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彼女は語る

作者: 西田ハル

 彼女は語る。

「その文化、社会にとって重要な事柄や事象について表現する時、その表し方は大枠ではなく細分化されたものになる。例えば日本においての雨。空から水滴が降る現象を簡単に表したいのなら『雨』という言葉だけで事足りる。けど降り方にも強弱があるし、雨そのものの質で名称も変わる。水滴の大きさや粘度も影響するね。君にはなにか思い浮かぶ言葉はある?」

 一呼吸、とまではいかずともそれに準ずる勢いで言葉のマシンガンが放たれた。言い切ったあと、酸素が足りないと主張するように彼女は息を吸った。大きく肩が動く。心なしかブレザーとセーターで着太り寸前の上半身も膨らむ。

 ここは特別教室の一つ、物置こと文化資料室。正式名称のとおり、文化の資料が収蔵されている。どの文化の資料か、というと文化全般のそれらがまとめてこの教室に放り込まれているのでなんとも言えない。表題に『文化』とあれば、文化に関わりそうな内容であれば全てここに収められているような様子。なぜ高校にそんな資料が大量にあるのかは不明だ。

 古書が並ぶ、前面をスライドさせることのできる本棚。その手前も奥もぎっしりと本が陳列されているものの、誰かに読まれた形跡はない。その道の権威が書いたであろう誇り高い書籍も、今ではホコリを高く被っているだけだった。

 そんな本棚が正方形の教室の隣り合わせる二つの辺を覆うようにそびえ立っている。採光のための窓はそれらの置かれていない一辺にあるのだが、遮光カーテンも閉め切られているため、ここの唯一の明かりは頭上の蛍光灯だけだ。以前、校舎の蛍光灯全てがLEDに取り替えられたため、光度は充分だ。だがその光では部屋の閉塞感は拭えない。

 物置の別称にふさわしく中身の詰まった段ボールが所狭しと積み上がり、教室全体の圧迫感に拍車をかける。人口密度ならぬ段ボール密度は本学において最高であろう。エントロピーも相当だ。ちなみにエントロピーとは物事の乱雑性を表す言葉である。詳しいことは僕もよく分からない。

 教室の真ん中、四つの学習机が集まり大きなテーブルを形成している。小学生の頃に給食を食べる時はそんな形をとった。

 そのテーブルの一つに席を寄せて彼女は座る。僕はそのはす向かいに椅子を置き座っている。

 彼女は肘を置き両手の指を絡ませて口元に当てる。

「どう?」

 先ほどの問いに対する答えを求める。僕は開いていたページにオビを挟み首をもたげた。

 雨を表す言葉。いくつか脳裏を浮遊する。

「小雨とかにわか雨とか豪雨とかそういうのだろ?」

「そうだね。一般的に知られるものでも多くの呼び方があるね。夏の夕暮れ時に降る雨のことは、なんていうか分かる?」

 気を良くしたのか大げさに片目を見開いて、彼女は更に問う。僕の雨についての語彙がどこまであるのか試されているようだった。できるところまで付き合おうじゃないか。

「それくらい簡単だよ、夕立だろ。それは誰でも知ってる。今どきだと一緒くたにゲリラ豪雨って呼ばれたりもしてるみたいだけど」

 彼女の知識にとても敵うとは思えないが、これでも本だけは読んでいる。それらで学んだものが僕の一部になっていれば可能性はある。最近はライトノベルしか読んでいなかったから有益な情報は得られていないけど。

「そんな夕立の中でもひときわ変わった名称もあるんだよ。晴れた空からの雨、天気雨なんて呼び名もあると思うけど、ほかにもあるんだ。その時にしか使わないけど、なかなか興味深い言い方だと思うよ。君には分かる? ヒントは生き物の名前が入る」

 生き物の名前? まさか雨として生物が空から飛来するのだろうか。そんなこと普通なら有り得ない話だが、なにか引っかかりを感じた。

 確か空から魚やらカエルやらが降ってくるという現象が世界各地で発生していた。日本でも2009年にそれに似た騒動があったはずだ。オタマジャクシが降ってきたんだったか。

 それら空からの落下物、特に一般常識として空から落ちてきてはおかしいもののことをファフロツキーズと総称すると記憶している。

 しかし明らかに生き物の名前はその名称には含まれていない。

「生き物か……」

 梅を生命体として認識することもできるが、彼女が求めているのは植物ではなく動物だろう。そもそも夕立という範囲の中の名称と言っていたから、季節も違う梅雨が正解であるはずがない。

