第5話
正式に発令された第五へ号作戦の経過報告を見て山之内大幕僚長は小さく溜息をついた。
その様子を目の端で捕らえていた石岡総幕僚長は何も言わずに視線を逸らした。
「……引き続き、経過を第四課から報告させろ。運営府にはモリを打ち込んでおく」
モリとは隠語で情報工作のことを指す。
大幕僚長と総幕僚長と似た肩書きを持つ二人だが、運営府との折衝を務めるのが大幕僚長の任務で、総幕僚長は主に陸、空の軍務を執り行う。かつては海軍なるものも存在していたらしいのだが、度重なる神襲により地形が変化したため、海はワラブキから遠のき海軍を維持する必要が無くなった。
二人は肩書きこそ似ているものの任務の方向性は著しく違う。
大幕僚長の下には坂本隆子の所属する第四課と呼ばれる名簿上、存在しない調整員で構成された課が編成され、各種情報工作に当たっていた。
「神崎シリーズの幼体素体なのですが、神林技術局長から母性共振値が実用に耐用できるという報告を受けております。ただ、問題なのは……」
「生態年齢が低すぎて負荷に耐えられないというのだろう。成長促進措置を受けると肉体年齢が先に進行してしまい、母性共振値が低下する。すると、途端に運用ができなくなる」
「……はい」
「出棺可能な巫女はへ号作戦従事中の者を含めてこれで四名か」
山之内は缶コーヒーのプルタブを押し込み、感慨深げに呟いた。
「……彼女はそういえば、前の司令の孫になるのだな」
「はい」
「……近しい者を失うのは、辛いな」
石岡は黙ってしまう。
「だが、命を張って戦う前線の兵士の為に、我々は耐えねばならんよ。その痛みにも」
「はい」
石岡は短く答えた。
「皮肉なものだよな。人間らしく母体から出産した素体のみが、ことごとく巫女たる素養をもちあわせている。神はどうにも、人間が嫌いなようだ」
第五へ号作戦の全容は伏せられたままだった。
ただ、神林局長から誠二が受けた指令は神崎のぞみと寝食を共にすること。
即ち、共同生活を送れという内容だった。
何がなんだか、わからなかった。
「えー!この子と誠二が同棲!?反対っ!じゃなくてわけわかんない!」
誠二に新しくあてがわれた一室で、くみが叫んでいた。
「まあ、そういう作戦なんだ」
「神田小隊長も何納得してんですか!」
彰は少し、困ったような顔で誠二を見る。
くみもつられて誠二を見てしまい、非難の矛先を誠二へ向ける。
「ちょっと誠二!あんた、何も疑問に思わないわけ!?今のワラブキがどんな状況になっているのかわかってるでしょ?女の子とイチャイチャしている場合じゃなくて、あんたにもやるべきことがあんでしょ!」
「……通常任務は兼務ということでやらなくちゃいけないんだ。私的に使う時間を共有するという目的で……」
「どういう目的だろうと、他の人の目ってのもあるでしょ!」
くみの剣幕に困惑した誠二は黙り込む。
彰は肩をすくめた。
「人員の補充には代謝促進措置を施した第十一世代を投入している。成長学習を施してるから、短期間での実働訓練テストを行い実戦に耐えれる状態になる補助が陸戦の現在の目下のところの主要任務だ。くみが心配するのはわかるが、誠二と俺は秘匿性が高い任務にも従事している。それは残念だが伝えられないし、誠二にも伝えられていない」
「だから、それがこの子と誠二が同居するのに何の関係があるの!不謹慎よ!」
「……こんなときだからだよ。いつ死ぬかわからない。だから、やりたいことを精一杯やっておかなきゃなんないのさ」
彰はいきりたつくみの頭を優しく叩く。
「……気持ちはわかるが……理解してやれ」
そして、ため息混じりに呟いた。
「そして、本当にすまないがのぞみの引っ越し手伝えや」
「本当にすまなさすぎるよ!」
消灯時間になるころには部屋の様相もいくぶん、マシになっていた。
折りたたみ式の粗末なテーブルと簡易ガスコンロにクローゼット。
ようやく、生活している色を見せる程度には様相を整えた。
だが、しかし、それでも物が少ないことには間違い無い。
