交換条件
2年B組に所属する真島圭士郎は、北台高校の本校舎2階の廊下を歩きながら、どうしたものかと思案していた。
悩みの原因は手の中にある。圭士郎の手にはプリントの束が握られていた。クラス委員──徹ゲーで寝坊したときに不在投票で決められたのだが──の仕事としてB組全員から集めた進路相談の用紙。
その一番上は彼自身のものだ。第一志望の欄には汚い字で次のように記載されてあった。
『プロゲーマー』
第二、第三は特に思いつかなかったため空欄にしてある。
後は担任の田崎先生にプリントを渡すだけで終わりのはずだったが、職員室に行ったところ不在のようだった。仕方なく机の上に置いて退室しようとしたところ、生徒のプライバシーや個人情報云々とのことで直接本人に渡してほしいと隣の席の先生に言われたのがつい先ほどのことだ。
「たぶん、電算室じゃないかな? 放課後は大体あそこにいるから」
そういった経緯で、圭士郎は2F廊下突き当りを目指していた。
部活動にいそしむ生徒達の掛け声が開いた窓から聞こえる。サッカーボールを蹴る音。硬球を高く打ち上げる音。ブラスバンド部のトランペットや太鼓の音に加えて合唱部の歌声も聞こえる。
皆が青春を謳歌している。自分もその一人だという自覚は圭士郎にもあった。だからこそ雑用などさっさと終わらせて帰宅しなければならない。大会は近く、調整に手を抜くことなど考えられなかった。
放課後の電算室。
PCが立ち並んだ部屋はガラガラで、生徒は一人もいない。そこをたった一人で占拠している田崎先生は、教員用の一際大きな席について目の前のノートPCの画面を食い入るように見つめていた。
授業では見たこともないほどの集中した顔つき。ヘッドホンをしていることもあり、ドアを開けた音にも圭士郎の失礼しますという声にも気づいていないようだった。
圭士郎は思わず足音を殺した。部屋の隅を迂回して視界に入らないように背後から近づく。いったい何をやっているのか気になってしまったせいだ。
ノートPCの画面には、よく見知ったものが映っていた。
『Sword of Wars』の対戦画面。
世界で数千万人がプレイし、日本だけでも同時接続が数万はあると言われる大人気のMOBA系対戦ゲーム。
Multiplayer Online Battle Arena──通称MOBA。リアルタイムで進行するアクション要素の強い多人数対戦形式のゲーム。一口にMOBAといっても様々な種類が存在するが、先生がいまプレイしている『SoW』は、単調な動作を行う無数のNPCをプレイヤーが操作するキャラクターによって護衛、先導して陣取り合戦を行うものだ。
先生は熱中しすぎて真後ろから圭士郎が覗き込んでいることにも気づかない。マウスを慌しく動かし、クリックを連打し、合間合間にキーボードに設定されたショートカットでプレイヤーキャラ専用のスキルを行使している。
十数秒ほど観察して、控えめに言って先生がド下手クソであることを圭士郎は理解した。
画面上部に表示されたプレイヤー情報を確認する。ランクはシルバー。上から順にマスター、ダイヤ、プラチナ、ゴールド、シルバー、ブロンズのうちのシルバー。その上で勝率はあまり芳しくない。
先生の操作するキャラが逃げる相手プレイヤーを追っている。敵の体力は残り僅か、対する先生のキャラは満タンに近い。
だがその追撃が悪手であることに圭士郎は一瞬で気づいていた。敵が逃げ込もうとしている先は相手チームの勢力圏であり、視界が確保出来ていない。
このゲームは同チームのキャラ同士は視界が共有できるが、そうでない場所は暗がりとして表示される。
そして右下に表示されるマップに敵プレイヤーの数が少ない。試合は5vs5で行われるが、そのうち2人しか表示されていなかった。つまり、自分達には見えない暗がりに残り3人が潜んでいることになる。
先生は気づいていない。死に掛けの敵を追うのに夢中で恐らくはマップを見ていない。下手にもほどがあった。もし同じチームならマクロで罵倒のチャットを飛ばしていたかもしれないほどだ。
先生の操るキャラが死にかけのバイキングメットのヒゲ親父の尻に食らいつこうとダッシュしている。恐らく先生はホモであり、今は視野が狭くなっているだけなのだろう──圭士郎は好意的な解釈をした。
