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天運のCrocus  作者: 沢渡 夜深
第一章 -カラシナ-
20/35

忘れられたくない


姉は外に、純心は中に、魅了は押して。







「……旅、に?」


 息と共に吐き出される、虚空の言葉。

 自分が今、ちゃんとした質問をしているのかわからない。

 視界が、揺らめく。

 彼女の輝く赤眼が、レーザーのように自分の体を射殺していく。


「おう、すまねえな」


「……どうして、ですか?」


 単純過ぎる質問しか出てこない。

 いや、これが普通なのか。

 自分は今、普通の質問をして戸惑っているのか。

 エリカは、気まづそうに視線を逸らした。


「俺さ、弟がいるんだ」


 初めて聞いた情報。

 初めて、エリカの家族構成の一部分を聞いた。

 だが、エリカの表情はとても悲しそうだ。家族に裏切られたと聞いていたので、それを思い出しているのだろうか。

 エリカは哀情の声で、また続ける。


「臆病で、いつも本を読んでて、あまり騒動を起こさねえ大人しい弟がな。苛められたりもしてたから、その度に俺が守ってた」


「……魔法を持っていなかったんですか?」


「そうだぜ?苛めてきたやつは俺がぶん殴って追い払って、その度に弟は泣いてた。なんて言ってたのかは聞こえなかったけど……心が傷んだよ」


「……それと、旅に出ることと何の関係が?」


 そう聞くと、エリカはまた悲しげな表情となった。

 そして、何処か遠くを見つめる眼差しとなり、ミソラの心はさらに揺れ動く。

 しかし、それと同時に美しかった。

 夕日が落ちるその瞬間まで、エリカは灯り続けていた。

 思わず、この心の感情を忘れてしまいそうな美しさ。

 エリカは苦笑して、項垂れる。


「……あんなに一緒にいたのに、こんなにあいつのことを守ったのに、何でだろうな……ーーーーあいつの名前を、忘れちまったんだよ」


 心臓が揺れた。

 ドクリ、と心臓がはちきれそうな程に動いた。

 ーーー名前を、忘れた?

 そんなに一緒にいたのに?

 唯一の家族を。

 エリカは、罰が悪そうに眼を伏せる。

 彼女も、これがどれほど重要なのかわかっているのだ。


「ありえねえだろ?忘れるんだぜ?家族の名前を。ずっと一緒にいたのに」


 だから俺は、旅をしたい。

 決意した声色。

 ルビーのような瞳。

 凛とした表情。

 全てが美しいはずなのに、天使に見えるほど美しいのに。

 ミソラにはそれがーーーー『堕天使』に見えた。


「俺は、忘れてしまった弟の名前を思い出したい。そんな時思った。旅をすれば、もしかしたら弟の名前のヒントがあるかもしれないって」


 確かに一理ある。記憶を思い出すなら、一箇所に留まらずに色々なところに行けば、記憶が早く戻ることもある。

 そう考えたミソラは、「そう、ですか」と相槌をうつことしか出来なかった。

 この妙な感情に戸惑いながらも、ミソラはニコリと笑う。


「がん、ばって、くだ、さいね」


 その笑顔を向けられたエリカは、フッと頬を綻ばせ。


「ああ、一緒に帰れなくて、ごめん」


 と言った。

 その言葉が酷く突き刺さり、ミソラの言葉は詰まる。

 気持ち悪いほどに喉は乾いており、何回も唾を飲み込まないと良く声が出せなくなっている。いや、それさえも難しくなっていた。

 ただ、見送る言葉だけを言ったのに。



 ミソラの心は、酷く締め付けられていた。









『今日の夜、出発する。そっちの方が安全だってさ。準備ももうしてある』


 と言ったのはいい。

 エリカは荷物を再確認しながら、外を眺めた。

 もう日は沈みきっており、間もなく夜に差し掛かる。

 明かりも徐々に灯り始め、小さな蛍が飛び交うような街並みに変貌する。


「…………」


 これでいいのだ。

 彼女は、一切後悔などしていない。

 これは、彼女が決めたことなのだ。


 あの時、月花に閉じ込められた彼女は、潔く死を待った。抗うなど無様でかっこ悪い。それでは天国にいる弟にも笑われる。

 だからかっこよく死のう。こうやって潔く、覚悟を決めて死のう。

 そうやって、待っていたのに。

 ーーーエリカは、思い出してしまった。

 弟の名前を、忘れていたことを。

 何も、弟の名前のなの字も出ていないことを。

 ーーーもし、このまま天国に昇ってしまったら?

