第6話
総幕僚本部の片隅に第四課の部屋は存在した。
例え、名簿には無くとも存在する限り空間にしろ、人間にしろ実在する。
坂本隆子は神田彰と同じく第三世代として生産され、高い陸戦適性を有し、彰とともに陸戦に配属された。
作戦立案に著しい能力を見せた彼女はそのまま総幕本部に配属が変わり、陸戦部に従軍中に死亡した経歴を作り、第四課に配属された。
四という数字は今も昔も、死を連想させることから正式部隊番号には使われない。
だが、その慣習を隠れ蓑にしてしまえば書類に載らない人間と部隊ができあがる。
冷めたコーヒーに手を伸ばしながら隆子は分厚い資料に目を通す。
「……彰の言っていたとおり、か」
昼間、彰に言われた帳簿を改めて検閲してみると不整合な数字が目立った。
第四課が不穏分子の排除や情報操作、秘匿性の高い任務に従事する人間を作る目的で書類に欺瞞を重ねたということは、今、隆子の手元にある書類の欺瞞も何かの目的のもとに行われているものだという逆説も成り立つ。
「たかこー!いまかえったぞー!」
「あーもう、うるっせえな」
彰の腕にぶらさがりながらひかりが第四課の部屋に入ってきた。
ひかりは彰の腕から降りると、とてとてと走って隆子の膝の上に座った。
隆子は資料を閉じてひかりを抱き上げる。
「静かにしなさい。お母さんが仕事場に来ちゃいけないって何度言えばわかるの」
「あきらがいっしょだもん!あきらがここにきたんだよ!」
「だったら、ひかりはお家で留守番してなさい」
「やぁだぁ!」
ぐずるひかりをあやす隆子の顔は第四課に務める調整員ではなく、一人の母親のものだった。
彰はそんな隆子とひかりを見て、僅かに笑みを零す。
「しっかり母親、やってんだな?」
隆子はひかりを膝の上に抱き、抱え込み笑った。
「いいものだよ……子供は可愛い」
嫌がるひかりに頬ずりをしながら答える。
「……どうにも、俺は慣れないんだよなぁ」
「そうか?お前なら立派な父親になれると思うのだが……ひかりはお父さん、欲しくはない?」
ひかりは少しだけ考えて首を横に振るう。
幼いながら、ひかりは隆子が仕事をしているため、ひかりに寂しい思いをさせていることを敏感に察していた。
父親が居ればもう少し、寂しい思いをしなくても済むのではないか。
隆子に不満を持ってはいけない。
そう思われてしまい、隆子は寂しそうな目で笑った。
「たかこはさびしいのか?」
「ひかりが居るから寂しくはないわ。だけど、彰みたいなのがお父さんだったら良かったと思わない?」
「たかこがいるからいらない!」
言われてしまって彰は苦笑する。
「だとさ?俺はひかりのお兄さんにはなれても、親父にはなれねえよな?」
「あきらはきらいだ!」
「おう、ひでえのな」
子供特有の素直さに彰は笑う。
「これ、置いておくぜ?陸戦にあった廃棄銃器の処理業者の指定リストだ。指定者のところを見ると、少し、面白いぜ?」
彰は分厚い資料を隆子の机に積んで四課の部屋を出ようとする。
「……少しはゆっくり、していって欲しい」
「随分と弱ってるじゃねえか」
「こんな姿を見せるのは彰の前だけなんだがな?」
「おあいにく様、そんな常套句で落とせる程、俺は安っぽくねえんだ」
隆子が寂しそうな目をしているのを知りながら、彰は笑って横を向いた。
「……まだ、あかりのことを引きずっているのか?」
「まぁな……」
苦々しく彰は顔を歪める。
「今時、一本気ってのは流行らんかもしんないけど……嘘はつけないんだよな。こればっかしは」
「……本当に、好きだったんだな」
「こっ恥ずかしいが、愛してたよ。だから、裏切りたくない」
「かなわないな……」
隆子は大きな溜息をついた。
複雑な表情で彰と隆子を交互に眺めたひかりがぽつりと言った。
「たかこはあきらとちゅーしてもいい」
