-マツムシソウ-
兄は彷徨い、弟は昇る
いつも俺達は一緒だった。
産まれた時も、遊ぶ時も、喧嘩する時も、いじめられる時も、いつも俺達は一緒で、支えあってきた。
それがたとえ、『死ぬ時』だとしても。
俺は、俺をよく知る、掛け替えのない家族がいれば、それでよかった。
たとえ運命がそれを望んでいなくても。
俺はどんな時であっても、あいつと一緒に命を絶つ。
それが俺の、運命なのだから。
『運命に逆らった彼らがどうなるか、それは破滅の未来しかない』
何処かで老人が鼻で笑った。
『貴様らは一緒に居すぎたのだ。だから、こうなる運命だったんだ』
杖を振るえば、光り輝く球体が現れる。
同時に、真っ黒に染め上がった球体も、現れた。
老人はそれを見て目を閉じ、光の球体を手に取る。 そして、力を込める。
そうすると、いとも簡単に、甲高い音を立てて、光の球体は粉々に散っていった。
老人は手を掲げる。
『さぁ、運命に逆らった二つの魂よ。我の手のひらで踊れ、殺しあえ、憎しみあえ!それが貴様らの運命
ーーー運命が変わることなど、ありえないのだ』
その目は、真っ赤に染まっていた。
-序章 マツムシソウ -
目を開けたら真っ黒な天井が見えた。
けどよく見ると、その天井は少し赤が混じっていて、まるで血を混ぜたかのような禍々しい天井だった。
ここは何処だろう。
俺は確か、電車に轢かれたはずだ。
電車に轢かれたら元の子もなく潰れることを知っている。だから、俺が生きているはずがない。当然、あいつもーーー。
……あれ、弟の名前が思い出せない。
何で?いつも一緒にいたから、忘れないはずだ。
なのに何で、思い出せないんだ?
そう思い始めた途端、不安になってきた。
何処だ、何処なんだ。俺の弟は。俺の家族は。
一緒にいったはずだ。隣にいたはずだ。一人じゃないはずだ。
何処、なんだ。弟ーーー!
「ん?エリカが泣きそうだぞ?」
不意に、俺の隣で厳つい声が聞こえた。
その声にビクリとし、伸ばそうとしていた手を引っ込んでしまう。
「ゼーラのとこに行きたいのだろうな」
「なんだ。姉ちゃんなのに気弱なやつだ」
俺は抱き上げられ、そのままどこかにへと連れていかれる。
その間に、俺は声の主の顔を覚えようとジッとその人を見た。
その人は目が赤くて、綺麗な赤色の髪の人。
そして牙が鋭く、耳もとんがっていた。
明らかに、人間とは言い難い容姿だった。だって人間はこんなに耳がとんがってないし、牙も八重歯の域を越している。仮にコスプレだったとしても、正直やりすぎだ。
その人は俺の体を、あるところに降ろした。隣同士になるように、そっと置かれた。
ジタバタしたら何かに当たったので、そちらを見る。
そこには少年の顔がドアップに映っていた。
目を閉じて、静かに眠っているその少年を見ながら、俺は目を見開く。
ーーー懐かしい、感じがする。
そう直感的に思ったのだ。
「アハハ!エリカ。ゼーラはまだ眠っている。そっとしておいてやれ。まぁ、ちょっと触るのだけはいいぞ」
女の人が気楽に笑う。
どうやら、隣にいるやつはゼーラというらしい。
だけど、俺はこの言葉で確信した。
ーーーこいつは、俺の弟だ。と。
何故だかわからない。だけど俺に迷いはなかった。
こいつは俺の弟だ。他の子のじゃない。
絶対に、俺の弟だ。
俺は弟ーーーゼーラが起きないように、ギュッとゼーラを静かに抱きしめた。
本当に俺の弟だった。
疑っていた訳じゃない。でももしこいつが俺の弟ではなく、他人の子だとしたらって考えたら、不安になった。それだけである。
俺の弟の名前はゼーラ。大人しくて、ちょっと臆病なヤツ。そのところも、俺の弟にそっくりだ。
俺の名前はエリカ。女っぽい名前だなと思ってはいたが、本当に女だとは思わなかった。男だった気分だったので、てっきり男かと思っていたのだ。
知らない天井に人間じゃない親。そして記憶が電車に轢かれた後の記憶がないことを考えると……全くもってオカルトじみたことだが、この事を恐らく『転生』と言った方が納得しやすい。
転生の細かいところは知らないが、要するに生まれ変わることを言う。この体に名前も顔もわからなかった親。これだけで転生と考えた方が納得……というか、楽になる。
しかし無闇にその話題を出すつもりはない。親はもちろん、弟に前世の記憶があるかもわからないし、雰囲気や仕草が似ているとはいえ、ゼーラが俺の前世の弟だとは限らないのだ。……俺は、前世の弟だと信じてはいるが。
今はゼーラと一緒に本を読んでいる。何でも、母さんが教育のために読ませているらしい。……文が変な文字で読めない。
しかしゼーラはだんまりと、じっくりと時間を置いてから捲っている。
……まさか、読んでるのか?こんな意味不明な文字を?
