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024話『その掌に光を、頭上に草の冠を』(9)


「へー、あいつに会ったのね。生意気そうな奴だったでしょ!」



「少しだけ話しただけだったので、そこまでは……」


 エデルギウス家の館から少し離れた小川の畔にて、ノイシュリーベに連れ出されたエバンスは彼女の雪だるま作りに付き合わされていた。

 ノイシュリーベが頭の部分を、エバンスが胴体の部分を担当し、ごろごろと雪玉を転がしている最中に昨晩のサダューインとの出会いについて訊かれたのだ。



「遠慮することなんてないわ! はっきり言っても大丈夫!

 だってあいつ、昔は「姉さん、姉さん」って、ずっと私に付き纏ってきて

 甘えていたのに、いつの間にか一丁前に一人で行動するようになったのよ」


 真白のポンチョの裾を靡かせながら振り向き、両掌を腰に当てて、鼻を鳴らしながら弟に対する不満を零し始めた。



「背だってぐんぐん伸びてるし、このままだと追い抜かれちゃいそう……」



「あはは、サダューイン様はベルナルド様の幼少のころに似ていらっしゃると

 ヘルマン様やジグモッド様達も言っていましたからね。

 きっとそのうちベルナルド様みたいな立派な体格になりそうですね」



「むー……生意気すぎるわ。サダューインのくせに!

 しかも、この頃は地下室に籠って、難しそうな本ばかり読んで……。

 最近じゃあ話し掛けても無視されるか、明らかにはぐらかそうとするのよ」



「サダューイン様と喧嘩でもされていたのですか?」



「そんなこと絶対にしないわ!

 ま、まあ昔は……あいつの分のおやつとか横取りしちゃったりしたけど

 それだって、ちゃんと後で謝ったし……他にもいろいろあるけど……」


 尻すぼみに言葉を濁し、ばつが悪そうな表情を浮かべていた。話を聞く限りではどれもよくある姉弟間の些細なやり取りのようであった。

 僅かな間ながら接したサダューインはとても理知的な美少年であり、そのようなことで姉を避けるとは到底思えないとエバンスはこの時、思ったのである。



「サダューイン様も何かお考えがあるのかもしれませんね。

 それはそうと館内で姿をお見掛けしたことはなかったです……。

 その地下室というのに籠っているというのが関係してるのですか?」



「そうなのよ! 地下の……大書斎? っていう部屋で生活してるらしいの!

 二階にちゃんと自分用の部屋があるっていうのに……そこも生意気だわ」



「大書斎……」


 少し前にダュアンジーヌが話していた部屋のことだろう。そしてその部屋の主とはサダューインのことであるらしい。エバンスは色々と合点がいった。



「お母様が生まれた家から持ってきた資料とか古い本を置いてある部屋よ。

 私も一度だけ入って蔵書を見せてもらったことがあるけれど、

 何が書いてあるのか、ぜんぜん意味が分からなかったわ……」



「そんなにすごい本をサダューイン様は読まれていらっしゃるのですね」



「ええ、本当に……生意気な奴よ。もっと外に出て一緒に遊べばいいのに!

 だってこの川の畔なんて、こんなに綺麗に雪が積もっているのにね」



「ノイシュリーベ様は……サダューイン様と仲良くされたいのですね」



「……そ、そうよ。姉弟でいがみ合っていても仕方ないもの。

 将来は二人でお父様達の後を継ぐことになるんだし……」


 少し気恥ずかしそうに、視線を逸らしながらも胸中を吐露する姿を見て、エバンスはこのハーフエルフの少女が真に家族想いであることを再確認した。

 同時に、何故サダューインは昔は慕っていた姉を避けるようになっていったのか興味を懐き始めていた。




「そ、そんなことよ、せっかく館の敷地から抜け出してきたんだもの。

 早く完成させちゃうわないと! あんたもはやく手を動かしなさい!」



「……ぅわっぷ」


 小さな掌で足元の雪を掬い上げるようにして、エバンス目掛けて飛ばしてくる。それをもろに浴びたエバンスの口に雪の礫が入り、思わず間抜けな声が零れ出た。


 その後、ノイシュリーベの気の済むまでエバンスは雪遊びに付き合わされた。

 触れた雪は冷たく、風が吹けば身が凍えたものの、彼女の我儘を聞きながら過ごす一時は、故郷の村の友達と労役の合間の僅かな時間で一緒に遊んだ時のことを思い出して、とても……とても温かった。






「ははぁ、そいつは去年の春節の宴席での出来事が原因だろうな」


 サダューインがノイシュリーベを避けている節があることについてヘルマン達に尋ねてみたところ、そのような言葉が返ってきた。



「ジグモッドさんの知り合いの魔術師達を招いた席でしたっけ?

