それぞれの使命(その2)
涼平は山の中にいた。
離れた所に一人の男性が座禅を組んで、ただ、ひたすら、座っていた。
涼平が来てから二時間以上、微動だにしなかった。
その様子から、もっと前からそのままだと思われた。
生きてはいるようだった。腹が呼吸にあわせて動いている。
「親父……」
暗くなってきたが動く気配が無い。
涼平は防寒着を着ているのでそんなに寒く無いが、男性は柔道着だけだ。寒くないわけは無い。
真っ暗な夜だった。
「あ……」
雨が涼平の顔に落ちてきた。
「あ!」
男性が横に傾き、倒れた。
涼平は慌てて飛び上がり、男性の横に舞い降りた。
「大丈夫か?」
男性の事を抱き起こそうとした時、その体が痩せ衰えている事に驚いた。
「嘘だろ、あんなに逞しかった親父が……」
涼平の父親は、若い頃は有名な柔道選手だった。
息子の涼平も英才教育を受けてきた。
涼平が県大会で優勝した時も一緒に喜んでくれた。自分が果たせなかった夢、オリンピック出場を、涼平だったら叶えられると大きな期待を寄せていた。
しかし、涼平の事故によりその夢も破れた。
父親は涼平を責めた。お前の不注意だ、何をやってたんだ、俺の努力を返せ、お前なんか指導しなければ良かった、お前が息子じゃなきゃ良かった。
本当は慰めて欲しかった。辛くて悔しくて絶望していたのは涼平だ。
将来が見えなくなり、この体でどうやって生きていけばいいのかわからなかった。
父親に責められ、反抗し、喧嘩の毎日だった。逃げ出したくても体が言うことを聞いてくれない。行く所も無い。自分の面倒を見てくれる人もいない。
涼平は部屋に閉じこもった。ご飯も食べず、このまま死ねば良いと思った。
父親は酒を飲み、母親に当たっていた。
母親は涼平を心配し、部屋へご飯を運んでくれたが、涼平は手を付けなかった。母親が泣きながら食べてとすがってきた手を振り払った。その時母親の顔に痣がある事に気が付いた。
「親父……」
家の中は滅茶苦茶だった。このままでは一家心中だ。
それでもいいか、その方が良い。
そんな涼平一家を仲間達は心配してくれた。柔道仲間達は涼平をリハビリ施設へ行く事を勧め、段取りも付けてくれた。
そしてやっと涼平は家から出られた。リハビリ施設には涼平と同じように、体だけでは無く、心も傷付いた仲間達がいた。自分が一番不幸だと思っていたが、もっと深刻な人がたくさんいた。
涼平は少しずつ、やる気を取り戻して行った。
「親父、何やってんだよ」
涼平は父親に話し掛けた。
「……誰だ、天狗か?」
「何言ってんだよ」
「じゃあ死神か?……やっと来てくれたんだな」
父親は目を開ける事も出来ず、かすれた小さな声を出すのがやっとだった。
「俺は地獄へ行くんだよな……。当然だ。早く連れてってくれ」
「ああ、連れてってやるよ、病院へな」
「止めてくれ、……俺は、生きてる価値も無いんだ。俺は……息子を傷付けた」
涼平は頭が真っ白になった。
「俺は……自分が出来なかった夢を息子に押し付けた。それが叶わなくなったから、息子を責めた。……一番辛い息子を責めた。馬鹿だ。愚かだ。最低な親だ」
父親の目から涙が流れて来た。
「俺の言う通り、頑張って来たのに、厳しい指導にも耐えて来たのに、あんなに俺の期待に応えようとしてくれたのに、俺は息子の苦しみを分かってやれなかった。一番辛い息子に、優しくしてやれなかった」
涼平は歯を食い縛り、涙を堪えていた。
「早く死なせてくれ。……俺なんか、早く地獄へ行ってもっと苦しめばいいんだ」
涼平は着ていた防寒着を脱ぎ、父親を包んだ。そして本宮に連絡し、病院の手配をしてもらった。
「ちゃんとしろよ親父。世の中にはもっと辛くても頑張ってるヤツなんていくらでもいるぞ」
「涼平……すまなかった……」
「親父、親父!」
父親は意識を失った。涼平は慌てて飛び立ち、病院へ向かった。
望はアパートの一室にいた。古いアパートで風が吹くたび窓が揺れていた。
