アナザーホープ
三人は動き出す。
夜風がこんなにも気持ちいいと思ったのは、何年ぶりだろう。
少なくとも、前世はこんなにも開放感のあるように感じたことは、なかったはずだ。
人通りも少なくなり、開いているのは酒場や旅人のための店。そして二十四時間営業らしい武器屋や食料屋が、淡い橙の光を灯して、営業していた。
酒場からはワイワイと賑やかな声が聞こえ、思わず頬を緩める。
手に持つ荷物が一層軽くなったのを感じて、俺は思わず小走りになった。
本気を出して走っている訳では無いので、体力は全く減らない。息も切れなければ、呼吸も上がらない。
足に小さな圧迫感を感じながらも、俺は馬車乗り場までそのままのペースで向かった。
「……お、嬢ちゃん!」
その途中、誰かに呼び止められた。
足を止め、その声の主の方へ向く。
声の主は、あの時の武器屋の店主だった。こちらを見て大らかな笑顔を浮かべ、肩に身の丈程の大剣を持つ姿は勇ましく、男前であった。
「あんたやっぱ旅人だったのか。その様子だと、今から馬車乗り場に行くんだろ?」
「ああ、よくわかったな」
俺が返すと、店主は歯を見せて笑う。
「そりゃあ、幾人もの若者を見ているからな!誰が何をしようとしているのか、分かるのは当然のことまでよ!」
「おー。そりゃ頼もしいな。やっぱ長年やってきた熟練者は違うのかねぇ」
「全然違えよ!俺を嘗めるんじゃねえぜ!」
「それよりも」と店主は改まって、大剣を床へ突き刺した。
ガキリッと擦り合わせるような音が響く。何かの天然素材が使われているのか、石の地面でも、大剣は楽々と突き刺さっていた。
「あんた、もうすぐこの街を出るんだろ?その前に、俺の武器を買っていかねえかい?今ならオーダーメイド半額だぜぇ?」
「太っ腹だなぁあんた。嬉しい誘いだ。俺は嫌いじゃねえぜ?」
「商売の為なら何だってするさ。それに、色んな奴らに俺の武器が使われているのが、何よりも嬉しいんでね。嬢ちゃんも、その一人になってほしいんだよ」
「ちなみに大剣は俺の得意分野だ」と得意気に言う店主に、俺はさらに頬を緩める。こんなにもこの街には、楽しい奴らがいっぱいいたんだな。
今、俺の手元にある武器は刃こぼれした血濡れの短剣のみ。なら、ここで何かを買っていっても問題はないでだろう。ちょうど金はたんまりと貰っているしな。
「わかった。買うよおっちゃん」
「まいどありぃ!オーダーメイドか?」
「それも考えていたんだが、やっぱ元々あるやつを買うことにするわ。すまねえな」
「なぁに、いいってことよ。人それぞれの好みってのがあるからな」
店主は様々な武器を店頭に出してきた。先程店主が持っていた大剣と似たような大剣、刀剣、短剣、棍、双剣、弓、これが今ある武器の種類だそうだ。
さらに種類を増やすには、もっと修行を積まないと出来ないということ。やはり商売だけでも苦労するんだなぁ……。
色々な武器を手に取って、感触や刃、回し具合を確かめる。
「…………ん、これだな」
殆どの武器に手を触れた末、俺が選んだのは一つの短剣。赤色の刃を持った、少し重みのある短剣だ。
「そいつぁ、ここらで取れる緋色の白光宝珠で創ったものだ。魔力を注ぎながら振ると、火柱が立つような炎が勢いよく出る。加減を間違えるなよ?」
「忠告どうも。これいくらだ?」
「6900R」
「あいよ」
きっちり6900Rを払い、短剣とセットで貰った鞘に、短剣を納めた。
これで、もしモンスターに遭遇しても一応大丈夫……だと思う。
「んじゃ、俺は行くよ」
「おう、良い旅を!」
大剣得意な店主と別れ、俺はまた小走りで馬車乗り場へと向かう。
馬車乗り場は門の近くにあり、そこから門番に許可を取ってこの街に入ってくるそうだ。今回は近くの街から来る馬車があるはずだと言っていたので、俺はそれに乗ることになっている。
あと時間は……十分間に合うな。少しあそこで時間を食ってしまったようだが、余裕を持って行けそうだ。
人工的な光が眩しく、思わず目を覆うと、キラリと光る赤紫色の指輪が、目に入った。
……正直言えば、これで弟の名前を思い出すとは思っていない。
俺が言う弟とは、前世の弟なのだ。その弟の手掛かりが、今世にあるとは到底思えなかった。
……まぁ、何か見つかってほしいなとは思っているが……。もし見つかったら、奇跡と言っても過言ではない。
(……弟が好きだったものの似たようなヤツを探せばいいのか?)
