クラス転生 ~星食い世界樹の異世界へ~
天を支えるような巨大な柱が大地から真っ直ぐ伸びている。地平線の彼方にも柱は幾つかあるが、霞がかっていて蜃気楼のように仄かだった。
砂埃と焦熱地獄を避けるために、上着を頬被りして、滝のように汗を流して歩いた。
俺たち二人は地獄から脱出した。逃げ出した時も友人たちの悲鳴が轟いていたが、俺達は浚われたウタガワを追いかけていた。気になるのは親友のミドウの安否だ。世界に地獄が露出してから、地獄を脱出するまで彼の姿を見なかった。
「車輪の跡が続いている」
ヒヌマが大地を舐めるように見て、誘拐犯の足跡を辿った。ヒヌマがいなければ地獄から脱出することは難しかっただろう。幼稚園の頃から親友だが、この数日間で彼の身体能力の高さを思い知った。同級生が襲い掛かって来ても、簡単に退けるのには恐れ入った。それが格闘技経験者相手でも変わらず圧倒的なまでに強かった。
「行こう」
「……本当にいくの?」
ヒヌマは混血の美少年であり、数年前まで少女にしか見えなかった。声変わりして男らしさが増したが、未だに少女的な雰囲気がある。
「当然だろ」
「ミドウは?」
「あれを見た後でウタガワを放っておくわけにはいかない」
ウタガワは腹を裂かれて、腹に肉塊を突っ込まれた。絶望に満ちた声を聞いたときに、俺の右腕が暴走したが、思い出しても肌に針が刺さるようだった。一ヶ月前に交通事故にあって以来、皮膚感覚の差異があった。
いつの間にか、体の中に化物がいた。
それでもウタガワを救うことは出来なかった。
二日間、歩き続けた。
虫を食らい、小便をすすり、死線を超えようとしていた。死に際に再開した馬車は止まって犬のような生物に群がられていた。俺とヒヌマは時間をかけて近づき、ヒヌマは短刀、俺は金属バットで犬たちを追い払った。俺たちの健康状態から考えて犬の方が有利であったが、犬は人間の強さを知っているようだ。
ウタガワの腹に肉塊を入れた男たちは惨殺されていた。ヒヌマが胃液を唾で吐くように出して、傷をあらためていた。
「外傷が無い」
「咬み傷は?」
「余分な血が流れていないから、死んだ後に噛み付いたんだろうね」
死んだら血は固まる。
「だけど骨が砕けている」
俺も死体を触ってみたが死体と言うだけではなく、骨が触ったことの無い感触だった。
「ヒヌマ、後ろ」
犬が隙を見てヒヌマに飛び掛った。ヒヌマは後ろに眼がついているが如く、紙一重で横っ飛びすると、いつの間にか掌から短刀を飛ばしていた。忍者然とした一連の動きは、澱みなく犬を殺害した。ヒヌマは短刀を抜いて、血を払った。俺の右腕は疼いているだけで、凶器に変貌することはなかった。
ウタガワを見つけたのは、数時間後のことだった。うつ伏せで眠っており、大事そうに腹を擦っていた。返り血を大量に浴びているが、血塗られた肌に紋様が浮かび上がっていた。
「大丈夫か? ウタ?」
俺がウタガワを揺さぶろうとすると、ヒヌマに手首を捕まれて首を横に振られた。触ってはいけないと言うことだろう。ウタガワは腹に肉塊を入れられた時も大暴れしていた。先ほどの馬車の殺害もウタガワの仕業だろう。ウタガワは幼馴染の一人だけど、俺たちとは段違いに有名人だった。数年前に偶像になり、たまにテレビで見ることも増えてきた。それがこんな眼にあっている。ウタガワが肉塊を入れられた後、同級生の女の子たちは軒並み殺害されていた。他に生き残っていたのはコンゴウぐらいだった。地獄から脱出する時に一緒に外へ出ると思っていた。金髪でやる気の無さそうな女だったが、俺とミドウの仲を知ってか残ってくれた。
だからと言って何が出来るかは分からなかったが……。
馬車の男たちはウタガワの不思議な力に殺されてしまったが、ウタガワの少しだけ膨らんだ腹を見れば一目瞭然だ。胎児を腹に入れられた、と言うことだろう。その肉塊を入れられた後に、美しい肌に紋様が浮かび上がり不思議な力を使えるようになった。
「ウタ……起きろ。ウタ……」
「……?」
ウタガワは顔をあげて、俺とヒヌマの顔を見た。
「誰?」
ウタガワは俺たちの記憶を無くしていた。腹を裂かれて、胎児を入れられた衝撃で記憶が飛んでしまったようだ。ウタガワは眼を覚ました瞬間、ヒヌマのことを同性と勘違いしてしまい俺の視線から隠れるように、ヒヌマと腕を繋いだ。
俺達はウタガワを捕まえたので、地獄へと戻ろうとしたが、自然がそれを許さなかった。砂嵐が起きて、俺たちの身動きを完全に封じてしまった。水も食料もほとんど無い中、一日中動けなくなってしまい、ウタガワを誘拐した男たちの仲間が地平線から現れた。
「ノギ……」
