歩みの始まり
姉と純心は、魅了はーーーー。
「……うん、魅了、ね。うん」
数分経った頃には、青年は少しだけ立ち直っていた。若干まだ萎れているような気がするが。
魅了。この響きは、青年にとっては良くも悪くもないものだ。
まず女性はまだいい。女性にちやほやされるのはまだいいのだ。それだけだったら青年も大いに喜んでいたであろう。
しかし、男にもちやほやされるのはさすがに嫌だ。
これが魅了の恐ろしい所である。男は女性に、女性は男に持ち上げられるのなら喜々としてこの魔法を自慢していたであろう。
しかし世に言う薔薇や百合に自ら突っ込むようなことは断じて許さない。
これが、魅了の危険ポイント。
ーーーー違う意味で、恐ろしい魔法である。
「お前の魅了は、五歳の頃に発芽した。最初は微量の香りだったが、成長していくにつれその香りは強くなっている。今もそうだ。お前の周りは、人間を誘惑する香りで包まれている」
「……俺達にはそんな香りはしねぇけどな」
エリカが試しに青年の方を嗅いでみるが、何も匂いはしない。甘い香りも、誘惑しそうな香りも。それはミソラも同じのようだ。
バルセロナは唸る。
「実は私もそこだけが謎なんだ。長年の見解から、どうやら同年代までの人間が魅了されるらしい。試しに老人を近くにやってみたが、何も変哲はなかった」
「逆に効果あったら恐ろしいことになってたよな」
青年の魅了は、青年の歳より下の男女に効くらしい。
「そういえば年上の女性とかあんまり近寄ってこなかったような……」と青年は思い出し、重い溜め息を吐いた。
すると、「ん?」とエリカがミソラの方を向く。
「ミソラ。お前いくつだ?」
「えっ?18ですが……」
「お前は?」
「……1、6……」
「なるほど。本当に年上には効かないようだな」
ミソラは18。対して青年は16。
年上に効かないのは本当らしい。これでミソラが効かなかったことがわかった。
しかし、問題はエリカの方である。
「じゃあ何で俺はかかってねえんだ……?」
「すまんがそれは私にもわからん……」
「……可能性があるとすれば、その耐性があったとか、ですかね」
ミソラが指を立てて仮説を提示した。
「あ?どういうことだ」
「簡単なことですよ。魔法は全てが効くものじゃない。当然、魔法に耐性があるものも出てくるんです。例えば僕の魔法は時を遅らせるんですが、僕の魔法が効かないとなると、僕が時を遅らせている間も動くことが出来る……姉さんの上位版でしょうか」
ミソラの魔法にも、欠点はある。
それは思考の早さが止まらないこと。
魔法にも、魔導士にもそれぞれの特徴が存在している。当然メリットもあれば、デメリットもあるということだ。
ミソラの魔法ーーー時を遅らせる魔法は、可能であればこの世界中の時を遅らせることが出来る。しかし人の考えている、思考や脳は何も変わらない。
対してキキョウがミソラに強いのは、そのキキョウが魔法に『脳内で命令を送れるから』だ。たとえ時を遅らせても、脳内の信号で体に命令してしまえば、簡単に魔法を使うことが出来る。
これが、ミソラとキキョウの圧倒的な差だ。脳から直接命令を送れるか、それとも送れずに詠唱を唱えて魔法を発動しなければいけないのか、という差である。
この原理を利用すれば、何故青年の魔法がエリカに効かないのか、ある程度のことはわかるかもしれない。
エリカは自分の体を見下ろす。
「そんなのあったっけなぁ……」
「こういうのは突然見つかるものですから、そんなに急かさずに見つけなくてもいいですよ」
「しかしなぁ。魅了の耐性があったとしても、それに何か意味あるのかぁ?」
青年が怪訝そうな顔で零した。
それにミソラが「意味はあると思いますよ」と青年の疑問に答える。
「魅了は危険魔法に分類される、とても危険な魔法です。しかし……その魔法にかからない人がいたら、たとえ魅了で世界が征服されても、その人がその魅了の魔導士を倒せばいい」
「そんな軽々しく言うなよお前……」
「俺、悪者……」
「昔はそうなりかけたらしいから仕方ないじゃないですか!」
「とにかく!」とミソラは眼を釣り上げて、少し怒りを込めて二人に言った。
「たとえあなたが世界中の人達を魅了したとしても、エリカさんが颯爽と現れてあなたを倒すことが出来ます!そこだけは覚えておいてください!魅了だけが最強とは限らないんですよ!」
「……まぁ、そんな日が来るのは何十年後だけどな」
「……この魔法嫌だ」
めそめそと青年は泣き出した。
こんな危険な魔法など持ちたくはなかった。出来ればあの人みたいな時を遅らせるものとか、カズラさんの氷を操る魔法とかが良かった。何でよりにもよってこんな危険な魔法なんだ。いろいろな危険に迫られながら生きていかないといけないのか。死にたくなってきた。と青年はうわ言のようにブツブツと愚痴を言い始める。