全く計画を立てていない俺にとって、この旅は恐らく過酷となるであろう。
だが、弟の為なら俺はそれをやってのける。いや、やり遂げてみせる。
そして、名前を思い出した、その時は。
(ーーー俺は、お前の元へ行こう)
門が見えてきた。
そこには数人の人だかりが見える。全員が馬車に乗るとは限らないが、ほぼ乗車する人と考えた方が良さそうだ。
……席とか、なくならねえよな?
少し不安になった俺は、スピードを上げる。
「…………?」
その直後の時だった。
俺の目の前に、ボロボロの服を着た爺さんが現れた。
俺の前に立ち塞がるかのように立つ爺さんの姿に、俺は少し記憶を探る。
もう少し、もう少し昔の記憶を。
数々の色彩が俺の記憶を駆け巡り、やっと辿り着いた記憶。
「ーーーあんた、あの時の爺さんか?」
俺がそう言うと、爺さんはーーー墓場の爺さんは、ニカリと笑った。
この爺さんは、あの日墓場で会った、白い指輪を探していた爺さんだ。
結局は墓場に行くことは出来なかった。だが爺さんは今、俺の目の前に立っている。
なら、爺さんはーーー。
「……見つけた、のか?」
「…………」
爺さんは首を傾げた。
その姿にイラッと来た俺は、人目も気にせずに声を荒げた。
「だからッ、指輪は見つけたのかよ!?お前がすっげえ探してた白い指輪!」
「見つけたよ」
ドクリ、と。
大地を沈黙させるかのように、爺さんの声は低く、重みのある声が浸透する。
そして爺さんは、スッと手をこちらに出してきた。
泥だらけになっている右手。爪にも泥が詰まっており、衛生的には悪い状態。老人独特の皺はさらにクシャクシャになっており、何処か血も滲んでいた。
だが、その手の中心に。
一切の汚れもなく、月の光によって反射され、元々の美しさを輝かせている、白い玉石。
小さな白い玉石には、何も施しはない。そのままの美しさで、これ程までの優美な姿を見せつけている。
そして、指輪の裏に彫られている小さな文字。遠目だが、俺にはそれが的確にわかった。
まるで素人が彫ったかのような歪な字。だが、そこから彼女の想いが、伝わってくる。
『Remember Dear Asebi』
ーーー『忘れないで 親愛なるアセビ』
それが、この文の意味だ。
「やっと見つけた。私とあの子の宝」
爺さんは、ギュッと指輪を握り締めた。
もう、手を離さない。いや、離してはならない。また手放してしまったら、今度こそこの爺さんは崩壊するであろう。
とりあえず、俺は祝福を祝って「おめでとう」と言っておいた。
そう言った途端、爺さんは目を垂れさせ、まるで娘を見るような目に変貌した。
「ありがとう、エリカちゃん。君のおかげで、私はあの子と会えたよ」
「おいおい。俺は何も役に立ってねーぜ?ただ掘ってただけじゃねえか。そんなに感謝を述べられてもよぉ……」
「いいや。君が掘っていたところはもうないと思い、掘っていなかった。だから効率良く探せれて、そして見つけたんだよ。殆ど君のおかげと言っても、過言ではないさ」
「ふーん……」
俺は別に役に立ったとは思っていないが、爺さんがそう思っているのならそうなのだろう。
それよりも、小さいがちょっと気になっていることが一つだけある。
「なぁ爺さん。あんたってそんな喋り方だったっけ……?」
「ん?」
「俺の記憶だとちょっと違うような気が……」
俺の記憶では、爺さんの一人称は『わし』。そして喋り方も爺さん臭かった。
なのに今の爺さんはそれよりも若返ったかのような雰囲気で、一人称も『私』となっている。ここがどうも気になっていた。