「はい時間切れ」

 彼女が手を打ち鳴らす。その音に思考が押し流された。

 いつの間に俯いていた頭を上げて彼女を見る。楽しげだ。

「聞いたことはあると思うんだけどね。答えは『狐の嫁入り』。知らない?」

「そういえば、ある……気もする」

 しかし晴れ間の雨のことにそんな名称をつけるとは、昔の人もなかなかの想像力があったものだ。いやむしろ現代を生きる僕らよりも、解明されてない事象の多かった昔だからこそ正体不明の出来事を妖怪や神の仕業で説明しようとしたのだろう。

「晴れているのに雨が降る。それが狐にばかされた、鼻をつままれたような感じがしてそう名付けられた……と言われているみたいだね。本当のことは当時の人しか分からないだろうけどね」

「今でも晴れ間の雨はなんか変だと思うけどな。土砂降りだとなおさら、奇妙な昂揚感を覚えるし」

 そう答えると彼女はくつくつと抑え込むような笑い。

「それは君が『狐にばかされた』からそんな感覚を覚えるんだよ」

「……なるほど」

 ただの晴れではテンションは上がらない。雨なら下がる。その二つが合わさると、単純な足し算引き算で考えるなら打ち消しあって気分は普通になりそうなものだけど実際は違う。二つは相乗効果的に働いて僕らのテンションを際限なく高めるのだ。昂ぶると言ってもいい。シャワーか滝のように降りしきる雨の中をバカみたいに走ったりするくらいだ。確かに狐にばかされているのかもしれない。

「文化と言葉は密接な関係なんだ。雨と同じように『色』を表現する時も文化の違いを実感するよ。日本は色の差異に敏感だから似た色でもかなり多くの呼び方があるよね」

 彼女はルーズリーフを引っ張り出して、何色かのボールペンでなにかを書き始めた。描き始めた、かもしれない。

「おいでよ」

 手招く小さな手につられて椅子ごと彼女の横へ。

「さて、ここに二つの塗りつぶされた丸がある。それぞれこれらのボールペンで塗ったんだ」

 彼女が提示したのはオレンジと黄色。当然のようにそれで描かれた丸もそれらの色で塗りつぶされている。

「それぞれ何色か分かる?」

 そう問うた。バカにされているのかと彼女を見るが、至極真面目か表情。これから彼女が説明したいことに重要な質問なのだろう。僕も頭を捻ることはせず見た印象のまま答えた。

「右の丸が『黄色』で左は『オレンジ』だ」

「そうだね。私たちはこの色をそう答える。でもこの『黄色』と『オレンジ』を同じ色であると答える文化の人々もいるんだよ」

「……それは初耳だ」

 オレンジと黄色を同色と扱う、か。もしかしてその文化の人々と僕らでは視覚に、というか色の見え方に違いでもあるのだろうか。一つ心当たりがあった。

「色盲みたいな遺伝的な影響じゃないのか?」

「鋭いね、君のそういうとこが好きだよ」

 平然とそんなことを言う。知り合った当初は意味を取り違えたものの今ではなにも感じない……なんてことはない。やはり照れる。ごまかすように話を戻した。

「しれっとそういうこと言うなって。で、色盲の話だ。僕のいとこが赤緑色盲で赤と緑を区別しにくいって言ってた。軽度のものらしいけどね」

 彼は小学生の頃、赤いボールペンと緑のボールペンの色の違いが分からなかったそうだ。周囲と色の認知が違うのではと薄々勘付いてはいたそうだが、さして気に留める必要もないと思ったそうだ。それどころか彼は『個性的でいいだろ』とまで言ってみせた。

「いい線いっているけど、今回の色の認識と色盲では話が違うんだよ。先に話した実験の被験者となったは一般的なアメリカ人とズニ族という人々だ」

 くるくるとボールペンを回して、彼女は簡素な人の絵を描いた。いわゆる棒人間だ。それが彼女によって二人生み出された。頭にあたる円と肉体を表す枝のように細い体。その下にそれぞれ『ア』『ズ』と書いた。アメリカ人とズニ族を表現しているようだ。

「アメリカ人とズニ族、被験者となった人にさっき君にしたように色を見せる。違うのはそれぞれの色を一つずつ見せたこと。先に『オレンジ』、続けて『黄色』というようにね。君にやった時は都合上、同時に見せたけど。それでしばらく時間をおいて先に見せた色が何色であるかを答えてもらった」

『ア』と書かれた棒人間をペン先で示す。

「アメリカ人の被験者はその質問に『黄色』と答えた。アメリカ人には『黄色』と『オレンジ』を別の色と認識しているからね。君もどちらも違う色と見分けたから日本人の色彩感覚はアメリカ人と近いわけだね。けどズニ族の被験者は違った」

