独りぼっちの男の子
今朝も五人仲良く出勤をする。
「あー、眠ーい」
「涼平夕べ仕事行ってたからな」
直樹が涼平の車椅子を押し、二人が話をしていた。
涼平は顔を見られる恐れがあるので、結構夜仕事をさせられる事が多い。
「今日は何やるのかな」
五人は研究所に入った。
「皆さん、おはようございます」
本宮が爽やかに挨拶をした。本宮も夕べ涼平と仕事をして夜中まで起きていたはずだ。それなのに全然そんな事を感じさせない。
「今日はざっと講義をして、夕方から皆さんに仕事に掛かってもらいます」
「はい」
今日の講義は人権についてだった。普通の人々は勿論だが、被害を受け易い子ども、高齢者、障害を持つ方々について学んだ。
曽我部は良く勉強してきたらしく、本宮の質問に端から答えていた。
「ハラスメントとかもそうですか」
冴子が質問した。今まで散々見てきたからだ。
「そうですね。最近はモラハラ、セクハラ、パワハラ……色々なハラスメントがありますが、他人の権利を侵害しますね。
さて、今日の講義はこのくらいにしましょう」
本宮が講義資料を片付けた。
「これから今日の仕事についてお話ししますね」
講義中眠そうにしていた涼平も、退屈そうに上の空だった望と直樹も、仕事と聞くと急に真面目な顔になった。
「市営住宅での事なのですが、最近夜になると通報が頻繁に入るのです。四階のベランダに子どもが出てる、と。」
「怒られて外に出されたんじゃないの? 俺も小さい頃よく締め出されたな」
直樹が言った。
「それがほぼ毎晩、夜中でも外にいると通報が入ります」
「それって、虐待じゃないですか」
望が怒りを抑えながら言った。
「はい、通報してくれた方々も皆それを心配しています。そこで市の方も確認をしました。ところがその部屋は空き部屋だったのです」
「どういう事? じゃあ誰もいない部屋に子どもだけ閉じ込めてるの? ひどい親だね」
冴子は腹が立ってきた。
「市営住宅には子どもがたくさんいるので、どこの家の子かはまだ特定されていません。どこの親もうちじゃ無いと言っています」
「うちです、なんて言う訳無いよね」
「そこで、皆さんにどこのお子さんか、調べてもらいたいのです。それで虐待ならば然るべき施設にお任せします。子どもがいたずらで入り込んでいるだけだったら、鍵をしっかりかけて管理してもらいましょう」
集合は夜七時、それまで良く休んでおいて夕飯済ませておくように、との事だった。
昼食後、皆それぞれ部屋に戻り休む事にした、が、望は相変わらず冴子の部屋に入り浸っていた。
二人ともゴロゴロ体を休めていたが、望はイライラしていた。
「酷い親ってどこにもいるんだね」
「そうだね」
「夜中外に出すなんて酷すぎる。怖いだろうね。可哀想」
いつも呑気でニコニコしている望が、珍しくいつまでも怒りが収まらない様子だ。
なんか親の話になると望って人が変わるな、と冴子は感じた。
夜七時、皆は研究所へ集合していた。
「まあ取り敢えず、子どもが現れるのをまちましょう。今日現れなかったらまた明日ですね」
「皆コーヒーでいい?」
あやめがコーヒーを持ってきてくれた。皆で夜過ごすのは初めてだな、仕事じゃなくてゲームでもするんだったら楽しいのに、と冴子は思った。
皆はコーヒーを飲んで、やる事も無く暇をもて余している中、曽我部だけは市営住宅を監視していた。
特に報告が無いので、変わりは無いらしい。
十時を回り、今日は大丈夫なのかな、と皆が思っていると、
「あれ、いつの間に……。男の子がベランダにいます」
曽我部が言った。
「一人ですか?」
「はい、一人でベランダのはじっこに立っています」
「水沢さん、行ってもらえますか?」
「はい、行きます。行ってどうしますか? 連れて来ますか?」
「取り敢えず話を聞いてみて下さい。それからどうするか決めましょう」
「分かりました。行ってきます」
望は消えた。
望はベランダにいた。男の子はベランダのすみっこに立っていた。突然現れた望に驚く事無く、ただベランダから外を眺めていた。
「どうしたの? 眠くないの?」
望に声を掛けられ、男の子は望の方を見た。
「おうちはどこ? 帰らなくていいの?」
男の子は何も言わず、またベランダの外を眺め始めた。
「帰りたくないの?」
何も言わない男の子を、望は可哀想になった。
「帰りたくないなら帰らなくていいよ。お姉ちゃんがもっといい所へ連れてってあげる。美味しいお菓子もあるよ」
望は男の子に色々話し掛けるが、ずっと男の子は黙ったままだ。
さすがに望も困り果て、どうしたものかと男の子の手を握った。
氷のように冷たかった。
「風邪ひいちゃうじゃない。お姉ちゃんと一緒に行こう。本宮さん、そっちへ連れてっていいですね」
そう本宮に告げ、望は男の子の手を強く握り、研究所へ移動した。
望が戻って来た。しかし……
「……男の子は?」
「え?」
「まだベランダにいます」
曽我部が不思議そうに言った。
「私、確かに手を繋いでたのに……」
