022話『今は遠き熱月の風』(10)
エゼキエル・ブレンケは城塞都市ヴィートボルグに勤める筆頭多面騎士であり、ノイシュリーベ直属の部下。近衛に近い役処である。
ジェーモスやハンマルグレン卿と同じく『大戦期』を駆け抜けた古強者の一人であり、平民の生まれながら一代騎士として正式に叙勲を受けた経緯を持つ。
元々は現在の南イングレス領の大領主であるイングバルト公爵に仕え、騎士修行時代のノイシュリーベの教導を担った。即ち、斧槍の師。
その武力は『翠聖騎士団』の各部隊長と同等以上とも評価されている。
大領主の座を継いだノイシュリーベに請われて角都グリーヴァスロからヴィートボルグへと移り、主君を違えて以降は寡黙な騎士として若手達にも慕われている。
「各々方が築いたこの状況、能う限りの敬服とともに参りますぞ!」
エゼキエルが先陣を切り、ノイシュリーベが並走して彼の動きに合わせた。
「グルルオオオオオ!!」
明確に己を攻撃しようとする二つの矮小な存在を見咎めた"五本角"のエアドラゴンは、向かって左を疾走するノイシュリーベを第一の標的としている。
左腕を真横に振り被り鉤爪で引き裂こうとしたが、鶴翼に拡がった大盾持ちの魔法騎士が数人掛かりで割って入って食い止めてみせた。
「……ぬぅぅん!」
「……でぇぇい!」
一挙に距離を詰めたエゼキエルが、罅の入った鱗……即ち、左脇腹付近に向けて横薙ぎの斬撃を放ち、全く同じ箇所に寸分違わぬ照準でノイシュリーベも斧槍の刀身を叩き込んだ。
バ ギィィィン !!
肉を切り裂くことこそ適わなかったが、遂に竜鱗の一部を叩き割ることに成功。
「グォオオオオオオ!!」
益々双眸が怒りで満ち溢れ、ノイシュリーベだけでなくエゼキエルも己が喰らうべき標的であると認識したのか、大きな顎門を開いて向かって右側に留まるエゼキエルを喰らおうと迫る。
「……うおおお!!」
「粉砕する!」
大戦鎚を持つ後衛の多面騎士達が飛び込み、それぞれ竜の頭部と首を目掛けて大質量の得物を容赦なく叩き込んだ!
「グギャアアアア!!」
筋力強化によって限界まで増強された膂力で振るわれた一撃は、流石の"五本角"でも平素ではいられなかったらしく、顎門による反撃を中断せざるを得ない。
「大戦鎚でも骨が砕けぬとは、恐ろしい硬さだ……ならば!」
痛打を浴びて一瞬だけ硬直した巨体の真下へ滑り込むように肉薄したエゼキエルは、斧槍の先端を垂直に突き出すようにして竜鱗を砕いた箇所を貫き穿った。
竜血が溢れる。この戦闘に於ける初の有効打を与えた瞬間であった。
周囲の魔法騎士や魔法使い達も、その戦果に思わず感嘆の声を挙げた。
「(流石はエゼキエル教官ね!)」
腰の草刷り部分の噴射口より豪風を噴き出し、竜の頭上を取る高さまで飛び上がる。
その間に大戦鎚持ち達は素早く後方へ跳躍して距離を取っていた。
ブゥゥゥゥン……――――
直後、攻勢を仕掛けた四名を纏めて薙ぎ払うために竜尾が真横に振るわれた。
多面騎士達は既に後方に跳び退いており、ノイシュリーベは直上へ逃れている。エゼキエルは素早く身を屈めて竜尾をやり過ごす。
「グルォオオオオ!!」
先刻までの大盾持ちとはまるで異なる機敏な動きで一手先を読むかの如く、悉く己の攻撃を避ける四名の敵対者に対して痺れを切らしたのか、その場で再び顎門を開き純魔力を無理やり口内に蓄え始めた。
「……装填途中で強引に竜の咆哮を放つ算段ですな。
"五本角"と云えど、基本的な行動原理は通常種と変わらないようだ」
斧槍の柄端に取り付けられた鎖を握りながら振り回し、竜頭へ向けて投擲した。
エゼキエルの武器『グライムハーケン』は実戦の中で改修を繰り返した実用性特化の代物。柄端の鎖は竜鱗を溶かして鋳造した特注品であり、鎖の先には竜の牙を加工した刃が取り付けられているのが特徴と云えた。
