絶望の守り神
姉はついに邂逅を果たし、純心は力尽きる。
また体を使って扉を開ける。
今度は扉を戻さず、そのまま放置した。
次の部屋……恐らく、この国の王がいる部屋は先程の部屋とは違い、明かりが灯って明るかった。
まるで舞踏会を思わせるかのような広い会場。真上には巨大なシャンデリアが揺れており、その輝きでこの部屋を照らす。
そしてその光に照らされ、正面にはカーテンで仕切られているバルコニーがあった。
窓から差し込む月光は、先程とは変わらない。
しかしーーーー何も無かった。
テーブルも王座も、飾りも、何一つなかったのだ。
先程の部屋にあったレッドカーペットも、この部屋だけはない。
エリカはそのことに疑問を感じ、先程より一層警戒を強めて真ん中に向かって歩き出した。
「おやおや。無礼なクソネズミかと思ったら、迷い込んだ子猫ちゃんだったか」
その時、エリカの頭上から声が投げかけられる。
エリカが顔を上げる。そして、真っ先に映ったのはあのバルコニー。
そのバルコニーで、誰かがこちらを見下ろしていた。
今にもはち切れそうなブレザーに蝶ネクタイをつけ、その体型を物語るかのようなダボダボのズボンを穿いている、アシンメトリーの金髪をした小太りな男が、ニヤニヤと見下している。
「こんな所にいてはいけないよ。何なら私がお家まで送ってあげようか?迷い猫ちゃん」
「……うっわ」
男の言葉にゾワリ!としたエリカだが、それらを振り切って、話しかける。
「……あんたが、この国の王か?」
「いかにも。私がこの国の偉大なる現王、キュラスだ」
「あんたのせいで、俺の村が大変なことになってんだよ。さっさと村人達を解放してもらおうか」
「……なるほど。だからここに来て、不思議な魔法をかけていたんだね」
キュラスはとてつもなく不快そうに顔を歪める。
彼も彼女の仲間、ミソラの魔法にかかっていた一人だ。
時が遅くなり、自分の行動を満足に起こせないことに腹を立てているのだろう。
現にキュラスの目は彼女を睨んでいる。キュラス自身にとって、あの魔法をかけたのはエリカだと信じ込んでいるからだ。
だから、彼は潰す。
たとえどんな奴でも、自分に歯向かう者には容赦しない。
「なら、遠慮をするつもりはなさそうだ。【望月、十五夜にて姿見せる時、弄月によって偃月へと移り変わる】」
キュラスは詠唱を始めた。
唐突に始まった詠唱に、エリカは一瞬反応が遅れる。
それが、キュラスが繰り出そうとしている魔法と気づいた瞬間、エリカは走り出す。
「【月影、光輝に放ち、我が道筋を照らす】」
正面の壁に向かって走ったエリカは、その勢いを殺さずに壁を登る。
そしてエリカは、仕込んでいた赤黒いナイフを取り出した。
先程まで大怪我を負っていたとは思えない程の動きを魅せた彼女は、一切の躊躇もなくキュラスを刺しに突っ込む。
しかし。
「……!」
「ッが!?」
エリカのナイフが、キュラスに刺さろうとするその瞬間。
キュラスは懐から、『四角い物』を取り出し、それをエリカに向けて投げた。
エリカはそれを真っ向からぶつけられ、バルコニーから落ちていく。
「ぐっ!?」
背中を強打し、悶絶する彼女の目の前には……『あの四角い物』。
その四角い物は、パカリと分解した瞬間。
ピガァァァッ!!と、エリカの目の前で眩い光を放った。
「ーーーーーーーああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッ!?!?」
それを受けたエリカは、目を抑えて悶絶する。
荒い呼吸を繰り返し、目を強く抑え、上に敵がいるのも忘れてしまったかのように悲鳴を上げる。
「あ、がぁ……!?」
「【月前、月映えに照らされしロードを導く。新たな姿は暁月夜】」
その間にも、キュラスの詠唱は続いた。
淡々と唱えられ、エリカは目を抑えながらキュラスの方を見上げる。
赤い液体が滴り落ちる。
彼女の目は充血し、それが抑えられないのか、手から垣間見る赤い液体の量は尋常ではなかった。
彼女の手は、また真っ赤に染まる。
今度は刺さったわけでもない。自然の光を浴びたわけでもない。
なのに彼女は今、身体中があの気持ち悪い痛みに襲われている。
「ふぅー……ッ、ふぅー……ッ!!」
「【その正体は、全てのものの生命を狩り尽くす忌み月】」
彼女が耐える中も、キュラスの詠唱はまだ続く。
逃げたくても、逃げられない。
攻撃しようにも、攻撃出来ない。
この気持ち悪い痛みを、どうにかしないといけない。
今度は、泥ではない。
本当の、『血』だ。