誠二は軍の支給品、のぞみは幾ばくかの身の回りの物程度しか持ち込んでいなかった。
殺風景な部屋で布団を並べる二人は何も喋ることなく布団に潜った。
誠二は居心地の悪さを覚えながら、布団の中で寝返りをうち、瞼を閉じるも一向に眠れる気配はなかった。
肩越しにのぞみの方を伺うが、のぞみも天井をじっと見つめたままだ。
「……誠二、さん?」
のぞみがおずおずと声をかけてくる。
だが、誠二は答えることなく背中を向けてしまった。
そして、余計にはっきりしてくる意識を無理矢理閉じこめ、瞳を閉じる。
のぞみが大きくため息を落とした音すら、はっきりと聞こえてしまう。
だが、誠二はかたくなに背中を丸めるとそのまま布団の中で夜が明けるのを待った。
同じ夜、彰は方々を歩き回り、ようやくくみの姿を見つける。
くみは兵舎の屋上の隅で膝を抱えて座っていた。
彰は大きなため息をつきながら歩み寄る。
「よぅ、落ち込んでるな?」
「……納得、できないです」
くみの膝の上には、多少煤けてはいるものの、綺麗に包装された小包が抱えられていた。
「納得できないのは理解できる、が、生き残るためだ」
「……これじゃあ、生きてる意味が、無いです」
小包に視線を落とし、くみは小さく呟いた。
「生きててもうまくいかないことなんざ、沢山ある」
「……フォローしに来たんじゃないんですか?」
「馬鹿野郎。三角関係なんざ、何百年も昔っからフォローのしようがねえよ。やり方あんなら教えて貰いたいくらいだってや」
彰はくみの傍らに腰掛ける。
「じゃあ、どうすればいいんですか?」
「好きにしろ。お前が誠二のこと好きになっちゃいけない理由なんざ無いし、好きなモンは好きなんだからどうしょうもねえだろ」
「でも……任務なんでしょう?」
「任務の為に生きてるんじゃねえだろがよ。俺らは。好きなんだろ?誠二のガキでもバコバコ産めばいいじゃねえか」
「神田小隊長ってデリカシーなさすぎ」
「忙しいんだよ!俺は!いちいちお前らの色恋沙汰にかまってられっか!俺がバコバコしたいわ!」
くみはそれでも小さく笑えた。
「ありがとうございます。今度、看護の子、紹介しますね」
「西三棟の堺さんクラスじゃねえと受け付けねえからな」
彰はそれだけ言うと、屋上を後にする。
兵舎の廊下で待っていたのは、以前、祭りで会った坂本隆子だった。
「……私がお前の色恋につき合ってやろうか?」
「おめぇだと立つモンも立たねーよ。帰れ」
「酷いな。面倒見のいいところを褒めてやろうとしていたのに」
「褒められた行為じゃねえよ。佐藤くみが誠二のことを好きだという気持ちを利用して、神崎との当て馬に利用するんだ。『第五へ号作戦』の一環だよ」
「なんだ、私の仕事を取られてしまったじゃないか」
「誰かさんが、昔、いいお手本を見せてくれたおかげで上手にできたよまったく」
隆子は肩をすくめる。
「佐藤くみが高藤誠二にアプローチを仕掛ければなんらかの形で神崎のぞみも動かなければならない。だが、佐藤くみが神崎のぞみを押しのける最悪のケースを想定していないな?」
「遠藤早苗を殺したお前がそれを言うか?」
「……お前は知らないが私と早苗は親友だったよ。だけど、しょうがなかった」
「しょうがなかった、か。便利すぎて反吐が出る言葉だ」
彰はそれだけ言うと隆子の傍らを通り過ぎる。
「小隊長さんは次はどちらへ?」
「寝る。消灯時間過ぎてんだよ」
本物の朝の陽光で目を覚ますことができるのは地上部に住む軍人だけに許された特権とも言える。
久しぶりに深く眠ることができた。
ヨミド標的迎撃作戦を終えてから、拘禁され、総力防衛と緊張の連続だった。
誠二はのそのそと布団から身を起こす。
兵練時の習慣で布団を畳みはじめたときに、声をかけられた。
「……おはよう、ございます」
神崎のぞみが頭を下げた。
寝ぼけていた誠二の頭の中に、ようやく現実がやってくる。
「あ、おはよう」
「朝の配給、暖め直しておきますね」
