曇りのち晴れ
――友達視点――
家に帰っても、今日の湊の顔が頭から離れなかった。
ベッドに寝転んで天井を見つめる。
何もしていないのに、胸の奥だけがずっと落ち着かない。
初めてあいつが過去の話をした日のことを思い出す。
感情を押し殺した声。
どこにも逃げ場がないみたいな目。
あのとき、俺は何も言えなかった。
下手な言葉はきっとあいつを傷つけると思ったから。
それからずっと、距離を間違えないようにしてきた。
踏み込みすぎない
励ましすぎない
「分かる」なんて簡単に言わない
ただ隣にいるだけでいいと、自分に言い聞かせてきた。
でも今日、あいつは笑った。
ほんの一瞬だったけど、
作った顔じゃなくて、
気を遣った笑いでもなくて、
勝手にこぼれたみたいな笑顔だった。
……まだ、残ってるんだな。
あいつの中の“普通に笑える部分”が。
ずっと凍って固まったままだと思っていた心は、
実はまだ柔らかいままなのかもしれない。
流し込まれたコンクリートは、
まだ完全には固まっていない。
だからこそ怖い。
触れ方を間違えたら、形が歪む。
近づきすぎても、離れすぎても、きっと崩れる。
正解なんて分からない。
でも、これだけははっきりしている。
俺はあいつを見捨てない。
助けるとか救うとかじゃなくていい。
あいつが一人になろうとしたとき、
「まだここにいる」って言えるやつでいればいい。
それくらいしかできないけど、
それだけは、やめない。
――湊視点――
僕は家のドアを開ける。
「……ただいま」
返事はない。
靴を脱ぐ音だけが、やけに大きく響く。
リビングを覗いても、電気はついていなかった。
テーブルの上も静かで、テレビも消えている。
まだ帰っていないんだ。
別に珍しいことじゃない。
仕事が長引く日だってある。
そう思いながらも、胸の奥が少しざわつく。
部屋に戻り、制服のままベッドに座る。
今日のことを思い返す。
僕は、笑った。
人と深く関わるのはやめようと思っていたのに。
期待すれば、その分失ったときに壊れるから。
あの日の出来事から、ずっとそうしてきた。
大事だと思ったものが、ある日突然なくなる感覚を、
僕はもう知っている。
だから、これ以上失わないように
最初から距離を取るようになった。
なのに。
あいつの隣にいる時間だけは、
それが少しずつ崩れていく。
無理に励まさない
無理に聞き出さない
ただ隣で、くだらない話をするだけ
それが思っていたより、ずっと楽だった。
胸の奥に、小さな光が残っている。
消えてくれない、温かい光。
あれがある限り、僕はきっと
「どうでもいい関係」には戻れない。
それが怖い。
失ったとき、きっと前より深く傷つく。
分かっているのに、
それでも手放すほうが苦しくなり始めている。
しばらくして、ふと時計を見る。
思ったより遅い時間だった。
家の中は静まり返っている。
さっきからずっと、物音ひとつしない。
胸の奥に、小さな違和感が広がる。
大したことじゃない。
たぶん、たまたま。
そう思いながらも、口からこぼれた。
「……今日、帰り遅いな」
その言葉は、静かな家の中に溶けていった。




