024話『その掌に光を、頭上に草の冠を』(10)
山野を埋め尽くした雪が溶けて季節は冬から春へと移り変わり、エバンスが使用人見習いとして働き始めてから半年の月日が経った。
与えられた仕事を完璧に熟せるようになったばかりでなく細かい部分での作業の改善点をヘルマン達に申し出るまでに至り、更に他の見習い達の七割ほどの時間で全て熟していた。
空いた時間で言語の勉学に励んだり、ノイシュリーベの咄嗟の思い付きに付き合った……というより後者に備えるために、より早く作業を熟して時間に余裕を持たせておこうと奮起したのである。
「いやはや、お前には本当に驚かされる。
特に庭園の管理で使う道具類の保管方法については各段に善くなった。
革手袋や植木鋏、それに小さな篩の紛失が随分と減った気がするぞ」
「あはは……分類を気にせず倉庫で一塊になってましたからね。
雪掻き用の円匙なんかは、どうしても長時間外に出し続けるので
日暮れ後に急いで片付けないといけないから仕方ないですけど」
道具の管理や整備も使用人の仕事だが仮にも貴族家の館である以上、その数は膨大となる。確認だけでも相当の時間を要するために、エバンスは倉庫内のどの場所に、どの道具を置いておくか細かく取り決めることを提案したのだ。
加えて道具ごとに印または番号を付けて、どの道具を倉庫から持ち出しているのかを細かく把握できるようにした。これには覚えたての文字が役立った。
勿論、エデルギウス家の使用人達とて作業道具を粗野に扱うような真似はしていないが冬場の作業の厳しさが、細かい部分でどうしても雑になってしまっていた。
「この分なら夏前には見習いから正規の使用人に昇格させても良さそうだ。
私からベルナルド様に進言してみよう」
「本当ですか! 嬉しいです……けど」
少しだけ口籠る。この館にはエバンスより先に使用人見習いとして働いている先輩が何人か存在しており、彼等を追い抜いてしまうことに負い目を感じるのだ。
それに嫉妬も買うことになるだろう。ただでさえノイシュリーベとベルナルドから厚遇されているのだから。
「お前の非凡さは、この館の大半の者が気付いている。
能力のある者、向上心のある者には相応の仕事を任せるのは当然のことだろう。
覚悟を決めなさい。そして周囲からの視線に惑わされぬことだ」
「……はい」
農民の出で貴族家の家宰にまで昇り詰めたヘルマンの言葉には、ただの気休めだけではない重みを感じた。故に、エバンスはその言葉を大いに受け入れた。
「それでね、それでね! ここをこうして……こうすると、出来上がり!」
館から少し離れた小川の畔。すっかり雪が溶けて春の草花が生い茂り始めた場所にて、エバンスは今日もノイシュリーベに連れ回されていた。
彼女は畔に生えていたグラニアステラの花を幾つか摘み取り、器用に編み上げて冠のような形に仕立ててみせたのである。
なおグラニアステラとは、グレミィル半島に多く自生する草花の一種で、二枚一組の花弁が五つ、恰も星を象るような形状をしているのが特徴的な植物だった。
主に山野で見られ、家畜の餌としても利用されている。
「お上手です、ノイシュリーベ様」
「ふふん! 一昨年にお母様から教わったのよ。
最初はあんまり上手く作れなかったけど、去年みっちり練習したわ!
特別に、あんたにも作り方を教えてあげる!」
「いいんですか? じゃあ、お願いします」
得意気に語り出したノイシュリーベは早速、足元のグラニアステラを摘み取り始めて、エバンスもそれを手伝っていった。
「そういえば、あんた最近はどうなの? 仕事とか辛くない?」
草花を編み上げている途中で、ふと聞かれた。彼女なりに心配してくれているのだろうか?
「使用人達を見渡しても、私やあんたくらいの歳の子は居ないわ。
他の家の子達に聞いてみても、最低でも十歳くらいと言われたし……」
「ありがとうございます。なんとか上手くやっていますよ。
最近は結構慣れて来たので夜中に共通語の本を読む時間も作れてます」
「へ、へぇ……やるじゃない。ヘルマンが楽しそうにしていたわけだわ。
言葉だってそう、ちょっとくらいなら手伝ってあげようかと思ってたけど」
「あはは、まだまだ発音が上手くいっていない部分もあるので
もう少し学んだら共通語で試しに話してくださると嬉しいです」
ノイシュリーベは貴族ということもあり、物心が付いた時から旧イングレス語と共通語の双方に加えて『森の民』の間で用いられる古グラナ語という言語も嗜んでいる。
なお社交の場で他家の令嬢達と交流する際には、近年では共通語を用いることが多くなってきていた。
「いいわ! まかせなさい! ついでに公の場での作法なんかも教えてあげるわ」
「あはは……お、お手柔らかにお願いしますね」
誰かに頼りにされることが嬉しいのか、ノイシュリーベは益々 意気揚々としていった。その後も幾らか会話を弾ませつつ、やがて草花の冠が出来上がる。
エバンスはざっくりとした作り方を説明され、実際に彼女が編み上げる手付きを眺めていただけで凡そを把握し、どうにか同じものを仕上げることが出来た。
そうして合計三つの冠が仕上がると、ノイシュリーベは徐にそれを縦に重ねて、まるで王冠のように仕立ててみせたのである。
「初めて作ったにしては中々の出来ね。やっぱり、あんた手先が器用だわ」
「いやぁ、それほどでも」
「いいえ、それは立派な貴方の才能よ。
