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024話『その掌に光を、頭上に草の冠を』(8)


 エデルギウス子爵領はグラニアム地方の南西の方角に位置し、ノールエペ街道から少し外れた場所にある五つの農村と一つの漁村、そして幾つかの小山と森林を含めた地勢である。


 『大戦期』を経て昇爵の祝いとして贈られた小さな銅鉱山と森林資源……即ち、失脚した隣領の事業の引継ぎにより財政面では幾分か豊かになりつつあった。




 [ グラニアム地方 ~ エデルギウス子爵領 本館 ]


 ライ麦畑を越えて到着した館は、ほどほどの敷地面積に、ほどほどの大きさの建造物が無難に建っている……といった具合であった。


 庭園はよく手入れされているようであったが、門扉や外壁、本館に過度な装飾は見当たらず、どちらかといえば無骨な印象を与える薄茶色を基調とした建造物だ。

 忌憚なく言えば、一般的な子爵家の館と比べて数段 見劣りするのだろう。


 しかし僻地の農村で産まれ、大都市の裏路地で路傍の石の如く過ごしてきたエバンスにとっては全てが新鮮に映り、凄まじく広々と感じた。



 エデルギウス家の現当主であり、グレミィル半島を統べる大領主の帰還に際して門扉の前には主だった家宰や上級使用人達が整列していた。

 この地方にも雪が積もり始めた時分なれど、使用人達の表情は一様に明るい。

 心より当主であるベルナルド達の帰還を祝福しているのだろう。



「お帰りなさいませ、ベルナルド様。そしてノイシュリーベお嬢様」



「出迎えご苦労。どうにか街道に雪が積もる前に帰れて良かったよ。

 皆が館を守ってくれているからこそ心置きなく視察に臨めた。

 

 このまま数日の間は館に滞在して吹雪の時期をやり過ごしてから

 ヴィートボルグに戻ろうと思っている」



「心得てございます。城塞都市で留守を預かるベルダ卿達も仰っておられました。

 さあ、どうぞ中へ! 奥様やサダューイン様にお声掛け下され」



「ヘルマン! あのね、すごい子を見つけて来たの! あとで紹介するわ」



「ほほう? 察するに馬車に同席しているその(わらべ)ですかな?

 お嬢様がそのように仰るとは……実に興味深いものです」


 家宰の一人、ヘルマンという純人種の中年男性が代表して応対する。朗らかな人と成りをしていながらも、眼光は鋭く、抜け目の無さそうな人物だった。




「ヘルマンは『大戦期』より前から私の下で働いていた従者でね。

 この近くの村の農家の出だったのだが目端が利くと評判だったので雇い入れた。

 彼も何かと苦労してきた身だ、何かあれば彼を頼ると良い」



「分かりました」


 門扉を潜り、敷地内に入ると館に併設されている馬舎にて馬車が停められた。

 御者台で手綱を操っていた若い従者が馬車の扉を開けてくれたので、エバンスは数時間ぶりに大地に両脚で降り立ったのである。


 


 イッパイ イル…… イッパイ イル…… ココハ ラクエン?



「…………?」


 これまでエバンスを導いて来たお馴染みの精霊の"声"が脳内に響いてきた。

 どうやらエデルギウス家の館の敷地に足を踏み込んでから、随分と興奮している様子であった。



「あんたに付いてる子もとても驚いているようね。無理もないことだけど。

 この館には、たくさんの精霊が棲んでいるのよ」



「……たしかに、他にも、小さな"声"が聞こえてくる……気がします」



「ふふん! なんせ"魔導師"であるお母様が暮らしているからね。

 精霊のほうから勝手に近寄って来るの!」


 自慢気に話すノイシュリーベを横目に、最後に馬車を降りたベルナルドが二階の部屋の窓を見上げながら子供達に語り掛ける。



「さて、それでは私はダュアンジーヌの部屋に向かうとしよう。

 今この瞬間にも机に齧り付いて研究に没頭しているだろうからね……」



「ふふっ、お母様だったらありえるわ!」



「近いうちにヴィートボルグの城館にも我が妻の研究所を用意しなくてはな。

 ノイシュ、疲れてはいないか?」



「ぜんぜん平気です!

