実践しました(その2)
次の日の朝、冴子が食堂に行くと、曽我部だけがいた。八時少し過ぎだった。
「曽我部さん、おはようございます」
「佐々木さん、おはようございます」
「あ、冴子でいいですよ。何か他人行儀だし」
まあ他人は他人だが、秘密を共有する仲間という意識が冴子に芽生えたと共に、曽我部に対しては尊敬に似た感情があった。
「では冴子さん、にしましょうか」
曽我部にそう言われ、少しくすぐったいような、嬉しい気持ちだった。
「今日は皆さん遅いですね」
「昨日の演習で疲れたんですかね」
そこへ涼平がやってきた。
「おはようございます。皆もうご飯食べたんですか? 俺寝坊しちゃった……」
「まだですよ。私もこれからです」
「じゃあ、食べますか」
そう言って、三人は朝食にする事にした。
「今日の演習は俺と佐々木さんかな」
涼平が話し掛けてきた。
「冴子でいいよ。現場でとっさに呼ぶ時面倒臭いでしょ」
曽我部以外の仲間に対しては、何となく上から目線な冴子だった。
「じゃあ俺も涼平でいいよ」
涼平は緊張して眠れなくて寝坊してしまったそうだ。
しっかりしていそうだが子供っぽいところあるんだな、と冴子は思い、曽我部以外の皆の面倒をみる気になっていた。
そこへ涼平のところへ本宮から着信が入った。
「九時に来てくれって。俺頑張ってくる。あ、曽我部さんも一緒に来て欲しいそうです」
「そうですか。丁度食べ終わったので良かったです」
涼平はかなり緊張した様子だった。
お膳を片付け、涼平の車椅子の後ろの取っ手に曽我部が掴まり、二人は研究所へと向かって行った。
「おはようございます。さて今日は川村さんに演習を行ってもらいます。その様子を曽我部さんに見ていて欲しいのです」
「はい、頑張ります!」
「わかりました」
川村はやる気満々に、曽我部は穏やかに返事をした。
「では川村さん、あなたには今から北アルプスに行ってもらいます。」
「北アルプス? えっと場所がわかりません」
「これを付けて下さい」
本宮が川村に腕時計の様な物を渡した。
「これは実践の際には皆さんにお渡しするつもりの物ですが、これは腕時計型のモバイルです。通信をする事も出来ますし、今回はナビとしても使えます」
「じゃあこれを使えば北アルプスへ行けるんですね」
「はい。それに向かって行きたい場所を言うと設定されます」
早速涼平は「北アルプス」と設定をした。
「あと、今回は必要ありませんが、そのモバイルを体に付けると脈拍、血圧を計る事が出来ます」
「色々な機能が付いているんですね」
「はい。また必要に応じて説明します。さて、川村さんに北アルプスに行ってもらう目的についてお話します。
今年の三月ですが、とある由緒ある寺院から、国宝の仏像が盗まれました。窃盗犯は三人、警察に追われ北アルプスに逃げましたが遭難していたところを全員救出され逮捕されました。ところが盗まれた仏像はどこかへ置いてきてしまい、まだ発見されていません。犯人達もはっきりした場所は説明のしようもないとの事で仏像はまだ山の中です。もうすぐ山には雪が降るでしょうから、雪に埋もれてしまう前に取り戻したいのです」
「わかりました。仏像を見つけ、持ってくればいいんですね」
「お連れしてきて下さい。くれぐれも失礼の無いように」
「は、はい。了解しました」
仏像に対して失礼だったと涼平は恥ずかしく思った。
「犯人達が通った場所はわかっているので、川村さんの能力があればそんなに大変では無いと思いますが、こちらで曽我部さんにも探してもらいましょう。危険な場所なので連絡を取り合っていきましょう」
「あの、北アルプスまで行く間に人に見られたらどうしますか?」
涼平の一番心配していた事だった。
「川村さんは高さもですがスピードも自在に操る事が出来ます。高い所を飛んでスピードも早ければ人に見られる事も無いでしょう。ある程度の高度、スピードにも耐えられる能力も備わっています。でも無理せずに、体調をみながら行って来て下さい」
「わかりました。必ずお助けして参ります」
さっきとは違い仏像に対し急に丁寧になった涼平の物言いに笑い出したいのをこらえつつ、本宮は防寒機能の優れたウェアを取り出した。
「さあ、これを着て下さい」
涼平は本宮に手伝ってもらい着替えた。
涼平と本宮は研究所の外に出た。
「最後に、鳥と飛行機には気を付けて下さいね」
「はい、気を付けます」