 サダューインお坊ちゃんが熱心に魔術について訊いて回っていた時の」


「そうそう、中には隠者衆候補も含まれてて、結構な顔触れだったなぁ」


「有名な魔術師達と直接話せる機会ってことで随分で張り切っていたっけ。

 でもサダューイン坊ちゃんはまあ、魔力が……ね。

 頭はとんでもなく良いのに、魔力が足りなくて魔術を発動できなかったのさ」


 他の使用人達も思い付いたことを口々に教えてくれた。



「魔力が……足りない? それは魔力をあまり蓄えられないということですか?」



「私達も魔術や魔法は門外漢だから詳しいことは分からないが、概ねその通り。

 サダューイン様は生まれ付き保有魔力量に乏しく、精霊の"声"も聞けないのだ」


「対して姉のノイシュリーベ様ときたら、常軌を逸する魔力を持っているそうさ。

 しかも精霊の姿まで視ることの出来る『妖精眼』が両目に備わっておられる!

 将来はダュアンジーヌ様をも超える逸材と言われているんだよ」


「で、問題はどんなに高度な教えを受けても魔術を発動できなかった

 サダューイン坊ちゃんの目の前で、たまたま通り掛かったノイシュリーベ様が

 その魔術を一目見ただけで、あっさりと再現しちまったんだ!」



「魔術を見ただけで? そんなことが可能なのですか!?」


 魔術についてエバンスも詳しいことは全く分からない。しかし魔法とは異なり、精霊の助力に頼らず独学で術式や術理を修めなければ行使できない技術であることだけは朧気ながら耳にしたことがあった。


 魔法なら、"声"を聞くことが出来る者ならば自然と身に付けている場合もある。勿論、より高度な魔法を唱えるには精霊との深い交信や修行が必要となるのだが。

 一方で魔術は、学問による修学と反復練習の末に習得するものであり、見ただけで魔術を行使するなど前代未聞であるのだ。



「そこがノイシュリーベ様の恐ろしい……いやいや、凄まじいところなんだよ

 あの御方の両目には、精霊の姿どころか僅かな魔力の流れすらも映るという。

 だから魔術を行使する際の魔力の動きを真似するだけで発動出来ちまうのさ!」



「それは……他の人では出来ないようなことなのですか?」



「ああ、ダュアンジーヌ様ならば辛うじて似たようなことは可能なのだそうだが

 ノイシュリーベ様のように全く知識のない状態からでは無理らしい」


「ノイシュリーベ様に悪気は全くなかったんだろうなぁ。

 たまたま通り掛かったところに、ちょっと面白そうなことを皆でやっていたから

 真似してみたら、あっさり魔術を発動出来ちまったってこと」


「サダューイン様にとっては、さぞ悔しかったことだろうなぁ」


 使用人達の話を一通り聞いていくうちに、エバンスはその当時の光景が容易に目に浮かんだ。確かにノイシュリーベは好奇心の塊で、行動力も旺盛だ。

 その場で興味を持ったことは深く考えずにとりあえずやってみる傾向があった。




「ああ、サダューイン様は御母上のような"魔導師"を目指しておられる。

 だから魔法や魔術を頑張って習得しようとされているのだが、

 どうにも上手くいっていない……そんな時に、あの出来事が起きた」


「それ以来、地下に籠って一層勉学に励んでおられるのさ!

