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鉄棺の少女  作者: 井口亮
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第3話

 地上の空は既に深夜の闇を広げ、星を散りばめていた。

 祭りの熱気をひきずる誠二には夜の冷たい風が心地よく感じられた。

 基地のゲートで佐藤くみ二等兵に止められ、身分証を見せる。

 「午前様ですかー。とうに帰投時間は終了してるんだけど?」

 「でも、賄賂を渡せば通してくれるんだろ?」

 誠二はくみに綿菓子の袋を放る。

 軍規とは軍人を罰する為にあるのではない、軍の目的を達するためにある。

 それをはき違えている余裕はどこにもないから、寛容になるべきところでは寛容にならなければならない。

 誰もがそれを理解していた。

 誠二はゲートの壁に背中をあずけるとくみが袋を破る音を聞いた。

 「誠二、また出世したんだって?」

 「……繰り上がりだよ。ベスケもダイセイも死んだ」

 「……そっか。でも、私はあんたが生きててよかったよ。あんたが一番あぶなっかしいからさ?」

 「でもまあ、なんだかんだで生きてるよ」

 「……うちの施設での同期、これであたしとあんたの二人っきりだね」

 そう呟いたくみの声は沈んでいた。

 第六期世代の損耗率は軍でも甚大なものだった。

 十分な訓練も受けられぬまま前線へ駆り出され、そして、そのまま死んでゆく。

 「慣れたとはいえ、少しきちーね」

 「しょうがねえだろ」

 くみは綿菓子をちぎって、誠二に手渡す。

 「……ねえ、誠二」

 「ん?」

 「私ってさ、少し寂しがり屋なの、知ってた?」

 くみが守衛室の窓から身を乗り出してくる。

 「……付き合ってあげるからさ、死なないでね?」

 「何だよ、それ」

 「あんたってさ!生きてくのに目的とかそういうのなさそうじゃん。だから、その目的にあたしがなってあげるっつってんの!」

 唐突すぎる申し出だが、誠二には痛くその気持ちが理解できた。

 親しい人を失うのは辛いことなのだ。

 「……どう?私じゃいや?」

 理解できることと、納得することは別なのだ。

 あっけらかんとしたくみに誠二がどう答えようか迷っていたときだ。

 ――サイレンが鳴り響いた。

 基地中の明かりが灯りはじめ、ただならぬ雰囲気を感じる。

 「え?なに……」

 「神襲だ」

 誠二は守衛室の窓から飛び込み、スピーカーの音量つまみを弄る。

 守衛勤務は夜になるとラジオを聞く為に基地放送の音量を下げるのが慣例だからだ。

 「……緊急警報発令、各陸戦部隊は直ちに出撃し第一次総力防衛につけ」

 「総力防衛?」

 総力防衛とは全軍でもって敵勢力と対峙することを指す。

 即ち、圧倒的な敵の大軍が攻めてきたことを示唆する。

 誠二は守衛室を飛び出ると自分の隊舎へと走る。

 「誠二っ!」

 「返事は帰ってからするっ!」

 そうじゃない、と叫ぶ声はサイレンにかき消される。

 誠二の姿はすぐに発進しだした戦闘車両の影に消えてゆく。

 くみは結局、机の中にしまっていた小包を誠二に手渡すことができなかった。


 エンジン音とタイヤが地面を蹴りつける音がうるさい。

 輸送車に乗り合わせた部隊員は別の部隊の残存兵の寄せ集めだった。

 中には負傷したままの人間も居る。

 悪路を走り激しく揺れる輸送車の中で皆が戦闘装備に身を包む。

 突撃銃と手榴弾。

 そして自決用の短刀を腰に下げ、携行用炸裂誘導弾を背中に背負う。

 歩兵装備は旧来の対人装備から比べると格段に銃口が広がっていた。

 ――人を殺す為の銃器は時の流れと共に神を殺す兵器へと進化したのだ。

 「よぅ!誠二。佐藤と何話してたんだよ!」

 弾倉に弾丸を込めながら彰がニヤニヤする。

 同じように弾を込めていた誠二は思わず弾丸を落としてしまう。

 「……聞いてたんスか」

 「足と耳、早いからな俺は。つきあっちまえよ」

 「今は……そんなこと考えてる場合じゃねえっすよ」

 「だな。だが、次なんてあるかどうかわかんねえぞ」

 彰は弾倉を銃に込めると無線機を腰の帯皮に吊す。

 「これより本部隊の呼称は野分分隊とする。佐々木弘樹三曹を伝令とする。無線呼称は俺――神田彰から順に野分一、二、三だ。佐々木と小野寺、俺と高藤、花崎と山内で対だ。第一次防衛線う―六地点に本隊は展開し付近の部隊と前線を作る。いいな!」