質問の意味がわかると、爺さんはフッと笑い出す。
「すまない。あまりそちらを検索しないでほしいんだが」
「あれ、ダメなのか?まぁ別にいいけどよぉ……言及する気はねえし。とにかく祝っとくぜ。で、それだけか?」
この爺さんが、今この場にいることにはまだ理由がある。俺はそう思っている。
爺さんは目を閉じ、指輪を薬指にはめる。ドロドロとなった手にはめたせいか、指輪も少しだけ汚れていった。
「今、羽ばたく若者に、少しアドバイスをしてあげようと思ってな」
悪ガキのように笑った爺さんはそう言った。
アドバイス……これから旅をするにあたってってことでいいんだろうな。
それは有難い。是非聞いておいた方がいいだろう。今の言い方だとすると、爺さんは昔旅をした経験があるのだろう。
爺さんは、つらつらと言葉を並べ始めた。
「この世界は、弱肉強食の世界。たとえ己の精神が押し潰されることになっても、強靭なる心で乗り越えてみせよ」
「迷いし子には必ず手を差し伸べよ。さすれば、己が歩みたい道が具現化する」
「躊躇をするな。敵は迷わず切り捨てろ。己の弱者の記憶を消し飛ばし、猛者としての記憶を膨れ上がらせろ」
「最後にーーーーーー命は、自ら絶つな。絶対に、この世に生き続けろ」
……………………………………………………。
………………おう?
ちょっと待て、少しよくわからないのがいくつも出てきて追いつかん。少し整理しなければ。
最初は……たぶん、魔法のことだな。今俺は魔法を持っていない。ならこれがバレた時、俺が批難されるのは確定だ。それに負けないような強い心を持て……でいいのだろうか?
二つ目。これは困っている人は必ず助けるということだな。これは言われなくてもそうするつもりだ……俺ができる範囲で。だが己の道が具現化するというのがよくわからない。わらしべ長者のように流れていったら、そうなるのだろうか。
三つ目。これは……今回の騒動の似たようなやつだな。もし人間が敵になった場合は、脅威なら必ず殺せ、でいいのだろう。これは少し難しいなぁ……それ程のクズだったら潰すように心がけるが、そんな人間が万人もいたらこの世界はもう終わっているぞ。
最後……なんか、心が見透かされているような気がして怖い。
恐らく俺は、弟の名前を思い出したら、すぐに自分で死ににいくであろう。だってそれがこの旅の目的なのだから。その目的が達成した時、俺は何をすればいいのかわからない。
だから俺は、最後のやつはあまり聞きたくはない、というのが本音だ。爺さんには悪いが、最後のは無視しよう。
「アドバイスさんきゅ。これからの旅にいかすよ。じゃあ、もうそろそろ馬車の時間だから行ってもいいか?」
爺さんとそうこう話している内に、もう既に馬車は来ていた。もしかしたら、乗車する人がいなかったら早めに出発するかもしれない。
爺さんは馬車の方を見て、納得したように頷いた。
それは行ってもいいというサイン。俺はその言葉に甘えて、爺さんの横を通り過ぎて馬車の方へ走っていった。
「……………………間に合わないかもなぁ」
この爺さんの最後の言葉が、俺には理解し難かった。
■
「ご、ぶは……はぁ……」
城から全速力で走ったミソラは、汗だらけの額を拭いながら、ゆっくりと顔を上げた。
目の前には、恐らく墓地の入り口かと思うほどのボロボロの墓場が並べられている。その墓石の前には小さな花や、食べ物のお供え物がある。本当に墓地のようだった。
いや、今いる現在地はどうでもいい。だが重要なことだった。