得意の短刀を使ってヒヌマが男たちを蹴散らそうとしたが、ウタガワが絶対に離れないように腕を絡めてしまっていた。ヒヌマは嫌そうな顔をした。ヒヌマがウタガワをキライなわけではなく、俺の気持ちを知っているからだろう。
「良いよ。ヒヌマ。俺がやるから」
俺は右腕を擦り、跳ね上がる動きを押さえつけた。
ヒヌマは何処で習ったのか知らないけど、武術の心得があった。俺の場合はまったくない、だが俺の体内にはウタガワと同じように化物が潜んでいた。だから飛び道具が間近に来るまでまったく反応が出来なかった。
誘拐者たちは大きな弓を持ち、矢を放ってきた。空を切る音に殺意が篭っている。俺は内側から沸いてくる衝動に任せて走った。一方的な押し付けの殺意、理不尽な仕打ちに内側の炎が燃え上がった。
右腕が沸騰したように泡立ち、ボコボコと形状を変えた。皮膚は化物のように変貌して、爪も鋭く尖った。俺は矢を掴んで、誘拐者に投げ返した。
一殺。
地獄で同級生たちを返り討ちにしたが、死の感触は慣れなかった。誘拐者たちは反撃されたのに驚きつつも近づいてきた。俺にとって嬉しいことだった。俺の右腕は近接戦が一番得意だった。これも同級生と殺し合いをしたことで気付いたことだった。
俺達は地獄へと戻ってきた。大地に場違いな建物があった。それは俺たちが通いなれた校舎であり、その中で地獄が舞い起こった。俺とヒヌマが外を出られたのはヒヌマの必死さと運によるものが大きかった。
「行くか」
ウタガワがヒヌマに引っ付いて離れないのが癪だった。だけど知らず知らずのうちに態度に出てしまい、記憶をなくしたウタガワは俺の印象を悪くしているようだ。数日前の誘拐者たちを返り討ちしたこともウタガワは良く思っていないようだ。返り血を洗う水もなく、大地に血をこすり付けたが、今でも血の臭いは落ちていなかった。
「あっ、来たじゃーん」
校舎はありとあらゆる開口部が封鎖されていたはずだった。その声の主はコンゴウだ。清楚からかけ離れた風貌だが、染めた金髪も数週間の時間には勝てなかったようで地毛の黒が現れていた。それでも化粧を完全に施しているのは美意識によるものだろう。
「コンゴウ、生きていたか」
「あったりまえじゃん。残って死ぬわけにはいかないでしょ」
「ミドウは?」
「いるけど……」
コンゴウの顔が曇った。
ミドウは悲惨だった。俺、ウタガワ、ヒヌマと幼馴染とはいえ、俺は一ヶ月の入院、ウタガワはアイドルで休みがち、ヒヌマは別のクラスだった……と言うことで、大人しくて太かったミドウは俺たちの知らないところで虐められていたそうだ。この世界に来たときに、俺達は分断されてしまったが、ミドウはミドウを虐めていた連中と一緒になってしまった。俺たちとは違い襲われることもほとんど無かったようだが、内輪揉めが起こり始めた。事の発端は食料不足だろう。分断されてしまったため、ミドウたちは食料がまったくない状況に陥ってしまったのだ。
初めは疎まれ、次に迷惑がられ、最後に食料として見られた。食料に至るまでに、ミドウは自分の死に様を何度も何度も考え続けた。実感のある未来像はミドウを作り変えてしまった。抜け駆けでミドウを食おうとした女子生徒は知識がなかった。体重で階級を分けている理由を女子生徒は知らなかった。
ミドウは返り討ちした。
その後は、殺しに殺しつくした。
コンゴウがミドウを説得するには時間がかかったそうだが、俺達がウタガワを助けに行く十数日で心を開いてくれたそうだ。
俺はミドウに会って驚いてしまった。肥っていた姿は痩せこけており、俺たち以上に食料に困っていたのが分かった。両目の眼光は鋭くなっているが、死体のように眼が濁っていた。
「大丈夫か? ミドウ」
迂闊な発言かと思ったが、ミドウは気にしなかった。
「俺はもう死人だ」
学校と言う地獄から抜け出したのは何人いたのだろう。死体を一つずつ確かめれば生存者を見つけることが出来ただろうが、俺達はこれ以上知り合いの死に顔を見たくなかった。
俺――ノギ、ウタガワ、ヒヌマ、コンゴウ、ミドウの五人で
俺たちが目指す先は一番近くの柱だ。この世界には遠目で見ても、何本かの柱が天から降りて来ていた。ウタガワを救出しに行った道を辿るように歩いて、水場を見つけ、獣を狩り、何とか柱の根元までやって来た。
柱の表面は蔦で覆われていて、根元から人を吸い込んでいた。古そうな銃や武器防具を見つけた男たちが騒ぎながら入っていった。
その柱は世界樹と言われている。
数百年前に天から降りてきた柱は、人間を食い殺す魔物を吐き出した。そこは魔物の巣であり、人類は何度も死滅しかけたそうだ。俺達は世界樹の根元の町に居を定めて生きることにした。
ある日、ウタガワは世界樹を見上げた。
腹を撫でて、呟いた。
「空へ行かないと」
449,280分後、俺達は世界樹に行くことになる。