「ぬぅぅぅん……せいっ!」
全力で鎖を放り投げると"五本角"のエアドラゴンの顎門に絡み付き、強引に閉じさせてみせた。瞬間的に竜の咆哮の放射が封じられる。
無論、筋力強化を施しているとはいえヒトの膂力で顎門を封じ続けることは適わない。然れど、攻勢を繋いでいくための一瞬だけ封じられれば良いのだ。
「どりゃああ!」
「おおおぉぉぉ!!」
大戦鎚持ち建ちが再度迫り、駄目押しとばかりに竜頭と左腕にそれぞれ重厚な一撃を浴びせ続けることで、その巨体を大きく仰け反らせた。
「…………」
「……!」
鎖を握り締めるエゼキエルが直上のノイシュリーベに目配せを送り、意図を察したノイシュリーベは瞬時に頷き、己が成すべき役割を実践しようとした。
「研ぎ澄ませ、グリュングリント! 嵐を纏い蹂躙せよ」
全ての噴射口を後方に集約し、宙より豪風を噴射させる。斧槍の穂先を巨体の左脇腹……エゼキエルが貫いた箇所に傾け、照準を整える。
「――『過剰吶喊槍』! 突撃!!」
眩き光の残滓を迸らせながら、決殺の意思を乗せた全力吶喊を敢行。強大なる竜種を討つ英雄の槍が、僅かな希望を掴むべく駆け抜ける。
「ググゥゥゥ……!!」
顎門を閉じさせられているがために唸り声を挙げることしか出来ない。然れど、その双眸は聊かも狼狽えることはなく。尋常ならざる速度で迫る甲冑騎士の槍に対し、左腕を盾として左脇腹への直撃を防ごうとした。
ガギィィン…… バギィン!!
常軌を逸した竜鱗に覆われた左腕であったが直前に多面騎士が放った大戦鎚の一撃を浴びて罅が入っていたらしく、其処へノイシュリーベの傑戦奥義が突き刺さることにより竜鱗が割れ、腕の肉へと穂先が深々と突き刺さったのである。
「『――爆ぜろ、尖風』!!」
左脇腹こそ穿てなかったが有効打であることは事実と弁え、此処を勝機とした。
それまでにノイシュリーベが噴射し続けていた豪風を斧槍の穂先へと搔き集め、集積点が臨界に達したところで無制御の暴威を解き放つ!
彼女の傑戦奥義を熟知しているエゼキエルは、素早く柄端から鎖を外して大きく跳び退き、他の多面騎士達も得物を捨てて全力で退避した。
シュィィィン…… ヒュゴォォォォ!!
一度、爆縮した豪風の渦が一挙に膨れ上がり、穂先が突き刺さっている腕の内側より大爆発を引き起こす。
如何に強靭なエアドラゴンの肉体と云えども内側からの破裂には耐え得る筈もなく、右腕の肘から先が消し飛んでいた。逆に云えば、これだけの人数と手管を尽くしてやっと腕一本を捥ぎ取れたのである。
「グッ……グォォゥゥ!!」
豪風の大爆発により顎門を封じていた鎖も吹き飛んだがために、再び怒りに満ちた声を周囲に撒き散らす。
そして両翼を羽搏かせて徐々に直上へと飛び上がり、自由となった顎門を大きく開いた。今度こそ竜の咆哮で周囲に群がる矮小な者達を纏めて潰死させる算段である。
「今だ! バリエンダール殿、対空要塞の弩砲へ合図を送れぇぇい!」
「勿論ですとも」
ハンマルグレン卿が号令を発し、バリエンダール女史が右掌を天に翳して赤く輝く光球を投じた。即ち、対空要塞で待機している味方への砲撃要請である。
城塞都市ヴィートボルグが誇る二層の白亜の壁の壁上や、側防塔、市街地付近の監視塔などには等間隔で弩砲が設置されている。
対竜戦闘に於いては有効打となり得ないので、これまで出番がなかったのだが、
城館やエルシャーナ宮と同じ高さに位置する対空要塞には一際巨大な弩砲が設置されていた。
嘗て『太陽の槍』の二つで呼ばれた"偉大なる騎士"にして、英雄ベルナルドに肖って名付けられたその弩砲は、正に竜種を撃ち落とすために建設された秘蔵の兵器なのである。
バシュゥゥ ! キィィィ……―― ィン !!