彰は肩をすくめると、ひかりの頭を撫でた。
「なんだか、こいつ、あかりのちっちゃい頃の写真にそっくりだよな……お行儀良く、お母さんの仕事終わるまで待ってろよ?悪さしちゃめーだからな?」
そう残して、立ち去る彰の背中を見送り、ひかりは悪態をついた。
「あきらはきらいだ!むしばになるからってじゅーすかってくれない!じぶんだけのむのに!」
誠二やのぞみはひかりに何でも買って与えてしまう。
だが、彰はそれでは我慢することを覚えないからと買って与えないのだ。
隆子は彰がそういう人間だというくらいには知っていた。
「……ひかり、彰をきらいとか絶対に言っちゃいけない」
厳しすぎる双眸にひかりは黙ってしまう。
「他の誰を嫌いになってもいい、お母さんを嫌いになってもいい。だけどね?彰だけは、嫌いになっちゃいけないよ」
「どうしてぇ?」
「……いつか、大きくなったら、教えてあげるからね」
隆子は神田彰より知りすぎているのだ。
夏の残滓は未だ残り、燦々と光を大地に注ぐ。
照りつけられたコンクリの舗装路の上、石灰で描かれたコートに彰以下野分小隊が集う。
「今年のコーンボールは三番プレートの爆炎風車が優勝するんでしょうか?」
「だが、明日の小隊別コーンボール大会で優勝するのは野分だ」
彰はそう言って、傍らに居るのぞみと誠二らを見渡した。
出撃の無い場合の軍の仕事は訓練、もしくは機材の整備点検、雑用任務のいずれかである。
几帳面にそれらを常にこなすだけでは生きていく潤いが無いのは確かで、それはワラブキで生きていく全ての人に当てはまる。
どんなに余裕が無くても人は遊ぶ。
いや、遊ぶ余裕を作ってしまう。
コーンボールとはワラブキができた頃から存在するスポーツだ。
「さ、練習するぞー!」
訓練時間を小隊長権限でもってコーンボールの練習にあてがう。
訓練メニューを順当に消化していれば、軍の上部としても文句は言わない。
彼らの仕事はあくまで『訓練』ではなく『実戦』なのだ。
その実戦が無いのであれば、一通り技術を習得していれば多少の遊びは大目に見る。
でなければ、小隊別のコーンボール大会などは実施しない。
「今日はパス練やってから、フォーメーションの確認。その後、チームを分けて紅白戦を実施する」
「了解ッ!」
遊びでも真剣にやってしまうのは軍人の性である。
いつ死ぬとも知れないから、楽しめるものは何でも楽しもうとする。
「じゃあ散れ!勝つぞぉっ!」
「ウィー!」
皆が三角コーンを抱えてグラウンドに散る。
交通規制や工事現場に使用される黄色と黒のラインの入った三角コーンにボールを手に取りおのおのがペアを組む。
――コーンボールとは、三角コーンをラケットのように扱うラクロスのようなゲームなのである。
バスケットボールと同じくらいのサイズのコートの両端に四十リットルサイズの屑籠を用意し、そこに三角コーンで運んだボールを入れればいい。
ボールに触れるときは三角コーンを使わねばならない以外には、人の体を強く押したら反則などの細かいルールをのぞけば既存のコートスポーツと大差は無い。
ただ、陸戦部隊で行っているものには多少マイナールールが適用され、三角コーンに重りが付いている。
機銃より重い三角コーンを振り回しながら走ればそれなりに体力もつくだろう、という配慮だ。
だが、それはメンツあわせに混ぜられる佐藤くみやのぞみにとっては丁度いいハンデだった。
「車椅子で片腕なのにすげえよな」
思わず漏らした彰の視線の先、誠二にフライパスを出すのぞみが居た。
女性隊員が使うコーンはプラスチック製の赤いコーンで、そのコーンをベルトで右腕に固定したのぞみは、誠二が出すアンダーパスを拾いあげるようにキャッチすると、左足で車椅子を下げて速度を殺し、そのまま腕を突き出しパスを返していた。
