022話『今は遠き熱月の風』(8)
嘗て地上世界に君臨していた神々なる存在達が斬獲され、各大陸の管轄者として"主"による新たな統治機構……常理が確立してから数千年。
"主"は己の大陸に棲まうヒトや魔物といった存在達を次々に進化させていった。嘗ての神々が、取るに足らない存在に落ちぶれるほどに。
斯様な常理にて、例外的に"主"が齎す進化の埒外に置かれた者が存在していた……其れが、竜種なのである。
神々は滅ぼされた。だが竜種は生き延びた。そして独自の進化を遂げた。
"主"の影響を受けずに脅威の度合いを増し続けたからこそ、ただ竜種というだけで容易く常理の箍を外すことが適う。全生物の天敵なのだ――
[ 城塞都市ヴィートボルグ エルシャーナ宮 ]
"五本角"のエアドラゴンの姿はエルシャーナ宮の展望台跡からでも観測された。皇太子バラクードを護る三名のコングリガード達も、流石にこの事態には緊迫の面貌を浮かべざるを得なくなった。
「あっはっは! ノイシュリーベも運が無いね。あんなのが出て来るなんてさ!
このグレミィル半島という土地は、本当に面白い!」
「呑気に言っている場合ですか。……グレミィル侯爵には聊か失礼に当たるが、
貴方は直ぐにこの都市から脱出するべきだ」
「いやいや"五本角"なんて生涯に一度、見れるか見れないかってくらいだろう?
こんなに良い機会を逃す気にはなれない、観戦継続だよ。
それに、いざとなれば君達が三騎で挑めば充分に勝てる相手じゃないか」
「それは……そうなのですが」
「だったら見届けようじゃないか、もしも彼女がアレを討伐してのけるのなら
僕の花嫁候補として一段と拍が付くだろうしね」
椅子に腰掛けたままバラクードはノイシュリーベ達が陣取っていると思しき壁の上を見据えていた。一見すると優男に見える風貌なれど相当に肝が据わっている。
尤も、音速で飛行し、一射で数千メッテ先の彼方まで灼き尽くす荷電粒子哮を放つエアドラゴンを前にして今更、逃げ出すことなど無意味であるのだが……。
[ 城塞都市ヴィートボルグ 城館二階 貴賓室 ]
時を同じくして貴賓室に滞在するラキリエルとスターシャナもまた、その異変に気付き始めていた。
「……ラキリエル様、あれは『竜弾郷』のエアドラゴンでございます。
魔鳥とは比較にならない脅威につき、地下室への避難を推奨いたしますわ」
緊迫した面持ちのスターシャナが淡々と告げる。場合によっては地下十階の魔導研究所までラキリエルを連れて行くことを検討し始めていた。
「『竜弾郷』とは、いったいどういう場所なのですか?」
「はい、キーリメルベス大山脈の南西端に位置する土地でございます。
大山脈の各地には非常に強力な飛竜種が棲息していることで知られていますが、
その中でも極めて強力な個体のみが居座っている秘境とされています」
大槍のように鋭く突き出した岩盤が連なる忌地。然れど、その岩盤の至る箇所には虫食いを彷彿とさせる隧道のような孔が繰り抜かれており、その孔を飛竜種達が音速に至る速度で絶えず飛び回っている。恰も砲弾が飛び交うかの如く。
故に、この忌地から奇跡的に生還を果たした冒険者達が『竜弾郷』と名付け、一種の伝説として大陸中に知れ渡ったと云う。
そして『竜弾郷』に棲息する竜種には共通した特徴があった。それは種に関わらず頭部に生える角が五本に変化し、通常種を遥かに超える肉体強度と魔力量と凶暴さを併せ持つのだ。
"五本角"のエアドラゴンは、対竜戦闘の経験が乏しい者達が相手であれば、たった一頭で小国くらいならば滅亡させる。実際に、過去にそういう実例があった。
「それほどまでに……! で、でしたら、わたくしが赴いて竜を説得いたします。
海底と地上とでは種族も価値観も異なるとは思いますが……」
「……論外ですわ。確かに、通常のエアドラゴンが相手ならば
貴方なら対話を試みることが出来る可能性はあるのかもしれません。
ですが『竜弾郷』のエアドラゴンは近寄るだけでも至難を極めることでしょう」
「そ、そんな……」
「ですので、賓客である貴方は直ぐに避難するべきなのです」
ラキリエルに何かあればサダューイン達は深く心を痛めるだろう。
それに賓客を護れなければエデルギウス家の信用も一気に失墜することとなる。
「……すみません、もう少しだけこの部屋に居させて下さい。
近寄ることすら出来ないのなら、せめて見届けさせてほしいのです。
ノイシュリーベ様の戦いを、そして地上で生きる遠い同胞を……」
「…………」
スターシャナは沈黙して逡巡した。彼女の身の安全を任された以上は直ぐにでも発つべきだが、故郷を喪い、同胞を喪ったラキリエルにとって地上で棲息する竜種というのは、やはり大いに気になる存在なのだろう。
『グラナーシュ大森林』内では忌むべき種族として生まれ、発見と同時に殺害され尽くした同胞達を持つスターシャナは、ラキリエルに対して密かに同情と共感を懐く部分があったのだ。
「……仕方ありませんわね。ですが、本当に危険だと判断したら
貴方を無理矢理に引き摺ってでも地下室へ連れて行きますので」
「ありがとうございます!」
そうして両名は貴賓室より今暫しノイシュリーベ達の戦いを見守ることにした。
[ 城塞都市ヴィートボルグ 内側の城壁 ~ 壁上 ]
「弓兵達は壁から降りて城館に戻りなさい。第四部隊と支援部隊は援護を!
