第一章 どなどなどなー
――――――――――。
「もう、大丈夫ですよ」
声がかけられ、強く握り締めていた目を開ける。
辺りは急変していた――。
小さなアパートの一室から、何処にあるのかも分からない常夏のビーチへと移り変わっていた。周りの海に浮かぶ島々。目線を少し上げれば、何の原理で浮いているのかすら把握できない巨大な岩山。青空を覗けば、空一面に星屑のように煌めく幾何学模様。
「ここは……一体……」
驚きを隠しきれず、口が開いたままだった俺に少女が語り掛けた。
「大丈夫ですか?」
優しい声になんとか反応し返事を返す。
「ああ……大丈夫だ、たぶん……」
ふと、先ほど自分が言った言葉を思い出し。
「魔法ってこれか……?」と、腑抜けた口調で問う。
「いいえ、まだまだこれからですよ!」
えらく楽しそうな少女は、俺から離れ海の方へ走っていくと。
――飛んだ。
腰から生やした白いハネを羽ばたかせることなく。
ハネを生やした姿は天使そのものであった。だが、天使の象徴であるはずの輪っかは何処にもなかった。
大きなハネをめいいっぱい拡げ、地面から高く上がり、地から十数メートル程のところで少女は停止し、俺の方を見て。
「それでは、お見せしましょう」
と、演技が始まるのであろうかという具合に深々と頭を下げ、海に浮かぶ島に体を向けると手をかざした。
――――すると。
人間の聴覚器官の限界に至るほどの高周波、低周波が脳髄を砕き。
猛烈な爆風が体を引き裂く。
辺りが暗く感じるほどの強い一筋の光が天から、空、雲、陸、海、とすべてを貫つらぬき、大きな爆発とともに炎と煙を巻き上げ島と海を切り裂いた。
――――海に浮かぶ島が一つ消えて無くなった。
実際に、音はラグのように遅れてやってくるのだが、あまりにもいきなりだった故か視覚と聴覚の反応が逆転してしまっていた。
高く巻き上げられた波が――。
ドロドロに溶けた岩石が――。
見たことも聞いたこともない状況に見舞われ混乱し。
辺りに漂う海水が蒸発した匂いと、聴覚器官の麻痺が吐き気を漂わす。
「一体……なんだ、何が起こったんだ……」
焦り、絶望、恐怖、あらゆる負の感情が脳裏をよぎり、脳が理解をしようと動き出す。
だが、理解することなんてできやしない。
この場に起こったことは、まさしく――異次元。
脳が理解を拒むのも当然のことだ。
俺は、先のモノを放ったであろう本人に迫って問う。
「何がどうなってんだ……」
その言葉に少女が俺の方を向き答える。
俺は、その翻る顔にさえ恐怖を覚えた。
「あの島には、誰もおりませんよ?」
「違う! そうじゃない。今、お前は何をやったんだ……」
はて? と嘯く少女は、思い出したかのように説明を始めた。
「これが、魔法でございます。天使は、魔法で異世界を作り出し、その中でゆったりと落ち着いて暮らす者も居れば、好き放題遊ぶ者もいるんです」
これが、魔法? 天使? 訳がわからねえ。つか、天使のやることじゃねえだろ。
思考を妨害したのは、少女……いや、天使の囁きだった。
「そういえば、名前を申しておりませんでしたね」
地に足を付けた天使はニッコリと微笑みこう言った。
「私の名は、スフレ・ヘカンツェルどうぞよろしくお願いいたします。マイマスター」
不覚にもまた、その笑顔に魅了されてしまった。
ああ、初めまして。絶望を美しさで覆い隠す天使さん――。
自称天使から天使にジョブチェンジした天使を見遣り。
名は体を表す、ああ、この言葉を作った人にこいつを見せてやりたい……天使って飯食うのかな?
とほほ、と思いながら、俺は仕方なく天使の存在を受け入れた。