ガスコンロに火を入れ、鍋をかけるのぞみ。
車椅子に乗り、かつ片腕なので危なっかしく見える。
誠二は布団を畳みながら、自分が下着だけであることに気がつく。
「……着替え、そちらに置いておきました。余計なことでしたか?」
枕元に置かれた綺麗に畳まれた出動服。
「あ、いや、うん……ありがとう」
手早く袖を通す。
ズボンのベルトを締めると、誠二は布団の折り目をつける。
のぞみがその様子をちらちらと伺っているのがわかる。
綺麗な長方形に畳まれた布団を部屋の隅に押し込み、誠二はついに何もすることが無くなった。
のぞみもなんと声をかけたらいいのかわからず、じっと鍋の中をみつめてしまう。
くつくつと鍋の中の汁が煮立つ音だけが二人の間で響く。
「よぅ!飯喰らいに来てやったぞ!」
気まずい沈黙をけたたましく鳴るドアの音とともに破ったのは彰だった。
助かった。二人は共に胸をなで下ろす。
「お邪魔します」
むすっとした表情で佐藤くみが彰に続いた。
「……何でお前まで来るんだ?」
「来ちゃいけない?みんな来るんだけど」
「みんな?」
誠二があっけに取られる中、彰は部屋の外に向かって手招きする。
「おーい、入れ入れ」
「ざーっす」
狭い部屋にどかどかと人が入ってくる。
陸戦部隊の兵隊達だ。
――皆、一様に若い。
「台所用品、どこにおけばいいでしょうか?」
「おかず配膳しときまっす」
「ゴミ箱、どこっすか?」
あっけに取られる誠二とのぞみの横でくみがてきぱきと指示を飛ばしていた。
「ゴミ箱はまだ無いから、その段ボールで作る!義彦、配膳室行って醤油貰ってきて。そこ鍋おくからテーブル空けて!外のテーブル運んでこないとあんたがたの座る場所ないでしょ!」
さっきまで静かだった部屋がとたんにやかましくなった。
「……小隊長、どういうことッスか?」
「今度、新しく配属された十一期の連中だ。連帯感を強める一環で食事を一緒に喰う」
「ここじゃなくてもいいでしょうに」
「……のぞみは兵舎の勝手なんかわからないだろうし、同じ女同士、くみの助けになることもあるだろ?また、部隊員にも顔を覚えて貰えれば助けて貰えるだろ」
気がつけば彰は煙草に火をつけていた。
「……本来、お前が手配することだ。いつまで二等兵やってんだ。もう曹兵なんだからそのあたり、自覚しろ」
いつになく、鋭い瞳で彰は誠二を一瞥した。
「……すみません」
「謝れるうちはいい。謝りたくても俺がいなくなっているかもしれないことを覚えておけ」
状況は否応なく、変わる。
変わらなければならないのだ。
思考に沈む誠二をけたたましい声が引っ張りあげた。
「ちょっとそこ!男二人!ぼさっとしてないで席につけ!飯だ飯!」
訓練に出る誠二らを送り出して、部屋にはのぞみとくみが残った。
くみは食器を抱えるのぞみを、兵舎の水道まで案内すると一緒に洗った。
「私は、誠二が好き」
食器が重なる音と水道から水が流れる水の音が響く。
「施設の頃から一緒だった。だから、あんたに渡したくない。任務だとしても」
乱暴に食器を重ねていくくみにのぞみは何も返せない。
「あんたがついている任務がどんなのものかは知らない。知れない。知りたくない。だけど、私は諦めないからね。それだけ」
のぞみの手が止まる。
「……誠二さんが少し、羨ましいです。私、そういう人達がいなかったから……」
そう呟いたのぞみに、くみは苛立ちを覚えた。
「死ぬために産まれてきた私たちが羨ましいとか二度と言うなっ!」
「高藤三曹、後は任せる」
「了解しました」
新兵の訓練を誠二に任せて、彰は引き上げる。
立場が変われば任務も変わる。
誠二は新兵に重装備を課すと一緒に走りに行った。
走ることがいかに重要か。
それは戦場で学べばいい。だが、訓練で走れるようになっておかねばならない。
そうやって託していかねばならないのだ。
かつての自分がそうされたように、見守ってやる。
彰はそうして、一人水場で遠くを眺めているのぞみを見つけた。
