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退魔師藤代兄弟シリーズ

イヴの夜

作者: 一本坂苺麿

 今日はクリスマスイヴ、大切な人と共に過ごす特別な日。

 私は彼との待ち合わせ場所である公園の入り口に立ち尽くしていた。

 まだ、彼はやって来ない。時間を確認してみると、19時20分、既に20分も遅刻している。

 前の通りには多くの人が行き交っている。みな夜の寒さに震えていた。しかし、私は不思議なことに寒さを感じていなかった。彼に対する苛立ちのせいかもしれない……。

 電話を掛けてみたが、繋がらない。電源でも切っているのだろうか、彼にはずぼらなところがある。

 私はため息をつき、公園の奥の方を見まわした。ここはいつも彼との待ち合わせ場所にしている。すぐ横にはレストランがあり、そこで食事をすることもあった。

何度、訪れても変わらない風景。だが、見慣れないものが目に入った。公園の右手、レストラン側のベンチに若い男が一人座っていた。

 気になったので、私はその男の傍に近寄ってみることにした。普段なら、見知らぬ男に近づくなど、怖くてできないのだが、彼にはまったく危険性を感じなかった。

恋人がもう来るかもしれないと一瞬思ったが、なに、ほんの少し待たせてやろうと思い直した。遅刻した罰だ。

 ベンチの男は私が近づいても、気づく様子がない。いや、わざと気づかないふりをしているのだろうか?

彼は缶コーヒーを飲みながら、じっと足下を見ている。

 私は声を掛けてみた。

「こんばんは」

 男はゆっくりと顔を上げた。私と同じ二十代前半くらいだろう。端整な顔立ちだ。澄んだ瞳は私をじっと見つめている。私は思わず見惚れていた。

「こんばわは」

見た目の割に低めな声で男はあいさつを返してきた。

「……あ、すみません!! ここで何をしてらっしゃるのかなぁと思って……」

見惚れていて、返答が遅れてしまった。ナンパだとでも思われてないだろうか?

「仕事の合間にちょっと休憩をしてただけですよ」

男は穏やかに言った。良かった、変に思われていないようだ……。

それにしても、こんないい男がイヴの夜に仕事とは、世の中は残酷なものだ。

「イヴの夜も仕事だなんて、彼女さんが可哀想ですね」

「いえ、僕には彼女なんていませんよ」

「えっ、そうなんですか?」

「はい……あなたは?」

「……私は……います」

この男に彼女がいないとは……。驚きと同時にバツの悪さを感じた。これではわざわざ自慢するために来たようではないか。

「なら、こんなところで僕とお話しするのはマズイのでは?」

「……え? あ、いいんです、彼、遅刻していて……おまけに連絡も取れないし。ずっと一人で待っているのもあれなんで、話相手になってくれませんか?」

「……まぁ、あなたよければ僕は構いませんよ」

彼は困惑した顔で返事をした。私も私で、これは彼氏への裏切りにならないだろうかと考えていた。しかし、心のどこかで彼と話をしなければならないと思っていた。

「ここ、どうぞ」

男は脇により、ベンチに座るよう促した。

私は礼を言い、ベンチに腰掛けた。男の手には相変わらず、缶コーヒーが握られている。

「コーヒー好きなんですか?」

「えぇ、まぁ、ただ、缶コーヒーよりはやはり淹れたてのものがいいですけどね」

「あ、やっぱり!! 私の父もコーヒーにはこだわりが強くて。よく家では私に淹れさせるのですけど、いつも文句ばかり……だから、私、コーヒー淹れるのには自信あるんですよ」

