023話『群青の姫君は瑠璃色を纏う』(1)
魔鳥とエアドラゴンによる襲来を凌いでから三日が経過した。
負傷した者達には充分な手当が施され、再び城塞都市には一時の平穏が訪れる。
『翠聖騎士団』の魔法騎士や魔法使い達の何名かは大怪我を負って入院する者がいたものの幸いにも死者は出なかった。更に防衛の要である白亜の壁や各施設に目立った損壊は見当たらず、また早々に退がらせた常備兵達は軽傷で済んでいた。
したがって激しい戦いの直後にも関わらず都市の秩序と防衛力は一定の値を保たれ続けているのである。
[ 城塞都市ヴィートボルグ ~ 城館一階 救護所 ]
城館内の一階、大食堂から少し離れた場所に位置する大部屋にて負傷者の治療に携わっていたラキリエルであったが大半の患者の容体が安定してくると、同じく治療行為を行っていたバリエンダール女史に呼び止められた。
「これだけ入念に処置を施しておけば、後は安静にしていれば大丈夫でしょう。
ありがとう、ラキリエルさん。貴方の古代魔法のおかげで随分と助かったわ」
「いいえ、少しでも皆さんのお役に立てたのなら……」
「流石はエヌウィグス様が……いえ、サダューイン様が連れて来た御方ねぇ」
「……!?」
その名前を耳にした途端、ラキリエルはビクッ! と身体を震わせた。
エヌウィグスとはサダューインの"妖精の氏族"内での名前であり、『森の民』の出身であるバリエンダール女史は、其方の名で呼ぶことが多いのだ。
カリーナ・キヤンタル・バリエンダールは、"魔女の氏族"出身の妖魔であり、この辺りではかなり珍しい美しき漆黒の髪を持つ碩学者である。
『翠聖騎士団』の支援部隊を束ねる魔法使いであるが、魔法だけでなく魔術や錬金術、魔具術にもある程度は精通している。
ザントル山道でサダューインが負傷した際に使用していた治療用魔具も、彼女が手掛けた逸品なのである。
「あら? サダューイン様とは何かあったのかしら。
てっきり、あの人にもう囲われているのかと思っていたわ」
「いえ、その……」
僅かに怯えた様子を見せるラキリエルを見咎め、バリエンダール女史は値踏みするように様子を伺ってきた。そして原因となる一つの可能性を推測する。
「ああ、成程。視たのね……あの御方の本性を」
「…………うぅ」
「確かに、サダューイン様のあの御姿を視て尚も彼に心酔できる女なんて
『亡霊蜘蛛』の面々くらいでしょうからねぇ、無理もない話だわ」
即ち、"樹腕"や竜人種の左掌を垣間見せた悍ましき魔人の姿。産まれた時からの化け物ではなく後天的に、しかも自ら望んで肉体改造を施した果てのヒトの業。
彼の掲げる理念を現実とするために、喜び勇んで堕ちるところまで堕ちてみせた飽くなき幻創への研鑽を窮めた結果、それは常人には到底 理解できないだろう。
「ふふ、貴方のような有能な子がサダューイン様を支える派閥に加わっていれば
今頃、この城塞都市内の勢力図もまた塗り替わっていたかもしれないけれど
その様子だと、暫くは現状のままになりそうねぇ」
動揺するラキリエルを余所に、面白おかしそうに微笑みながら語り続ける。
と、その時。救護所の入り口より両者の傍へ近寄る者が現れた。
「ああ、ここに居たんだ!
……ラキリエル殿、それにバリエンダール様。少々よろしいでしょうか?」
「あら、エバンス君。貴方が救護所まで来るなんて珍しいわね。
ちょうど今、怪我人達の手当が一段落したところなのよ」
「おお、それは誠に善き時に参上することができました。
実は侯爵様がラキリエル殿をお呼びになられているのです。
他に所要がなければ彼女をお連れしても?」
「ええ、大丈夫よ。……エバンス君も大変ねぇ。
あのお転婆な大領主様の注文に付いて行ける人材なんて、君くらいなものよ」
「ははは、慣れていますから?」
何かを探るような視線とともに言葉を返すバリエンダール女史に対して、エバンスはさらっと受け流しつつラキリエルのほうを見やった。
「それではラキリエル殿、既に場所はご存じだと思いますが
三階の執務室まで案内いたします」
「はい、お願いします……」
気不味い話題になり掛けたところで現れたエバンスの申し出を断る理由などなく、彼に先導されてラキリエルは救護所を後にした。
「いや~~、まさかこんな時にあんな話題を振られるなんて大変だったねぇ」
一階の廊下に移り、他に人目がないことを確認するとエバンスは普段の砕けた口調へと戻っていた。その口振りからしてラキリエル達の会話に割って入ったのは偶然ではなかったのだろう。
「……サダューイン様には、申し訳ないと思っております」
本能的にサダューインを拒絶してしまった。今でも、恐らく彼の前に立って目を合わせることは難しいだろう。
恐怖と侮蔑の感情に支配されて震える己の姿が容易に想像できる。
彼の本性を目の当たりとして、その恐ろしき姿や複数の女性達と平然と関係を持てる人間性に対して堪え難き衝撃を受けた。直前まで感じていた光が余りにも大きかっただけに、落差による凋落は凄まじい。
だが、それでも、彼から受けた恩義を無碍にすることはできなかった。
短い旅の間に彼から受け取った温もりを忘れ去ることができなかった。
たとえラキリエルという個人が持つ、立場や能力といった価値を目当てとしての優しさであったとしても、彼に救われたことは事実なのだ……。
「んー、ちょっとくらい怒っても良いと思うけどねぇ。
まあラキリエルがそう感じているなら、おいらからは何も言えないけどさ」
「エバンスさんは……どこまでご存じなのですか?