(ーーー馬車乗り場って、どこ)
ミソラは、顔面蒼白でブルブルと震え出す。
ミソラは馬車乗り場の場所を聞かずに一人で馬鹿みたいに走り、そしてがむしゃらに走るにつれどんどん迷っていった。それが今である。もはやここが何処なのかわからない。
早く場所を教えてもらわないと、エリカが行ってしまう。
とりあえず、一度城に戻ってみれば何かわかるかもしれない、とミソラは方向転換した。
「あ、いた!」
その方向転換した先に、バルセロナの息子がこちらを指さして来ていた。
少し大きめのリュックを背負っている青年は、息を切らしているミソラの腕を引く。
「馬車乗り場はこっちです!凄い離れてますよここ!?」
「ちょ、ちょっと待て、息が」
「でも急がないとあいつに間に合わないですよ!?早く行かないと!!」
「美しさには体力も必要なのがよくわかった気がする……」
「そ、そうですね!ごもっともですね!でも今はあいつですよあいつ!!早く行きましょう!」
青年はよろよろに歩くミソラを、無理矢理引き摺るように連れていった。
もう、馬車が出発するまで時間が無い。
早く行かなければ、彼女は行ってしまう。
(ーーーそれだけは、嫌だ)
忘れ去られたくない。
ずっと、記憶の片隅にいたい。
いやーーー隣に、いたい。
「ーふぅ……ふぅ……!」
体力が切れても、限界でも、ミソラは足に力を入れた。
圧迫されるふくらはぎは徐々に膨れ上がり、そして太ももにも力が入る。
「ッえ、ちょ!」
青年の腕を振り払って、ミソラは前へと出た。
無様でもいい。どんなに笑われてもいい。
だけど、それだけあなたと一緒に旅がしたい。
やっと出会えた、信じてほしい人。
絶対に、手放したりするものか。
「馬車乗り場は何処ですか!?」
ミソラは青年よりも早く、速く、馬車乗り場があるはずの方向へ、走り出す。
青年は微笑みながらも、距離が離れたミソラの方へ、大声で伝えた。
「北門のすぐ近くです!そこに馬車乗り場があります!」
ほぼ数名が乗っている馬車。その馬車の目の前にいる、恐らく御者に声をかけた。
「馬車に乗りてえんだが」
「乗るなら、640R」
御者は左手を俺に差し出す。
俺は懐から640Rを取り出し、それを御者の左手に差し出した。
御者は軽く見てから「まいどあり」と言い、馬車のドアを開ける。
馬車は思ったよりも広く、十五人くらいは乗れそうなくらいだった。ほぼ満席状態の席だが、一番後ろが運良く空いていたので、そこに座る。
「ふぅ……」
座った途端、今までの疲れがすぐに出た。色々あったから、まだ疲れが取れきっていないのだろう……爆睡しそう。
ずっと被っていたフードを脱ぎ、少し右に傾く。窓につくかつかないかの距離を保ち、俺は目を細めた。
窓には、今の俺の姿が映される。黒髪のショートヘアに、ほっそりとした、一見すれば顔色の悪そうな真っ白な肌。そして極めつけは、まるで血液のような赤眼。光が灯っていないように見えて、自分の姿なのに不気味に感じた。
……俺、やっぱり本当に女になっちまったんだ……。
今更ながらも、現実を痛感する。何で女になったのかもしらないし、何で弟も転生、憑依しなかったのだろうか、本当に憎たらしい程に疑問を抱く。
もし、この権利を誰かにあげれるとしたら。
ウトウトと、自分の意識がだんだんと沈んでいくのを感じながら、俺は密かに考えた。
……もう、そんな権利はないだろうな。もしあるのなら、それを弟にあげてやるのに。
今日はここまで。明日に備えて、俺はぐっすりと眠ろう。
