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鉄棺の少女  作者: 井口亮
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第10話

 抉られた脇腹を押さえ、彰は煙草を吸っていた。

 破壊された装甲車に預けていた背中を引きはがし立ち上がる。

 背中に糊でもつけられたように、体が重く感じられた。

 「……死ねばよかったのに」

 吐き出す息に血が混じっている。

 「なぁ、あかり。俺はぁよ、まだ、生きてる。お前が頼んだとおり、生きてるぜ?だがよ……一体、どれっくらい生きればお前んとこ行っていいんだ?お前に操立ててもう……八年だぜ?そろそろきちーよ」

 吐き出した紫煙が空気の中に消える。

 遠く、まだ、生きていた新兵の顔が見えた。

 煙草を吐き出し、靴の底で捻る。

 「……トッチか。鬼曹とビュンはどうした?」

 新兵は震えながらも果敢に答える。

 「ビュンは死にました!鬼曹は……前線に切り込んでったのでわかりません!」

 「……そうかぁ」

 彰は目を細める。

 一度だけ、空を仰いで寂しそうに顔を歪める。

 「残ってる兵隊に集合するように伝えろ、後退してこれより総力防衛に当たる」

 「しかし……」

 「戦っても死ぬ、戦わなくても、死ぬ。なら、戦って、戦って、そして死ね」

 神田彰もまた、兵士なのだ。


 ワラブキが戦線を広げていた反対側に神源地は発生していた。

 出動した部隊が戻ってくる頃にはワラブキの頂上に攻め込まれるだろう。

 そう、軍本部は予測し、事実、その通りとなった。

 行進する神の軍勢は波となって、軍部の要だった施設を破壊していく。

 それでも打ち出された棺桶が三つ。

 うち、一つは上昇中に破壊された。

 そして、一つが着棺しても作動しなかった。

 「なあ、神崎さん。恋ってそんなにいいもんなんだろうか……」

 誠二は背中にのぞみを背負い、ゆっくりと戦場を歩く。

 死んでいった同僚の無惨な死骸を踏み越え、黒い煙が上る道をずるずると進む。

 転がっている女性隊員の砕けた顔が、どこか、佐藤くみを思い出させた。

 「……寂しがり屋だっていってたんだ……俺、帰ってから答えるっつったのに……帰っても答えなかった……そういうのって、やっぱ……辛いんだろうなぁ」

 意味の無い独白が零れるのが、誠二には不思議に思えた。

 「……馬鹿野郎」

 のぞみは首に回した腕に力を込める。

 「誠二さん……」

 撃墜された棺桶が転がっていた。

 無惨に潰された棺桶の蓋が開いており、中にはぐしゃぐしゃに潰された巫女があった。

 小さな、幼体すら戦場へ駆り出さざるを得ない現状なのだろう。

 よく、見れば、神崎ひかりだった。

 愛くるしかった顔は絵の具を叩きつけられたように血がこびりついている。

 幼い四肢があらぬ方向にねじ曲がり、ひしゃげた鉄に潰されていた。

 けたたましく喋る口から覗く歯が血で薄く染まっていた。

 「……現時点残存する神源地は二つ。破砕された地上部ゲートから二番プレートへの進入を確認、現在、鉄狼が昇降機前にて残敵を掃討中。残存部隊は呼称送れ。防衛戦を展開する」