「……ゆっくりと、挨拶する暇も無いな」
「そうですね」
「……どうしたい、落ち込んで。俺の知ってるのっちんはもっと元気だったぞ?」
のぞみは力なく笑みを返す。
「……少し、わからなくなっちゃいました」
彰とのぞみは一緒に歩き出す。
「俺は、神崎あかりが好きだったよ」
のぞみはうつむきながら聞いていた。
「あいつぁうざったいぐらいに明るくてな。だけど、そりゃあ強がりでな。自分が死ぬこと、誰かが死ぬことを怖がって泣いてたよ……どうにもならなくても、それでも一生懸命生きていた」
彰はふと、空を見上げる。
「あいつは死んで、俺は生きてる」
見上げた空から降り注ぐ太陽は、眩しい。
「あいつの望む生き方はしちゃあいない。俺は今でも前線で銃を撃つ。あいつ以外の沢山の人間が死んでいくのをみている。きっと死ぬんだろ。お前も、俺も」
精一杯笑い飛ばす。
「だけど、今はまだ生きてる。生きてるうちだけだぜ?欲しい物が手に入るのは」
新兵達の全員が倒れて、ようやく訓練が終わる。
「立て!自分で兵舎まで帰れ!」
誠二は新兵達の尻を蹴り上げる。生きて帰るには、自分の足で歩かなければならない。
物を言う気力すら無くした新兵達はそれでも歩きはじめる。
そんな頃だ。彰が戻ってきたのは。
「きちんと仕事してんじゃねえか」
「……はい」
「そういうキャラじゃないから、大変だな。お互い」
「でも、仕事ですから」
「……まぁ、そう言っちまえば身も蓋もねえわな」
彰は疲れた様子で、煙草をくわえる。
「いい現実逃避ができたろ?」
「はい?」
「……俺も、昔はそうやって訓練に打ち込んだモンだ」
誠二には彰が何を言っているのかわからなかった。
「俺も昔は奥手でな?どうすりゃいいのかわかんなかった」
彰は面倒臭そうに煙を噴かし、荒れた地面の上に腰を下ろす。
「……正直、好きかどうか聞かれてもわかんねえよな。ましてや、選べと言われてもどちらも選べる訳がねえ。どっちが好きかと聞かれる方が酷だっつーのな」
それが、のぞみとくみのことであることを察してしまう。
「人を好きになるってのにゃあ、なんでか時間がかかるモンだ。ピンとくりゃあ理屈は要らないんだが、そのピンと来るタイミングってのはいつだっていつの間にかだ」
「……焦らなくてもいいってことですか?」
「まぁな。お前が妙に背負いこんでるなら、じっくり時間をかけてやりゃいい。その間にくたばっちまえばそれまでだろうさ。そんなことだってよくよくあることだ」
「……でも」
「『第五へ号作戦』の一環だ。が、しかし、俺たちはその前に人間だろうに」
彰はそう言って笑った。
「死ぬときゃころっと死ぬんだ。後悔しない生き方をしろ。なんてのは格好いいが、生きてりゃ未練はたくさん残る。残すだけ残して、今の俺だよ」
彰は新しい煙草に火をつけた。
「……厄介なことによ、生きてても未練は残る。ガキぃつくっとけば良かったとか、もうちょっと一緒に居てやれればよかったとか」
「神田小隊長?」
「……未練なんざ、だばだば残してるくらいが丁度いい」
吐き出した紫煙が苦い色を醸した。
「俺はよ?ちっとした縁でのぞみを知ってるんだが、あいつ、結構どんくさいんだ。そのくせ負けん気が強くてな?」
彰が唐突に話を変えた。
「大人しそうに見えるだろ?だけど、あいつもやかましいぜ?あかりと一緒に居たときは……」
空は曇りそうにない。
燦々と照りつける太陽は遠く、兵舎を熱気で揺らす。
誠二はふと空を見上げて、憎らしいまでに照らす太陽を睨みつける。
「……小隊長、辛くなかったですか?」
「……辛かったよ」
彰はまた、新しい煙草に火をつけようとする。
だが、もう、残っていない。
「後悔するのが嫌だった。だけど、後悔しか残らなかった。欲張りなんだろうな、やっぱり」
誠二はポケットから煙草を出すと、火をつける。
「……そうすか」
吐き出した紫煙がくゆる。
彰は小さく笑みをつくる。
「誠二」
「はい」
「煙草くれ」