試しに聞いてみた。
「なぁ、ゼーラ」
「なに?」
「これ、読めるのか?」
「読めるよ?」
……なんか、声がはっきりしてる。
まだ小さい子供のようじゃない。そのくらいだったら、少しくらい呂律が回らないはずだ。
いや、それは後にしよう。どうやらゼーラはこれが読めるらしい。おかしいな。俺とお前は同じ歳のはずだぞ?何で兄の俺が読めない?……間違えた姉だ。
謎が残る中、ゼーラが「読めないの?」と聞いてきた。
悔しいが、「読めない」と返した。
するとゼーラが首を傾げた。
「何で?いつも読めてたのに?」
……ごめん、姉ちゃんにそんな記憶はないんだ。
そんなこと言われたって、読めないものは読めないんだ。
しかしこの発言によって、次に『憑依』の線が濃くなってしまった。俺がどんな方法でここにいるのかは知らないが、ゼーラの発言を考えると、俺は憑依したのか?
じゃあこのゼーラは、俺の知っている弟じゃないことが証明されてしまう。
だって弟がゼーラに憑依しているとするなら、俺と同じようにこの文は読めないはずだ。俺と一緒に困るに決まってる。
なら、弟はーーーー。
いつも一緒にいた、たった一人の弟。
容姿も性格も、好きなものも全部覚えているのに、名前が思い出せない掛け替えのない存在。
俺はあの時、弟と一緒に死んだんだ。それだけは確実に言える。
だって離さないように手を握りしめて飛び込んだんだから、間違いないのに。
俺だけが生き返っても、意味はないのに。
しかも女になって、人間じゃない親の子供なんて、素直に喜べない。
でも人間じゃない親……母さんたちは好きだし、遊びに来る人達も好きだ。皆俺達を愛してくれているし、寂しがらないように一緒に寝ることもある。ーーー全部、人間じゃないけど。
だから別に不便などない。だけど、弟のことを考えたらと思うと、早く死にたいと思ってしまう。
でも俺が死んだら、ゼーラは一人ぼっちだ。だから、死ねないんだ。
もう少し歳が経ったら、独りでいっそりと死のう。母さんにも父さんにも、ゼーラにも知られずに、ひっそりと死んで、弟に会いに行こう。
俺はそう決意した。
だって俺の弟は、俺の命の源だから。
転生してから、何年か経った。
そして何年か経った内に、俺は父さんや母さんが、俺達に何故本を読ませている本当の理由を知った。
どうやらこの世界は、『魔法』が使えるらしい。いきなりファンタジックになってしまったが、実際にあるので仕方が無いのだ。
そしてその魔法の力によって、どちらが上かどうかが決まってしまうらしい。しかし貴族みたいに、元々権力が上の子供なら、例えば魔法が発現したとしよう。一人っ子なら次期王様となるし、二人っ子なら誰が王様になるのか争う。そういう世界だと俺は推測した。
つまりこの世界は魔法で出来ている。魔法をもっていないものは、底辺地位として上のものに従わなくてはいけないらしい。例えそれが悪者だとしても。だって逆らえば、その人の未来が奪われるかもしれないんだ。なら、言う事を聞くしかない。
さて、前置きはこのくらいにして。どうやら俺達はその貴族の位置、しかも王様の立場にあるらしい。
だから魔法を発現させるのは当たり前だ。しかし候補が二人いるので、次期王様を決める時に上だったものに、次期王様という名誉を与えられる。
その日にまでに魔法を高めるために、読書やら運動やらを行ってきた……というわけである。
つまり『どちらとも捨てたくないが、決まりなので強いやつに称号を与えよう。しかしどちらとも応援したい。ので手助けしながら自分達の力で頑張ってもらおう』という、親のいきらいだった。
その試験が、一ヶ月後にある。文はある程度読めるようになったが、魔法を上手く使えるかはわからない。まだどんな魔法なのかも、わからないのだから。
しかし正直なところ、俺は死ぬ気満々なので王様にはゼーラになってもらいたい。もし俺が王様……いや、姫になってしまったら、数年後混乱するかもしれないからだ。
