024話『その掌に光を、頭上に草の冠を』(2)
「……えっ」
何がなんだか分からなくなった。目の前がぐらぐらと揺れ、著しく激しさを増した動悸は止まらず、自分が今、その場に立っているのかすら実感が湧かなくなる。
エバンスという少年は、五歳という年齢を鑑みれば非常に聡明な部類に入る。
故に村長が話している言葉の意味……即ち、家族を喪ったという現実について不幸にも即座に理解してしまうのである。
「だって……今度こそ戦いは、もう終わるんだって……」
「ああ、確かに新たな大領主様への最後の抵抗は終わったんじゃよ。
お前の両親達は勇敢に戦った……いやぁ、勇敢に戦い過ぎてしまった」
含みを持たせた重苦しい口調で村長が言葉を続ける。
「ついに降伏を余儀なくされた氏族長は、大領主様のお怒りを恐れた。
そこで特に戦功著しかった『下級戦牙』の勇士達……つまり大領主様の家来を 大勢 殺してしまった者を搔き集めてはその首を撥ねて、差し出したのじゃ」
「!? それって、つまり……」
「うむ、お前の両親と兄弟達も含まれておる。
そうして首を捧げて大領主様の軍門に降ることを誓い、戦は終結した」
「う、嘘だッ!! ……そんなの嘘だよ!」
必死に声を張り上げて喚き立てるも村長は目を瞑って静かに首を横に振るのみ。
「残念じゃが事実だ。お前の両親達は本当によく働いてくれたのにのぅ」
「うっ……うぅ……」
これまでに親が戦死して孤児となった子供は村に何人か存在し、エバンスも幾度か目にしたことがあった。そして心の何処かでは、自分もいつかそうなるのではないかと内心で不安を感じていた。
しかし、いざそれが現実のものとなると、目の前が真っ暗となって何も考えられなくなってしまった。ただただ、嗚咽とともに両目から涙が溢れるのみ……。
そんなエバンスに対し、村長は更なる非常な現実を突き付ける。
「……言い難いことなんじゃがな、エバンス。儂はこの村を守る立場なのじゃ。
そして、この村から不名誉な者の痕跡を残しておくわけにはいかぬ……」
仲間に首を撥ねられるというのは大罪人であるということ。
更に敵に献上されるという結末を迎えるとなれば、少なくとも"獣人の氏族"の社会では最も忌むべき最期であり、末代までの恥となるのである。
そのような者が暮らしていた村など風聞が悪く、その後の村同士の交流や流通の面でも大いに不利益を被ることになるだろう。
「つまりのぅ、今直ぐにこの村から出て行ってくれんか?」
「えっ……!!?」
「この村にある、お前の家は解体する。お前の家族達の私物は処分する。
村外れに偽の小屋でも建てて、其処に勝手に住んでいたことにしようと思う」
つまりエバンスの家族はこの村の正式な住人ではなく、逸れ者の一家ということに仕立て上げる算段なのだろう。戸籍に関しても『下級戦牙』ならば、地方駐在の紋章官辺りに賄賂でも渡せば幾らでも誤魔化しが利いてしまうのだ。
「畑は……そうじゃな、隣のダムレス一家の畑と合併させれば良かろう」
「ま、待ってよ……家には父ちゃん達が大切にしていた木盃とか林檎酒とか
あと服とか、木彫り人形とか、たくさんあるんだ!!」
「……これも村のためじゃ、すまんのぅ」
言葉の上では申し訳なさそうに。然れど、双眸は冷酷に突き刺すようにエバンスを見据えていた。そんな村長に対して恐怖を覚えた。
「話は以上じゃよ。分かったら明日の夜明けとともに消えてもらいたい」
「そんな……おいら、どうすれば……」
「何処へなりと行くが良い。まあ……魔物に喰われなければの話じゃがな」
その後、村長の家内に無理やり腕を引っ張られて家屋から追い出された。
エバンスは途方に暮れた。