 ノイズの酷くなった無線機が戦況を告げる。

 「……誠二さん」

 青くなった唇を震わせる。

 「わたし、いきます」

 ワラブキの地上部は既に神により蹂躙されており、二人が幾ばくかの時を過ごした兵舎も壊されていた。

 「……いくのか」

 「巫女は全部、出棺しました。あとは教育課程にある神卸に至らない候補生だけです。だから、いきます」

 「のぞみ……」

 「はじめて、名前で呼んでくれましたね」

 震える声でのぞみが呟く。

 「大丈夫です。まだ、私達は生きています……生きます。行きます。だから、棺桶に」


 坂本隆子は撃墜された棺桶の前で、膝を折る。

 燻る炎の中でひしゃげた鉄の棺桶の中に横たわるひかりを見て、目を細める。

 愛くるしい瞳は虚ろに地面を見下ろし、涎を拭いた柔らかな頬は無惨に裂けている。

 「……よぅ、お前も、まだ生きてるのな」

 突撃銃を肩に乗せた彰は、力なく隆子に声をかけた。

 神崎ひかりの遺体を見て、僅かに目を細める。

 隆子はひかりを抱き上げると掲げてみせた。

 千切れかかっていたひかりの下肢が地面に落ち、皮膚が剥げる。

 ぬめる脂に服を汚し、それでも隆子はひかりに頬をよせる。

 「隆子、やめろ」

 「彰ぁ……」

 隆子は泣いていた。

 近しい人の死を受け止めきれずに泣く人間を多く見てきた彰は、驚くことはなかった。

 それが、当たり前のことで、自分もまた、当たり前であった。

 隆子にとっても、当たり前のことであるはずだし、隆子はもっと酷いことをしてきたはずなのだ。

 「……抱いてやって欲しい」

 隆子は泣きながらひかりのなきがらを彰に差し出した。

 紅葉のような手はあらぬ方向に曲がりぷらぷらと揺れている。

 血で固まった髪の下からのぞく頭皮は裂けて頭蓋を晒していた。

 熱された脂が皮を破り、だらだらと口元から垂れるそのなきがらを隆子は差し出した。

 「ひかりを、抱いてやって欲しい」

 取り乱し懇願する隆子に彰は軽い動揺を覚えていた。

 「……お前、どうかしてんじゃねえのか?ちょっとおかしいぞ」

 隆子は髪の毛が口に入っていることすらかまわず、続けた。

 「ほんとうに……すまない……でも、ひかりはわるくないんだ……だから、抱いてやって欲しい……」

 隆子の吐き出した一言が、打ちのめす。

 「あなたと……あかりのこどもだったの……知っていた。だけど、言えなかった」

 彰はどこか遠くの世界の声を聞いたような心地でいた。

 「ひかりぃ、ごめんねぇ、おかあさん、ほんとうはうそつきなの」

 崩れ落ちる隆子から、神崎ひかりのなきがらを受け取る。

 「ごめんねぇ……ごめん……ねぇ……?」

 かつて愛した人の容姿と末路の重みを受け取り、彰は呆然と立ちつくす。

 いくら掻き抱いたとしても、最早、ひかりは死んでいた。

 銃声が一つだけ響き、ごとりと隆子は地面に横たわった。


 棺桶にはいくつかのバリエーションが存在した。

 現在は射出型の棺桶が主流だが、一昔前には自走型の棺桶も存在した。

 誠二も座学でそのような話を聞いたことはあったが、現実にそれを目にしたのは初めてだった。

 生き残った兵士達に協力を仰ぎ、技術廠から搬送した棺桶はとても古いものだった。

 搬送を指揮した神林はのぞみと誠二の姿をみつけると駆け寄る。

 「のぞみ!」

 神林は白衣を血に汚し、太ももから断たれた袴を引きずるのぞみを見て言葉を失う。

 のぞみはそんな神林を見ながら呟いた。

 「……そういえば、中に襦袢を着るのも忘れてましたね」

 脇を上げ、誠二に見せて、小さく笑う。

 「襦袢を着ない巫女服って脇が見えるんですよ。少し、エッチですよね」

 誠二は笑えなかった。

 自走型の棺桶はトラックにワイヤーで乱暴に固定されただけの代物だった。

 棺桶の蓋をあけると、そこには切断用のギミックが凶暴に突き出ている。

 「今の棺桶はこういうの内側にしまってるんですけど、昔はこんな怖いものだったんですね」

 のぞみは転がり込むように棺桶の中心に収まるとベルトで体を固定する。

 「誠二さん、私、ちょっとだけ、怖いんですよ。でも、一つだけ、約束してくれたら、頑張れます」

 「約束?」

 「……来年もお祭り、一緒に行ってもらえますか?一人じゃ、盆踊り、できないんで」

 のぞみはそう言って小さく笑った。

 「なあ、のぞみ」

 「はい?」

 「帰ったら、俺の話、聞いてくんねえかな」

 「私も、たくさん、お話したいこと、ありますから」

 「そか……」

 「行ってきます。だから、帰ってきたら、おかえりって言って下さいね」

 叩きつけられるように棺桶の蓋が閉じられる。

 「出棺ッ!よいやっさ!」


 行ってしまった棺桶を見送り、誠二は後悔していた。

 何に後悔しているのかは自分でもわからない。

 だが、胸を締め上げる慚愧の念だけがこびりついて離れないでいた。

 「よいやっさ」

 傍らに立つ神林がそう、呟いた。

 「……御輿を担ぐときのかけ声だ。御輿は昔、神を運ぶモノだったが……今じゃあ、巫女を運んでる。知っているか?巫女ってのは昔、神様に仕える者だった。さらに文献を遡れば……神様を降ろす器だった。女性は子供を産む。それは昔の人にとっては、凄い不思議なことだったんだろう」

 遠く、砲声が響き光が散る。

 遠雷のように響く砲声の中で神林の独白が零れる。

 「産屋も、巫女も、救いへのあやかりだ。人はいつの時代も、心の救いを求める。絶対的に逃れられない死というものを前に、人の心は弱かったのだろう。神を絶対無二の救世主としてあがめた宗教――考え方もあったらしい。信仰を捨て、それでも何かに救いを求め続ける人間の生き様というのは滑稽に見えるものだ」