 久しぶりにこの館の空気に触れたら、疲れなんて吹き飛びました!」



「そうか、なら衣服を着替えてきなさい。

 そうしたらエバンスのことをヘルマン達に紹介してあげるといい。

 彼に任せておけば、エバンスのことも良いように取り計らってくれるだろう」



「はい、お父様!」


 そうしてエバンスは館内で過ごすための衣服に着替えたノイシュリーベに連れられて、先程の家宰達へ挨拶して回った。



 ヘルマンという男は実に有能で、僅かな会話でエバンスの資質をある程度 見極めると、次の日から住み込みで働く使用人として登用すると言い出したのである。


 一日を費やしてエデルギウス子爵領のことや館での仕来たりなどを説明された。その次の日からは薪割りなどの仕事を与えられ、一週間……二週間と経過するころには、すっかり館での生活にも慣れ始めていたのである。



 また折を見てベルナルドの妻であるダュアンジーヌとの面会も許された。


 彼女はノイシュリーベが順当に歳を重ねたような外観をしており、これまでエバンスが目にしてきた如何なる女性よりも美しいと感じた。

 足元まで届く勢いの銀輝の髪は、まるで白銀の波の如し。絶えず周囲に精霊が寄り添っているようで、彼女に近付くだけで複数の"声"が幾重にも響いていたのだ。


 そしてなんと驚くべきことに今年で百十五歳になるのだという。

 エルフ種の寿命は純人種や一般的な獣人種の約三倍らしいので、純人種に換算すれば凡そ三十八歳といったところであろうか。


 重ねた年齢相応の落ち着きを宿し、思慮深く貞淑。自室に籠って研究に没頭している時間が多いようであったが、その知識や知性は常人を遥かに凌駕していた。

 事実としてベルナルドをはじめとしたエデルギウス家の誰もが彼女を褒め称え、知恵が必要な局面では真っ先にダュアンジーヌに頼っていたのである。



「貴方が、ノイシュリーベが見付けてきたという子?

 ふんふん……なるほど、これは将来が楽しみになる貌をしていますわね。

 学ばせ方次第で、どんな路にでも歩いて行くことが出来そう……」


 覗き込むようにエバンスを、或いはその周囲に浮体している巨大な精霊を検めながら何かを納得するような素振りを見せていた。

 そんなダュアンジーヌの右目もまた、ノイシュリーベと同じ三重輪の光輪が灯っている。精霊の姿を明確に視認しているのだ。



「文字の読み書きは? もし出来ないのならヘルマン達に教わると良いでしょう。

 そして共通語と旧イングレス語を習得したら、あの大書斎を覗いて御覧なさい」



「それは二階のベルナルド様の書斎とはまた違う場所なのですか?」



「ええ、この館の地下にある大部屋のことですよ。

 東側の保管庫や牢屋とは逆の西側に設けてあり、普段は扉が閉まっています。

 ただし、大書斎の主が滞在している時だけは扉が開いていますわ」



「……その大書斎の主という御方と接してみろ、ということでしょうか?」



「ふふ……」


 その問いに対してダュアンジーヌは優しく微笑むのみ。肯定も否定もしない。

 しかし邪悪なる思惑は感じない。彼女から何かを期待されている……或いは期待してみたいと思われている、ということだけは朧気ながらに察した。


 その後も何度か雑用のためにダュアンジーヌの部屋を訪れる度に、己に付いているという精霊の様子を話されたり、耳に響く"声"の本質について教わった。



「精霊が届ける"声"はヒトの可聴域……というと難しく感じてしまうかしら?

 つまり貴方の頭の上に付いている狸耳で音を拾っているのではありません。

 貴方の裡なる存在核……つまり貴方の本性に直接、語り掛けているのです」



「本性……というのもよく分かりませんが、おいら そのものが

 "声"を受け取る装置みたいなものと考えれば良いのでしょうか?」



「ええ、それで問題ありませんわ。少し難しく言うなら受容柩(レセプトダイン)ということね。

 ただし"声"を聞くことが出来る者はまだまだ限られています。

 貴方にはその素質があった。今はそれだけ覚えておくと良いでしょう」


 手元の書物の頁を捲りながら、嘯くようにダュアンジーヌは言葉を続けた。



「この常理で生きるヒトとは旧時代の器人(エルフ)を素材として進化(アップデート)された存在達。

 惑星の息吹である魔力を貯蔵し、精霊と交信し易くなっているのもそれが由縁」



「…………?」


 今のエバンスには、彼女が何を言っているのか、まるで見当が付かなかった。



「この大陸の"(トーラー)"は、『負界』を拒絶する機能を宿すための品種改良に

 特に重きを置いている。だから魔法使い(ドルイド)の数が最も多い大陸なのね」






 館内で雑用を熟し、ヘルマン達から少しずつ文字を教わり、慌ただしくも充実した日々を過ごすうちに年が明けた。

 館内では新年を祝う祝賀会が開かれ、近隣に住む領民達に庭園が開放された。


 決して贅沢が過ぎることはないが、それでも祝いの場ということで冬場の蓄えの中より奮発して大量の料理が振舞われた。

 使用人見習いとして働き始めたエバンスも、根菜の皮剥きや火元の維持。他の使用人達への連絡など、今の己に出来得る限りのことを必死に手伝っていた。



「よしよし、エバンスや。新年の祝賀会とは貴族家の威信を示す大事な機会だ。

 それに領民達を労ってやるためにも決して手を抜いてはならんぞ」



「分かりました、ヘルマン様」


 