バリエンダール女史の合図を経て対空要塞より柱の如き巨大な槍弾が放たれる。竜鱗すら貫くために先端には竜殺しの呪詛を幾重にも施した魔具兵器。
当然ながら竜種はこの呪詛を本能的に警戒するし、そもそも槍弾自体が明確な脅威であると認識する。故に、一度放てば即座に対空要塞を優先排除対象と定めて問答無用で襲い掛かって来るので此処一番という時でしか出番は与えられなかった。
「……グルォッ!!?」
去来する槍弾。己を射殺すに値するヒトの意地を垣間見た"五本角"のエアドラゴンは初めて恐怖に満ちた面貌を浮かべることとなる。
槍弾の着弾点は、無防備な左脇腹。既に左腕を喪失しており防ぐ手立ては無し!
しかし竜種は諦めなかった。ノイシュリーベ達の想像を越えて『竜弾郷』に棲息する者達は生き意地汚かった。
なんと咄嗟に総身を回転させて右腕を盾とすることで槍弾を浴びたのだ。そして呪詛が総身に行き渡るより早く、顎門を開いて自身の右腕を喰らい、噛み切ることで即死を免れたのである。
「グォォオオ! グゥルルルゥオオオオオ!!」
痛みと怒りで双眸を更に充血させ、勢いのままに羽搏いて上昇。そして己の鮮血で染まった顎門を開き、僅かながら再装填されている純魔力を迸らせ始めたのである。
バチッ バババ…… バチバチッ ……
顎門の周囲に途方もない熱と雷光が収斂されていく――
「なんてこと……これが"五本角"の底力というのか!」
「……奴め、捨て身で荷電粒子哮を放つ気ですぞ。
満身創痍の上に不完全な収束状態の純魔力を放てば、奴も無事では済むまいに」
歴戦のエゼキエル達といえども、必勝を確信した矢先の絶望的な状態に陥っては成す術もなし。荷電粒子哮対策として『耐雷布』という魔具もあるにはあるのだが、今からそれを持ち出して展開するには余りにも時間が足りなかった。
「(ここまでなの……?)」
頭上で迸る、死へ誘う光を見咎めてノイシュリーベは遂に諦観に陥り掛ける。
上空で放たれた時に比べれば、遥かに純魔力の出力は劣っているが、それでもこの場に陣取る者達を纏めて灼き滅ぼすには充分な脅威であるのだ。
「楚々たる大海の赤誠……空漠の招請……賜りし蒼角の龍に希う。
いと尊き……深海の揺り籠よ、儚き幻日の想世を赦し給え……!!」
壁上に居る誰もが絶望を感じ始めていた時、途切れ途切れに発せられる詠唱句が各自の耳朶に響き渡った。息も絶え絶えに紡がれる、その声色は非常に頼りないものであったが、同時に何かを成したいと欲する意思の強さが伝わってきた。
「『――叡理の蒼角よ、墓標を護れ』!」
不完全な荷電粒子哮が放たれるのと同時。凄まじい大海の大渦が壁上に巻き起こり、半球形状の分厚い水膜を象った。
荷電粒子の直射を浴び、しかし水膜が破られることはなし。そればかりか荷電粒子哮の射線を、明後日の方角へと逸らしてしまったのである。
「ぜぇ……ぜぇ……はぁ……」
古代魔法による防壁を講じた者……即ち、ラキリエルが側防塔の階段の淵にてへたり込むようにして蹲る姿が、ノイシュリーベ達の視界に映った――
・第22話の10節目をお読み下さり、ありがとうございました!
当初の予定以上に節数が増してしまいましたが、対エアドラゴン戦で描きたかったことを描かせていただくことが適い感無量でございます。
・そろそろ城塞都市の防衛戦も一区切りとなりますが、今回"五本角"のエアドラゴンと交戦したことは後々の展開に影響を及ぼして参りますので、どうかご期待いただければ幸いです。