暫くその場で立ち尽くし、どうにもならないことを悟ると同年代の子供達の住む家に助けを求めに行くことにした。しかし……彼等の反応は冷たかった。
「おいおい、なんの冗談だよ! 村の恥晒しなんて置いておけるわけないだろ!」
「あんたが居たら私達の生活も成り立たなくなるんだよ」
「うわっ…お前まだ居たのか。弱虫が移るから早くどっか行けよ」
「大罪人の子供なんて気持ち悪いったらありゃしないよ……!」
「へっ、おかしいと思ってたんだよ。お前の親や兄弟だけ手柄を挙げてさ。
敵と内通してたんなら、そりゃどんな卑怯な奴でも活躍できるよな!」
どうやら既に村長によって村民達にエバンスの両親のことや、彼を追放することは広められていた。
それも噂に背鰭尾鰭を付けられて、戦場で仲間を裏切った薄汚い狸人の息子という扱いにされていたのだ。これでは誰も匿ってくれる筈もなく。
つい先日まで、苦しい生活ながらも肩を並べて励まし合っていた者達から心無い言葉を浴びせられるうちに、エバンスは絶望の淵に落とされていったのである。
中には盛大に拳を振るって殴り飛ばしてきた者までいる始末……。
ただでさえ親兄弟を喪った孤児となった挙句に、同郷の者からも見棄てられた。たった五歳の子供が、村を追い出されて野に放たれたところで野犬や魔物の餌となって喰われるのが精々であろう。
止め処なく涙を零しながら、とぼとぼと誰も居ない自宅に戻ると、エバンスは倒れ込むようにして意識を失った。
その翌日、激しく扉を叩く音でエバンスは目を覚ました。
数秒の後に、村の大人達が土足で家に上がり込んで来た。
「まだ居やがったのか! 早く出ていけって村長に言われただろ」
「うっ……でも……」
「でももクソもねーんだよ! お前がこの村に居座り続けると
あいつらが暮らしてた証拠になっちまうんだよ! だから、出ていけよ!」
胸倉を掴まれて、放り投げるようにして家の外に追い出された。
家の周りには同年代の子供達と、その親が並んで立っている。何れも、とても冷酷な目でエバンスを見下ろしていた。
「出ていけ! 出ていけよ!」
「そうだ、そうだ!」
「次の交易商人が村に来るまで痕跡を消しておかないと噂が広まっちまう」
「この疫病神が!」
思い思いに罵られ、石を投げられた。頭部に激痛を感じると一筋の鮮血が滴り落ちる。だがそんな痛みは些細なことである。
両親と兄弟を一度に喪った悲しみ。そして見知った隣人達の豹変した態度。
この時、幼いエバンスの世界は全てが反転したかのような境地に陥ったという。
「う、うわあああああああ!!」
とうとう その場に立っていられなくなって、泣き喚きながら能う限りの力で走り出した。逃げ出した。背後からは、尚も口汚い言葉と投石が降り注いだ。
何処をどう走ったのかは分からない。息が続く限りに走って、走って、走り抜いた。両親からもらった健脚が、この時ほど恨めしいと感じたことはなかった。
そして気が付いた時には、エバンスは村の近くの小さな丘の上に登っていた。
あの灰色の髪の旅芸人に、竪琴を触らせてもらった場所である。
無意識のうちに救いを求めたのだろうか。当然ながら旅芸人は既に居ない。
丘に立って村の様子を見降ろすと、エバンスの自宅は村中の若い男が総出で斧を振るって解体され始めていた。元より粗末な小屋も同然の家だっただけに解体作業は半刻ほどで済み、直後に火を放たれた。
「あ、ああ…………ああっ!!」
燃える。燃えていく。家族と過ごした大切な家が。苦しい生活ながらも思い出の詰まった空間が、無慈悲に焼却されていく様を、遠目ながら目撃してしまった。
両親達を出迎えるために密かに用意しておいた、とっておきの燻製肉や旅芸人から分けてもらった蜂蜜種なども、燃えていく……。
こんなことが許されるのか? 自分達がいったい何をしたというのだ?