 神林は吐き出すように続けた。

 「……笑えるものか。蟻のように土に潜り、蜂のように子孫を管理し、かつての尊厳を奪われて、不様に、それでも生きていくのが人間だ」

 神林は既に見えなくなった棺桶を見続ける誠二に告げた。

 「のぞみは、強くなったよ。君のおかげだ」

 誠二はぽつりと呟く。

 「ふざけんなよ……」

 自嘲気味に笑う。

 「俺たちはそんな安っぽいのかよ。必死に生きてるんだぜ?」

 突撃銃の銃先が震える。

 握りしめた拳が白く変わる。

 食いしばった歯がぎりぎりと音を立てた。

 響く砲声が遠のいた。

 僅かに聞こえる地鳴りが、少しずつ、少しずつ、近づいてくる。   

そして、迎えが来た。

 「……よぅ、生きてるか?」

 残存兵力を纏めた野分小隊隊長神田彰は疲れ切った笑みを浮かべた。

 「生きているなら、銃を取れ」


 棺桶の中、腕切り鎌の鈍い光が輝いていた。

 鋭く、細められた切っ先の先をじっと見つめながらのぞみは静かに唇の端をつりあげる。

 今まで、感じたことの無い黒い澱が胸の奥底に広がっていくのを感じていた。

 激しくゆれる棺桶の外で、戦車砲の轟音が何度も何度も響く。

 曇った採光窓の外に見える景色の中、飛び散る神の残骸にのぞみの瞳が光を宿す。

 苦しげにのたうち回る神に、のぞみは笑った。


 戦車の無限軌条が神を踏みつぶす。

 隙間なく、横一列に並んだ戦車は鉄の壁となり砲弾をまき散らし、疾走する。

 「牙亀、土崩、山蛍が大破、砂桜、穿月、樫刎は前へ」

 巨大な蜻蛉が戦車に太く長い口を差し込み炎を吐く。

 黒煙を上げた戦車が解け、鉄の固まりを散らす。

 その破片を弾き飛ばし、追従する棺桶。

 蜻蛉型標的にその装甲を叩きつけ、頭を砕き、進む。

 「現地本部から陸鮫隊、第二神源地が現在移動中、着棺地点を第三神源地との中間点、の-八六とする。十秒後に面制圧射撃。棺道を開け。了解か」

 「了解した」

 戦車の装甲の上、自らの体を縛り付けた歩兵が無反動砲を放つ。

 立ちふさがる大型標的に穴を空け、戦車がその死体を踏みにじり、飛んだ。

 「野分から、陸鮫。機動車両入る。進路、開け」

 高機動装甲車が三台、追い抜く。

 その装甲車の上部開放扉からは重機関砲や無反動砲を構えた兵士が体を乗り出していた。

 「陸鮫了解。銀嶺、剥波、後退し樫刎、穿月の後方につけ」

 鉄の壁が開き、神が流れ込む。

 流れ込んだ神を鉛の雨が押し返し、高機動装甲車がその体で押し返した。

 無反動砲が火を噴き、銃窓から吹き出た弾丸が進路を開く。

 鉄の壁が再び、閉じると高機動装甲車は神の波の中で孤立した。

 装甲の上を跳ねた小型標的が爪を立てて削る。

 細長い窓に首をねじ込む蛇型標的が運転手の頭を喰らう。

 蛇行しながらも、ありったけの弾丸を吐き出しながら高機動装甲車が爆ぜた。

 積み込まれた炸薬が巨大な火柱を上げ、その中を戦車が突き抜け棺桶が走る。