それからエゼキエル……いえ、ブレンケ卿の部隊を此処に呼んでおくように」
「は、はい! 侯爵様の温情に感謝いたします」
飛び発つ間際に、壁上に陣取る臣下達へ細かく指示を出す。
エアドラゴンが相手では常備兵が放つ矢が通る筈もなく、無意味に敵意を招いて危険に陥るだけである。それならば早々に退がらせたほうが良い。
「聞いての通りだ! 騎士ハシュマー、貴卿が兵士達を連れて戻れ!」
「承りました、彼等を城館に戻した後に直ぐに前線に戻ります」
第四部隊に所属する魔法騎士の中から抜擢された若者が常備兵達を連れて側防塔に入り、内部の螺旋階段を降って壁の下へと降りていった。
「少しずつ竜鱗を削っていく、折を見て対空要塞の弩砲を放ちなさい。
私への配慮は不要よ、槍弾が飛んできても上手く避けるから」
「心得てございます、ノイシュリーベ様……どうかお気を付けて!」
「当然よ。さあ……往くわ!」
全ての噴射口を下方向へと傾けて、収束された豪風を噴射。
同時に、支援部隊の魔法使い達がノイシュリーベに様々な補助魔法を唱射した。
筋力強化。思考速度の強化。反射神経の強化。体表に魔力で編まれた強力な防護圏の形成。魔力出力の強化。継続的に作用する治癒魔法の付与……などなど、有りっ丈の援護を一身に浴びた。
対竜戦闘……特に拠点防衛に於いて要訣となるのは、自軍の中で最も強力な駒を単騎ないしは少数精鋭で編成して差し向けることである。
音速を越えて大空を飛び、数千メッテ先の彼方まで一射で焦土に変えるエアドラゴンが相手ならば、初手で大軍を嗾ければ無意味に被害を拡大させるだけである。
己を討とうとする者が広範囲に、大量に存在することを知覚した竜種は、それに対応した火力を容赦なく撒き散らすが故に。
したがって単騎ないしは少数精鋭で竜種の戦闘力を削り、然るべき時に軍団の強みを活用して一気呵成に仕留めに掛かるほうが被害を抑えられる。それに少人数で挑んで来る者には一廉の敬意を払おうとするのが竜種の習性でもあった。
尤も、最初に竜種に挑む者達は死を前提として戦わなければならないのだが……。
現在、この場に於いて最も対エアドラゴンに適した戦力は、『白夜の甲冑』を駆使して疑似的に飛翔できるノイシュリーベである。
主君であり大領主を差し向けることに抵抗を感じない臣下は居ないが、同時に英雄ベルナルドの子に期待したいという想いも、彼等は懐いていた。
「『――更に来たれ、尖風』!」
補助魔法で強化された状態で、更に凄まじい出力の豪風を噴射する。さすらば重力に逆らって垂直に飛翔しているにも関わらず、瞬時に音速域へと達した。
ビュ ゴォォォォ ……ォォォオオオオオオオ !!
出力の上昇に伴い、飛散させる光の残滓も眩さを倍増させている。
恰も眼前の脅威に対して「汝の敵は此処に有り」と派手に喧伝するかの如く。敵意を、己一人に集約させんと一条の彗星と化してエアドラゴンに突っ込んだのだ。
―――― キィィィィィ………ィィン !!