誠二とのぞみが共同生活をはじめて幾分の時が流れた。
「お前の任務は神崎のぞみの精神状況を健全な状態に保つことだ。なに、難しいことじゃあない。普通にしていればいい」
彰はへ号作戦について誠二にそう教示したが、誠二は解けることの無い疑惑を感じていた。
だが、結局、その疑惑をのぞみや彰に打ち明けることはしなかった。
打ち明けることで知ってしまった者の責任が産まれるからだ。
「……言い逃れだよ。誠二はそうやって何でも曖昧にするんだから」
そう、誠二に言ったのはくみだった。
「昔から、あんた、人づきあい下手だもんね。だから、距離を取ろうとする。それは悪い事じゃあないけど……寂しいよ?」
新しく配属された第十一期の補充兵の訓練を終了し、食堂で一人で飯を食べているところをくみに捕まったのだ。
「……あの子も、ほったらかしにしてるんでしょう?」
毎週金曜日――今の時代においても一週間という概念は生き残っている――はカレーの日。楽しみにしているカレーすら、今日はなんだか味気なく誠二には感じられた。
「そんなんじゃあ、ない」
「……あんた、前に比べて暗くなったね」
「この間、また小隊長に怒られた。曹兵なんだからいつまでも下っ端やってるんじゃねえって」
「神田小隊長かぁ。あの人って分隊長が似合う兄貴分みたいな感じな人だけど、しっかり小隊長やってるよね」
「……面倒見がいいのは変わらないよ」
神田は訓練終了後の軽い打ち合わせの後、早々に本部に引き上げた。
へ号作戦の現場監督者として、野分小隊の小隊長としての業務を過不足なくやってのける。
立場が変わり、おおらかな物言いも少なくはなったが面倒見がいい本性は変わらず厳しくも温かみのある小隊長として慕われていた。
「あんたも、ちょっと前までの神田分隊長のポジションに居るんだから部下のことしっかり見てやんなさいよ?」
「なんで、階級が下のお前にそんなこと言われなきゃなんないんだよ」
「面倒見悪いって評判なの。あんたのあだ名、知ってる?鬼曹って言われてるよ?」
実際に立場が変わって当惑していたのは誠二だった。
曹兵となり分隊を任され、人を使う立場になり、どう部下に接していけばいいのかわからなく、彰に何度もどやされた。
後輩というものが存在してもすぐに消費されていく軍事情が誠二をいつまでも末端兵士をやらせていた事情もあったのだが、誠二自身も彰の手法を真似たり、それなりに曹兵としての責務を徐々に果たせるようにはなってきている自覚はある。
だが、新兵にとってはそのような事情は関係ないのだろう。
そのことを知らずにくみに一方的にまくしたてられ誠二は、何かを言おうと口を開け、そして、閉じる。
そして、少し考えたあとに礼を述べた。
「……ありがとう。心配かけてんだな。俺」
「それがあんたの悪いところ。人の気持ちをきちんと理解するくせに、頼ろうとしない。逆に頼らせもしない。いつぞやの返事、私、まだ聞いてない」
「そりゃあ、俺、今はへ号作戦に……」
「はいはい。わかってますよ。私みたいなこまっしゃくれた奴じゃなくて、素直で大人しい子が部屋に来たんだもんねぇ……私、そういう言い訳、聞きたくない」
「いやに絡むな」
くみはふと寂しそうな瞳を向ける。
「……神田小隊長と違うのは冗談でごまかせないところくらいだね。その不器用なとこ、好きなんだけどさ?」
「俺ほど器用な奴も居ないと思うんだが」
誠二は冗談を無理矢理つないで見せたが、自分でも面白く無いと思う。
くみは大きなため息をつくと、笑みを作って席を立った。
「あんたは死ね」
午前、午後のいずれかは自分の新兵を他の分隊に預け訓練課程を消化させるのが日課になっていた。
その間、誠二はへ号作戦の一環として技術廠にのぞみと赴いた。
医療施設でのぞみの損壊箇所の状態を確認し、生体記録を取る。
「慣れない生活で緊張しているが精神状況は通常レベルだ。このまま、現状を続けてくれ」
神林技術局長がいつもと同じように素っ気なく言った。