しかし手加減しようにも、周りの皆にはバレバレなのでできない。なので思いっきりやるしか方法は無いのだ。
……でもこの際、俺は女なんだから男のゼーラに譲った方がいいのだが、この世界ではこの概念がないのだろうか。
考えても仕方が無い。とりあえず俺は全力でやるが、勉強はそんなにしないことにしよう。そうすることでゼーラとの差も広がる。
だから俺はこの一ヶ月、本を読んでいない。運動はしているが、本には魔法の知識などがあるから、読んだらゼーラを超えてしまう。
なので俺は、本を読まない。
これから剣の素振りの時間だ。貴族の名に恥じぬよう、そして皆を幻滅させないよう、これだけは頑張らないと。魔法の時は『女だから』で片付ければいい。そしてこれは、『護身術みたいなもの』と言い訳すれば、なんとかなる。
「エリカ様。剣の稽古の時間です」
ボーッとしていると、肌が黄色で牙が鋭い先生に呼ばれる。名前は、教えて貰っていない。
俺は髪の先端を弄りながら、先生の元へ行った。
剣の素振りは大好きだ。ただ振っているだけだから、他のことも考えられる。
だから俺は先生に向かって剣を振り回しながら、前世の記憶を必死に思い出していた。その理由は、前世の弟の名前を思い出す為である。
姿だけ覚えても、性格だけ覚えても、それが俺の弟という断言はできない。名前も思い出さなければ、こいつは俺の弟だと断言出来る。
はっきりと、記憶を蘇らせろ。
電車に轢かれる前のことは、確か弟に相談されて、そこで弟の名前を呼んだ。
ーーー思い出せない。
その前の日。ボロボロになって帰ってきて、そこで心配して弟の名前を呼んだ。
ーーー思い出せない。
親に呼ばれていった弟に声をかけた。
ーーー思い出せない。
それどころか、無性に気持ち悪くなった。
「っいて」
その瞬間、先生に叩かれた。
先生は俺の目線に合うように屈み、そして頭に手を置く。
「稽古中に考え事をしてはなりません。もしするなら次は何処を狙うかを考えなさい」
「……おう」
「おうじゃありません。はい、です。女の子なんだからお淑やかに強くあられないと」
前世が男だったからか、なかなか女という生活に慣れない。
というか、こっちの方が気が楽だ。男のようにしていれば、こっちとしては楽なんだ。
でもここではそうはいかず、こんなことを注意されるばかり。
稽古は好きだが、これは好きじゃない。
ただ稽古をやりたいだけなのに。
「さぁ、再開しますよ」
「…………ああ」
貴族ってのは、本当に面倒だ。
稽古ばっかりしていたら、一ヶ月経つのはあっという間だった。
俺とゼーラは玉間に集められている。どうやら、ここで試験を行うみたいだ。
いつもの服より、綺麗な召し物の服。赤いコートに黒いブラウス、黒のスカート。黒のタイツにブーツ。
そして赤紫色の宝石が埋め込まれている、指輪がはめられた。
試験の時にはこの指輪を着けなければならないらしい。ゼーラも、利き手に灰色の宝石の指輪がはめられている。
ゼーラは緊張した趣で、前を見ていた。
あまりにも俺の場違いが半端なかったので、俺も前を向いた。
前には、父さんと母さんが立っていた。
父さんが杖を掲げて言う。
「これより、次期当主の試練を始める。1人ずつ我らの前に歩み、最大限の魔法を見せてみよ。強く、美しく、そして禍々しく相手をねじ伏せる力ーーーーその力こそ、我らが望む、新たな王の姿なり!」
俺が次期当主になったら、姫になるのか?まぁどっちでも構わないが。
さて、あれから本を読むことをやめ、稽古だけに集中してきた。もちろん、稽古だけで魔法が強くなるはずなんてない。ゼーラはこの日のために特訓してたようだが……。まぁ、元々ゼーラに譲るつもりだったし、大丈夫であろう。
「ゼーラ、前へ」
「はい」
母さんがゼーラを呼ぶ。