「【その名の通り、命を刈り取る姿を創造しすべくーーーーーー唸れ】」
ドクンッと、部屋の空気が変わる。
部屋中の空気は一気に凍りつき、周りの温度が落ちていく事が、今のエリカにわかることだった。
キュラスはその彼女の様子を見て、口元を三日月よりも深く歪ませ、そして。
「【光輝を放つ魅惑の月花】」
「ーーーーーーーーーーーーーー!?」
エリカを中心に、突如光の花弁が現れ、彼女を包み込む。
淡く光る花びらがヒラヒラと落ちていく。
それが彼女から見てみれば、月の光が殺された色にしか見えなかった。
やがて彼女を包み込んだ『月の花』は、ムクムクと成長し、部屋の天井に届くかのギリギリの所で留まる。
そしてその月の花を中心に、また一つ、一つと新たな月の花が現れ、それは蕾となってその場に留まる。
キュラスは目を伏せた。
「まさか、あれだけでも大ダメージを与えられるとは……予想外だな」
しかし、とキュラスは付け足した。
「美しい邪魔者は排除したーーーー後は、夜明けまで待つまでだな」
ーーーー夜明けまで、五時間。
その間まで、彼女は『地獄を味わう』。
■
時は、数分前に遡る。
「おいミソラ!大丈夫か!?」
「……ぁ、……はぁ……」
膨大な魔力を使用したミソラの体力は、ほぼゼロに等しかった。
ミソラは村人の一人に背負られており、ぐったりと手を投げ出して、整っていない息を繰り返す。
もう既に彼らは外に出ており、後はここから村に帰るだけだった。
「おい!気を引き締めろ!モンスターは夜には活動しないが、たまに活動するイレギュラーモンスターもいるからな!?」
「わかっている!これ以上若い者に手を焼かせるものか!今度は俺達男の番だ!こいつを全力で守るぞ!」
『おっーー!!』
村人達は声を上げ、全力で走る。
村人達は知っていた。夜はモンスターは活動せず、皆眠りに入っていると。
しかし夜に眠らないモンスターや、一度も眠らずに行動するイレギュラーモンスターも存在する。なので気を引き締めて、故郷に目指さなければならない。
自分達を助け出すために、魔力を限界まで注ぎ込んだ青年のためにも。
「王国から出来る限り離れるぞォ!お前らまだ体力はあるよなァ!?タイムリミットは夜明けまでだ!夜明けを過ぎたら、あいつらはまた活動し始める!」
「見くびるんじゃねえよ!あいつらに鍛えられたこの力、思う存分発揮してぐぼぉ!?」
「言ったそばから転んでんじゃねえよ!?」
「ぜぇ……!はぁ……!ちょ、死にそ……!」
「お前前より痩せてても体力ねえの!?頼むから転ばないでくれよ!?」
「がはっ」
「言ったそばからああああああああああああああああああああ!?!?」
勢い余って転んだ村人や、元から体力がなかった村人達は次々に倒れていく。
やがて、体力が有り余っている村人は、決意した顔でこう言い放った。
「よし、あいつら置いてこう」
「誰だ今変なこと抜かしたやつァ!!」
「ごめんなさい」
速攻で謝った。
体力がなくなった者は背負われ、転んでも体力があるやつは無理矢理走らせる。
まだ平原にいる彼らは、早く森の中に入らなければならない。
何故ならここは、朝になればモンスターがわんさかの湧くからである。
しかしここだけというわけではない。見晴らしのいい所は、人間にとってはモンスターの格好の餌食の場所であり、モンスターにとっては絶景の場所だった。
近くに行かなくても、遠くで見ればそれが餌なのか瞬時にわかる。その考えをモンスターの六割が考えており、以来モンスターはこのような平原に現れるようになる。
一方、森にいるモンスターの大抵の考えは『静寂』である。
このような平原にいては、餌を狙うモンスターが多くなり、自分の時間で好きな時に喰うことができず、また周りに気を配らなければならない。
もっと静かに、獲物が狙いやすく、そしてゆっくり食べれる場所を求めてやってきたモンスターは、森に生息するのが多い。
しかし、森にいるモンスターと平原にいるモンスターの差は歴然。
なので彼らは森に向かう。
少しでも、危険を減らすために。
「森までもう少しだァ!踏ん張れぇ!」
「うおおおおおおおお!!俺の娘が待ってるんだああああああああああああああ!!お父ちゃんが今行って抱きしめてあげるよおおおおおおお!!」
「よォしお前は残れェ!!」
「ふぁっ!?」
「冗談だ間に受けんなよ!!」
「冗談も程々にしろよ!?」
ミソラを背負っている村人を先頭に、村人達は一斉に森に駆け出していく。
もうすぐだ。
もうすぐ、故郷に帰れる。
もうすぐで、妻や娘、息子や弟、妹、祖父や祖母に会える!!