神林とのぞみはそれから世間話に興じ、施設に居る巫女候補の近況について話し込む。
これくらいならば誠二が付き合うこともないのだが、へ号作戦従事中は同伴するようにきつく指示を受けていた。
生体確認が終われば、基本は自由だった。
誠二としては軍務に戻り、少しでも新兵の練度を上げておきたいところだったがへ号作戦の一環としてのぞみと時間を共にすることを命令されていた。
「……私たち神崎は俗称で巫女、とも呼ばれるんですよ。ワラブキができる前の初代の神崎ことりが神職で、棺桶に乗る前に禊をしていたり、封神――あ、神源地を体に転移させることです。そのときに祝詞を唱えていたことから、今でも封神前の精神状態を作るために行っているんです」
「そうなんだ」
のぞみは見かけによらず、よく喋るということをここ数日で誠二は学んだ。
「……封神するときって、必ず神源地を肉眼で視認していないとできないんですよ。だから、棺桶には外が見れるように採光窓がいくつかついてるんです」
「へぇ」
適当に相づちを返しながら、誠二は全く別のことを考えていた。
「……あの、面白くないですか?」
「いや、ごめん、そんなんじゃないんだ」
上昇していくエレベーターの中でのぞみが誠二の顔を覗き込んだ。
誠二は顔を逸らして苦笑してみせる。
エレベーターからは建設中のハイヴバンカー――掘削杭が見えた。
完成したハイヴバンカーは打ち出され、地表のどこかに突き刺さる。そして、自動で掘削を開始し、ハイヴの原型を作る。
神に敗北した人間が再起を図る巣の予備を作るためだ。
――神襲に耐えられなくなった場合、生き残った人間はそこに希望を繋がなければならない。
「くみさん、いい人ですよね」
「うるさくなければ、もっといいんだけど」
誠二は返答を濁した。
「くみさん、誠二さんのこと、好きだって言ってました」
「そっか」
「……何も言わないんですね」
「辛くなるだろ、そういうの」
誠二はそれだけ言うと後は黙った。
ところどころ痛んでいるエレベーターがギスギスと音を立てる。
ほどなく、地上に出ると二人を出迎えたのは小さな少女だった。
「のぞみ!おそい!せいじもおそい!ぶーらぶらぶーしてたか!」
「ひかり、なんでここに居るの?」
「たかこときた」
誠二はここ数日の間で、何度かこの少女と会っていた。
神崎ひかり。
のぞみの妹で第十期から選出された巫女。
坂本隆子の養女だが、神崎として教育を受ける際にみな兄弟姉妹として生活する。
「隆子さんと?隆子さんは彰さんと居るの?」
「いらないっ!」
「いらないじゃなくて、一緒に来たんでしょうに」
生体年齢で言えば五歳くらいだろう。本来なら培養槽で代謝促進を受け、技術学習を受ける行程の幼体――子供という表現は本義が神に供する者という意であったことから、今は使われていない――が、培養槽から出るには相応の事情が必要だ。
高い感応性から生体レーダーの素材となるか、倫理に外れた欲求を満たすための道具となるか。
純粋に妊娠出産した幼体には生態年齢十五歳になるまでタグがつけられ、成長過程で適性を判断されやがて親の監督下から離脱する。
どちらにしろ、滅多に外で見ることの無いのが幼体だ。
のぞみは片腕でひかりを撫でると車椅子を進める。
「ひかりは元気だなぁ」
「せいじはひかりのよめ!ちゅーしろちゅー!」
二人は兵舎の自室まで連れて行く。
誠二はのぞみに彰に今後の指揮伺いをしに行く旨を告げて司令部へ向かう。
司令部では不機嫌そうに端末で書類を作成している彰の横に坂本隆子が居た。
「小隊長、本日の生体記録、終了しました」
「了解、日報提出したら後は適当にバンバンしてくれ。野分第一分隊は二分と神性標的の分類学の座学中だ。負傷者はいない」
隆子にとっては彰が小隊長として十分すぎる程働いているのが面白く、思わず笑みが零れてしまう。
誠二としてはその真意がわからず当惑する。
すごすごと帰る誠二を見て隆子が呟く。
「巫女と同調者の関係は現状維持のようだな?」