ゼーラは返事をして、真っ直ぐに二人の元へ向かった。
……そういえば、魔法を見ていなかった。俺、やれるのかな。
「さぁゼーラ、貴様の実力、我に見せてみよ!」
そう父さんが言った瞬間、ゼーラは呼吸を整えて、上に手を翳した。
そこから、黒く、禍々しいものが集まっていく。
やがてそれは天井にまで達していきそうな勢いだった。
「……でも、なんか寒ぃ……」
これが魔力なのだろうか。この、鳥肌が立つキモイものは。
そして天井まででかくなったゼーラは、こう言った。
「ーーーー『血の雨を降らせ』」
そして、手を握る。
その瞬間、球体は甲高い音を立てて破裂した。
そこから、まるで血のようなものがビチャビチャと飛び散ってくる。それは俺の方にも来た。うわ、汚ねえ。顔にかかったし。
それに気づいた家臣の人達が俺の顔を拭いてくれた。
ありがとうとお礼を言い、俺はゼーラ達を見る。
「見事だ、ゼーラ。もう少し広いところに行けば、貴様の力ももっと発揮できるであろう」
「ありがとうございます。父上」
「力も魔力も、その禍々しい力も、我の理想に近い!期待しているぞ!」
完全にベタ褒めやねーか。いいぞもっとやれ。
母さんもゼーラの力に見とれていたらしく、顔を赤く染めている。……そんなに見とれるほどだったかな。
「エリカ、前へ」
考えていたら、母さんに呼ばれた。
「……はい」
思わず「おう」と言いそうだったが、まぁこの場だから丁寧にいかないと。
ゼーラと入れ違いに、俺は父さん達の前に立つ。
そして一層、皆からの視線が集まった。
俺の、期待の視線が。
当然だろう。俺は弟より早く産まれた、姉という立場なのだから。たとえ姉であっても、弟より強くいるのは当たり前である。
でも俺はゼーラにこそ、次期当主に相応しいと思っている。
だからこの為にコンディションを整えていないんだ。それに、自分の魔法もわかっていない。
だからそんな期待をしないでくれ、と心底思ってしまう。
「エリカよ、貴様はゼーラの姉。つまり力は貴様の方が上なのだ。メスであり、気品よく、そして強く優雅に立つ。それが我の理想。さぁ、我を失望させぬよう、最大限の力をもって、その力を示すがいい!」
……さて、どうしようか。そう言われても、俺は魔法の特訓なんてやったことないんだ。それにこの発言によって、「女だったから力が及ばなかった」とか言い訳ができない。というか、姉でも力は上なんだな。
とりあえず、ゼーラと真似てみる。そして、ちょっと力を注ぎ込むような、そんなイメージをした。
……何かが、俺の手の中に集まっている。
それは光のように見えて、ゼーラとは違い神々しい輝きだった。
「何……!?」
誰かの声がする。
その声が誰だかは判別できなかった。
しかし誰の声でも、それは騒音と化していたので、俺は全てを手にへと集中した。
……なるほど、こうやって魔法を起こすのか。
俺の体より少し大きい球体になったところで、ゼーラと同じように手を力いっぱい握った。
瞬間、その光の塊は弾け飛び、ゼーラと同じような状態になる。
……苦しいな。魔法を使ったら苦しくなるのか。
でもまぁ、最低限の事はやった。後は結果を待つだけだ。
ホッと息を吐いたとこで、周りの音が徐々に聞こえてきた。
まぁ、父さんが求めているのは禍々しいものだから、俺は選ばれないだろうなと顔を上げた。
その時だった。
ヒュッ、とーーーー父さんの杖が、俺の喉に当たる。
そして横からは、スラリと赤色に輝く刃ーーーー母さんの剣の矛先が、俺に向いていた。
「は……?」
だんだんと、音が戻ってくる。
だけどその音は、想像とは遥かに超えていた。
周りは阿鼻叫喚と化していた。
悲鳴を上げ倒れる家臣の人達。
顔の半分が溶けている人達。
俺に、罵声を浴びせる人達。
全ての矛先が、俺に向かっている。
何で?俺が何をした?ただ俺は、魔法を発動しただけだろう?