速度を落として降下しようとしていたエアドラゴンの脇を掠めるようにして、ノイシュリーベは飛び去っていく。即ち、一種の挑発行為だ。
絶対的な捕食者として君臨し、同じく音速で大空を翔る飛竜種にとっては、これ以上はない屈辱を与える一手なのである。
現に、左右の竜眼は明らかに怒気を孕み始め、降下を中断してその場で浮滞しつつ上空を舞うノイシュリーベに対して明確なる殺意を傾けた。
「(……くっ、睨まれただけでこの威圧感。これが"五本角"か)」
これまでの人生の中で強大な魔物や、通常種のエアドラゴン、そして手練れの騎士や悪漢達から殺意を向けられてきたことは多々あった。
しかし今回、浴びせられた殺意の恐ろしさは過去に雌雄を決した者達を遥かに凌駕して余りある悍ましさであったのだ。
「グャオオオオオオオオオ!!!」
エアドラゴンが顎門を開き、全周囲へ純魔力の波濤とともに凄まじい声を放った。いわゆる竜の咆哮である。
「グレミィルの空を巡る、大いなる原初の風の精霊達に希う。
我が身、我が領、我が腕。巡りて循る、環にして圏と成れ。
『――風域を統べし戴冠圏』!」
即座に風の防護圏を形成。去来する咆哮圧を受け留め、逸らし、防護圏は消滅したものの無傷で凌ぎ切ってみせた。
もしも先程の竜の咆哮を無策で浴びてしまったのならば、彼我の距離にもよるが生物であれば即死は免れない。仮に即死しなかったとしても肉体と精神の双方に致命的な損傷を負い、重い後遺症を患うことになる。
ノイシュリーベは一瞬だけ眼下の様子を検めた。壁上に陣取っている臣下達もまた支援部隊が行使した防護圏によって無事に耐え抜いてくれていたようだ。
「…………ぉぉおおお!」
速度を維持して上昇し、一定の高度に達した後に円を描くように縦旋回して天地を入れ替える。同時に細かく横回転を刻みながら真下に位置したエアドラゴン目掛けて降下を開始。
相手の前方斜め上から、左脚へ向けて対角線を描くようにして擦過させつつ、急降下と同時に擦れ違い様に斧槍による斬撃を叩き込んだ。
……ギィィン!!
鋼鉄よりも遥かに頑丈な竜鱗によって斬撃が阻まれる。十二分な速度と急降下による位置エネルギーも加味した一撃であったにも拘らず掠り傷一つ与えられない。
「(……硬すぎる! 普通のエアドラゴンなら一枚くらいは鱗を割れるのに)」
途方もなく硬いものを斬ろうとした反動により、両腕に痺れが残るほどである。
そのまま再び縦旋回を描いて高度を確保し、第二撃を敢行しようとした……が、そこでエアドラゴンが反撃に打って出たのだ。
縦旋回の最高地点に達し急降下のために体勢と位置を整えるために、ほんの一瞬だけ減速する隙を狙われた。鋭く伸びてくる竜の尻尾が、鞭の如くノイシュリーベの総身を叩き潰そうとしたのだ。
「なんの……!」
咄嗟に肩の草刷りを稼働させて自身の前方に突き出し、前方向に豪風を噴射。さすらば強力な逆噴射急停止と成って縦旋回機動の途上で空中停止してみせたのである。
ノイシュリーベの未来位置を予測して放たれた竜の尻尾が空を切る。
野太い尻尾が擦過しただけで、その余波たる風圧を総身に浴びて思わず吹き飛ばされそうになった。
そもそもノイシュリーベの身長は一メッテと六十四トルメッテほど。全身甲冑によって多少は嵩ましているとはいえ誤差である。
対して"五本角"のエアドラゴンの全長は、直立した状態で約十二メッテ。両翼を拡げた全幅は四十メッテを優に超えている。先刻、討伐したギィルフルバは元よりノールエペ街道で交戦したエルドグリフォンなどよりも遥かな巨体であった。
「グワォオオオ!!」
エアドラゴンが吠える。一度羽搏き、巨体をその場で一回転させながら長い首を鞭のように振るってきた。遠心力が加味された頭部の顎門が恐ろしい速度でノイシュリーベへと襲い掛かる。
「(……落ち着け、これならばまだ!)」
恐怖を堪え、迫り来る死の牙を見据え、直撃する寸前にて真下に豪風を噴射して咫尺の距離にて辛うじて躱す。
当たれば即死は免れない……否、この飛竜種の攻撃はどんな些細なものであれヒトが耐えられる筈がないのだ。そう弁えて、死線の先の活路を求めて身を翻す。
「『――来たれ、尖風』」
腰の草刷りを斜め下へ傾けて豪風を噴射。エアドラゴンの周囲をジグザグに切り返しながら、斜めに上方宙返りを繰り返して速度を維持したまま高度を上げていく。尾撃や首撃へ即座に対応するための機動である。
豪風を噴射させ続ける際の魔力消費量が尋常ではなくなり、消耗の度合いが加速するが一撃で死んでしまえばそれまでなのだ。
「……ぉぉおお!」
そうして高度を稼ぎ、遥か上空に吹き荒ぶ激しい風の流れを一身に浴びながら、ノイシュリーベは絶頂点にて縦旋回を描き、天地を入れ替えて斧槍の穂先を真下に据えて真っ逆様に落ちるようにして豪風を全力噴射させた。
「グゥゥゥ……」
天から降って来る、己に歯向かう矮小な標的を見咎めようと直上を見上げたエアドラゴンが目を細めた。陽光の直射。目が眩み、咄嗟の判断が遅れる。
「これで……どうだぁ!!」
夏の陽光を背負うようにして豪風の噴射に垂直落下の勢いを乗せた考え得る限り最高の一撃を……叩き込む!