「幸か不幸か、エデルギウス家の領地はノールエペ街道から離れているために

 積もった雪を掻き別けてまで、この時期に来訪なさる貴族家は滅多に現れない。

 その分、領民と確りと交流できるのでベルナルド様も楽しみにされておられる」



「冬は辛いです。こんな風に祝いの席で好きなだけ食べたり飲んだりできると

 皆、新しい一年をがんばろうって気持ちになれますね!」



「そういうことだ。祝賀会が一段落すれば使用人同士による簡単な宴席を

 許可されているので、それまで共に頑張ろうぞ」


 日が昇る前から働き通しというのは、ビュトーシュで骨拾いをしていた時と変わらないが、それでも生活は段違いに良くなったといえる。

 充分な量の賄い食が一日に三回も振舞われるし、何よりも真っ当な給金が貰える。エバンスは将来を見据えて最小限の私物を購入する以外は貯蓄に回していた。



 新年の祝賀会を終えて、会場となった館の庭園を片付けている最中。食事の余りを箱に詰めて持ち帰ろうとする美少年の姿を見咎める。初めて見る顔だった。

 祝賀会の最中ですら全く見掛けなかったというのに、何処から現れたのだろう?


 一見しただけでは判別は難しいが、恐らくエバンスやノイシュリーベと変わらぬ年頃であろう。そしてノイシュリーベと同じ銀輝の短髪と翠目をしていた。

 などと考えていると、件の美少年のほうから声を掛けてきたのだった。



「そこの君、見ない顔だが新しく雇われた小姓か何か……か?

 狸人(ラクート)とは、この辺りじゃ珍しい種族だな」



「(このヒト……もしかして?)」


 エバンスは察した。この館にはノイシュリーベの他に同じ年の弟が暮らしていると説明を受けていたが、これまで一向にその彼と接する機会はなかった。

 恐らくは今、眼前に居る美少年こそがその弟なのだろう、と。



「ああ、そうか……新参者ならば僕の顔を知らなくても無理はない。

 この館の主の息子、サダューインだ。普段は領内の村か地下室で生活している」


 年齢の割りに、少なくとも双子の姉であるノイシュリーベと比べて格段に大人びた雰囲気を醸し出しながら、美少年が微笑みながら己の正体を開示した。




「あ、はい……エバンスといいます。

 この冬から使用人見習い……をやらせてもらっています」



「エバンス? ああ、成程。君が姉上が拾ってきたとかいう骨拾いだったのか。

 全く、姉上の突拍子もない行動は、いい加減に控えてもらいたいものだ」


 紡ぐ言葉は冷淡。明らかにエバンスのことを棲む世界の異なる下賤な生き物としか見ていないような声色を滲ませていた。

 とはいえ一般的な貴族であれば元骨拾いなどとは言葉すら交わそうとはしない。眼前のサダューインは、その点で云えばまだ誠実と呼べるのかもしれないが……。




「まあ今更、この寒空の下で館から出ていけと言う心算(つもり)はないよ。

 精々、姉上が見出した君の有用性を示してみせると良いさ」



「…………」


 余り物を詰め終えたサダューインはそのまま踵を返して何処かへと去っていく。エバンスは何も言い返すことが出来なかった。



 この館で働き始めてから、元骨拾いのエバンスに対して怪訝な顔を浮かべる使用人は何人か居たものの、ノイシュリーベが見出してベルナルドが保護したということで表向きはエデルギウス家で働く一員として温かく迎え入れられていた。


 サダューインとて決して侮蔑や排他的な態度ではなかったものの、エバンスは久しぶりに他者との明確なる壁を感じさせられたのであった――


・第24話の8節目をお読み下さり、ありがとうございました。

・ダュアンジーヌが最後に嘯いていたことは、この舞台の根幹に関わることの断片なのですが"魔導師"の称号を持つほどの人物ならば、そういった事柄をある程度は自力で把握していたりします。

 ただ周囲に吹聴しすぎると"(トーラー)"から粛清されるので滅多に他人に零すことはありません。

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