止めの一撃を放とうと先生がキーを叩く。魔方陣がキャラの足元に現れ、いざスキル発動──というところで、横合いから現れた敵の筋骨隆々の剣士に斬りつけられた。
そのまま相手のスキル発動。『シールドバッシュ』。盾で殴られた先生のキャラは、頭の上に星を出して行動不能に陥る。
続けての敵スキル発動。『痛烈なる一撃』。体力がごっそり削られる。
スタン状態が解け、慌てて逃げようとするところに止めの『ワイドファイア』。広範囲の横なぎの一撃で轟沈する。
先生のキャラが天に召され、復活までの15カウントが画面上にでかでかと表示される。noob、fuck──チャット欄に飛び交う罵詈雑言。
「くそ、誰か援護しろよな……」
「いや、今のは明らかに先生が悪いですよ」
田崎先生が飛び上がらんばかりの勢いで振り向いた。
「真島──いや、これはだな」
汗を拭き、しどろもどろになって弁明しようとする先生に圭士郎は言った。
「今は放課後ですし、何をやろうと先生の自由だと思いますよ僕は」ただ、と付け加える。「今のは突っ込む前に味方に一声かけるべきでしたね。左下の近い位置に一人いたので、一緒になって進むべきでした」
「左下……いたか?」
「いましたよ。マップを見てなかったようなので気づいてなかったでしょうけど。ああ、もうすぐ復活ですよ」
カウントが終了し、暗転気味だった画面が光に包まれて味方の拠点上に体力満タンの状態でキャラが再出現する。先生は慌ててヘッドホンを付けなおして席に着いた。
「終わるまで待ってます」
試合終了。
結果は力なくうなだれる先生の後姿で判断できる。画面を見るまでもない。
「途中まで見てた限りですが、無駄な被弾が多いですね。特に状況が不利だったり不透明だったりする場合に脳死して撃ち合うことが多かったのが最悪です。もっとキャラの体力を大切にしましょう。リスポーンの15秒はかなり大きいですよ。後はゲージが溜まったら即スキルを発動する点もいただけません。このゲームに限った話じゃありませんが、体力もスキルも限りある資源であることを念頭に置いて有効活用してください」
先生は精根尽き果てた様子でこくりと頷き、椅子を回してゆっくりと振り向いた。
「真島も、このゲームをやってるのか?」
「はい。結構」圭士郎は控えめに表現した。
「ちなみにランクは?」
「マスターです」
先生は眉をひそめて訝しげな顔をしている。
「本当ですよ。ちょっとログアウトしてもらっていいですか?」
田崎先生がゲームをログアウトする。それを借りて圭士郎は自分のIDとパスワードで再ログインした。
ノートPCを反転させて先生の方へと向ける。しげしげと画面を眺め、先生は驚愕の表情を浮かべた。
「本当だ……ユーザーネーム『jkjhiqehjkalkf』、ランク『マスター』って表示されてる……。マスターって上位0.5%くらいじゃなかったっけ……」
「そうみたいですね」
「っていうかこのふざけた名前みたことあるぞ、もしかして配信もやってないか?」
「たまに」
昔は少なかったらしいが、今では配信されていない対戦ゲームなど無い。ネットで探せばアーカイブされた動画がいくらでも出てくるため、例え自分でプレイしたことが無くても楽しんで観戦することができる。
見る側にもだが、配信する側にも大いにメリットがある。広告収入と、後で自分のプレイを見直せるという点だ。また、観戦者のコメントに有意義なものがごく稀に紛れていることもある。大抵は罵倒や歓声といった特に意味の無い雑音ばかりだったが。
「たまに見てるよ」
「ありがとうございます」圭士郎は軽く頭を下げた。「次からは広告のバナーもクリックしてくれるともっとありがたいですね」
「ええ……まあ、うん、そうするよ」
2人が沈黙する。外では部活の声。ヘッドホンから漏れ聞こえるのはゲームの音声。
窓の外の夕焼けを見ながら、頼みがあるんだが、と田崎先生は非常に言い出し難そうに口を開いた。
「先生にゲームを教えてくれないか……?」
そうくると思っていた圭士郎は頷いて持っていたプリントを手渡した。
「いいですよ。ただし、条件があります。僕に勉強を教えてください」