024話『その掌に光を、頭上に草の冠を』(6)
やがて裏路地から表通りへと差し掛かる境界に至ったころ、二人の進む先に数人の人影が路を塞ぐように立ち並んでいた。
いずれも獣人種で、犬人の集団のようだった。身形はあまり良くなく、浮浪者というわけではないが真っ当な職に就いているようにも見えない。
「……なによ、あんたたち?」
「へへっ、来ましたぜ兄貴! さっき見かけた嬢ちゃんっす」
「場違いなお貴族様が俺達の縄張りに迷い込んできやがったから
どうしてやろうと思っていたが、ここで張っていて正解だったな!」
リーダー格と思しき、体格の良い犬人が一歩前に出た。
「俺達にもようやくツキが回ってきたみたいだぜ!
身包み剥いで奴隷商にでも売り飛ばせば、いいカネになってくれそうだ」
「この寒さで路上の骨拾い共がほぼ死んじまった。
これじゃあ商売あがったりってんで俺達も一斉に解雇されちまって
食い扶持を稼ぐのがしんどくなってきたところに、正に救世主のご登場ですね」
「へへっ、しっかりとこの目で見てきましたぜ。
あの嬢ちゃんが、後ろの狸人のガキに向けて魔法を唱えてるところをねぇ」
「この地方で魔法を使える子供ってのは貴重だ。それも珍しい銀髪のエルフ!
こういうのは、南方から来た人買い連中にも高く売れるからよ。
狸人のガキのほうも、売り飛ばせば端た金くらいにはなるだろう」
「……ぅぁ」
エバンスは彼等の顔触れに見覚えがあった。骨拾いが搔き集めた廃品を二束三文で買い取ってくれる元締めのところで下働きをしていた下男達だったのだ。
どうやら彼等は、無防備にも裏路地に入り込んだノイシュリーベの様子をしばらく伺い、これといった護身用の武器を所持していないことを確認し終えたので身柄の誘拐を企むべく路を塞いでいたようだ。
「……下種め!」
眦を釣り上げながら、エバンスを庇うようにして両腕を拡げるノイシュリーベ。大領主の娘として領民を護ることを己が使命であると、幼くして自覚していた。
「何とでも言いな。……お前等、このガキが魔法の詠唱を唱えた瞬間に跳び込め。
魔法使いってのはどんなに才能がある奴だったとしても
詠唱中はまったくの無防備になるってぇのが常識なんだからな」
「へっ、心得てますとも」
じりじりと距離を詰める犬人達。彼等もまた"獣人の氏族"であり、従軍経験があるためか幼いノイシュリーベに対しても決して侮らない。
むしろ貴族ならば庶民とは段違いの優れた教養や武芸の手解きを受けているものだと弁えて、一切油断する様子を見せなかった。
「くっ……」
その小さな身体を、精一杯大きく見せようと両腕を拡げながら仁王立ちを続けるノイシュリーベであったが、彼等の云う通り迂闊に魔法を唱えることは出来ないようであった。
絶体絶命の状況に在っても彼女は一歩も退こうとしなかった。しかし、それはノイシュリーベが生来の勇猛さを持っているからではなかった。
むしろ彼女は密かに身体を震わせていた、年相応に恐怖を感じているのだ……。そのことに気付いたエバンスは、より彼女に注視していくこととなる。
「(大丈夫だ……毛が逆立つ、あの気配は感じない……)」
恐怖を堪えて懸命に抵抗するノイシュリーベとは裏腹に、エバンスはどこか場違いなほど楽観していた。自身が培ってきた危地に対する感性が反応しないのだ。
それは即ち、眼前の犬人達が大した脅威ではないのか、或いは容易く脅威が払拭される未来を感じ取ったからであった。
斯くしてその予兆は、現実のものとなる。
「そこまでにしておきなさい」
犬人達の背後より、彼等とは明らかに異なる男性の声が響き渡った。
自信に満ち溢れた堂々とした声色。それでいて一廉の謙虚さを含ませており傲慢さや過度な威圧感を相手に与えることがないように配慮が感じられた。
「あぁ? なんだよ、今いいところなんだか邪魔するなよ……ッ!?」
リーダー格の犬人が苛立ちを隠そうともせずに背後を振り返り、そして思わず驚愕とともに硬直してしまった。
現れたのは身形の良い中年の純人種の男性。黒を基調とした上質な旧イングレス式の礼服を着用しており、身長は一メッテと八十五トルメッテと高く、身に纏う衣服の上からでも鍛え上げられた肉体であることを伺わせた。
焦げ茶色の短髪は清潔さを感じさせるように纏められており、如何にもな高位貴族であることが見て取れるが、その双眸は穏やかながらも、戦場帰りの騎士特有の鋭い眼光を宿していた。
しかし何よりも、その男が現れただけで周囲の温度が僅かに上昇したように錯覚するほど彼の放つ存在感は凄まじいものであったのだ。
「嘘だろ、『太陽の槍』が何故こんなところに……」
「ほう、私の顔を見ただけで判るとは君も戦場帰りかね?」
「…………」
リーダー格の犬人が明らかに動揺した素振りで狼狽える。彼の異変を察した仲間達は互いに顔を見合わせたまま、その場で棒立ちになった。
或いは背後より現れた中年の男性の存在感に圧倒されていたのだろうか。
「君達も生活に困窮しているということは察するが、だからといって大の大人達が
年端も行かない子供に手を出すというのは感心しないな」
「なんだと! 分かった風な口を利きやがって!」
「どこの馬鹿貴族だか知らないが、見たところロクな武器も持っていやがらねぇ」
「全員で取り囲んで、ふんじばって、身代金でも吹っ掛けてやろうぜ!」
「……止せ、コイツに手を出すんじゃねえ!」
他の犬人達が口々に悪態を着き始めたところで、リーダー格が怒鳴り声を挙げて静止させた。そして中年の男性から距離を取り始める。
「君達が素直に退いてくれるのなら、此方も手荒な真似をする心算はない」
「……クソッ、行くぞお前等」
「でもよ兄貴、相手はたった一人なんだぜ? この人数なら……」
「馬鹿共が! コイツは……いやこの御方は、あの英雄ベルナルドだぞ!