 魔力が少なくても魔術を発動させる研究とかをやっているそうだぜ。

 まあ時折、一人で館の外を出歩いて山野で修行してる時もあるそうだが」


「元々、頭の出来はダュアンジーヌ様並か、それ以上って話でな。

 正直なところ……頭が良過ぎるせいで他の人間とは話が噛み合わないらしい。

 それで益々、地下室に籠るようになっていった……」




「そのようなことがあったのですね……ありがとう、ございます」



「うむ、もしエバンスが今後あの御方と接することがあるとしても

 あまり深く関わらないほうが良いだろうな。

 我々では、あの御方が見ておられる景色は理解の埒外なのだ」



「ヘルマン様……」



「なぁに、いざとなったらベルナルド様がなんとかしてくれるさ。

 我々は彼等に快適に過ごしていただけるよう自分達の仕事に専念すれば良い」



「はい……」


 姉弟の事情を知り、釈然としない気持ちになりながらも家宰の言葉に従った。



 サダューインの件は気掛かりではあったものの、何はともあれ目の前の仕事や生活を疎かにするわけにはいかない。

 使用人見習いのエバンスは懸命に働く傍らでノイシュリーベの我儘に付き合いつつ、ヘルマン達から文字の読み書きや、二種の言語について教わった。


 旧イングレス語は、エバンスの故郷の村でも常用されていた言葉なので、すんなりと習得できたものの供用語には大いに苦労させられた。

 何せラナリア皇国を含む大陸南部の言語には、一部独特な発音表現が存在するのだ。これは文化的背景に起因するので致し方ないところではある。



「今は旧イングレス語を話す者の方が多いが、これからは同じ皇国内での往来が

 活発となっていくから供用語を話せる者の価値が高くなっていくだろう」



「このような機会がなければ、おいらみたいな者は一生触れることのない

 言葉だったかもしれません」



「うむ、閉じた村落で暮らしてきた者にとって他国の言語を学ぶことは

 実に大変だろうとは思うが君の将来のためでもある。頑張りなさい」



「はい!」


 夜明け前から日暮れ過ぎまでの仕事に加えての言語の習得は容易ではなかった。

 それでもエバンスは生来の器用さの片鱗を発揮し始めたのか、どうにか足掛かりを得始めていた。それに、新しいことを学べるというのは実に楽しいことである。

 この時の体験は、後に彼が大陸中を巡業する旅芸人として大成していく上での大いなる基盤となっていくのであった。


 

 そうして季節が巡っていき、雪解けの候になると館に滞在していたベルナルドが城塞都市ヴィートボルグへと向かう日へと至る。

 道中の各貴族家の領地へ挨拶回りを行いつつ大領主として本年度の政務に本格的に取り掛かるのである。


 館の門前にはベルナルド一行を見送るために使用人一同の他、ノイシュリーベとダュアンジーヌの姿も揃っていたがサダューインだけは見当たらなかった。



「それでは行って来る。ヘルマン、後のことは頼んだぞ」



「心得てございます」



「ダュアンジーヌ、今年の暮れにはヴィートボルグの城館の地下に

 お前用の研究所を建てる目途を付ける予定だ」



「ふふっ、とうとうアレが実現できるのですね。楽しみにしておりますわ。

 あなた……どうか政務にのめり込み過ぎないよう、ご留意下さいませ」



「はっはっは! お前こそ自分の研究に没頭し過ぎないようにな!

 ノイシュ、あまり皆に迷惑を掛けずに過ごしているんだよ」



「わ、わかっています……!

 今はエバンスもいるし、前みたいにヘルマン達を連れ回したりしません!」



「その分、エバンスに負担が圧し掛かってしまいそうだな……。

 ダインは……此処には来ていないか」



「ええ、地下に籠っているか、さもなくば領内の村に寄っているのでしょう」



「やれやれ、いつからこうなってしまったのか」



「今はそういう時期なのでしょう、余りにも優れた頭脳を持つ者の宿命ですわ。

 ですが必ず、あの子ならば乗り越えてくれる筈です」


 まるで嘗ての己がそうであったかのように、何処か遠い目をしながらダュアンジーヌは穏やかな口調で夫に語り掛けた。



「お前がそう言うのなら、私も信じて待つしかあるまい。

 では発つとしよう。皆、雪解けだからと油断して風邪など引かぬようにな!」



「いってらっしゃいませ、ベルナルド様!」



「お父様! がんばってください!」



「どうか万事 恙なく、善き方向へと巡りますように。

 いってらっしゃいませ、あなた」


 黒塗りの質実剛健な馬車に乗り込み、未だ雪が残る路を進む主人の姿を見詰めながら、門前に集った一同はそれぞれに言葉を放つ。

 エバンスもまた使用人達の列に混ざり、両腕を頭上に掲げて力の限り手を振りながら、英雄でありこの地を統べる大領主を見送るのであった。


・第24話の9節目をお読みください、ありがとうございます。

 次の次辺りでサダューインの抱える問題と、そこにエバンスが関わっていく件について触れていきたいと考えております。

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