「人の気持ちは水モノってね。俺とあかりのときはウマがあったけど、誠二と俺は違う。あいつは人を近づけない。兵隊長くやってるとああなるのは仕方が無い」
「だが、いつまでもそれでいいというものでは無いだろう?」
「それで神崎ひかりを引っ張りだしたのか」
「思い出すか?」
「……そういや、ゆかりはどうしてるんだ?」
隆子は黙ってしまう。
彰にはそれだけで、ある程度、察しはついた。
「四号は縁起が悪いから飛ばしたとはいえ、二号と五号の間にゃ三号があるんだもんな」
「三号は失敗に終わったよ。最後の最後で番狂わせが生じた」
「へぇ」
曖昧に返し、具体的な事実を語らないときの隆子は何も語らない。
調整員――古くは諜報員と同じものだが、ワラブキ内の事態を調整するために用いることから今はこの呼び名が俗称となっている――として、それでも三号の存在を明らかにしたのはそこに幾ばくかなりの感情があってのことだ。
「……抱えてるヤマ、辛ぇのか?」
「そうだな。敵が神だけだと、楽なのだがな」
「小隊長になってわかったことなんだが再生体に回された素体や、廃棄物資がここ三年にわたって処分先不明分が多いのな?」
「腐敗はいつの時代にもあるのだろう?横流しをしてるんだろうさ」
「……金銭を得たとしても、使う機会がなければ意味がないだろうに」
「金銭自体に価値観を置く生き方もあるのだよ。金は価値だ。それを保有すればそれが即ちその人間の価値、という見方もある。そして、価値はそのまま力にもなるのさ」
隆子はそれ以上語ることなく、側を離れた。
彰はそんな隆子の背中に投げかける。
「隆子」
「ん?」
「煙草、買ってきてくれ」
のぞみは一人で居るときは割と兵舎の屋上に居た。
洗濯物を干し終えて、貯水タンクの上に登ると遠くまで広がる景色を眺める。
車椅子で昇れるスロープがあるのは、負傷した兵隊がそういう雑事を行うことが多いからなのだろう。
ワラブキの周囲は激しい戦闘の傷跡が癒えぬまま、地面がめくれ上がっている。
だが、その遠く山々の稜線には緑が茂り鮮やかな空の青が彩る。
昔、神崎あかりが神田彰と何があってどう思って空を見たのかが知りたくて空を見る。
だけど、空は何も答えてくれはしない。
「のぞみはせいじのことがすきか?」
膝の上で身を捩るひかりが聞いた。
「うん」
小さく答えた。
「ひかりもせいじがすきだぞ!せいじはひかりのよめ!のぞみはせいじのよめ!みんなひかりのよめだ!だいじょうぶ!おれについてこい!しあわせにしてやる!」
「……どこでそんな言葉知ったの」
「ひるどら!」
屈託なく笑うひかりもいずれは悩むようになるのだろうか。
柔らかな頬をぐにぐにとつまみ、のぞみはため息をついた。
「せいじはのぞみのこと、すきなのか?」
なんの前触れもなくひかりが尋ね、のぞみは言葉を失ってしまった。
「……わかんないなぁ」
大きくため息をついて、ごまかしてしまった。
本音を問いただせば、きっと、今の関係は崩れてしまう。
任務という繋がりだけで一緒に居るが、高藤誠二という人間は孤独なのだ。
近しい人の死を何度も目の当たりにし、それを真摯に受け止めるには生きた年月は短く、神田彰のようには振る舞えない。
傷つかないように自分を守る術として誠二は決して人を近づけない。
これ以上、踏み込めば、誠二は距離を取る。
「だめだな。のぞみは。ちゅーしろちゅー、しらゆきひめもちゅーしたらおうじさまとめでたしめでたしだったぞ!」
誠二は、屋上で一本だけ煙草を吸うとそのまま引き返した。
これが、夢なんだとわかる。
体の奥底から眩しい光が見えるのだ。
拡散した光は収束し、滲む。
滲んだ光が広がり、ぐにゃりと曲がる。
曲がった光が赤、青、緑と色を変え、ちろちろと炎のように燃える。
光の中からじわじわと滲み出るように零れた黒い膿が痛い。
黒い膿がのろのろとたれ落ち、人の顔を作る。腕を作る。歯を作る。
顔が歪んで、腕が歪んで、歯が歪んで、どんどんと気持ち悪くなる。