 「「了解!」」

 皆がせわしなく装備を担ぎながら声を張り上げる。

 軍隊ではまず声をあげることを第一に教える。声をあげねば銃声で隣にいる仲間に危険すら知らせられないからだ。

 運転席から怒号が響く。

 「間もなく到着だ肉壁どもっ!出る準備しろやっ!」

 後部の部隊員がタラップを降ろす。

 地面を削りタラップが火花を散らすが輸送車は構わず後輪を滑らせ逆を向く。

 それと同時だった。

 「オラオラオラオラ!」

 彰が皆の尻を蹴飛ばした。


 ――竜巻が空から降りていた。

 照明弾が打ち上げられ、煌々と照らしあげられた積乱雲の中心に穴が開いていた。

 そこからぐるぐると螺旋を描き風が地面に降りていた。

 その全てが、神だ。

 空を見上げ、誠二は腹の底から震えているのがわかった。

 「……何度見ても気持ちのいいモンじゃねえよな」

 彰が隣で銃を構えながら、唾を飲み込む。

 あれだけの大群を相手に人の身長程の塹壕がどれだけ役に立つのだろうか。

 誠二たちの頭上を長距離噴射弾が飛翔してゆく。

 弾頭にロケットをつけただけのものだが、目標がこれだけ大きいと狙う必要すらない。

 遠く、上空で核の炎が上がる。

 閃光が視界を焼く。

 空中で爆発した核の炎は空気入れで風邪を送り込まれた風船のように膨らんでゆく。

 熱量と衝撃が景色を歪め、歪みに巻き込まれた標的がちろちろと燃えて地面に落ちてゆく。

 一拍遅れて轟音が質量となって叩きつけられ、塹壕の中に潜る。

 対爆シートを被り、放射性物質の拡散を待つ。

 爆風がすぎさった後にシートを剥がし、空を見上げると黒煙の中、まだ竜巻は存在していた。

 雲が散り、空をおおいつくさんばかりの数の神が現れていた。

 「……対面制圧射撃のあと、歩兵戦だ。退路なんざすぐに無くなる。戦って戦って、それから死ね!」


 百発の弾丸を持つ敵を倒すにはどうしたら良いか。

 百人より多い人数で挑めばいい。

 どんなに高火力な兵器であろうと、どんな優れた戦術だろうと圧倒的な物量の前では無力に等しい 。

 物量に任せて連なり、立ち上った神に喰われて爆散するヘリを見ながら誠二は後退する。

 「産屋の発射準備が整うまでだ。生き延びろやっ!」

 潰された戦車を盾に狼型目標に銃弾を撃ち込みながら彰が吠える。

 手早く替わりの弾倉を渡し、誠二は携行型無反動砲を構える。

 ――戦死した同僚からひっぺがしてきた物だ。

 「……もうちょっと引きつけてからだっ!五、四、三……ってぇ!」

 突撃銃の弾丸を避けながら迫る狼型目標の頭から尻までを貫く砲火が耳をつんざく轟音を立てた。

 腹の底に響く轟音に膝を抜かれそうになるが、地面を転がりながら砲身を捨てると手榴弾に手を伸ばす。

 「足がっ……足がぁっ!」

 十メートルも離れていない場所では先ほどまで輸送車に乗り合わせていた同僚が狼型標的に下半身を食いちぎられている。

 足を六本持つ狼型標的は前の四本で胴体をしっかりと押さえつけると腰元に牙を突き立てていた。

 うなり声の間にごきりごきりと骨の砕ける無惨な音が響く。

 「自決しろっ!」

 「助けっ!おがぁっ!」

 半狂乱となる同僚に向けて彰が手榴弾を放る。

 地面が一度揺れて、黒煙が上るとちぎれた腕が足下に転がった。

 倒した狼型標的の死体が地面に横たわり、先ほどまで人間だった肉塊を飲み込む。

 ぼこりと膨れあがると潰れた人間の顔に足が生えた。

 躊躇なく突撃銃の弾丸を浴びせかけ、次々に現れる顔面型標的を駆逐する。

 「ひぃあっ!ああああっ!」