その思いが彼らの心の中を占め、彼らを突起させている。
裸足で痛くても、どんなに転んでも、彼らは走って、走って、森へーーーー!!
その時だった。
『ヴォアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッ!!』
「ーーーーーぁ?」
森に入ろうとした、その瞬間。
彼らの行く道を阻むモンスターが、森の方から姿を現した。
そのモンスターは、粘り気のありそうな斑柄の体を持ち、とぐろを巻く。
先が割れ、めらめらと動いているそのモンスターの舌は、村人達の体よりもあった。
いや、そのモンスターは村人達の体よりも遥かに大きかった。
そのモンスターを、村人達は知っている。
いや、知らなければならなかった。
そのモンスターは、あの森のモンスターを束ねる存在として、森の主でもあるモンスター。
いつもは森の奥底に眠り、何かあれば動くことのなかったモンスター。
名付けられた二つ名は『樹海の守り神』。
そのモンスターの名はーーーー。
「ーーーーー『アングルネーク』……!?」
『ヴォアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッ!!』
アングルネークのとぐろを叩きつける音は、衝撃波として襲いかかる。
それは近くにいた村人達を吹っ飛ばすには、丁度いい力量だった。
「う、わああああああああ!?」
「な、なんでアングルネークが……!?」
「今の時期はこいつは眠ってるはずだろ!?」
村人達はここにアングルネークがいることに混乱し、徐々に後退し始める。
アングルネークは、村人達にとっては『絶対に勝てないモンスター』であった。
普通のモンスターなら数で行けば勝てる。しかしこのアングルネークだけは他のモンスターより別格で、どんなに束になっても勝てるわけがないことを、彼らは身をもってわかっていた。
だから、絶望した。
唯一の道を、勝てない存在によって阻まれたことに。
「くそ……!お前ら!隙を見たら森に飛び込め!アングルネークは足は遅い!そこを狙うんだァ!」
「だ、だけどあいつのとぐろにでも捕まったら……!?」
「やってみなきゃわかんねぇだろうがぁ!?俺はやるぞ!」
「ぁっ、待て!今行くな!」
怯えている一人の村人を、大男の村人が言い返し、村人達が何を言っても大男はアングルネークに向かって走り出す。
その行動は、無謀という言葉しか出ない。
恐怖でやられた彼を止めるには、呼びかけることではない。その身で止めてあげることだ。
しかし、もう仲間と距離が開いた彼を止める術は、残されていなかった。
『ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッ!!』
「ひっ……!こ、のやろおおおおおおおおおおおおおお!?!?」
アングルネークの咆哮に一瞬怯むも、大男はそのまま突っ込んでいく。
そして。
大男の目の前に迫るのは、あのアングルネークの尻尾。
彼の体などネズミにも等しいくらいに巨大な尻尾が彼に襲いかかり、そして。
「……ぁ」
轟音が鳴った。
大男がいた場所は問答無用なく叩き潰され、大きなクレーターが出来る。
「あっーーーーー」
「……ダーチェス……?」
力無く、彼の、大男の名を呼ぶ。
あそこにはダーチェスがいた。
いたはずなのに。
何故あそこは、あんなにも潰れている。
アングルネークの尻尾が、どんどんそのクレーターから離れていく。
やめろ、離れるな。
お願いだから、俺達にその光景を見せないでくれ。
脳はそう訴えているのに、体は動かない。
体は常に、あの方向へ向いている。
やがて、その尻尾がクレーターから離れ、そこから見えたのは。
ーーーーーー何も、なかった。
「……ぇ?」
今度は、驚きの声だった。
誰が発したのかもわからない声に、村人達はどんどん現状を把握していく。
「【CRASH】!」
『ッガァア!?』
そして次に聞こえたのは、強烈な破裂音と、アングルネークの悲鳴だった。