パスを受け取り損ねた誠二がボールを追いかけていく。
「あんた、大人しい顔してなかなかやるじゃんか……ほら!ビュン!そんなヘロ球じゃカットされるよ!手ぇ抜くな!」
だらしなく息を上げている新兵にくみの罵声が響く。
「こりゃ、今年は本当に優勝狙えるよ」
「コーンボールは……彰さんとよく遊んでましたからっ!」
元気よく答えるのぞみの額には汗が浮かんでいた。
「あんた経験者でしょ?車椅子でそんだけできるっておかしいよ!」
「わかりますか?」
憤るくみに得意げな笑顔で応えるのぞみは息を弾ませていた。
「ステップリターンってそのままやるとバランス崩すでしょ?どうやったらそんな綺麗に行くん?」
「ステップリターンは勢いを殺してワンテンポおくといいんですよ?あと……」
コーンボールのテクニックを語るのぞみは嬉々としていた。
のろのろと戻ってきた誠二は軽く息を整えている。
新兵は荒く息をあげて誠二やくみの方を見ている。
「負けてらんないぞ!ローテして、二十!」
声を荒げて、力を入れる。
後輩の前では舐められる訳にはいかないのだ。
重りをつけた三角コーンの重さは五キロにもなり、それを振り回し続けるのはかなりの体力を使う。
だが、新兵達に言うことを聞かせなければいけない三曹という立場はその甘えを許さない。
ローテーションでパス練習の相手として回ってきたくみが嫌らしい笑みを浮かべる。
「へっへっへ。誠二、しっかりしごいてやんからねー」
「短パンからみったくないの見えてるからしまえ」
フォーメーションの練習をするころには皆の息はあがっていた。
だが、彰は休ませることなく練習をさせ、紅白戦をはじめる頃には皆の体が真剣に休憩を欲していた。
疲れ切っていても、皆の顔には笑顔が浮かんでいた。
「これなら優勝いただきですね」
新兵がそう漏らすのを聞いて、誠二もつられて笑ってしまった。
その隣にちょこんと座るのぞみは誠二を見て笑った。
水を飲みに行く新兵達を見送りながら、誠二は寂しそうな目をした。
「……みんな、戦場に立つんですよね?」
のぞみがそう呟き、誠二は振り返ってしまう。
「誠二さんは優しすぎるんですよ」
のぞみはそう言って誠二の汗を拭いた。
誠二はその手を払いのけようとするが、のぞみはその手を口に咥える。
指を吸うように咥えられた手の温かさにあっけに取られ、頬を撫でられる。
放された指から糸を引いてのぞみが離れる。
「だから、笑わない」
そう笑ったのぞみに誠二は何も返せなかった。
その姿を遠くで見ていたくみは寂しそうに息を落としていた。
紅白戦で彰がフライバイシュートを決める。
コーンで転がるボールを上から抑えつけ、コーンを中心にきりもみ反転、そのままバックジャンプしながらシュートする高等テクニックだ。
チームの喝采があがり、警報がそれを打ち消した。
「……なんだ?」
ゲームを中止し、彰の元に集まる。
戦闘配備後、兵舎に集合するよう指示する。
誠二は手近な新兵に自分と彰の分の兵装を搬送するよう指示すると彰と一緒に司令部に向かおうとする。
「誠二さん!」
「神襲じゃない!」
空は曇っていない。
神が襲撃を開始する神源地が出現すると空の色が変わり、空気が変わる。
「神崎は神林局長の指示を受けろ。遠方出現の場合、出棺の必要性も出てくる。そうなれば――わかるな?」
そう告げる彰に、のぞみは顔を曇らせる。
「……生きたいと願うなら、痛みくらい受け入れろ。でなければ皆死ぬんだ。お前も、誠二もな!」
何かを求めるように誠二を振り向くが、誠二は既に走り出していた。
「野分三分隊は通常装備で指示あるまで兵舎前待機!覚悟だけは決めておけっ!」
その背中を見送りながらのぞみは唇を噛んだ。
司令部は喧噪でごった返していた。
神襲ではない事態が起こっている、彰と誠二はそう感じた。