 また、一人、仲間が足下から生えてきた蛇型標的に喰われる。

 体中の穴という穴から噴出する血液を追って、口から黄色い粉を吹き、ごろりと乾いた目玉が地面に落ちた。

 拳銃で蛇型標的を駆逐すると彰はたった今死んだ仲間から突撃銃を奪い振り向かずに銃口を背後に向けて斉射した。

 背後には三つの頭を持つ小型の蛇型標的がすぐ迫っていた。

 地面に黒い染みを残して消えていく神の残骸を見ることもなく誠二は弾倉を換える。

 「がああっ!ああっ!あああっ!」

 蛾の羽の生えた蛸に頭を囓られた人間が悲鳴を上げながら突撃銃を振り回していた。

 「殺してくれぇ!殺して……ああっ!ああっ!がぁふっ!」

 誠二は躊躇することなく突撃銃を向ける。

 吐き出された銃弾が膝を砕き、腹を穿ち、頭部を吹き飛ばす。

 直前で人の顔を離した蛸型標的は誠二へ向かい飛来し腕に喰らいつく。

 牙が深々と腕に突き刺さり、弾ける痛みが意識を焼いた。

 「があぁっ!」

 突撃銃を手放し、拳銃で自分の肩口を撃ち抜く。

 何発も何発も蛸型標的の頭部に打ち込む。

 緑色の汚汁がはじけ飛び、肉片を散らす。

 鱗粉を吸わないように顔を逸らし、残った牙を腕から引き抜くとみちみちと音がした。

 鱗粉を僅かにも吸い込んだ影響か意識が眩んでいた。

 激痛がかろうじて正気をつなぎ合わせてくれていたものの、誠二は今度こそ、死を覚悟した。

 無線機がざりざりと音を立てている。

 「……間もなく棺桶を射出する。辻風三、四、五はけ-六地点に棺道を確保せよ」

 頭上を三機のヘリが通過する。

 機体下部には禍々しく突き出た核弾頭がワイヤーでくくりつけられていた。

周囲の神達が一斉に引き、お互いの体に噛みつき梯子をつくる。

 駆け上がった百足型標的が跳躍し、ローターをへし折る。

 それでもヘリは前へ前へときりもみしながら進み地面に突き刺さった。

 「伏せろぉっ!」

 激しい、衝撃と突風。

 二度、三度と目も眩むような閃光が響き渡り、誠二は一瞬、自分が死んだものと錯覚した。

 背中に感じる誰かもわからない頭の破片が突き刺さる痛さに立ち上がり、とにもかくにも走り出した。

 「神田分隊長ぉ……」

 返事が無い、死んだのだろうか。

 くすぶる黒煙の中、硝煙の匂いのする戦場をどこもわからずひたすら走る。

 「……の……着棺………が………す」

 ノイズ混じりの無線機の中、ようやく着棺との報告が聞こえた。

 ――間もなく、戦闘は終わる。


 それからどれくらいの時間が経過しただろう。

 折れた腕の痛みがちりちりと神経を苛む。

 だが、銃を撃つことを止めればその場で神に食い散らかされる。

 蜘蛛型標的に組み伏せられ、腹に牙を突き立てられる。

 狂気が通り過ぎると、まるで、映画のワンシーンのように自分の腹に突き立つ牙を眺めることができた。

 激痛もどこか別のことと思える。

 叫ぶ悲鳴に滑稽ささえ感じていた。

 ただ、それでも体は銃を放さず、引き金を引き絞り蜘蛛型標的を蜂の巣にする。

 ずっしりと重い蜘蛛型標的の死体の下から這いずり出る。

 顔にのしかかる大きな毛虫のような神を手でひっぺがし、一緒に食いちぎられた頬の肉と一緒に放る。

 痛む体を引きずりながら、走るだけ走った。

 引き裂かれた腹からぼたぼたと血が流れる。

 鎮痛剤を刺すのはこれで何度目だろうか。

 多量の服用は意識障害を引き起こすので危険なのだが、もはやその程度の危険など、この戦場では些細なことだと誠二はぼんやりとした意識で考える。

 着棺してからどれだけの時間が流れたのだろうか。

