022話『今は遠き熱月の風』(3)
晩餐会が始まってから半刻ほどの間に、様々な種類の料理が振舞われていた。
特にグラナーシュ大森林で栽培された作物は他の地では見られない固有種が数多く存在しており、丁寧に下処理された果実や野菜類、根菜などを用いた冷製スープやサラダ、豪奢に盛られたライ麦パンなどは好評を博している。
他にもシーリア湖の湖魚やグリスナ大河の支流で獲れる川海老を用いた擂身のつみれ煮や乾酪焼き。固有種の篦鹿の肉をラナリア皇国の料理文化に倣って厚切りで焼いた代物などが盛られた大皿がテーブルに並べられていた。
一方、飲み物はよく冷えた真水や黒麦酒、葡萄酒、蜂蜜酒、白林檎酒などが用意されている。
グレミィル半島の晩餐形式は、最初に大きなテーブルの上に全ての料理を一度に配置する。故に、冷めてもある程度は味わいを損なわない料理が多いのである。
そうして粗方の料理が平らげられて食後の余韻に浸る頃合いにて、筆頭紋章官のエドヴァルドはさり気なく皇太子バラクードへ外交に関わる話題を振り始めた。
「いやはや、本国から遠く離れている このグレミィル半島にまで
次期皇王とされる御方に何度も足を運んでいただけるとは、誠に皇国の統治が
公正であると実感させられますなぁ」
「そうありたいと心から願っているよ、僕はね」
「はっはっはっ……してバラクード殿下、此度は何をお探しなのですかな?
グラナーシュ大森林で採れる果実の食べごろは、もう少し先となりますが……」
「ふふ、今回は避暑を兼ねて個人的な旅を楽しみたかったのさ。
本国と比べて、ここは幾分か涼しいからね」
「成程、それは然り。流石は聡明な殿下でございますな」
他愛のない会話だが、その言葉の節々には様々な探り合い……特にラナリア皇国の皇王府に関する暗喩などが含まれていた。
断片的に会話の意味を理解したノイシュリーベは、密かに緊張感を強める一方で表面上は平素を装いながら眼前の食事を粛々と平らげていく。
幾ら顔見知りの皇太子が相手とはいえ、まだ外交の経験が乏しい身では晩餐会の場で率先して会話の主導権を狙うべきではないだろうと弁えてのことだ。
勿論、然るべき時には相槌くらいは打てるよう心掛けてはいるのだが。
ちなみに避暑目的というのは熱海のラナリア皇国本土に比べてグレミィル半島の気候のほうが遥かに涼しく、夏を過ごし易いという事実は間違いない。しかし、その言葉の裏に含まれているのは現在の皇位継承権の争奪戦の諸事情であった。
即ち、皇太子の座を武力で簒奪しようとする他の皇子達からの矛先を一時的に躱すために、こうして遠く離れたグレミィル半島に来訪した……というわけである。
これには大陸北部への侵攻を再開したいというラナリア皇国軍の将官達が、交戦的な皇子を担ぎ上げようとする思惑が絡んだ結果なのであった。
武力を行使するには相応の大義名分が必要となり、皇太子の座の簒奪ともなれば一瞬で片を付けなければ、後々に臣民達からの不信感を大いに買うこととなる。
したがって、その武力を差し向ける一瞬の機会さえ躱してしまえば、バラクードとしては容易く難を避けることが適うのだ。
そういった事情を直接的に訊ねれば、グレミィル半島の諸侯も確実に政争に巻き込まれることになるので、皇太子は避暑目的と説明し、筆頭紋章官はそれ以上を表立って追求しようとはしなかった。
他にも『グラナーシュ大森林で採れる果実の食べごろ』という言葉などにも複数の意味合いや駆け引きが幾重にも込められているが、それはまた別の話である。
「あとはまあ……そろそろ僕もいい歳だからね。本格的に伴侶を探している。
皇王府の宰相達は本国の三大侯爵家から娶れとしつこく言ってくるんだが
僕としては他領の有力者か、デルク同盟の王族辺りが良さそうだと考えている」
「殿下も御年は二十五歳となられますからな。
善き縁談の末に男子あらば臣民一同も、さぞや安泰と感じられることでしょう」
「うんうん、だから滞在中の土地ではよく目を凝らして探しているんだ。
幸い、このグレミィル半島には素晴らしい女性が多くて心が躍るよ」
微笑みながら、視線のみをノイシュリーベへと傾けてきた。
「(……試されているわね)」
僅かに戸惑う素振りを演じた後に、一拍置いてノイシュリーベ側もバラクードへ向けて優し気な視線を送り返した。
一介の貴族の女性として反応するべきか、それとも属領を治める大領主として反応するべきか。仕草の一つとて己の在り方を示す試練と成り得るのだ。
「それはそれは、ご滞在中に殿下の理想通りのお相手に巡り会えると良いですな。
ご希望でしたら私めのほうからも何なりとお手伝いをさせていただきましょう」