もちろん今まで苦労してきたからなのでしょうけど……誇りなさい!」
三つ重ねた草花の冠を小さな両掌で包み込むようにして持ち上げると、笑顔を浮かべながらエバンスの頭上に被せる。
「がんばってるあんたへのご褒美よ、涙を流して受け取りなさい!」
満面の笑顔で堂々と言い放ち、そして少し照れたような仕草を見せる。
「あ、ありがたく拝領……いたします?」
「ふふっ、よろしい」
満足そうに頷くと背後で流れる小川の方角へと振り向き、静かに言葉を続けた。
「あのね、エバンス。私……お父様の旅路に付き添って、いろいろ考えてたの」
ノイシュリーベにしては、やや落ち着いた声色で淡々と語ろうとしている。
其れは胸中の吐露なのか、或いは決意を誰かに聞いてほしかったのか。
「いろんな町を巡ったけど、まだまだこの半島は争いの傷痕がたくさん残ってた。
あんたみたいに、ひもじい思いをしてる子もいっぱい居るのでしょうね……」
「……はい」
「だからね、最初にあんたに言った通り、私はお父様の意思を継いでいくわ。
二つの民が真に手を取り合って暮らしていける領土にしていきたい。
古い仕来りでも善い部分は残すけど、悪い部分はなるべく取り除きたい」
眼前に流れる清らかな小川を見詰める。風で揺れて棚引く草花を眺める。
多種多様な種族が暮らし、諍いを繰り返してきた土地なれど山野を流れる清水は等しく美しい。天空より吹く風は、自由にして果てしなき旅路への可能性。
流れる清水のように、或いは風のように、どこまでも巡り往く心地良い景色の如き世界を築きたいとノイシュリーベは真に希ったのだ。
陽光を反射して眩く輝く水面、穏やかな潺の音、快い風が生きとし生ける者達を優しく後押しする。そんな光景を、グレミィル半島中に広げたい――
この小川の畔は正に彼女の理想の象徴。彼女の出発点にして終着点なのだ。
「今の私では、そんなのは夢のまた夢だってことは理解しているわよ。
だから、まずはそれ相応の実力と実績と、立場を築き上げる!
騎士になって、当主になって、大領主を継いで、仲間をたくさん集めて……。
それがとても難しいのも分かっているわ!」
「…………」
大陸中央部を席巻した旧イングレス王国は、男尊女卑の慣習が一際強い国柄であった。女性が領主となることは勿論、騎士になることすら忌避されていたのだ。
南北に分断され、南イングレス領としてラナリア皇国に併呑された現在でも暫くは旧来の価値観は根付き続けることだろう。
「ベルナルド様はお許しになられるのでしょうか?
確かにノイシュリーベ様やサダューイン様の代にご期待されておられますが
それは……その、ノイシュリーベ様への期待は子爵令嬢としてのものです」
慎重に言葉を選びつつ、彼女の意思を真向から否定する形にならないように疑問を傾けた。
「うっ……もちろん! これから一生懸命 説得していくつもりよ。
お父様のお考えすら動かせないで、領民の生活を変えるなんて出来ないもの!
まずは騎士になるための稽古を始めることを認めさせることからね」
「苦労しそうですねぇ」
「何年かかっても説得してみせるわ。だから、あんたも!
私が将来 騎士になった時に付いて来れる従者になっていなさい。
それとも一緒に戦ってくれる多面騎士のほうが良いかしら」
「いやぁ、おいらは平民ですし。それに骨拾いまでやってたので……。
騎士は当然として、その従者ですらなれるか怪しいところですよ」
「ふふん! 本気で騎士になる気があるのなら、そんなの関係ないわよ。
平民から騎士身分になった事例なんて山ほどあるそうじゃない。
何なら私が当主になった時に叙任してあげても良いわ!」
実際に『大戦期』の渦中の旧イングレス王国では、平民出身であっても領地や爵位の継承権を持たない一代騎士として叙任された者は一定数存在した。
しかし、これは長きに渡るラナリア皇国との戦いで多くの騎士が戦死したがための戦力の補充を兼ねた特例事項でもあった。
尤も、これからノイシュリーベが成そうとしている女性の身で騎士になることに比べれば、例え平時であったとしても遥かに見込みはあるのだろう。
「まあ、あんたの人生を縛るつもりはないから、その気になった時でいいわ。
……あんたになら、背中を任せられるかもしれないってだけの話よ」
「……少し、考えておきます」
「よろしい。じゃあ、そろそろ帰りましょうか。
アンネ達がおやつを用意してくれている時間だしね!」
そう言って踵を返し、足早に館の方角へと歩いて行く。
エバンスもまた被せてもらった冠を大事に鞄に仕舞い込みながら、彼女の後に付き従う形で館へと戻っていくのであった。
エバンスはこの時、騎士や従者を目指そうとは全く考えてはいなかった。
然れど、己が目指す理想に向けて、ぐんぐん突き進もうとするノイシュリーベを支える力にはなりたいと、支えられるだけの男にはなりたいと、心の奥底で意思を固めつつあった。
そうしてこそ、あの冬の寒空の下で惨めに息絶えようとしていた路傍の石を見つけ出してくれた恩人へ報いることが出来るのだから――
・第24話の10節目をお読み下さり、ありがとうございました。
・主要人物の過去を綴っていくたびに、この後 彼等に待ち受ける運命について考えると胸が痛くなるところではありますが、だからこそじっくりと、作者の能う限りの文章で綴っておきたいと考えております。
少々、スローペース気味ではございますが、どうかこれからもお付き合いいただければ幸いでございます。