 ーーー弟を、悲しませるだけではないのか?

 ーーー弟は、落胆してしまうのではないのか?

 このまま死んでは、ダメだ。

 こんな不完全の状態で逝ってしまっては、弟の顔が悲しみに溢れてしまう。

 だから彼女は、ぶち破った。

 そして、決意した。

 この第二の人生を歩めば、弟の名前が必ず思い出せるはずだと。

 今、自分が出来るのはこのくらいだ。

 ミソラには悪いが、ここからは自分の問題。彼を介入させるわけにはいかない。


「……もう出るか」


 馬車が来るまで、あと一時間ある。しかしここから馬車の距離は遠く、走って三十分くらいのところにあるのだ。早めに出ておかないと、馬車の時間に間に合わない。

 エリカは荷物を背負い、ドアノブに手をかける。


「………………?」


 なにか声がした(・・・・・・・)ような気がしたが、気のせいかと頭の隅に追いやり、エリカは今度こそ部屋をあとにするのだった。








「たくっ、急過ぎるっての……!」


 青年は、長い大理石の廊下を走っていた。

 もう夜だというのに、それさえも知るかと吐き捨てる程に遠慮なく大きな音を立てて走る。

 青年の手には、小さな布巾着が握られている。そこからリンッ、リンッと小さな鈴のような音が立っていることがわかった。


「えっと……金はある。後は回復薬(ポーション)と、魔法回復薬(マジックポーション)と、あと食料……」


 息を切らし、そして今必要なものを口々に並べ、速度を上げていく。

 その時、ふと城門の所に目がいった。

 速度を落として城門の方をじっと見ていると、何処かで見た黒いローブを来た人物が、ここをあとにする姿が見えた。


「うおっ、もうあいつ出たのか!?やっべお父さんに怒られちまう!」


 その人物がエリカとわかった時、青年は狼狽え始めた。

 金はある、後は回復薬(ポーション)とーー!とまた口々に並べ始めた彼は走ろうとしたが、前方を見た時にその足が止まった。

 前方にいる、先程の青年と同じような行動をしている人物が、窓に身を任せて外を見ていた。

 その人物を見た時、青年の鼓動が、ドクンッと跳ね上がった。

 月光に照らされる黄金の髪。スラリと血行が良さそうな美しい横顔。少し後ろに倒せばポキリと折れそうな細い指。その立ち姿すらも全てが完璧で、目を奪われるどころではなかった。

 もう彼の姿は、真っ白で姿が眩まされるくらいに美しいのだ。


(…………美しい)


 やはり、美しい。

 彼自体が魅了と言っても過言ではない美しさに全てを奪われた青年は、あることに気づく。それは青年が彼の姿に見惚れ、目を奪われていたからこそ見つけられたことだった。

 何処か、青年の表情が暗い。外を見つめる表情が浮かない顔をしている。目はどんよりと黒く淀み、折角の美しさが欠けてしまう程に、醜かった。


「…………」


 青年は今やるべき事を忘れ、塗り替える。

 そして彼の元へ歩き出し、布巾着に入っている鈴の音をチリンッと鳴らす。


「こんばんわ」


 そして、青年が苦手な顔を浮かべている彼に、青年は声をかけた。








 正直言って、あの人を目の前で見送るのは気が引けた。

 あの人を馬車の前まで見送ってしまったら、もう後には戻れないような気がした。

 だから僕は、ここから見送ることにした。

 丁度いい距離を保って見送れば、あの人にも、僕にも、何も起こらない。

 ーーー本当は、一緒にいたい。

 だけど、それは叶わないんだ。

 あの人は、僕達の家族というわけではない。あの人は、ただの部外者だ。傷だらけのあの人を僕は助け、今日まで看病したに過ぎない関係だ。ここから家族のような生活なんて、出来るわけがない。