アングルネークは一度身じろぎをし、自身に攻撃してきた人間を見据える。
モンスターの眼下にいるのは、先程無謀にも突撃した人間を抱えている、金髪の青年。
「ーーーーミソラ!?」
「……ッふぅー」
ミソラは足をガクガクとさせながら、また右手を突き出す。
「【DEEP】!」
その瞬間、ガクンと世界が変わった。
ミソラ以外の人間やモンスターの時は遅くなり、今正常に動いているのは思考だけである。
「【CRASH】!」
『ッ!!』
しかしそれは一瞬で終わり、その一瞬を狙ってミソラはアングルネークのとぐろを攻撃する。
しかし、アングルネークは魔法が解除された途端、その尻尾を使ってミソラを叩きつけた。
「ごっ……がっ!?」
吐血。
骨、肺、心臓などを全て一瞬の間に押しつぶされ、耐えきれず体中の血液を吐き出す。
そして、叩きつけられた衝撃は周りに及び、村人達は吹き飛ばされる。
アングルネークは舌を出し、太い尻尾を使ってミソラの体を持ち上げた。
そして、ミソラの体を締めあげる。
「ーーーーーーーッ!?ご、は」
声にならない悲鳴を上げ、ミソラはまた吐血する。
その血はアングルネークの尻尾にかかり、アングルネークの体を伝って地面に滴り落ちる。
「ミソラアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!」
村人達が青年の名を呼ぶ。
しかし、ミソラは痛みで村人達の悲鳴が聞こえていない。
全てを吐き出してしまいそうだ。血だけでは収まりきれない程に、酷く苦しく、潰されていく。
体中の血液を絞り出されてしまいそうだ。このまま全ての血液を吐き出したら、確実に自分はーーーー死ぬ。
彼女に、任されたのに。
信頼されていたのに。
自分の魔法で、皆を帰してあげろって言われたのに。
今は樹海の守り神に道を阻まれ、皆が死の危険に晒されている。
このままじゃ、自分も、皆も、アングルネークに殺される。
『大丈夫だ。こんくらいじゃやられねーよ。俺は』
(……ごめん、なさい)
彼女の自信と、期待を裏切ってしまった。
今彼女は、無事でいるのだろうか。
無茶をしていないのだろうか。
自分の魔法が解けたことで、面倒なことになっていないのだろうか。
アングルネークの締め付けが、強くなる。
骨が、折れる。
もう、声が出ない。
(……ーーーーーや、だ……)
ミソラは最後の命乞いをして、目を閉じた。
「【深く眠りし生きとし生ける魂よ。ある時は奇跡、ある時は愛、ある時は幸福を。妾の願いに答え、今宿らん】」
その時、だった。
その詠唱が、聞こえたのは。
「【妾の願いは、最愛の家族を救うこと。抑え込め。最愛の家族を閉じ込める邪気ある妖を、この世に塵残さずに排除せよ】」
今、この場にいないはずなのに。
何故、彼女がーーーー。
「【エーデルワイスの導きと共に】」
バキィィッ!!と、硝子が砕け散る音が響き渡った。
アングルネークはそれに一瞬怯み、締め付ける力を一時的に弱めてしまう。
重力に逆らえないミソラの体は、どんどん降下していき、ミソラの血が小さな雨粒となって落ちていく。
「ーーーーーー」
そんなミソラを抱きとめたのは、真っ赤に咲く一輪の巨大な薔薇だった。
薔薇の花びらはミソラを優しく包み込み、ミソラの傷を一時的に癒す。
「全く、心配して国に向かって、やっと森に出れると思ったらこれよ」
その声は怒りを含んでいたが、同時に安心の声が混じっている。
白のタンクトップに黒の短パンを穿き、真っ黒なブーツをはいている金髪の女性は、背負っているリュックを隅の方に放り込んで、舌打ちした。
「ちょっと、そこの大蛇。私の弟をこんなにした落とし前、しっかりつけてもらうわよ!!」
彼女の名はーーーーキキョウ。
自分達の言い分も聞きずに国に向かった弟と少女を追ってきた彼女は、弟を死に際に無理矢理立たせた樹海の守り神にそう言い放った。
だんだんとエリカの弱点も薄々わかってきたところでしょうかね。
このシーンは第一章でめっちゃ書きたかったです。大切な人を守るために颯爽と登場するのが大好物です。