 時計に視線をやって、彼女は仕切り直すように咳払いをした。

「ズニ族の人々は正答率が低かったみたいだね。もともと二分の一の確率で当たる質問ではあるけれど、だとしてもアメリカ人と対比すると色を誤ったり答えられなかったりと、違いは明白だ。ではなぜ答えられないのか。君は色弱の可能性を示唆したね。それとは少し話が変わってしまうのだけど、有名な説にサピア・ウォーフの仮説というものがある」

「サピア・ウォーフ?」

 もやもやと、ヒゲを蓄えた老人の研究者が脳内に浮上する。

「ちなみに『サピア・ウォーフ』という人が唱えた説ではないからね。確か……エドワード・サピアとベンジャミン・リー・ウォーフ、両氏の名前から名付けられた説なんだ。更に言うと二人は共同研究でこの説を提唱したわけじゃない。そもそも活動していた年代も違ったはずだしね。後世の人々が二人の研究の類似性を指摘してそれを一つの説にまとめ上げた。きっとそんな感じじゃないかな」

 彼女は僕の思考を読んだようにそうつけ加えて、ふっと笑う。読心術でも心得たのだろうか。

「それで……サピア・ウォーフの仮説というのは、言語によってその言語を扱う民族の思考やものの感じ方を強く規定する、という説。例えとして多く使われるのは色についてかな。さっきも取り上げたけど、アメリカ人とズニ族では色の見え方が違う」

「それが色盲なり色弱なりとなにが違うんだ?」

「ズニ族の人々にも『オレンジ』も『黄色』も見えているんだよ。その二つが同じ色に見えているわけではないんだ。じゃあどうしてズニ族の人々は先に見せた『オレンジ』をそれであると答えられなかったのか、分かる?」

 ズニ族とアメリカ人。両者が視覚で捉える色に違いはない……か。

「質問」

「どうぞ」

 僕の挙手に手のひらを見せる。

「アメリカ人は『オレンジ』と『黄色』それぞれの色をちゃんと認識したんだよな」

「そうだね」

「アメリカ人は『オレンジ』は『Orange』、『黄色』なら『Yellow』と答えるはずだ。視覚の機能として二つの色が識別できることはアメリカ人もズニ族の人々も変わらないってさっき言ってたな」

「……それで?」

 否定も肯定もせず先を催促する。彼女の興味をひいているようだった。

「例えば、ズニ族の人々が『オレンジ』と『黄色』を区別しないとしたら。もしくは二つの色をまとめて表現する言葉しか持たないとしたら、彼らにとって先に見せられた色が『オレンジ』であれ『黄色』であれ関係ないってことだ。ズニ族の人々からすれば二つは同じ色として扱うからだ」

 どうだ? 思いつきから派生させてそれらしいことを雄弁に語ってしまったが、彼女の求むるものに適うだろうか。

「……感心したよ」

 彼女は手を打ち鳴らした。

「君の推測は正解だよ。名探偵になれるんじゃないかな?」

 ボールペンの尖端が『ズ』と書かれた棒人間を示す。

「君の仮定のようにズニ族は『オレンジ』も『黄色』も区別しない。もちろん色の違いは認識した上で両者を同じ色としているわけだ。恐らくズニ族の文化や社会において似た系統の色を細かく区分する必要がないんだろうね。ゆえに『オレンジ』と『黄色』のどちらも同じ色であるとするわけだ」

 彼女はブレザーのポケットからスマートフォンを取り出し、画面を操作するとそれを僕に見せた。

「日本では赤色と称されるものにもこれだけの種類があるんだね。あらぞめ、べにひ、うめねず……知らない表現ばかりだ」

「日本は色にとりわけうるさいってことか」

 そしてふと時計を見上げた。まもなく17時になるというところ。部活動を終了し帰宅することを推奨する時刻だった。彼女もスマートフォンで時間を確認して、一度だけ手を鳴らす。軽やかな音が響いた。

「さて、今日の部活はお終いにしよう」

 ゆるりと立ち上がり、彼女はマフラーを首にかけた。そして後ろを向く。

「今日もなにもしてないけどな」

 彼女の後ろからマフラーを巻きつけうなじを隠すようにそれを結ぶ。マフラーに巻かれた髪が彼女の動作でふわりと曲線をえがく。

「もともと帰宅部の隠れ蓑でしかない部活だよ、なにもしてないことが活動みたいなものなんだよ。ある意味即刻帰路に立たない私たちは暗黙の了解であるこの部活の活動方針に逆らってるのかもね」