望の手にはまだ男の子の手の冷たさが残っていた。
「も、もう一回行ってきます」
冴子はベランダへ移動した。
男の子が立っていた。望を、恐ろしい目で睨んでいた。
「お姉ちゃん、うるさい。僕は何処にも行かない。ここでずっとママの事待ってるんだ!」
男の子が大声を出すと地震が起き、建物が大きく揺れた。
「本宮さん、地震です!」
望はあわててベランダの柵につかまり座り込んだ。
「危ないからこっちへ来て……」
望が男の子に近付こうとすると、男の子は消えた。
「能力……?」
男の子にも自分と同じ能力があるのか。
「水沢さん、戻って下さい」
本宮から連絡が入り望は戻った。
「さて……、どういう事でしょう。男の子も水沢さんと同じ能力があり、夜になるとあの場所に来ているのでしょうか」
「あそこでお母さんを待ってるといっていました。でも、地震で大丈夫だったかな」
「地震?」
「すごく揺れましたよね。崩れるかと思った。怖かったー」
皆は顔を見合わせた。本宮はパソコンで調べ始めた。
「こちらは揺れませんでした。そちらは……いえ、地震の情報はありません」
「え、すごく揺れたのに」
「本宮さん、男の子がまた現れました」
曽我部が報告した。
「そうですね、今度は佐々木さんも一緒に行って、男の子の心を読んで来て下さい」
冴子と望は手を繋ぎ、ベランダへ移動した。
男の子はベランダのすみっこで下を見ていた。
冴子は男の子に近付いた。
「お母さん待ってるの?」
男の子は振り向いた。
「早く帰ってくればいいね」
そう言って冴子は男の子の手を握った。冷たい手だった。
男の子の心の中の映像が冴子の頭の中に広がった。
男の子は毎日、一人で留守番をしていた。でも夜になると仕事を終えて母親が帰って来る。その時間になると男の子はベランダに出て、母親が歩いて来るのを待っていた。母親が向こうから買い物袋を下げて歩いて来る。嬉しくて「ママー」と呼んで手を振ると、母親も笑顔で手を振った。
二人きりだったが、優しい母親との生活は幸せだった。
そんなある日、いつものようにベランダで待っていたが、いつまで待っても母親は帰って来ない。夜中まで、寒い中ずっと待っていた。
母親は帰る途中事故に遭い病院に運ばれていた。大した怪我では無かったが、警察の事情聴取などで遅くなってしまった。やっと解放され慌てて家に帰ると男の子はベランダで凍えていた。
「ママ……お帰りなさい……」
笑顔でそう言うと、意識を失った。母親は慌てて病院に連れて行ったが、男の子はそのまま意識を取り戻さなかった。
冴子はまじまじと男の子を見た。まさか、だって私今この子の手を握っている。冷たいけど、しっかり握っている。
冴子は男の子を抱き締めた。怖いと言うより、可哀想だった。
「お母さん、帰ってくるよ、絶対に」
「うん、わかってる。ママは絶対に帰ってくるよ。でも、お仕事で疲れてるから、途中で何かあったらって、いつも心配なんだ。ママが無事に帰ってくるだけでいいんだ」
男の子はちょっと笑顔になった。
「優しいね」
冴子は一層強く男の子を抱き締めた。そして暖かなお花畑に男の子がいるイメージを浮かべた。
男の子の顔が次第に赤みを帯びてきて、手も温かくなってきた。
「あ、ママ、ママが帰って来た。ママー、ずっと待ってたよ。もう離れるのは嫌だ。ずっと一緒にいようね」
ふと、気配を感じ、冴子は顔を上げた。そこに女性が居るような気がした。
次の瞬間、冴子の腕の中から男の子が消えた。
「また消えた!やっぱり能力持ってるんだ」
何も知らない望が言った。
「子どもが能力持つのは良くないね。夜遊びするようになっちゃう」
望はブツブツ言っていた。
「帰ろう、もう男の子は現れないよ」
冴子には確信があった。
「そうなの? 後で何見たのか教えてね」
冴子と望は研究所へ移動した。
皆は冴子の報告に一同口を開けたままあっけにとられた。
「えっと……佐々木さん、本当ですか? いえ、佐々木さんの能力に間違いは無い筈です。いや、でもそんな事……」
珍しく本宮がしどろもどろだ。
「私だって何が起きたか理解不能です」
冴子も今起きた事が信じられずにいた。
「それって、幽霊って事?」
望が泣きそうな顔で言った。
「私手を握っちゃったよ」
「私なんて抱き締めちゃったよー」
望と冴子はパニック状態だ。
「確かな事は分かりませんが、多分そうなんでしょう……」
本宮は何て報告書を書けばいいのか悩んでいた。
窓の外は明るくなってきた。
「皆さんご苦労様でした。明日、いえ今日は午後からにして、午前中は休んで下さい」
本宮は困惑しながら部屋を出て行った。
冴子と望は怖かったので、一緒に寝た。そして午後、研究所に行くと本宮がパソコンで調べた結果を見せてくれた。冴子の言った通りだった。
今日は講義は取り止めて、皆で神社に行きお祓いをしてもらった。
怖かったけど、虐待事件じゃ無くて良かった、と思う冴子だった。
それから市営住宅に男の子は現れなかった。