「有難う、その時は遠慮なく頼らせていただくよ」
堂に入った朗らかな笑み。見る者を安堵させるように徹底的に磨き挙げた振舞いを披露しながら、バラクードはさり気なく次の話題へと移していく。
「素晴らしい女性といえば、だが……聞いた話ではここ最近、グレミィル半島では
遠い海の底から亡命してきた女性を保護したそうだね」
「……ッ?!」
「ふふ、皇王府でも少しばかり話題になっていたものでね。
君のほうも僕に訊きたかったことなんじゃないかな?」
再び視線をノイシュリーベに傾け、試すように言葉を投げ掛けてきた。
それに対して一拍置き、相手の意図やこの晩餐の場で話すという意味合いについて考えを巡らせてから、ノイシュリーベは慎重に口を開くことにする。
同時に、一瞬だけ視線をエドヴァルドに向けて「この返答は自分で行う」という意思を伝えてからバラクードの座る方角を見据えた。
「仰る通りです。我々は海底都市より脱した貴婦人の身柄を預かっています。
余程のことがなければ、彼女には我が領地で静かな暮らしを与えたいと……」
「結構な判断だと思うよ。少なくとも来年の夏までは匿っておいてほしいかな。
その彼女の故郷を襲撃したのは第四艦隊のボルトディクス提督の独自行動だ。
彼曰く、皇国の障害と成り得る勢力を先行して排除した……と述べていたよ」
「……成程。あの有名な"水爵"殿の言いそうなことですね」
臓腑が煮え繰り返りそうになるのを懸命に堪える一方で、海底都市ハルモレシア襲撃の件が皇王府全体の意思ではなかった点には安堵していた。
「海底都市とやらは、アルドナ内海から北イングレスを攻める際には丁度、
艦隊が辿るであろう航路の真下に位置していたそうだからね。
北部侵攻を推奨する将官達は皆、ボルトディクス提督の行動を称賛していたよ」
「一方的な蛮行を称賛するなど、お歴々は『大戦期』で凝りていないのですね」
「確かに、北部侵攻を勧めるのは比較的 高齢の将官が多いね。
彼等にとって皇国の領土を拡げることこそが最大の誉なのだろう。
まあ他にも、海底都市という特殊な地勢を攻める意味は大きかったのかな?」
「……極秘裏に開発していらしたという新型鑑の運用試験としても
誂え向きの攻略対象だったことでしょうしね」
ラキリエルとの面会時に聞いたラナリア皇国の潜海艇のことである。
水深五百メッテの海底にまで潜航可能な艦など現在のラナリキリュート大陸中の各国を見渡しても他には存在しないだろう。
北方の軍事大国マッキリーの艦ですら、そこまでの潜航は達成していない筈だ。
「そうそう、よく知っているね……当事者を保護しているのなら、それも当然か。
僕としては故郷を滅ぼされた彼女には心より同情しているよ」
「殿下のそのお言葉は、彼女にとっても僅かな救いとなるでしょう」
「……だと良いけどね。僕個人としては、あの提督のやり方には賛同していない。
むしろ証拠不十分な状態で海底都市の民を虐殺した罪に対して
正式な軍事法廷の場を開いて糾弾するべきだと考えているよ」
口調は気軽に、しかし表情はやや真剣味を帯びながらバラクードが己の考えを口にすると、そこで初めて同席していた青髪のコングリゲガードが口を開いた。
「バラクード殿下。会食の場でそのようなことを軽々しく仰るのは……」
「ははっ! 構わないさ。此処は本国からは遠く離れているからな。
それに自分の価値観を吐露することくらい大した問題にはならないさ」
「相変わらず、貴方は少し楽観過ぎる……」
「君達がしっかりと護衛してくれているおかげさ。信頼しているんだよ。
話の腰を折って済まないね、ノイシュリーベ殿……続きを語らせてもらおう」
「いえ、お構いなく。殿下のお立場は浅学ながら心得てございます」
「それは結構。やはり賢くて強い女性は善いねぇ」
手元のグラスを手に取り、僅かに残っていた葡萄酒を飲み干してからバラクードは言葉を紡ぎ続けた。
「実際のところ皇王府でも意見は割れているんだ。
ボルトディクス提督を支持する北部侵攻推進派は彼を無罪どころか英雄扱いさ。
対して保守派は彼を罪人として正式に捌くべきだと主張しているよ」
「殿下は……後者側なのですね」
「うん、流石にボルトディクス提督のやり方は強引が過ぎると思うしね。
しかも滅亡させた海底都市跡を皇国軍の軍事拠点として利用しようとする案も
提案してくる始末だよ」
「何と、身勝手な……!!」
思わず怒気を孕んだ声を挙げてしまった。当然である、勝手な都合で無辜の住人を滅ぼした挙句に、彼等の棲み処だった土地を新たな侵略の足掛かりにするなど、これ以上の悪逆があるだろうか?