サダューイン様のやっておられることや、人間関係など……」
「本当に細かい部分までは流石に分からないけど、だいたいは知ってるよ。
彼とも長い付き合いだし、ノイシュとの仲介役をやってる関係で必然的にね。
サダューインとはいい友人関係だと思ってる、お互いにね」
つまりエバンスはサダューインの本性や行動を知悉した上で、正面から向き合って友人として振舞っているのだ。彼の魅力に心酔しているわけでもなく、財産や権力を与えられているわけでもない。ただの友情のみで成り立つ、凡庸な関係。
血の繋がった双子の姉弟であるノイシュリーベですら、サダューインを正視し続けることを諦めて関係を悪化させているというのに。
「サダューインと関わった女性がどんな感じになっていくのかは
何人も見てきてるから知っているんだ。良くも、悪くもね。
だからまあ、おいらからは何も言えない……君が納得するようにすれば良いさ」
「……そう、ですか」
眼前の狸人の旅芸人は、どう考えても善良な性質な人物だ。勿論、正しい行いだけをして生き抜いてきたわけではないのだろうが、それでも彼の放つ魂の輝きは限りなく光り輝いているように思える。
そんな彼が真向から批判することなく友人関係を続けているのだから、サダューインという人物もまた汚らわしいだけの化け物ということはないのだろう。
だが、それでも。彼から受けた悍ましき真実を無に帰すことはできないのだ。
儀式の後に味わった、あの心胆凍える境地を忘れ去ることはできないのだ。
もう一度、正面から向き合いたい。拒絶してしまったことを謝りたい。
あの温もりに浸りたい……だけど、怖い。恐ろしい。悍ましい。
二つの相反する想いは、今暫しの間ラキリエルの裡で堂々巡りを続けるだろう。
「まあ簡単に答えが出る話じゃないと思うし、じっくり考えれば良いさ。
ただ、君の振舞いはこのお城に勤める人達の関心を弥が上にも集めるだろうね」
「それは、もしかして先程バリエンダール様が仰っていたことでしょうか?
わたくしが……その、サダューイン様のものになったら、というお話で……」
「そうそう、実は家臣の間でサダューインのほうが大領主に相応しいって主張する
一派が前々から存在しているんだよ。主に紋章官の人達だね」
清廉潔白を信条とし、大領主として領土を運営する方針ともしているノイシュリーベは時として融通の利かない人物である。
多少は黒い事業に手を染めてでも効率的な領土運用を提案したいと考えている紋章官達にとって、彼女と云う存在は目の上の瘤と映るのである。
その点、弟のサダューインは自ら手を汚してでも最善の策を採用する。彼自身の内政能力も素晴らしく、故に紋章官の多くは彼を盛大に支持しているのだ。
反対に、ノイシュリーベが団長を務めている『翠聖騎士団』をはじめとする騎士や常備兵、いわゆる武官達は彼女を支持する傾向にあった。
「馬鹿馬鹿しい話だよね。当人達は現在の立場に、お互い満足してるのにさぁ」
ノイシュリーベが爵位と大領主の座を継いで表立って振舞い、サダューインが影ながら暗躍して領土運用を支えていく。
それは双子の両親であるベルナルドとダュアンジーヌが嘗て実践していた役割分担であり、この一点に関してだけは双子は互いの立場を尊重しているのである。
万が一にも、サダューイン自身が大領主の座を簒奪することなど、有り得ない。
「ノイシュが大領主の座を継いでからまだ二年と少しだからかもしれないけど
家臣達の中には余計なこと考えてたり、ちょっかい出してくる人もいるかもね。
だから、頭の隅っこくらいには入れておいたほうが良いかもしれない」
「わかりました……そのことも踏まえて、じっくり考えて暮らしていきます」
「うぃうぃ~、じゃあノイシュが待ってるだろうから執務室に行こうか」
そうして二人は、階段を登って三階の奥まった場所にある部屋へと移動した。
・第23話の1節目をお読み下さり、ありがとうございました。
そろそろラキリエルにも心機一転してもらいたいと思います。