 これは、あの人が決めたことだ。同じくあの人にとって部外者の僕が、口出しする権利はないんだ。


「……でも、」


 寂しいなぁ。

 止めることの出来なかった言葉は、たちまち空間に吸収され、無音と化す。ローブの裾を握り締め、僕はあの人が出てくるのを待った。

 暫くして、あの人が出てきた。漆黒のフードを深く被り、背中に小さな荷物を背負っているあの人が。

 門番に挨拶をして、とうとうこの城をあとにする。外は風が強いのだろうか。あの人の漆黒のローブが強くはためいていた。

 ーーー行ってしまう。

 言葉には出来ない不安が、僕の中から膨れ上がる。

 ーーーあの人が、遠くに行ってしまう。

 やっぱり、悲しくなる。

 また、同じ言葉が吐き出された。

 もう、腹を括れ。

 彼女は、自分の道を行くんだ。たった一人の家族の為に動いているのだ。

 "俺"はそれを、邪魔してはならない。

 ……もう行こう。ここにいても、また悩み続けるだけだ。

 瞼を返し、ここから去ろうとした時だった。


「こんばんわ」


 前から、先程まで聞いたことのある声がかけられた。

 目線だけを前に寄越すと、そこには王室で会った、バルセロナ王の息子がこちらに向かって歩いていた。

 密かに鈴の音が聞こえるが、あまり気にしなくても良さそうだ。


「こんばんわ。どうしたんだい?」


 僕は何気なく返す。

 彼はどうしてここにいるのだろう。もしかして、自室に帰る途中だったのだろうか。いや、それにしては汗の量が多い。つまりここまで走ってきたこととなる。自室に帰るまで走るのは、よっぽどのことではないと……つまり何かあったのだろうか。

 彼はニコリと笑う。


「いえ、何か浮かない顔をしているなぁと」


「……!」


 僕は彼の返答に、目を見開いた。

 気づいていたのか?それとも、ただそう思ったのか?だが、僕が動揺したのは目に見えたことだろう。

 ライトブルーの瞳が、僕の心を見透かしているような気がして、僕はいたたまれない気持ちになり、思わず目を逸らす。


「……あいつを見ている表情が、とても悲しそうでした」


「!」


 誰が、と聞く必要も無い。

 それは、紛れもない僕のことなのだから。

 そしてあいつという言葉も、誰を指しているのか察せれる。

 彼は僕の目の前まで歩いてきて、足を止めた。


「あなたの綺麗な目が荒んで、真っ黒になっていって、輝きも失っていました。エメラルドの欠片もない瞳は、もはやあなたではない程に、濁っていた」


「……そうですか。で、それがどうしたんですか?」


「本当はあいつと一緒に行きたいんじゃないんですか?」


 直球で来やがった。

 思わず舌打ちしてしまいそうだったが、ほぼ初対面の彼に当たっても大人気ないだけだ。

 ここは耐えろ。僕は僕の気持ちに抗うんだ。


「ーーーいえ。エリカさんは一人で旅に出ると言った。だから僕はいいんです」


 きっぱりと、自分の心にも言い聞かせ、彼にも言う。

 しかし、彼の表情は変わらず、僕の心を射抜く瞳をしていた。

 ーーーそんな顔で見るな。

 こめかみがぴくりと無意識に動く。それが彼にわかっているのかは、僕からはわからない。

 彼はハッと鼻で笑って、口を開く。


「本当に、あいつはそう言ったんですか?」


「……何が言いたいんです?」


「"一人で"って、本当に言ったんですか?」


「……」


 ……確かに、そう言われるとあの人は言っていない。

 だがそんなこと、何も言われなくてもわかることだ。何故いちいちそんなことを言わなければならない。

 僕がそんな風な顔をしていると、彼はふぅと息を吐く。


「別に言っても言ってなくても、どっちでもいいんです。ただ大事なのは、あなたの本当の気持ちなんです」


「……言っている意味がよくわかりませんね」


「あなたは、あいつと一緒に行きたいんでしょう?だけどあいつには付いていかず、あなたはここで寂しく見送っている。それは何故か。それはあいつの迷惑になりたくないから」


 ほぼ核心を突かれた。

 そうだ。俺はあの人を不快にさせたくはない。あの人は俺を巻き込ませないために、旅に出ているのだ。

 家族の名を思い出すために旅をするのは極めて過酷。その道に、僕を引き込みたくなかったのであろう。

 だから、僕は大人しく身を引いた。だから、僕はあの人を目の前で見送らなかった。

 ……全てあの人のためなのだ。仕方がない。


「本当に?」


 僕の心の声を聞いたかのように、彼は疑問の声を上げた。

 ライトブルーの瞳が、僕のエメラルドを包み込む。

 黒く淀んだ僕の心を、優しく取り払うかのように、彼は言った。


「あいつのためって言ってもーーー肝心のあなたが、そんな納得していない顔を浮かべていたら、どうするんですか?」


「…………」


「そんな、自分の気持ちを裏切るようなことをしていいのですか?ーーーー後悔は、しないんですか?」


 敢えて、彼は聞いてくる。

 強く追求しているわけでもない。尋問を受けているわけでもない。ただ彼は、敢えて遠回りをして僕の答えを待っている。

 ーーー後悔はしない?