「羨ましいなぁ、僕なんか、いつまで経っても下手くそのままで……」

私たちは軽く笑いあった。

「普段は何をされているんですか?」

私はこの男のことをもっと知りたくなった。

「僕はその、普段は人の話を聴いてます」

「話を聴く? カウンセラーさんなんですか?」

「えぇ、まぁ、大雑把に言えばそうです」

 なるほど、確かに彼には話がしやすい雰囲気がある。納得の職業だ。

「あなたは何の仕事をされているのですか?」

今度は彼が尋ねてきた。

「私は……」

答えようとするのだが、自分が何の仕事をしているのか思い出せない。そんな馬鹿な!!――

突然、救急車のサイレンの音が耳に響いてきた。私は周りを見回した。

「……どうしました?」

男は不思議そうに尋ねてきた。

「サイレンの音が……」

「サイレン?」

男にはどうやら聞こえていないようだ。歳のわりに耳が遠いのだろうか?

「……彼氏さん、まだ来ませんね?」

男は腕時計を確認しながら言った。

「えぇ、もうすぐ来るとは思いますけど……」

私は少し不安になってきた。事故に巻き込まれたとは思えないが……。

「……その方とのお付き合いは長いのですか?」

「えぇ、まぁ、大学の頃から付き合い始めて、今年で3年です」

「……どんな方なんですか?」

「え、どんなって……」

私は彼の事を思い返した。

面倒くさがりで無責任、愛想もいいとは思えない。今になっても、なんで彼と付き合っているのだろうと思う。だが、彼の時々見せる笑顔が好きだった。たまにではあるが、私のために一生懸命頑張ってくれることもあった。ずっと、この人と一緒にいたい。私は彼のことが本当に好きなのだ。