 身なりを確かめて、バッグを手に取る。一度も開けたことのない窓のカギが施錠されていることを確認して、彼女は教室のドアを開け放った。

 僕もメッセンジャーバッグを袈裟懸けて、廊下に出る。

「忘れ物はないね」

 彼女が明かりを落として、閉めた扉にカギをかけた。

 階下の職員室でカギを返し、生徒玄関へと行く。

「そういえば今年最後の部活だったわけだけど、特に代わり映えはなかったね」

「特別なことする算段も立ててなかったのに急ごしらえでそんなことできないだろ」

「まあ、そうだね」

 下駄箱で履き替える。僕はスニーカーで彼女は少しだけかかとの高いローファー。

 つま先でタイル張りの床をたたく。スニーカーのかかとを潰すクセで履きづらい。ローファーのかかとを潰す猛者よりは健全だ。あれが容易に行えるまでにどのくらいの期間を要するのか見当もつかない。

 もちろん彼女はそんなことにはなっていない。綺麗なローファーだ。なにか金属の装飾もあり、ヒールになっていることもあって今どきっぽい。かと言って高級なものには見えない。女子中高生向けだろうから値段もそれなりに安価なのだろう。

「さてなんの考え事か知らないけど、帰ろう」

 促され彼女の後方1メートルを歩く。

 冬の17時はもう真っ暗だ。怜悧な風も制服の隙間から入り込んでくる。

「寒い」

「日本の12月は寒いと決まっているからね。沖縄にでもいけば、そうだね……間違いなく20度はあるだろうけど、首都圏はこんなものだよ」

 寒いことは否定しないけど、と彼女は自らを抱く仕草。

 二の腕をさすりながら彼女は後ろ歩きで僕と向き合った。

「今年は猛暑とか酷暑とか呼ばれていたから暖冬にでもなるかと思ったけどそんなことはないみたいだね。今年は寒いとか。まあ毎年のように聞かれるからほんとかは疑わしいけどね」

 白い息がもれる。凍えた空気が当たり顔が、耳が酷く痛む。

 そこそこの都会だから夜空は撒き散らされる街灯に飲み込まれているけれど、空気は澄んでいるように思えるから、場所によっては星が綺麗に見えるだろう。今夜は月の姿もない。

「そういえば今年は、例年よりも二週間程度早く……とと」

 後ろ歩きがたたって彼女がよろける。脆くなったアスファルトの落ち窪んだ箇所に足をとられたらしい。

 もつれる足でどうにかバランスを保ち彼女は静止する。

「危ないからやめよう。ほら、隣を歩いて」

 言葉に誘われて横に立つ。部室で椅子に座り話をしている時は気にならなかったことだけど、真横にいると彼女の背の低さが際立った。

「……」

「なに?」

 彼女が僕を見上げる。

「比較対象がいると私が一際小さく見えるなと思っただけだよ。君はそれほど背が高いわけではないのにね」

「これでも気にしてるんだ」

「男子の平均身長は超えているだろう? 私は女子のそれを下回るんだ、私の方が気にしている度合いは高いはずだよ」

 それはともかく、と彼女は白い息を吐く。

「話を戻そうか。といっても普通に話しても面白くないから、ちょっとひねろうか」

「今日、僕はだいぶ頭をひねったと思うんだけどまだやるわけ?」

「私がした話がなにか君の糧になる可能性もあるだろう。興味ないと聞く耳持たないのは損というものだよ。まあ確かに本当に詰まらない話とかもあるけどね」

 歩速を緩めて彼女に合わせる。歩幅の関係で足の回転率が同じでも差はでるものだ。

「『それ』は、大気中の水蒸気から生成される氷の結晶が空から落下してくる天気のことを指す。ウィキペディアでも見れば書いてあるだろう。関東ではそんな天候に例年より二週間近く早くなる……可能性があるそうだ」