スマートさが無い。神襲の場合、すみやかに指令が走り各員が所定の持ち場につく。
だが、指令がいつまでも発せられない現状、神襲ではないことだけが伺えた。
「……手空きの部隊を確認して、周辺警戒に当たらせろ!対自壊想定訓練はどの部隊も履修している!想定通りに指示を出せばいい!」
「象の檻の損壊状況を知らせろ!崩落したトンネルで遮断されたパイプを洗い出せ!」
飛び交う文言を耳にして彰は状況を察した。
「自壊……人間相手か」
自壊。
人間による攻撃をそう呼ぶ。
古くはテロ行為と称したそれは、今の時代にはそぐわない。
恐怖と引き替えに主義主張を通すのは平和であるからこそ成り立つ概念で、平和など無い現状、主義主張の違う人間がそれを行うのは自らが滅びることを促進する『自壊』と呼ばれる。
彰はそれだけ確認すると備え付けのフォンで野分の属する『嵐大隊』に連絡する。
「野分小隊、現状を自壊と想定し軽装で所定区域の警戒に従事したいがよろしいか」
そのまま受話器を放そうとして、向こうが遮った。
「現時点、自壊実行犯が判明した。野分にあっては重装で追撃作戦に参加せよ」
「了解」
彰は受話器を置いて誠二に告げる。
「……人間相手に殺しっこやるぞ。覚悟を決めろよ」
佐藤くみは誠二の姿を探していた。
総力迎撃からすぐにのぞみが誠二の部屋に転がり込み、ずっと、機会を失っていたのだ。
手の中には僅かにささくれた包装紙に包まれた小包が抱えられている。
ごった返る司令部の廊下を走る誠二の姿を見つけて駆け寄る。
「誠二っ!あの、これさ!」
だが、その間に彰が割り込んだ。
「後にしろ佐藤!高藤三曹、部隊員に重装指示!ビュンにバンシャ出させて兵舎前乗車待機だ!」
「了解!」
誠二はうろたえるくみの顔を見て、何か声をかけようと思ったが、すぐに走り出す。
くみの傍らを走り抜け、肩がぶつかった拍子に手に持っていた小包が落ちた。
慌てて拾い上げるくみを一瞥し、彰は怒鳴る。
「佐藤!そんなもんは後にしろ!もっと前にかだ!」
第三プレートの搬送ダクト管理棟に自壊実行犯達は立てこもっていた。
静かな睨み合いが開始されて二時間が経過していた。
今の軍の相手は物量で攻める神であり、人間を相手に戦闘することは殆ど、無い。
施設の機能を破壊せずに、占拠者だけを排除する、というデリケートな作戦を行ったことのある経験者は居ない。
指令も錯綜し、現場は混乱する。
だが、それも時間が経てば落ち着き、落ち着いた頃には相手も完全な籠城体勢を作り上げていた。
時折、窓から発射される機関銃の弾丸がバンシャ――装甲車の装甲の上で弾けた。
銃窓から機関銃を構えながら、野分小隊を含めた追撃部隊は建物を包囲する。
空調の効かない装甲車の蒸し暑さに誠二は勝手が違う戦闘に固唾を飲んだ。
初の実戦で新兵が震えているのがわかる。
「……トリガーから指を離しておけ。暴発するぞ」
ガチガチに緊張している新兵は答える余裕も無く引き金から指を離す。
彰に視線を向けると、彰はほんの僅かに視線を向けて煙草をくわえた。
誠二は頷くと自分も煙草をくわえる。
「喫煙してもいい、落ち着け。警戒だけは怠るな」
自分が新兵であったときをほんの少し、思い出しながらそう告げた。
銃から手を離し、煙草を咥え始める新兵。
「相手は人間だ。神襲だと死ねるが……ここに居る限りは死なない」
こういうとき、彰は冗談の一つでも言って場を和ませるのだが、誠二にはこれが精一杯だった。
肩につけていた無線機が鳴る。
「……現時点まで取引に応じる様子は無し。これより突入班を編制する。北側通用門から野分、屋上から竜巻、正面から疾風。繰り返す――」
彰と視線を交わす。
彰は大きく紫煙をはき出しながら告げた。
「聞いたな土嚢ども。初の実戦だ。戦って、戦って、そして、死ね」