その光景を、ただ眺めることしか出来ない。エリカに至っては合掌をしていた。そこに嘲笑いは含まれていない。純情な哀れみだったのだ。
「……まぁ、こいつの魔法はわかったんだ。もう用はねえか?」
「うむ。部屋に戻ってもいいぞ」
バルセロナは王座に座り直して、ゆっくりと息を吐く。
「よし、じゃあ行くぞー!」と、欠伸をしているミソラの腕をとって、部屋を後にした。
「……あ、俺も戻るわ……」
その二人の後を追って、青年もフラフラと出ようとした時だった。
「待て」
バルセロナの声が、飛ぶ。
静かに、威厳のある刺々しい圧の声。
扉に手をかけていた青年は、バルセロナの方へと体を戻した。
バルセロナの目線は、青年の体を射殺すように向けられている。
その今まで見たことのない表情に、青年はゴクリと喉を鳴らした。
「話がある」
その一言だけで、青年の緊張感は、一気に最上まで跳ね上がったのである。
■
すっかり夕焼けとなり、二人が部屋から出た時には、夕日が沈み始める頃の時間となっていた。
踵の高いヒールの音と、踵の低いブーツの音が廊下に響き渡る。
使用人があまり通りかからない廊下に少し違和感を覚えながら、ミソラはローブを揺らした。
「……ありがとう、ございました」
「ん?」
突然の感謝に、エリカは素っ頓狂な声を上げた。
しかし振り返ることはせず、ただ歩き続ける。
その行為にミソラはまた感謝を述べながら、ホッと安心した。
「僕達の村を救う為に、一緒に戦ってくれて」
「俺は何もしてねえよ。戦ったのはお前とあいつらだ。俺はただの脇役に過ぎねえ」
「でも、最後は美味しいところを取っていきましたよね」
「ふっ、脇役はいつでも主役の座を奪うためにあるのだよ」
「嫌だなぁその脇役は」
軽口を交わしながら歩く。
ミソラは最初は笑っていたものの、次第に笑みは消えていき、静かに顔を伏せる。
「でも、本当に感謝しているんです。あの時エリカさんが動いてくれなかったら、僕は一人でここに立ち向かっていた。そして、負けて、死刑にされていた……全部、エリカさんのおかげなんです。僕は、何もしていない。ははっ、女性に迷惑をかける俺なんて……」
「何言ってんだ」
途中から自虐し始めたミソラの声を遮り、エリカはなんて事無い口調で、ミソラの心に放つ。
振り返らずに、頭で組みながら。
「お前の魔法がなかったら、俺はあそこまで行けなかった。それにお前の魔法がなかったら、俺は今頃モンスターの餌になっていただろうぜ。誰もお前が役立たずなんて言ってねえよ。逆に言ったやつはぶっ飛ばすわ」
「……そこまで言わなくても」
「でもそんくらい感謝してるんだよ。まぁ、結果オーライだったし、細かいことは別にいいだろ」
「……そう、ですね」
パッと、ミソラの表情は明るくなり、エリカの隣に歩き出した。
「そうだ。実は姉さんがここに向かっているんですよ」
「キキョウさんが?」
「ええ。どうやら相当ご立腹のようでして……帰ったら一日説教でゲンコツ一発食らうかもしれません。覚悟しておいた方が良さそうですね」
その時、ピクリと、エリカの肘が動いた。
しかしそれにミソラは気付かず、クスクスと笑いながら話し続ける。
「しかし、これでやっと日常が戻ってくるんですね……。早く帰って、皆の顔が見たいです。あ、でも姉さんに怒られるのは……一日置いて帰った方が良さそうですね」
「そうしましょう」と、言葉を続けようとエリカの方を向いた時、何故かエリカの姿がなくなっていた。
一瞬戸惑って辺りを見渡すと、直ぐ後ろにいるのを見つけた。
しかし、何処か様子がおかしい。
顔を伏せて、エリカの表情は見えない。しかしエリカからただならない雰囲気を、ミソラは密かに感じていた。
何処か、哀しみが含まれているような感覚。ふんわりと吹雪に当てられているような、仄かに冷たく感じる肌。
窓は開いていないはずなのに、何故か風を感じた。ミソラとエリカの髪が揺らぎ、対比のローブも音を立てて揺れる。
「ミソラ」
エリカの声が、何故か廊下隅々まで広がったように感じた。
特別大きな声でもないのに、鼓膜に良く響き、脳を揺さぶる。
聞きたくない。
脳が、聞くなと訴えてくる。
その後のことを言うな。
その口を閉じてくれ。
「悪ぃけど、俺さ」
嫌だ。
耳を塞ぎたいのに、手が動かない。
視界が揺れて、彼女の輪郭が朦朧とする。
やめてくれ。
言うな。
言うな。
言わないで、くれ。
「旅に出ようと思う」
その一言だけだったのに。
ミソラの何かが、体の中で崩れ始めた。
一番書きたかった話No.2。
1週間くらいの生活と、今回の騒動でミソラのエリカに対する心が凄いと書いてても思うんじゃ。案外ミソラは騙されやすい男かもしれない(特に女性)
恐らくあと2話くらいで第一章が終わると思います。