老婆はちゃぶ台のの前で横になっていた。部屋中物で溢れ帰っていた。
そして壁には一枚の古い写真が貼ってあった。
「これって……」
写真には赤ちゃんを抱いた若い母親が写っていた。
「私とママ……何で?」
望は老婆に近寄った。
「お婆さん、大丈夫ですか?」
突然声を掛けられ、老婆は驚いた。
「誰だい? 何処から入って来た?」
起きる力は無いが、怒鳴る力は残っているようだ。
「泥棒かい? うちには何も無いからね」
「違うよ。差し入れ持ってきたの」
望は持ってきたお弁当とお菓子をちゃぶ台の上に置いた。
「何のつもりだ。いくら来たって何処にも行かないよ」
「ねえ、お腹空かないの?」
「空くにきまってるだろ。金が無いから買えないだけだ」
「誰かご飯作ってくれる人いないの?娘さんとか……」
望はチラリと写真を見た。
「娘は病院だ」
「え? 病気なの?」
「頭がおかしいんだよ。酒を飲みすぎてな」
「……この写真の人?」
「あ? まだそんな物あったかい。馬鹿な娘だよ」
「この赤ちゃんは……?」
「孫らしいけど会ったことも無い。勝手に出てって勝手に子供産んで。全然連絡も寄越さないで、突然病院から電話かかって来た。アルコール依存症なんて、馬鹿だ。どうせ子供にも見捨てられたんだろ」
望は何も言えなかった。
確かに見捨てた。毎日毎日お酒を飲んでは暴言を吐いていた。そんな母親を見るのが辛かった。自分がいると自由に生きられないんじゃ無いか、ママはまだ若いんだから、やりたい事あるんじゃないか、私の為に無駄にした時間を取り戻してもらいたい。
そう思い、望は家を出た。
「孫に会いたい?」
「え、どうかな……って、あんた誰なんだい。役所の人間かい?」
「うんと、あ、そう言えばそうだっけ」
「何だい、それは」
老婆が少し微笑んだように見えた。
「ねえ、お菓子食べようよ」
望はお菓子の袋を開け、老婆に手渡した。
「お菓子か。久し振りだな」
老婆はお菓子を口に入れた。
「おいしい。……娘はね、凄く真面目で、曲がった事は大嫌いな子だったんだよ」
老婆がポツリポツリと話始めた。
「まあ、頑固で融通がきかないんだよ。だから、いい加減なアタシに嫌気がさして出て行ったんだよ」
望も母親のそんな性格を分かっていた。
「そんな性格だから、上手く生きられないんだよ。適当って事が許せなくて、人にも自分にも厳しくて。父親似なんだよ。アタシに似れば気楽に生きられたのにね」
私はお祖母さんに似たんだね、と望は思った。
「今の世の中、娘みたいな人間には大変なんだろうね」
「お祖母さん、世の中の事良く知ってるんだね」
「長く生きてるからね。あんたは幾つだい?」
「十九歳」
「何だい、まだ子供じゃないの。それで役所務めかい。良い所入ったね」
「えへへ」
「親御さん喜んだだろ」
「え……うん……」
「さてと、疲れたから寝るよ。あんたは帰んな」
「えっと、私と一緒に病院行きませんか?」
「病院? アタシは何処も悪く無いよ」
「ご飯あんまり食べて無いから、診てもらった方がいいよ」
「病気じゃないから行かないよ」
「困ったな……どうしたら行ってくれますか?」
「どうもこうも、行かないもんは行かない」
望は困った。雑談はするが、外へは行こうとしない。結構頑固だ。ママの事言えないじゃん、親子だね。望は可笑しかった。
じゃあ、私も血が繋がってるんだから頑固だね、と望は心を決めた。
「お祖母さんが一緒に行ってくれるまで、私もここにいる」
「はあ? 何言ってるんだい。他人の家に居座るつもりかい?」
他人じゃないもん、と心の中で望は言った。
「さて、片付けでもしてるから、お祖母さんは寝てていいよ」
「何勝手な事……」
望は無視して片付け始めた。
初めてお祖母さんに会えて嬉しかった。お祖母さんの為に何かしたかった。
片付けながら、お祖母さんを連れ出す作戦を考える望だった。