 ここにいることに罪悪感を感じ始めた。

 私は男に謝り、立ち去ろうとしたが、男が声を掛けてきた。

「待って!!」

 男の方を見ると、真剣な眼差しでこちらをじっと見つめている。

「どうしました?」

「すみません、おかしなことを訊きますが……」

「あなたは幽霊を信じますか?」

 冷水を浴びせられるような衝撃を感じた。こんな馬鹿げた発言、普段なら気にも留めないのに……。

「……ゆう……れい?」

「はい」

「……わかりません」

「僕は会ったことがあります」

 さらなる衝撃、胸の底から何かが込み上げてくるようだ。

「……会った?」

「はい、何回か」

 私は座りなおした。この話は最後まで聴かなければならない、そう感じた。

「どんな感じなんですか? その、幽霊って」

「まぁ、世間一般の幽霊って言えば人を呪い殺すような存在ですが、僕が出会ってきた幽霊たちはそんなことはありませんでした」

「彼らは亡くなった方の強い想いで存在しています。彼らは純粋で、想いが剥き出しです。僕に言わせれば、彼らは生ある人間よりもより感情的で人間味がある……」

 私は無言のまま、男の話を聴いた。この男は何が言いたいのだろう? いや、心の底ではわかっているのだ。耳の奥でサイレンの音が微かに聞こえる。

「彼らは自分が死んでいること気づかず、想い入れの強い場所でずっと存在しつづけています」

「……悲しいですね」

「えぇ」

 男は目を閉じた。一息つき、再び目を開いた。相変わらず、澄んだ目をしている。

「……後ろレストランを見てくれませんか?」

 私はゆっくりと振り向いた。後ろには恋人と何度も通ったレストランの様子が見える。

窓辺に2人の男女が見えた、女性のは知らない……だが、男性の方は……。

「……彼が見えますね?」男は静かに言った。

「……」

 私には答える余裕がなかった。レストランの窓辺に座っている男性は私が愛した男だった。

だが、その顔は私の知っている顔よりもいくぶん老けている。

「……今は……何年なんですか?」

私は逆に質問した。

「今は……平成26年です」

 26年……。私は今日、平成16年12月24日のつもりでここに来ていた。私と世間とでは10年の誤差が生じていた。

「……私が…私は幽霊なんですね?」

「……はい」

「私はどうして……」

「交通事故に巻き込まれたと聞きました」

「……事故?」

「はい、救急車で運ばれたそうですが、助からなかったと……」

 救急車。じゃあ、さっき聞こえてたサイレンは私が死ぬ間際に聞いた音だったのか。

それに私は恋人と家族以外の記憶がまるで思い出せないことに気づいた。

昨日のことさえ、思い出せない……。

不思議と涙は出なかった。

「あなたはいつまでもここにいてはいけない」

男がはっきりと言い切った。

「……これから、どうなるんですか?」

「わかりません」

「ふふ、嘘でもいいから、天国って言ってくれればいいのに」

 私の心はすっきりしていた。底に眠っていた不安や孤独が解放されたみたいだ。

私は死んだことを受け入れている。最初からわかっていたのだ。

 私はかつての恋人の方を見た。幸せそうな笑顔で相手の女性話している。かつて私に見せてくれた笑顔。私が大好きだった笑顔だ。

「……彼に何か伝えい言葉はありますか?」男が尋ねた。

 私は首を振った。

「いいえ、もう彼の傍に私の居場所はないもの」

「そうですか……」

 彼との想い出が頭を過る。楽しかった日々……。

すると、私の鼻先に何か冷たいものが触れる。空を見上げると雪がぽつぽつと降り始めていた。

「わぁ、ホワイトクリスマスね」

 空を見上げていると、ある一点に光が見えた。始めは小さかった光だったが、どんどん大きくなっていく。

今ならわかる、あれは扉だ。この世の出口だ。

「ねぇ、私、そろそろ行くみたい……」

 男は黙って頷く。

「ねぇ、あの世がどんなところかわからないけれど、また、あなたと出会える気がするの」

「えぇ、僕が死んだら、あなたに会いに行きますよ」

「ふふ、その時はおいしいコーヒー淹れてあげるから……約束よ?」

「約束します」

 私はレストランの彼を見つめ、心の中でさよならを言った。どうか幸せに……。

 そして、あることに気づいた。私はなんて間抜けなんだろう。

「ねぇ、そういえばまだ、名前を訊いてなかったわ」

「灰村です。灰村樹……」

「はいむら……いつき……私は、私は佳織、木下佳織です」

 どんどん私の体は宙に浮いていく。

 灰村の顔を見ると、今日、一番の暖かい笑顔で見守ってくれていた。

「ありがとう、灰村さん」

 私は空の光に向けて、飛び上がった。

そして、光の扉を越え、この世から旅立った。




 俺は空を眺めながら、すっかり冷めたコーヒーを飲んでいた。

すると、誰かがベンチに近寄ってきた。

「お疲れ様です、灰村さん」

近寄ってきた男は俺の横に腰かけた。

「無事に彼女は旅立ちましたか?」

「えぇ、素直で思いやりのある女性でした」

「それは良かった!! さすがは霊能カウンセラー!!」

「……恥ずかしいので、その名称で呼ばないでください、佐々木さん」

「それは失礼」佐々木は謝りはしたが、まったく悪びれる様子もない。

「彼女は救われたと彼に伝えてください、それとご協力ありがとうございました、と」

俺は後ろのレストランの方を向いて言った。

「えぇ、もちろん。元恋人が亡くなった想い出の場所ですからねぇ、彼もつらいことを思い出したでしょう」

 俺はコーヒーを飲みほした。

「それにしても冷えますね。私は事務所の方に退散しますよ、灰村さんはどうします?」

「……僕はまだここにいます」

「そうですか、ならコーヒー驕りますよ」

佐々木が自販機に向かおうとするのを俺は止めた。

「いらないんですか? 感謝の気持ちのつもりだったのに」

「気持ちだけで結構ですよ、おいしいコーヒーを振舞ってくれる約束があるのでね」

 佐々木は不思議そうな顔をしたが、そのまま立ち去って行った。

 俺は再び空を見上げた。雪が本格的に降り始めていた。

 天へと昇っていった彼女の顔が思い浮かぶ。

 楽しみにしているよ、君のコーヒー……。





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