少し身動ぎして、俺は窓にコツンと頭を預けた。
そして俺は、ゆっくりと目を閉じる。
朧気に、ミソラが浮かび上がってきた俺は、あいつにお別れを言いながら、ぐっすりと眠りについた。
■
「あと……ッ五分!?まだ見えないのに……!」
青年が時計の魔法道具、『時計針の腕輪』を見て、唖然とする。
もうすぐ、馬車がこの国を出てしまう。
その馬車には、もちろんエリカが乗っている。早く行かないと馬車が出てしまうが、その肝心の馬車がまだ見えない。
「急がないと……!スピードを上げます!」
「ちょ、ちょっと、待って」
「待ちません!」
「ふおおおおあああああああああ!?」
体力切れしているミソラの腕を引っ張り、青年はさらにスピードを上げた。
変な声を上げているミソラは、せめて追いつこうと必死に青年に食らいつく。
足を動かし、息を上げ、腕を振る。ガチャガチャとリュックの中にあるものが音を上げ、その中にある鈴の音が、彼らの心拍数を表すかのように、チリンチリンと鳴り響いていた。
もう時間が無い。
このままでは、間に合わない。
(早く、早く、早くーーーー!)
もっと、もっとスピードを。
もっと、音速のような速さを。
全神経を足に注ぎ込み、彼らはやっとのことで、馬車乗り場を視界に入れた。
「見えました!」
「ッ!」
馬車はまだ、出ていない。
あとはこの坂道を、下るだけだ。
ミソラは青年から離れ、青年を追い越して走った。
途中転がるように走っていったが、体勢を立て直してまた走る。
もつれる脚を、手で支えながら彼は走る。
「待ってーーーーーっ!!」
声は叫べない。
声を出す、体力もほぼなかった。
せめて、せめて乗るだけでも。
「ッ馬車が……!」
ミソラ達の目線の先で、馬車はゆっくりと動き出す。こちらに走ってくるミソラ達は、視界に入っていない様子だ。
「まだ行けます!この国さえ出なければ!!」
「待ってくれ……ッ!!」
みっともなくてもいい。
今は、美しさを気にかける時ではない。
今は、彼女と一緒に旅をすることを考えろ。
ーーーだが。
「待って、くれよ……!!」
馬車は、待ってくれない。
「お願いだから……!!」
馬車の動きが一時的に止まる。それは、門番との交渉の為だ。しかしそれは通行証を見せるだけで、対して時間稼ぎにならない。
「エリカさん!!」
彼女の名を呼ぶも、彼女が窓から覗いてくれるとは限らない。
青年も止めてくれるよう叫ぶが、馬車の動きは止まらなかった。
そうして、馬車は。
「待って!!お願いだから!!」
「止まれ!!そこの馬車!!」
蹄を鳴らしながら、この国から出て行った。
「…………嘘、だろ」
「ぶ、が」
青年が呆然と足を止め、対してミソラは坂道を転がる。
顔に擦り傷を作ったミソラが顔を上げた先にはーーー馬車の姿は、なかった。
遅かった。
間に合わなかった。
彼らの想いは、現実には届かなかった。
「……ちくしょう」
髪もボサボサになり、洗ったばっかのローブは既に泥だらけとなっている。身体中汗だくで、変な感触がして気持ちが悪い。
だがそれよりも、あの時決断しなかった自分が、とても気持ち悪かった。
「……ちくしょうッ!!」
もう、ダメだ。
俺は、忘れられるんだ。
彼女の記憶から、透明となって消え去っていくんだ。
ーーーせっかく、信じてもらいたい人だったのに。
血だらけの手を、地面の上で握りしめる。小石がさらにミソラの指を傷つけ、深い傷を負った。
そして、彼に心の傷も。
「ーーーーー追いかけましょう」
そんなミソラの心に、語りかけるように青年が言った。