『下級戦牙』という存在の無力さ。"獣人の氏族"が支配する地方の理不尽さ。
無意味な抵抗を続けた氏族長への怒り。大きな戦争が終わった筈なのに、末端の村々の生活を改善させなかった新たな大領主への怒り。
そして昨日まで一緒に生きて来た筈なのに、村長達に言い包められるままに自分を追い出した村民達。その全てに対して激しく絶望し、エバンスは泣き崩れた。
然れど、嗚呼……然れども。エバンスという幼子は怒りを覚えることはあれど、誰かを怨むことは出来なかった。
己を追い出した村民達に対しても復讐心を懐くことはなかった。彼等のうちの誰かとエバンスが逆の立場だとしたら、村民達と同じように村長の言葉を疑うことなく追い出される誰かを非難したかもしれないからだ。
同様に村長の立場ではそうせざるを得ないことも、幼いなりに察したのだ。
常理の理不尽さを感じることはあれど、憎しみを懐くことは出来なかった。彼はそういう人物なのである。故に……只管に己の裡に絶望を向けるしかなかった。
身寄りが無く、家もない幼子が独りで生きるにはヴェルムス地方は非常に過酷。
弱肉強食を是とする文化が深く根付き、厳しい階級社会が当たり前。自分の身は自分達で守るのが常識であり、定期的に魔物を討伐して回る警邏隊も存在しない。
大抵は村単位で自警団を結成したり、外部から冒険者を雇い入れて魔物の襲来を防いでいるのである。そして山野には相応に魔物や野獣などが徘徊する。
村という集団を追い出されてしまえば、たとえ成人男性であれ死を待つより他にないのである。他の地方であれば山に籠って隠者として暮らすという手もあるが、ヴェルムス地方の山は甘くないのだ。
明け方には深い霧を発生し、霧状の魔物や幽鬼が跋扈する。旅慣れた冒険者ですら野営の際には命を落とす事例が後を絶たないのである。
幼いエバンスが生き延びる可能性があるとすれば、それは一刻も早く大勢の旅人などが出入りするような、大きな都市に辿り着くより他は無し。
あの村長達の態度を鑑みれば、近場の村などに赴いたとしても、追い出されるか、最悪の場合は吊るし挙げられて処されてしまうかもしれない。
しかし外部からの流入が激しい都市ならば、素性を偽って暮らすことも出来る。
漠然とそのことを察していたエバンスは、丘を降りて只管に歩き続けた。
ヒトの通わぬ獣道を、小さな足で歩き続けた。道など判る筈もない。
途中で何度も魔物に遭遇した。
必死に走って逃げた、時には樹上に登ってやり過ごした。
どうして自分は、そうまでして生きていたいのか?
何がしたくて生き伸びているのか? 考えても、終ぞ答えは出なかった。
生きたい理由は分からない、しかし自ら命を絶つ道理も見出せない。
或いはその二つを見つけるために、必死で歩き続けたのかもしれない……。
山野に自生する植物を齧り、川の水を飲んで飢えを凌いだ。
時には毒性の植物に当たって生死の境を彷徨いかけたがエバンスは奇跡的に生き延びて、その都度 毒物に対する耐性とそれを見分ける危機意識が磨かれる。
コッチダヨ… ソウソウ、コッチ コッチ……。
何度目かの生死の端境を往来するうちに、エバンスは不思議な"声"を聞いた。
どうやらその"声"は、エバンスを何処かへ導こうとしているらしい。
周囲を見渡しても自分以外のヒトは居ない。時折、道行く旅人や冒険者と擦れ違うことはあったが、彼等が近くに居る時は決まって"声"は聞こえなくなるのだ。
最初は村の大人達が話していた幽鬼の類かと思った。しかし幽鬼ならば、疾うの昔に生者を底無し沼や谷底へ誘っている筈である。
エバンスに囁き掛ける"声"はそんな危険地帯へ導こうとする気配はなく、むしろ"声"に従って歩けば歩くほど、都市に近付いているような気さえしたのだ。
他に宛てなどなかったがために、エバンスは不思議な"声"に耳を傾けることにしたのだ。この際、幻聴でも何でも良い……少しでも独りの寂しさが紛れるのなら。
そうした不思議な体験を経て、エバンスの危地に対する感性は極限まで研ぎ澄まされていき、奇跡的に生存へと繋がっていったのである。
いつしか魔物をはじめとした自身に危害を加えようとする存在が近寄っただけで総身の毛が逆立つようになっていったという。
数ヶ月が経過したころ、遂にエバンスはヴェルムス地方で最も大きな都市である首府ビュトーシュへと辿り着いた――
・第24話の2節目をお読みくださり、ありがとうございました!
・エバンスが五歳の割には思考が大人びていたり、やたら察しが良いのは、本人の資質もありますが利発的な両親や兄弟の影響によるところも大きいです。
そういう血筋の一家ということなのですが、末端の村で暮らす者としては逆に不幸だったのかもしれません。