 「野分三、大破、野分二、縦列隊形を取れ」

 残った高機動装甲車の鉄板で覆われたタイヤが地面を這う小型標的を挽きつぶし、甲高い悲鳴を上げて縦列隊形を組む。

 一本の鉄の槍となり、神の群れを穿つ。

 その槍の前に巨大な体躯をうねらせる足の生えた魚が立ちふさがる。

 巨大魚型標的は毛の生えた舌をのぞかせて硫酸の混じる咆哮を上げた。

 「衝角、用意……ってぇっ!」

 銃機関砲を撃つ彰の声が響き渡る。

 二台の装甲車の全部から衝角が飛び出る。

 後方の装甲車の衝角が前を切り進む装甲車の後部装甲板を貫き、鮮血が吹き出た。

 もげた腕が装甲車の隙間から飛び出すが、誰も構ってはいない。

 連結された装甲車が巨大魚型標的の腹に衝角を突き立てる。

 続けて放たれた無反動砲、後続の戦車砲が完膚無き肉片に代え、装甲車の上部開放扉から身を乗り出していた兵士の何人かが爆炎に舐められ、散った。

 炎に顔を焼かれた彰はそれでも凄惨に笑うとその先に大型標的を捉えた。

 そして、頭上から叩きつけるように神が降ってきた。

 野分一、二は地面を転がり、爆散した。


 「――現時点をもって、総力防衛を終了する。なお、残存部隊はワラブキ旧陸戦司令跡に集合せよ。最終作戦を示達する」

 無線機がざりざりとうるさい。

 誠二は、大きく息を吐いた。

 大きく裂けた胸は、もう、多くの息を吸ってはくれない。

 何が、どうなったのか覚えていない。

 叩きつけるように降ってきた小型標的の群れは覚えている。

 その後が、わからない。

 だけど、見上げた空の眩しさがこれでもないくらいに眩しかった。

 見上げた空の青さを見るのはこれが最後だと知る。

 体の感覚がもう既に無い。

 吐き出す息を溜める肺も無いまま、大きなため息をついた。

 いつか回ってくる順番だと覚悟はしていた。

 だが、それが、今であることに恨みを覚えた。

 誰かが、自分の手の平を握っていてくれる。

 「……さんッ!誠二さん!」

 いつの間にか嫌な思い出しか無い緑の天幕となる。

 「……リサイクルに回せッ!」

 「いやぁあっ!いやぁあっ!」

 僅かに耳をかき回す悲鳴はくみのものだろうか?

 いつぞや側に居てくれた少女は、今はどこにいるのだろうか。

 とても、寒い。

 毛布が欲しい。

確かなぬくもりが自分を包み、それがとても暖かく、心地よい。

 耳元で何かを叫び続ける声も、どこか遠くに聞こえる。

 乱暴に引きはがされる温もりを求めるには、どうにも疲れ切っていた。

 求めるにも、どう、声をあげていいかわからない。

 運ばれていく。

 空の棺桶に入る勲章を思い出す。

 自分もようやく、その一つになれるのだ。

 それが、何故か、今は悲しい。

 そこで意識が、途切れた。


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