読めない空模様
あのときの「鬱陶しい」は、本当の意味だったんだろうか。
それとも、ただの冗談だったんだろうか。
わからない。
わからないままなのに、頭の中では何度もあの場面が再生される。
なんなんだよ、あいつは。
考えれば考えるほど、胸の奥がざらつく。
嫌いになりたいわけじゃない。むしろ逆だ。
ちゃんと友達になりたいと思っているはずなのに、その距離の測り方がわからない。
気づけば窓の外は赤く染まり、いつの間にか夜になっていた。
「ご飯できてるよー」
階下から母さんの声が聞こえる。
ドア越しに届くその声は、いつも通り優しいはずなのに、今日はやけに遠く感じた。
「顔色悪いけど大丈夫?」
リビングに降りると、母さんが心配そうに覗き込んでくる。
その視線から逃げるように、僕は椅子に座った。
「別に」
短く答える。
それ以上踏み込まれたくなくて、味のよくわからない味噌汁を流し込んだ。
家族の会話はいつも通り続いている。
テレビの音、食器の触れ合う音、父さんの小さなくしゃみ。
全部、変わらない日常のはずなのに。
なぜか今日だけ、ガラス越しに見ているみたいに遠かった。
自室に戻り、ベッドに倒れ込む。
天井を見つめていると、不意にポケットの中でスマホが震えた。
心臓が、わずかに跳ねる。
画面に表示された名前を見た瞬間、喉の奥が少しだけ詰まった。
【今度の休み、どっか行かね?】
ただの誘い。
クラスメイト同士なら、何の意味もない一文。
なのに指先が、すぐには動かなかった。
行きたくないわけじゃない。
でも、行きたいとも違う。
これまでずっと、僕は“ちょうどいい距離”を守ってきた。
踏み込みすぎず、踏み込ませすぎず。
誰とも深くならない代わりに、誰からも強く傷つけられない位置。
それが、僕の安全圏だったはずなのに。
ここで断ったらどうなるだろう。
きっとあいつは笑って「そっか」と言うだけだ。
でもそのあと、ほんの少しずつ、目に見えない距離が広がっていく気がする。
それはきっと、取り返しがつかない。
今まで何年もかけて守ってきた“壊れない日常”が、
静かに形を失ってしまう気がした。
……面倒だな。
小さく息を吐いて、僕は文字を打つ。
【別にいいよ】
送信ボタンを押した瞬間、胸の奥で何かがかすかに軋んだ。
明日の天気予報は、晴れだったはずだ。
なのにどうしてか、
この選択が、あとで取り消せないものになる気がしていた。
でもその理由を、僕はまだ知らない。
空模様と同じで、これから先のことなんて
何ひとつ、読めなかった。
変わらないはずの日常は、少しずつ形を変え始めています。
まだ誰も、それに気づいていません。