今のグレミィル半島を統べる支配者、新たな侯爵閣下だ。
見間違える筈もねぇ、俺は二年前のディエナ橋の戦いで間近で視たんだ」
ディエナ橋とは、ヴェルミィス湖より伸びる河の一つにに架けられた大きな橋で、ヴェルムス地方に於ける主要な交易路の一つ。
"獣人の氏族"の氏族長が率いる軍勢が、最後の抵抗を試みた戦場となった場所でもあった。
「ひぇっ! な、なんでそんな御方が!?」
「俺達なんかが勝てるわけが無ぇ!」
「……分かったら行くぞ」
一瞬で及び腰となった仲間の尻を叩くように、足早に裏路地より去っていった。
「お父様! お父様ぁ!!」
中年の男性……英雄ベルナルドに向かって、ノイシュリーベは真っ直ぐに走り出した。そして跳び込むようにして彼に抱き着いたのである。
「……ノイシュ、随分と探したよ。急に居なくなるから皆、驚いた。
ジグモッドの探知魔術の援けがなければ間に合わなかったかもしれない。
ロシュ達も今頃は別の区画を血眼になって探し回っている筈だ」
「うぅ、ごめんなさい……ご心配をおかけしました」
先程までの威勢はすっかり鳴りを潜め、父親に抱き着きながら弱々しい声で謝罪の意思と言葉を告げた。
そんな彼女の頭を優しく撫でた後に、同じくらい優し気な声色でベルナルドが語り掛ける。
「まあ、何はともあれ危険な目に遭う前に駆け付けることができて良かったよ。
……後ろに居る彼は?」
視線を、棒立ちになったままのエバンスへと傾けながら。
「ここで暮らしていた子です! 彼は特別なの!
すっごくキラキラした精霊を連れてるんです、あんなの見たことなかった!
きっと将来はフィグリス家の魔法使いみたいになれるわ!」
ベルナルドに抱き着いたまま、ノイシュリーベは指先をエバンスに向けて得意げに話し出した。まるで思わぬ場所で見つけた宝物を自慢するかのように。
「ふむ、私は精霊の姿どころか"声"すら聞いたことはないが
ノイシュがそう言うからには真実なのだろうな」
「…………」
「私はベルナルド・バシリオ・エデルギウス・グレミィル。この娘の父親だ。
狸人の少年よ、君の名前は何というのかね?」
「あの、彼は上手く言葉が喋れないみたいで……」
名を問われたエバンスにノイシュリーベが即座に助け舟を出そうとしたが、ベルナルドは少し待ってみることにした。
「……ぇ、ぅぁ……ス……」
軈てたどたどしくも口元を動かし、ほぼ呼吸音のような、声のような何かを絞り出すようにして零した。当然ながらノイシュリーベは聞き取ることが出来なかったとばかりにしかめっ面を浮かべている。
「ふむ、エバンスというのか」
「……ッ!!」
正確に名を言い当てられたことに少し驚いた表情を浮かべた。
「確かに言葉だけでは解らなかったが、君が伝えようとしてくれた意思と
口元の動きから凡そのことは類推することが出来たよ。答えてくれて有難う」
「すごいです、お父様!」
「ノイシュもこれから多くの人々と真摯に向き合って接していけば
自ずと解るようになっていくさ」
そしてベルナルドはエバンスの前まで距離を詰め、片膝を突いて彼の目線に合わせながら言葉を続けた。
「君の井出立ちから、過ごしてきた境遇は察して余りある。
此処に居続ければ遠からず凍死するか、さもなくば餓死することになるだろう。
……もし良ければ、我々とともに来る気はないか?」
「…………!?」
「本当はこの都市の孤児院や救護院に入れてあげられれば良いのだが
先程、市町達と話した限りでは何処も手一杯だという。
そこで君さえ良ければ、我が領地の館で住み込みで働いてみないかね?」
「それは名案ですね!」
「ふふっ、この娘が家族以外の誰かを夢中になって気に掛けることは珍しい。
それに館で暮らすダインにも、同年代の話し相手が居たほうが良いだろうしな」
「…………ぁ、ぃ」
断る理由など、何処にもなかった。
言葉にならない声で、必死に答えようとした。
眼前の男は、嘗て村を追い出されたエバンスが怒りを感じた者の一人。
現在のグレミィル半島を統べる大領主だったのだが、彼の圧倒的な存在感と懐の広さ、そしてヒトを惹き付ける太陽のような輝きを前にしては少年が懐いていた、ちっぽけな怒りなど即座に霧散していったのだ。
むしろこの男と、その実娘の下で新たな生活を送れるというのなら正に千載一遇の機会であろう。つい少し前までは今にも死に耐えようとしていたエバンスの心と身体は、再び熱を帯び始めたのである。
・第24話の6節目をお読み下さり、心よりありがとうございました!
・昨今は益々猛暑が続いておりますので、どうか皆様、ご体調などお気を付けくださいませ。