腕だけが太くなって爪が伸びて赤黒い網のような血管が脈打つ。
子宮の奥で響く振動がぞわぞわと這い上がり、体の中に穴を空けていく。
芋虫が体を食べていた。
芋虫は一心不乱に腹の中を食い荒らす。
胃の壁が破れてじゅっと肉を焦がす。鋭い痛みが駆け上がるが芋虫は腹の中を食べ続ける。
ぞわぞわと百足が体をはいつくばる。
芋虫たちが食い荒らした腹の穴を破って腕が暴れる。
喉の奥を押し広げ、肘が肺を押しつぶし、その景色を眺める瞳に爪が届く。
瞳を押しのけ、ずるりずるりと腕が外に這い出る。
肘が眼孔を押し広げ、暴れ回る。
おっぴろげられた瞼が引きちぎられて痛い。
泣こうとしても、声がでなくて。
眼孔に突き立てられた銀色の光を覚えて、そこに立っていた人の顔を――
つんざくような悲鳴を聞いた。
「――大丈夫か?」
のぞみは心配そうに自分の顔をのぞきこんでいる誠二の姿を見て、硝煙の臭いをかいだ気がした。
急に怖くなり、崩れるように誠二の胸に飛び込む。
ひどく熱かった。
いや、自分の体が冷たすぎるのだ。
喰い広げられた空っぽの体に重みが戻る感覚がたまらなく気色悪かった。
ひくつく喉がねばりつき、嗚咽が絡まる。
吐き出された空気の固まりがぼとりと落ちる嫌な幻覚を見た。
熱かった誠二の体はやがて、暖かくなる。
昼の暑さの残滓が残る夜は、二人の胸に汗を浮かべていた。
生々しい臭いを覚えて、ようやく、悪い夢から覚めた気がした。
「……ありがとう、ございます」
小さく答えて離れようとしたが、腕が動かなかった。
逆に、誠二を抱き寄せてしまう。
硬く、それでも確かな暖かみをもつ誠二を放してしまったらまた夢を見てしまいそうだった。
腕の中に抱かれ、こんなにも心地良いと思ってしまう。
「……困ったな」
誠二が小さく呟いた。
誠二の腕が力を無くし、ふと、のぞみの頭の上に置かれた。
かっと胸が熱くなる。
子供のように頭を撫でられるのにこの上もない心地よさを感じてしまう。
鼻の頭を誠二の胸にこすりつけ、深くうずもれる。
困っているのがわかる。だけど、どうしようもなく――
遠い、遠い昔のことを思い出していた。
寂しげに笑う母が涙を流しながら頬を寄せていた。
物心つく頃には施設の天井の蛍光灯を眺めていた。
鉄の臭いを覚える頃に、のぞみは彼女達と出会う。
神を裂くものとして、身を削ぐために生まれた少女たち。
「……名前、なんていうの?」
神崎あかりは柔らかい手を差し伸べたのだ。
あかりの積み上げたつみきを崩し、積み上げては崩す遊びをした。
あかりは困ったような、それでも楽しそうな笑みを浮かべていた。
言葉を覚えるようになってから、たくさんの本を読んだ。
本の中、神様はとてもやさしくて、困った人を最後には必ず助けてくれた。
天国というのはどういうところかと尋ねたら、母がいるところだと教えてくれた。
夜の帳が空けるのはいつなのだろうか。
のぞみと二人、身を寄せ合う誠二は空虚な体に浮いては消える熱の感触を探していた。
「……人のために死ねるなら。そう、教わってきました」
のぞみは誠二の胸の中でとつとつと話していた。
「姉が居て、姉は……死にました」
吐き出した吐息の熱さが胸を叩く。
「……最後は笑っていました。だけど私はですね……」
わからない、のだろう。
「私は……死ぬのが怖くなりました」
誠二の胸の中で震える少女が零す。
「痛いんです。でも、彰さんや誠二さんも痛くて……それでも怖くて」
抱きしめるか細い体の肩から垂れ下がる袖が揺れた気がした。
胸の中にわだかまる冷たさがふらりと揺れた。
「……いつかは死ぬ」
誠二はなぜだか、そう呟いてしまった。
――それはいつぞや語った言葉とは真逆の言葉。
のぞみが誠二の瞳を覗き込む。
「慣れた」
そう呟いて、僅かに目を逸らした。
のぞみが胸に顔を埋め、掠れるような声で言った。
「……それでも、好きになっていいですか?」
ついばむように胸に重ねられた唇が焼けるように熱かった。