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雨の匂い

待ち合わせ場所が近づくにつれて、足取りが少しずつ重くなっていくのがわかった。


帰りたいわけじゃない。

会いたくないわけでもない。


ただ、うまく笑えるかどうか。

それだけが不安だった。

喉の奥が、うまく息を通してくれない。


駅前のガラスに映った自分の顔は、思っていたより普通で、思っていたより無表情だった。

口角を指で押し上げてみる。ぎこちない。やり直す。もう一度。


大丈夫。

これなら、バレない。


人混みの向こうに、あいつの姿が見えた。落ち着きなく周囲を見回している。僕を探しているんだろう。


胸の奥が、きゅっと縮む。


逃げ場は、もうない。


僕は笑顔を貼りつけて、軽く手を上げた。



「お、湊! こっちこっち」


俺が手を振ると、湊は少し遅れて気づいたみたいに顔を上げた。

それから、ちゃんとした笑顔を作って近づいてくる。


「早いな」


「そっちこそ」


声も普通。表情も普通。

だけど、何かがほんの少しだけ噛み合っていない気がした。


ゲーセンでくだらないゲームをして、変な景品を取って笑って、駅前をぶらぶら歩く。

湊はちゃんと笑ってるし、ノリも悪くない。


でも時々。


笑うまでに一拍遅れる。

目が合うと、なぜかすぐ逸らされる。

俺が話してる最中、どこか遠くを見ていることがある。


気のせいかもしれない。

けど、その小さな違和感が、ずっと胸の奥に引っかかって取れなかった。


交差点の近くの電気屋のテレビに、ニュース映像が映っていた。

規制線。青いシート。ざわめく人だかり。


『本日未明、この付近で――』


通りすがりの人が画面を見て言った。


「え、この辺りで殺人事件だって。怖くない?」


その言葉が、妙に耳に残った。


湊はテレビを見なかった。

湊には、その声は届いていないみたいだった。

まるで、世界から切り離された場所にひとり立っているみたいに。

ただ、足元のアスファルトを見つめている。


水たまりに映った赤い信号が、ゆらゆら揺れている。


「湊?」


「……なに」


呼びかけると、少し遅れて返事がきた。


その声が、妙に平坦で。

俺は、理由のわからないざわつきを覚えた。



歩き疲れて入ったカフェ。

向かいに座った湊は、ストローで氷をくるくる回している。


笑っている。

会話も続いている。


でもやっぱり、どこかおかしい。


今日一日を頭の中で巻き戻す。


笑うタイミングのズレ。

視線の揺れ。

ほんの一瞬だけ見せた、空っぽみたいな目。


ああ、そうか。


こいつ、ずっと無理してるんだ。


そう結論が出たとき、言わなきゃいけない気がした。


「なあ、湊」


「ん?」


「俺の前ではさ、無理して笑わなくていいのに」


湊の手が止まる。


「俺ら友達なんだし」



カラン、と氷が鳴った。


……は?


なにもわかってないくせに。


胸の奥が、ぐつぐつと煮立つ。


勝手にわかったような顔をして、

勝手に優しい言葉を投げて、

勝手に僕のことを“助ける側”に回るなよ。


「……偉そうに」


気づいたときには、声が漏れていた。


「え?」


「なにも知らないくせに、わかったみたいなこと言うなよ」


顔を上げる。

視界の端がじんわり熱い。


違う。怒鳴りたいわけじゃない。

でも、どうしようもなく腹が立つ。


君の優しさは、明るすぎるんだよ。


その光は、僕が必死に隠してきたものまで暴こうとする。

触れられたくない場所に、平気で踏み込んでくる。


土足で。遠慮もなく。


僕はここで、ぎりぎり立ってるのに。


壊れないように、崩れないように、

ずっと計算して、ずっと気を張って、やっと保ってるのに。


それを簡単に「無理するな」で済ませるなよ。


ストローを握る指先が白くなる。


このまま全部壊れてしまえばいいのに、と一瞬思った。


明日の天気予報は、晴れだったはずなのに。


……本当に?


「それだけ知りたかったら、教えてあげるよ。僕になにが起こったのかを」


少し内容が多くなりましたが今後の展開につながる大きな分岐点になると思います。

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