 何を馬鹿なことを。するに決まっているじゃないか。

 何年も時が過ぎたら、後悔なんて時期にやってくる。

 だが、彼女にもう会えないっていう意味じゃないんだ。



 ーーー会えない?




「………………」



 ーーー会えない辛さとは、どれ程なのだろうか。

 死ぬほど辛いのだろうか。

 それとも、精神的に押し潰されるのだろうか。

 だが、それだけで"会えない"という行為は厳しく、悲しく、そして熾烈するように辛いことだ。

 それが、最愛の人なら尚更。


「……会え、ない」


 急に、会えないということに考え始めた。

 会えない。それは遠くに行ったり、この世にいない時に無意識に使う言葉。

 この言葉を使った者の大半は、悲しみに嘆いている。

 ……俺も、そうなるのか?

 いや、あの人と会えなくなったら、俺は。



 ーーー信じて、もらえなくなる?



 だって遠くに行くんだ。ならあの人は、時間が経ってしまえば俺のことなどすぐに忘れてしまう。

 なら短い期間でも築き上げてきたこの絆は、一発で切られてしまうのか?

 ーーーそんなの、嫌だ。

 忘れられるのは、嫌だ。

 嫌われるのも、嫌だ。

 あの人の側を離れるのも、嫌だ。


「…………エリカさんっ」


 気づけば"俺は"走り出していた。

 彼の横を通り過ぎ、人目も気にせずに音を立てて走り出す。

 心臓がバクバクと音を立て、俺の体を刺激する。

 躓きそうになる足を無理にでも立て直して、俺はローブを手で退けながら、城門へと向かった。


 ーーー間に合って、くれ。



 ーーーそして、言わせてくれ。





 あなたと、旅がしたいと。








「ちょ、待ってくださいよ!?」


 突然走り出したミソラに青年は慌てて声をかけるが、ミソラには聞こえていなかった。

 沈んでいる美しい人に喝を入れてやろうと会話を試みたが、会話の途中に彼は何かに気づき始め、そして走り去ってしまった。


「くっそ、あの人ら行動速すぎだろ……!?」


 俺も早く準備しねえと……!と、青年が自室に向かおうとした時。


「坊っちゃまー!」


 この城に仕えるメイドが、青年にとって見覚えのあるものを背負ってこちらに来ていた。

 青年は最初怪訝そうな顔をしたが、メイドが持っているものに目を見開き、そしてそれを指さす。


「な、なんで俺のリュックがここに!?」


「だ、旦那様から『念のために用意しておけ』と、必要なものを渡されて、そして、坊っちゃまに、届けようと」


 持ってみると結構重たかった。これをメイドは全速力でここまで走ってきたのだ。相当の体力を使ったので、予想より遥かに辛いであろう。

 青年はバルセロナに苦笑しながらも、心の中で「ありがとう」と感謝を述べた。


「あんたもありがとう!じゃあ、俺は行ってくる!」


「え、ど、どこにですか!?」


 リュックを背負って走り去ろうとする青年を、メイドは息を切らしながらも呼び止めた。

 青年は、ニヤリと悪ガキのような笑みを浮かべ、楽しそうに彼女に言う。


「この世界を、自分の目で確かめるためにだよ!」


 とても、輝かしい笑顔であった。




エリカに忘れ去られることを恐れたミソラは、エリカと旅をすることに決めました。

……何かアクセサリーとか渡せば、いいんじゃね?って思ったそこのあなた!

信頼と絆は地道に作り上げていくものです。ただのアクセサリーでは、直ぐに壊れることもあるし、簡単になくしてしまうこともあります。それを絆とは私は呼ばへんで……。

やっぱり絆は人と人とのコミュニケーション。目と目を見て話すのが信頼や絆を築き上げるんですよ。


やっべ今めっちゃ良いこといわんかった?(台無し)

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