「あの、貴方が地獄耳のライシャですよね!? 私は――――、あいた!?」
空のパイプで軽く額を殴打する。……あれ結構痛いんだよな。
「人が喋ろうとするときに遮るんじゃないよ。礼儀のなってない子だね」
「ごめんなさい……」
「まずいくつか質問するからそれに答えな」
基本的にギルドでは冒険者がくると最初にこれらの質問を行う。まず今までにギルドに所属したことがあるか。それから出身や家族の名前、過去の職業、自身のレベルと言った簡単な情報だが身分詐称などを見破るにはこれが一番手っ取り早いらしい。
もっと確実な方法もあるけど今はそれを使わないようだ。
「いいよ。ひとまず仮登録だ。ここに名前を書きな」
仮登録とはこの町のギルド独自の制度で冒険者の実力や人柄を確かめるために行う。報酬などは正規の冒険者と一応変わらないが、仮登録の冒険者に何か起こってもギルドは一切関与しない。
はっきり言えばメルを信用していないことの現れだ。
「はい! 頑張ります!」
そんなこととはつゆ知らず朗らかに返事をしている。
「そうかい。じゃあここに名前を書きな」
そして紙とペンを渡されたメルの動きが止まった。
ああ。これは田舎者なら最初に通る関門だ。
「字が書けないんだね」
「はい……」
田舎出身で字が書けるほうが珍しい。何を隠そうオレもそうだったからその恥ずかしさはよくわかる。最初の最初から思いっきり差を見せつけられた気分になるんだよな。
「アル。代筆してやりな」
ほどなくしてメルの仮登録は完了した。傍から見ていて堂々たる船出とは言えないだろう。
「仮登録とはいえギルドメンバーだ。こいつを持っていきな」
取り出したのは紫陽花が描かれたアクセサリーだ。ギルドメンバーの証であり、当然オレも青い紫陽花が描かれた物を持っている。ペンダントにしている奴もいれば衣服に取り付けている奴もいる。
戦闘中以外で失くせば信頼も無くすことになる、文字通り信頼の証だ。ただし仮登録であるそれは赤い紫陽花が描かれていたが。
「宿は向かいのじじいのところに泊まりな。そいつを見せれば安くなるよ」
「わかりました! ありがとうございます。ライシャさん!」
ぱたぱたと速足で宿に駆けていった。
「お疲れ様です。ライシャさん」
「これも仕事さ。それよりも――」
突然厳しい目つきでオレを睨んだ。こういう時のこの人は嫌なこと、しかも反論できないことしか言わない。
「あんた、冒険者の鉄則を忘れてないだろうね?」
冒険者の鉄則。いくつか教えてもらったがこの状況ならあれだろう。
「初対面の人間を信用するな。ですね?」
「わかってるならいい」
それきり背を向けてパイプを吸い始めた。居心地が悪くなったオレはそそくさと酒場から出ていった。
「ネモア。他の連中に飛び火しないように目を光らせときな」
「わかりました。ライシャさん」
常連の連中は皆わかっていた。今のセリフはネモアではなくこっそり聞き耳を立てていた、いかにも引っかかりやすそうな若い冒険者に向けられたものだと。
冒険者を守るのはギルドの役目だが――――自分から罠に飛び込んだ者の面倒まで見るとは限らない。