 「……防衛ラ……まで、……が……」

 無線機がざりざりとうるさく、重い。

 誠二はもういいだろうと、銃を降ろし、背中を壁に預けた。

 まわりがどこかすらもう理解できていなかった。

 神経毒と注入された鎮痛剤や向精神剤で、自分が正常な理性すら保てていないのを理解していた。

 これでは危ないと思う傍ら、もう、全てが面倒になってもきていた。

 工場で産まれ、幾ばくかの時を過ごし、兵練を受け、そして戦場で死ぬ。

 そういった人間が多く、この時代には存在する。

 その一人となって死ぬことに何ら不自然さは無いのだ。

 だが、誠二にはどうにもそれが虚しく覚えたのだ。

 ――それすらも、どうでもいい。

 そう思ったのだ。

 「……誠二、さん?」

 泣きはらした顔で、戦場に這うのぞみを見つけるまでは。

 幻覚だと思った。

 だが、誠二に触れるその少女は間違えることなく祭りの夜に出会った少女だった。

 「……誠二さん!誠二さん!ああっ!ああぁっ!」

 のぞみは誠二の姿を見るや声を上げて泣き出した。

 「私……怖くて……ごめんなさい!本当に、ごめんなさいぃぃ」

 のぞみが何故謝るのか理解できなかった。

 巫女装束と言うのだろうか。

 凄惨な戦場の中で、赤と白の着物が幻想的であることに誠二は殺意を覚えた。

 幻覚であれば気兼ねなく銃を引けるが、僅かに残った理性がその可能性を否定していた。

 「……ごめんなさい……本当に、ごめんなさい……」


 死ぬことがわかっている未来に希望を持てるだろうか。

 工場で無為に生産され戦場でランダムに選ばれ皆が死んでゆく。

 生き残り、自分の番では無かったと胸をなで下ろし、そして、次は自分の番だと諦める。

 追悼式で出棺される空の棺には空虚な勲章を詰め込み、死を称えるが、それも次の戦場が始まれば皆が忘れ去り、そして、また、同じことを繰り返す。

 訓練で気を失った自分を担いだ同僚は初めての戦場で、施設で一番仲の良かった親友は三回目の戦場で、優しくも厳しく鞭打った教官はその次の戦場で勲章だけを残した。

 あの空虚な勲章になるのは一年後か、三年後か、あるいは明日か。

 悲しくなることに疲れ、悲しまないように皆と距離を置くようになり、少しだけ楽になった。

 そして、自分の番がようやく回ってきたと思った。

 「高天原に神留まり坐す八百万神等を人業に集へ給いと申す……」

 遠くで響く銃声と咆哮の中で、少女の声が祝詞を紡ぐ。

 「過ち犯しけむ種種罪事は天津罪、国津罪、許許太久の罪出り八重雲を千別に吹き掃ふ如く、焼鎌の利鎌を以て打ち掃ふ事如く」

 黒煙の中、少女が黒く染まる空にその小さな体を折る。

 「本打ち切り末打ち断ち坐されと申す。罪といふ罪問いふ。罪という罪は在らじと申す」

乾いた拍子が飛翔したミサイルの音に掻き消される。

 「加加呑みて息吹放ちてば神等共に聞食せと申す」

――真っ赤な鮮血が空に噴き上がり、その中にたおやかな指を伸ばし腕が踊る。

 ――そして、空が弾けた。

 

 見上げた空の青さが眩しかった。

 吹く風が優しく頬を撫ぜていく。

 体を駆け回る痛みがこれでもかと生きている実感をもたらしてくれる。

 黒煙が青い空の下で揺れていた。

 煤けた鉄板が地面に突き立てられ、穿たれた地面で風が回る。

 やんわりと降り注ぐ陽光に目を細め、僅かに吐息を吐き出す。

 ――生き延びた。

 喜びと、後悔とが混じり合いまなじりからこぼれ落ちる。


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