差し込む光
廊下を何度も行き過ぎた。
病室番号を確認しては、また走る。
足音がやけに大きく響く。
息が上がるたび、嫌な想像だけが鮮明になる。
「……どこだよ」
見たくない未来ばかりが頭をよぎる。
無事な姿を想像しようとしても、うまく浮かばない。
角を曲がるたび、心臓が嫌な跳ね方をする。
そして――足が止まった。
病室の前で、僕はしばらく立ち尽くしていた。
ここにいる。
分かってるのに、ドアにかけた手が動かない。
入って、もし何も変わってなかったら。
もし、本当に戻らなかったら。
それを確定させる勇気が出ない。
「……大丈夫だろ」
願いみたいな独り言を落として、ドアを押した。
白い光。
静かな空気。
機械の一定の音。
ベッドの上で、あいつは眠ったままだった。
「あー……」
力の抜けた声が漏れる。
「なんだよ……寝てんのかよ」
軽口のつもりだった。
いつもみたいに言えると思った。
でも声が薄くて、自分の声じゃないみたいだった。
そばに行く。
動かない。
「……サボり?」
分かってる。違うって。
指先に触れた手が冷たくて、喉が締まる。
「なあ」
返事がないだけで、世界がこんなに静かになるなんて知らなかった。
⸻
光の中に、景色が浮かんでいる。
少し離れた場所から眺めるみたいに、俺はそれを見ていた。
夕方の台所。
オレンジ色の光。
小さい俺がテレビにかじりついている。
ヒーローが敵を倒して、歓声を浴びていた。
「そんなに真剣に何見てるの?」
母さんの声。
「ヒーロー。悪いやつ倒してる」
画面の中の俺は、誇らしげだった。
ああ、この頃の俺は――
強い=かっこいいって、本気で信じてたんだな。
「俺も、かっこいい人になりたいな」
母さんは柔らかく笑った。
「かっこいい人って、どんな人?」
「強い人。ケンカで負けない人」
母さんは首を横に振る。
「違うわ」
しゃがんで、目線を合わせる。
「本当に強い人はね、力が強い人じゃないの」
俺は首を傾げる。
「誰かを守れる人なのよ」
胸の奥が少しだけざわつく。
あのときは、まだ分からなかったんだ。
守るってことが、どれだけ怖くて、痛くて、重いか。
母さんは頭を優しく撫でる。
「それにね」
少し照れくさそうに笑う。
「あなたの名前には、“一つのものを照らす光”って意味を込めたの」
照らす。
誰かを。
何かを。
「だからあなたの名前はね――」
景色が揺れた。
胸の奥が、強くざわつく。
⸻
「なあ……」
声が震える。
ベッドの横で、拳を握りしめている。
「起きたらさ、文句言ってやるからな」
強がりの声。
「あのとき前出てくんなって……」
焼きついた背中。
僕を突き飛ばした手。
守られてたのは、僕の方だった。
「……ばかだろ」
違う。
ばかなのは、僕だ。
「僕さ……こんな世界、辛いだけだと思ってたよ」
声が震える。
「でもお前がいてさ」
涙が落ちる。
「僕、救われてたんだよ」
何気ない日常。
くだらない会話。
隣にいる時間。
あれが全部、僕を繋ぎ止めてた。
「幸せだって……生きたいって思えるようになってたんだ」
息が詰まる。
「一度は逃げ出そうとしたさ」
あの夜の光がよぎる。
「でも、お前が呼び止めたんだろ……!」
声が壊れる。
「だったら最後まで一緒にいろよ!」
縋る声。
「僕にはお前が必要なんだよ……!」
⸻
胸の奥が、強くあたたかくなる。
呼ばれている。
俺が照らしたかったのは。
守りたかったのは。
向こうで必死に俺を呼んでるやつだ。
情けなくて、震えてて、泣きそうで。
でも、あんな声で呼ばれたら――
「……俺、帰らなくちゃ」
景色が砕ける。
光が弾ける。
⸻
もう何も考えられなかった。
格好も、周りの目も、全部どうでもよかった。
ただ、失いたくなかった。
「一輝!!」
叫びが、病室に響いた。
「一輝、生きててくれよ!!」
ベッドにすがりついたその瞬間。
張り詰めていた空気が、ふっとほどけた気がした。
差し込んだ光が、白いシーツを静かに照らす。
止まっていた時間が、ゆっくりと動き出す。