助けを求めるように、父さんを見た。
しかし父さんの眼は、いつもの眼とは違いーーーーー完全に、俺を眼の敵としていた。
父さんは、叫ぶ。
「貴様……!よもや我々が忌み嫌う光の魔導士だったとは……!!」
「何言って」
「ああ……!おぞましい、苦しい!体が、痛いッ!光を扱うものなんて、ここにいる必要は無い!」
母さんも、俺を睨んでいる。
父さんも、皆も、周りの奴ら全員、俺を睨んでいる。
何となく、頭では理解できている。
つまり俺は、光の魔法を使ったからこうなっているというわけだろう?それしかわからない。
だけど、それだけでこんなにも、嫌われるものなのか。
「出ていけ」
俺に期待していたやつも。
「出ていけ」
俺に稽古してくれた人も。
「出ていけ」
俺と遊んでくれた人も。
「出ていけェ!!」
俺を産んでくれた人も。
今度は、一人だ。
■□
ボロボロだった。
今日のために着飾った服装も、切り刻まれて所々肌が見え隠れしている。
指輪は付けたままだ。
髪も、めちゃくちゃになって、腰まであった髪が、今じゃ半分までデコボコに切られてしまった。
手も、足も、顔も傷つけられ、さらにはとてつもない苦痛が、俺を襲っている。
とても苦しくて、血を吐き出しそうなくらいに、とても痛い。
体中がその意味不明なものに襲われ、俺はその場で倒れてしまった。
……ああ、ここで死ぬのだろうか。
光の魔法を使ってしまった俺は、あそこを追放された。いや、あいつらは俺を殺そうと襲ってきた。
だから俺は逃げた。ーーーー死にたいはずなのに。弟に会う為に、死ぬはずだったのに。
自分でも、何であんな行動をしたのかがわからない。
だけど死にたくなかった。
『あんな奴ら』に、殺されたくなかった。
「……ぁ、…………が」
息苦しくなる。
体中の血が、抜き取られていくような、それと同時に脱力感が来て、力も入らなくなって。
目の力も、なくなってきた。
……ここ、森なのか。だから緑なんだ。
なんだ、俺は木々に囲まれて死んでいくのか。なんとも惨めな死に方だ。
…………これが、一人で死ぬ、ということなのか。
そうして、目を閉じていく。
「……大丈夫、かな?」
ーーーーその時だった。
俺の耳に、声が届いてくる。
必死に頭を動かして、その声の元を辿る。
力が入らなかったはずの腕も、今では精一杯力を込めている。
瞼が落ちそうだけど、頑張って開ける。
息が荒くなってるけど、俺は行ける。
誰だ、俺を殺しに来たのか。
刺客か?追ってきたのか?
一体誰なんだ。
顔を見たい。顔を見たいんだよ。
その一心で、俺は、顔を上げた。
「ちょ、君大丈夫じゃないよね?明らかに危ないよね!?あー早くおばあちゃんに!」
金髪。
短髪。
ローブ。
男。
情報を得られたのは、これだけだった。
しかし、刺客ではないことは、確かだった。
それに安心した途端、瞼が重くなる。
今度は、抵抗できるはずもなく。
俺は、完全に意識を失った。
一人の男と、禍々しい城から追放された転生者エリカ。
彼らが出会う時、物語はさらに加速するーーーーーー。
-序章 マツムシソウ 終 -
マツムシソウ…わたしはすべてを失った