エアドラゴンの右目に向けて、斧槍を袈裟懸けに振るった。
……ガギィィン!!
咄嗟に目を瞑ったエアドラゴンの瞼に直撃する。鱗ほどではないが尋常ではない硬さ。然れど、軽くはない痛痒は叩き込めた筈だ。
返す刀で斧槍の柄の端、石突に程近い部分を諸手で握り締めると、横方向へ回転させて遠心力を最大限に加味した斬撃を、初撃で当てた箇所へ寸分違わぬ照準にて叩き込んだ。
……ピシッ
すると今度は、竜鱗を割ることこそ至らないものの僅かに罅を入れることが適ったのである。
「(行ける! これなら同じ個所を何度か斬っていけば……)」
そんな甘い希望を懐き掛けた、その瞬間には絶望へと転換される。
バチッ バチバチッ ババババ……
エアドラゴンの中枢……竜種の存在核の辺りより夥しい量の魔力が迸り、総身を循環した後に角へ、そして顎門へと集約されていった。
魔力の流動を正確に見極めることを可能とする『妖精眼』を持つノイシュリーベには、それが如何なる前兆であるのかを誰よりも早く察した。
「此処で放つのか、拙い……!」
更なる追撃に移ろうとしていた自身の身体を急激に転身させ、敵を前に背を向ける愚行を採ってでも全力でその空域から離脱しようと飛翔した。
「グゴァアアアアアアアアアア!!」
直後であった。怒りに満ちたエアドラゴンがノイシュリーベに向けて開いた顎門を傾け、口内より純魔力を変換した光を解き放ったのである。
空に、一直線に伸び渡る 眩き閃光の傷痕が刻まれる――
『荷電粒子哮』と呼ばれる其れは、数千メッテ先の彼方まで灼き祓う業であり、"五本角"であれば更に威力と射程距離が増していた。
もしも地上で放たれていれば、都市の一つくらいは一瞬で蒸発することだろう。
「……うあぁぁぁ!」
距離を取り、射線から逃れ、荷電粒子哮の直撃こそ免れたものの余波の熱がノイシュリーベに襲い掛かり、甲冑の裡の皮膚へ凄まじい高温の波を叩き付けていた。
無二の魔具兵器である『白夜の甲冑』を身に纏い、更に支援部隊が施した防護圏による補助があって、この結果なのである。
もしも何の備えもしていない状態だったならば、余波を浴びただけで焼け死んでいたことは間違いない。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
皮膚が焼け爛れる激痛を堪え、呼吸を繰り返して気を紛らわせる。
幸いにも支援部隊が予め施していてくれていた治癒魔法が作用し始めたのか、数秒が経過するころには痛みは急速に引いていった。
しかし此処で、更なる試練がノイシュリーベに伸し掛かる。
「(いけない、荷電粒子哮を避けるために魔力を使い過ぎた……)」
咄嗟の判断と、万象を灼き祓う光を免れたいと欲する生存本能から消耗量の計算を捨てて魔力を消費してしまったがために、魔力枯渇状態へと陥ったのだ。
豪風を噴射させる余力がなくなり、推力を失い、ノイシュリーベは急速に失墜した。恰も翼を捥がれた鳥の如く、己が治める城塞都市へと転落することになる。
規格外の魔力量を誇るノイシュリーベでさえ、エアドラゴンに対抗するために疑似的に飛翔を続けていたのだから、その消耗量は生半可なものではない。
むしろ翼を持たない身で、此処まで"五本角"に抗えていたのだから一種の奇跡であるとすら称えられるべきなのだ。
――――……
「ああ……」
落ちる。
堕ちていく。
未だ上空に在る"五本角"が此方を見降ろしている。怒りに満ちた双眸は、愚かにも絶対的な捕食者に抗おうとした者を決して逃さないという意思を滾らせていた。
・第22話の8節目をお読みくださり、ありがとうございました!
やはり竜は良いですね……ファンタジーものを書かせていただく醍醐味でございます。
・ラナリキリュート大陸の野生のエアドラゴンの飛行速度は凡そでマッハ1.5~マッハ2くらいで、荷電粒子哮の有効射程距離は5㎞~8㎞といった具合になります。
なおヒトに使役されて飼い竜となったエアドラゴンは"主"の常理の影響下に入るので、大幅にスペックダウンしております。それでも騎獣としては最上位に位置していることは間違いありません。