 彼女があえて言葉にしない気象。それを隠すということは……。

「さて『それ』を表す言葉をいくつ知っているかな? ただし『雨』の名称を聞いた時とは趣向を変えて『それ』そのものを用いない表現に限定しよう」

「……雨を例にすると『大雨』はダメだけど『土砂降り』ならいいってことか?」

「その通り。頭の回転が早くて助かるよ。ただ歩行の回転は遅くしてくれてもいいんだよ?」

 彼女に指摘されて気づく。確かに僕は普段より遅めに歩いているつもりだったが、彼女からするとそれに合わせるのにすら早足にしなければならなかったようだ。

「失礼」

 意識して歩みを遅くする。人と歩く機会の少なさが露呈した感じだろうか。

 それはそうと『それ』についてだ。そのものを使わずに表現とは、またどうしたものか。

「……」

 まずい、なにも浮かばない。語彙が貧弱だ。

 そんな僕の黙り込む様子を横目で確認し、彼女は「ヒント」と指を振る。

「漢数字が入る」

 漢数字……。

 考えに気を取られながら道を行く。歩いているのは歩道だからそこまで危なくはないだろう。

「全く浮かばないな。どんな表現かも予想がつかない」

 降参をボディランゲージで表す。両手を挙げた格好だ。

「まあ、推測の材料が少なかったかもね。でもリタイアは認めないよ。代わりにヒントその2。結晶の形を想像してごらん?」

「結晶?」

 結晶というと、あれだ。あれしか思い浮かばない。水からの伝言というフィクションがあったな。

 というのも水に良い言葉をかけて結晶にすると綺麗な結晶ができ、悪い言葉をかけると汚い結晶ができるとか。

 疑似科学とかエセ科学とか、それらに分類される類のものだから全くもって信じていないけど、結構有名になって世間を騒がせていたような気がする。

 それで、彼女のヒントその2は結晶、とのことで。まず結晶のなにをヒントとしているかを考えよう。結晶という言葉そのものがヒントなのか結晶の性質がヒントなのか、はたまた別の意図があるとか……。いや、形を想像してみろと言っていたな。

 氷の結晶は花のような形状で、花びらにあたる部分が六つ程度あったような気がする。

「想像できた?」

「まあ。花みたいな感じだよな。花びらみたいに六つの方向に氷が伸びてるようなさ。それが名称とどんな関係があるのか分からん」

「……先ほどの頭の回転や推測する力はどこにいったんだろうね。いや少し違うかな。君はもう答えにたどり着いているようなものなんだけど」

 彼女がため息をついて、駅前の信号で立ち止まった。比較的大きな交差点で斜め横断もできる仕様だ。近隣の高校生の姿も見受けられ、同じように息を白くして青信号に変わる時を待っていた。

 そんな時、向かいに立つ親子が空を見上げた。それにつられて数人が天を仰ぐ。複数の人が同じ行動をすると、人はそれを真似るという。まさにその通りで誰も彼もが上空を振り仰ぎ、僕も倣うように頭を上げた。

 ふわふわと、舞うように降るのは白い花。ゆったりとした速度、しかし数えきれないほどに舞い降りて、その一つがいつの間に差し出していた手のひらに触れた。感触もなく数瞬に消えてしまうが、いくども手に降りる。

 彼女もマフラーにうずめていた顔を上げ、静かにそれを眺めていた。

 弱い降り出しだったが、それは徐々に勢いを増し視界を白に埋めつくしていく。まさか降り始めでここまで強くなるとは思うまい。

 色が変わった信号に従い、交差点を駆けて屋根のある駅の出入口に避難した。

「天気予報は当たったみたいだね。過去の膨大なデータによる推測はかなりの精度を誇っているわけだ。それでも外すことも多いからまだまだ改善の余地はあるのだろうけどね」

 そんなことを言って、彼女はふるふると頭を震わせる。黒い髪にうっすら積もる白が落ちていく。

「それで、どう? 実際に降る姿を見てなにか思い浮かんだかな?」

 降りしきる白と彼女のヒントが脳内を巡る。

 白い花、結晶、六つの花びら。

『君はもう答えにたどり着いているようなものなんだけど』

 そして彼女のその言葉が再生され、答えにたどり着いた。

「……六花、か」

 結晶の形に由来する名称。昔の人は綺麗な名前を考えたものだ。

 降り注ぐ真っ白な六花。世界を純白に染め上げていく。

「そう、正解。おしゃれな別名だよね」

 彼女は冷えた息をはいて、説明を加える。

「それはその名の通り結晶の形からついた名前だ。いつ頃からある称呼かは曖昧だけど綺麗な名であることは確かだね」

 昔の人が1ミリにも満たない結晶を肉眼で見て名前をつけたのだとしたら面白いけど、と彼女が一人笑う。

「それじゃあ、寒いし帰ろうか」

 と彼女はブレザーのポケットに両手を突っ込んで首をすくめた。

「とはいえ、こんなに強く降ってたら首都圏の脆弱な交通網は麻痺してしまうだろうけどね。そうそうそれで思い出したけど『白魔』なんて呼称もあるんだってね」

「それは、なんか連邦軍みたいな呼び方だな」

「私にはその発想はなかったよ」

 案の定、彼女の示唆した通り白魔により電車は遅れ、僕と彼女は凍えたプラットホームで電車が来るのを待ち続けた。

蒲公英様の『はつゆき企画』参加のために書いた小説です。

『雪』という言葉を使えないという縛りが、なかなかどうして大変でした。

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