いつの間にか背後にいた青年は、ミソラの肩を掴んで、もう一度言う。
「追いかけましょう、あいつを」
「……何で?」
ミソラは涕泣し、光のない声色で聞き返す。
青年の力が、込められていく。
「じゃあ逆に聞きますけど、何で追いかけようとしないんですか?」
「…………もう、ダメなんじゃ」
「歩いていけばいいです。馬車がどっちに行くのか見ていましたし、行先はわかっています」
「………………」
「あなたの想いは、そんなちっぽけなものだったんですか?」
「違う」
「じゃあ行けるはずですよね。あいつを追いかけることに、何の問題が?」
「……間に合わなかった」
「それだけで音を上げるんですか?」
「…………」
「立ち上がらなきゃ、何も始まりませんよ」
「…………何で、君はあの人を追いかけるんだ?」
「頼まれましたから。お父さんに、あいつの傍にいてやってほしいと」
「……何で?」
「お父さんの意図はわかりません。しかし、そう言われたら俺はそれを従う。それだけですよ」
「………………」
「だけどあなたは違う。あなたは誰の命令を受けたわけでもなく、自分の意思であいつと旅をしたいと願っている」
「…………………………」
「その想いを、今ここで途絶えてしまうのですか?」
「…………………………………………」
「あなたの執念はーーーそんなものですか?」
項垂れたミソラは、涙を拭った。
顔に少しだけの血がこびりついても、その血も拭うことはない。
ミソラは肩に置かれた手を払い、立ち上がる。
まだ、間に合う。
この言葉が、ミソラの体を突き動かす。
青年は立ち上がったミソラに安心の表情を浮かべ、彼の隣に立った。
「一つ、聞いていいですか」
「?」
その隣に立った青年に、ミソラは聞く。
今まで明かされなかった、彼のことを。
「あなたのお名前は、何ですか?」
「…………」
「これから共にする仲間として、聞いておかねばなりません」
ーーー『共にする仲間』。
その言葉だけで、青年はニッコリと笑い、鈴の音を鳴らしながらミソラへ名を告げた。
「ーーーハルハ。それが、俺の名前ですよ」
「……ハルハ、ですか。知っていると思いますが、僕の名前はミソラです」
「ええ、存じていますーーーーミソラ様。では、行きましょう!」
最後に呼ばれたあだ名に首を傾げながらも、ミソラは青年ーーーハルハの手に引かれるがままに歩く。
ズボンに下げられている魔力の箱は一層輝き出し、ミソラとハルハの周りを照らす。
ここから、彼らの冒険は始まる。
ーーー弟の名前を、思い出したい。
それは、愛する家族の名を忘れてしまった自分への懺悔のために。
ーーーあの人に、忘れ去られたくない。
それは、ついに信じてもらいたい人の隣に立ちたい自分の願望の為に。
ーーー父に、あいつと共に旅をしろと言われた。
それは、王より下された命令に、忠実に従うために。
今、少年少女達の物語が始まる。
これは、異なる目的を持った魔導士達が築く、ある冒険の一ページである。
第一章 カラシナ
〜Fin〜
第一章カラシナ、無事に終わりました。
次は第二章となります。
第一章はこの世界観を体感してほしいと思い書きました。魔法を持っていない人が酷い目にあうというこの世界を、という風に書きたかったのですが……なかなか伝わらなかったような気がします。次は頑張ります。
第二章の前に、少し人物設定を挟みます。そちらも閲覧してくれたらもう嬉しい限りです。
では次の話でも会いましょう。
評価、感想、アドバイス、お待ちしています。




