強風の日
僕は視線を逸らした。
もうこれ以上ここにいたら、だめだと思った。
これ以上優しい言葉を向けられたら、きっと甘えてしまう。
椅子を引く。
「……もういいわ」
声がかすれる。
「お前はさ、こんな人のこと信じられないやつと一緒にいたくないだろ」
自分で言ってて、胸の奥が痛む。
でも止まれなかった。
「だからさ、もういい。ばいばい」
背中を向ける。
逃げるみたいに歩き出す。
そのとき。
「待ってくれよ!」
強い声が背中にぶつかる。
足が止まりそうになるのを、無理やり前に出す。
「すぐに信用できなくていい!」
雨音に混じって、それでもはっきり聞こえた。
「でも、ずっと側にいさせてくれよ!」
胸が、ぎゅっと締めつけられる。
振り返ったら終わる気がした。
だから僕は、そのまま店を出た。
外は、強い風が吹いていた。
⸻
風が頬を打つ。
さっきまで降っていた雨は弱まっているのに、
代わりに荒れた風が街をかき回している。
信号待ちの人のコートの裾がばたつき、
ビニール傘が裏返る。
そんな中で、僕だけが立ち止まっていた。
足が動かない。
胸の奥が、さっき吐き出した言葉の残りみたいに重たい。
全部話してしまった。
隠してきたことも、
見られたくなかった情けない部分も、
ずっと自分の中だけで腐らせてきた記憶も。
お前に。
言わなきゃよかったのに。
そう思うのに。
胸のどこかが、ほんの少しだけ軽い。
それが一番気持ち悪かった。
「……なんなんだよ」
こんな話を聞いたら、普通は引くだろ。
面倒くさいやつだって思って、
距離を置くに決まってる。
それでよかったはずなのに。
――でも、ずっと側にいさせてくれよ
あの言葉が、耳の奥に残って離れない。
優しくするなよ。
そんなの信じたら終わる。
もしまた裏切られたら、
今度こそ本当に立てなくなる。
もう信用しないって決めたのに。
どうしてお前は、あそこまで言うんだよ。
風が強く吹き抜け、目にゴミが入った。
いや、違う。
僕は強く瞬きをする。
信じたいのか?
わからない。
怖いだけだ。
期待して、裏切られて、
あのときみたいに世界が黒くなるのはもう嫌だ。
でも。
頭のどこかで、声がする。
それでも。
それでも、って。
「……知らねえよ」
吐き捨てるみたいに呟いて、歩き出す。
逃げるみたいに。
風に背中を押されながら。
⸻
「……なんだよ」
俺は店の前で立ち尽くしていた。
強い風が吹きつける。
道路脇の看板が軋む音を立てる。
湊の背中は、もう人混みの向こうに消えかけていた。
なんだよ俺。
湊のこと、なにもわかってなかったじゃねえか。
勝手に分かった気になって、
勝手に優しいこと言って、
一番触れられたくないところを抉っただけだ。
最低だ。
「……くそ」
胸の奥がじわじわ熱くなる。
あんな顔させたかったわけじゃない。
でも。
それでも。
このまま終わるのは、違う気がした。
今日ここで何も言わなかったら、
きっともう二度とあいつは話してくれない。
全部一人で抱えて、
またどこか遠くへ行ってしまう。
それが正しい距離かもしれない。
でもそれで、本当にいいのか?
考えるより先に、体が動いていた。
「湊!」
風に声が流される。
人混みにぶつかりながら、それでも前へ進む。
信号が変わる。
濡れた路面に車のライトが反射して、視界が揺れる。
黒いパーカーの背中が見えた気がした。
「待てって……!」
横断歩道を渡る人の波に飲まれて、姿が消える。
「……は?」
立ち止まる。
見回す。
いない。
さっきまで、あんなに近くにいたのに。
手を伸ばせば届きそうだったのに。
強い風だけが、何事もなかったみたいに吹き抜けていく。
「……くそ」
拳を握りしめる。
このまま終わったら、もう二度と会えない気がした。
あいつは、まだ立ち止まったままなのに。
俺はポケットからスマホを取り出した。
画面に映る自分の顔が、少しだけ強ばって見える。
連絡先を開いて、指が止まる。
それでも、目は逸らさなかった。
過去を話した湊その後の2人の展開がえがかれる話となっています