そう言って涼平は空高く飛び立って行った。
涼平はナビの言う通りに進んでいた。
ナビには高度と速度が表示されていた。現在高度五千メートル、本物のアルプス山脈位かな、と思いながら涼平は進んで行く。スピードは時速千キロだった。加速中は少し抵抗を感じたが、今安定したスピードで飛んでいる分には特に体に負担は無かった。
市街地を飛んでいる時は上空を飛行機が飛んでいるのが見えたが、山間部に入ると、飛んでいるのは鳥くらいだった。
いい眺めだなあ、気持ちいい。涼平はとても爽やかな気持ちだった。
目指す方向に山脈が連なっていた。北アルプスだ。今はまだ地面が見えているが、あと一ヶ月もすると雪が降り始めるだろう。
涼平はあっという間に目的地付近についていた。窃盗犯が逃げて歩いた道順を本宮に指示して貰いながら辿り始める。
歩く事の出来ない涼平は地上十メートル位の高さを飛びながら進んで行く。高い方が広範囲を見渡せ、捜索には都合が良い。
だが、草むらとか岩影といったところの影になる場所の捜索は難しい。そこで上空からは涼平が、地上は曽我部が捜索する事にした。
「なかなか見つからないなあ」と少し焦り始めた時、崖の下の方の藪の中に何やら手のような物が見えた。
「曽我部さん、俺の下の方の崖、見てもらえますか?」
そう言うと涼平も下降して行った。
「涼平さん、木製の手のような物が見えますね。私からは藪だらけではっきり分からないのでお願いします」
涼平は草むらの上に着地した。「手」の周辺の葉っぱや枝を払っていく。すると胴体が現れてきた。なお枝葉を掻き分けていくと、穏やかなお顔の仏像が現れた。
「いらっしゃいました! 仏様がいらっしゃいました」
有り難さに涙が溢れた。涼平は丁寧に、優しく仏像に付いた枯れ葉や土を払った。
「今から戻ります」
と本宮に連絡を入れる。そして自分が着ていた上着を脱ぎ、大事そうに仏像を包んだ。
涼平はしっかりと仏像を抱き締め空へ舞い上がった。そして猛スピードで研究所を目指した。
研究所の玄関の外に涼平が着地した。本宮と曽我部が待っていた。
「お連れしました……」
そう言うと涼平は気を失った。
「川村さん、川村さん! 佐々木さんを呼ばなきゃ」
本宮は慌てて冴子に連絡を入れた。
「涼平さん、大丈夫ですか?」
曽我部も心配して涼平の体を触り、さすり始めた。
「冷えてますね」
「高度五千メートルなんていったら気温もマイナス十度位です。ましてや猛スピードで上着無しで飛行するなんて……。いくら身体能力も上がっているとはいえ無茶です。仏像用の包む物を持たせるべきでした。まさか自分の上着で包むなんて」
そこへ走って冴子が来た。
「佐々木さん、急いで川村さんを癒して下さい。体温が下がっています」
涼平の顔色を見て冴子も背中が寒くなった。涼平の顔は真っ白で唇は紫色だった。
冴子は涼平の手を握りしめ、意識を集中した。
自分の体温を送り込むイメージを浮かべた。空から降り注ぐ太陽のぬくもりが自分を通して涼平に流れ込んでいくのがわかった。
次第に涼平の頬が赤味を増していく。そしてうっすらと瞼を開き、
「仏様、ありがとうございます……」
と呟き、再び瞼を閉じ気持ち良さそうに寝息を立て始めた。
本宮は涼平の腕のモバイルを確認する。
「もう大丈夫です。バイタルは正常に戻りました。佐々木さん有り難うございます」
本宮は涼平を抱き上げ、研究所内へ連れて行く。曽我部は冴子の腕に掴まらせてもらいながら、二人で本宮の後ろをついて行く。
涼平をベッドに寝かせながら本宮は言った。
「今回は私の説明不足でした。それから川村さんがこんなに真面目な方だとは思いませんでした。よく頑張りましたね」
そう言って本宮は涼平の頭を撫でた。
「本宮所長、玄関にお宝が置いてあったけどー」
突然部屋の入口から女の声が聞こえた。
振り向くと長髪に緩やかなウェーブのかかった茶髪をして、体の線がはっきり出るくらいピチピチのスーツを着た化粧の濃い女性が仏像を抱き締め立っていた。
「ああ、それ元の寺に返さなきゃいけないんだ。来て早々だけど、あやめ、お願いするよ」
本宮がとても親しそうに話す「あやめ」と言う女性はブツブツ言いながら部屋を出て行った。
「彼女もこの研究所の職員です。またあとで紹介します。川村さんの事は私が看ていますから、お二人はお昼に行って来て下さい。佐々木さんは二時に来て下さい」
本宮にそう言われ、二人は研究所から出た。