『大戦期』の後に産まれ、過去の凄惨な時代を知らぬノイシュリーベとしては到底 看過することが出来ない蛮行としか映らなかった。
加えてラキリエルの置かれた境遇や、彼女の胸中に芯から寄り添いたいと願ったばかりの時分ならば尚更に。
「だが北部侵攻推進派達は、その提案に大いに賛同している。
北イングレスに攻め込む上では悪くない戦略案だと映るのだろうね。
だからまあ……海底都市の生き残りの扱いは、暫くは纏まらないだろう」
「彼女の重要性は、皇王府でも認識されているのですか?」
「まあね。ボルトディクス提督の罪を暴く上でも貴重な証人に成り得る存在だ。
それに竜人種はとても貴重で強力だ。彼女達だけが扱える古代魔法を含めてね」
「そうなりますと、今後もボルトディクス公爵の息が掛かった者達が
手出ししてくる可能性が考えられますな」
ノイシュリーベがやや感情的になり掛けていることを察したのか、エドヴァルドが所感を差し挟んできた。
「かもしれないね、僕のほうでも出来得る限りは抑止の策を試みておくが
彼もまた歴戦の将だ、あの手この手でこの地に干渉してくることだろう」
「……仮に、仮ですが。今から生き残りの身柄を皇王府に差し出せば
ボルトディクス公爵の関心がこの地から離れるということは有り得ますかな?」
「……アッペルバーリ卿! 何を言い出すの?」
ラキリエルを引き渡すという可能性を開示するエドヴァルドに、ノイシュリーベは明白に避難の色を滲ませた視線を傾ける。
しかしエドヴァルドもそれは覚悟の上で尋ねておくべきだと判断したのか、主君の言葉を無視してバラクードの返答を待った。
「うーん、その可能性はあまり高くないね。
ボルトディクス公爵は以前よりグレミィル半島への強い執着心を見せていた。
海底都市の生き残りの件を抜きにしても、何れ手出ししたんじゃないかな?」
「然様でございますか。戯言を申し上げてしまったこと、お詫び申し上げます」
ボルトディクスについて、この場で最もよく知るであろうバラクードからの言葉を受けて、エドヴァルドは速やかに退き下がってみせた。
元々、幾つか考えられる可能性の一つを確認しただけに過ぎないのであろう。
「いやいや、構わないよ。繰り言になるけど、僕としては一年間くらいは彼女を
この地でで匿っておいてくれるほうが有難いんだ。
一年あれば、僕から動いて皇王府の意見を纏め上げることも出来るだろう」
即ち、皇太子バラクードが直々に保守派に介添えをしてボルトディクス提督を正式な軍事法廷の場に立たせると言っているのである。
更に言うならば、保守派に介添えするということは北部侵攻推進派と対立するということであり、曳いては彼等が担ぎ上げようとしている他の皇子達とも表立って争うことを意味していた。
故に、全ての段取りが整うまで、一連の出来事の生き証人であるラキリエルは、本国より遠く離れたグレミィル半島に置いておくほうが何かと都合が良い。
「分かりました。私達としても殿下の方針に異を唱える余地はございません」
「じゃあこの件はこれで仕舞いとしようか?
ボルトディクス提督は、何やら他にもこの地で画策していることがあるようだが
そっちのほうは、僕として何も関与していないし、出来そうにないからね」
「……そういう、ことですか」
先日のラキリエルとの面会の場でサダューイン達と交換した『灰礬呪』の情報を想起して、ノイシュリーベは淡泊は反応を返すしかなかった。
「ああ、済まないね。だが看過できない程に彼の増長が極まってしまったのなら、
その時は必ず君の力になろう」
「ご配慮いただき、痛み入ります」
「その件で更に踏み込んだ話がしたいのなら、二人きりの時にでも話そうか。
ただ僕は気紛れだからね? 直ぐに気が変わってしまうかもしれない」
「……留意しておきます」
「ふふっ、ごちそうさま。素晴らしい晩餐の機会だったよ」
会話の最中にも用意された料理を綺麗に食べ切っていたバラクードは、満足気な表情を浮かべながら白布で口元を拭い、家臣達へ退席の合図を目配せしていった。
「殿下の御口に値し得る場と成り得たのなら、我らグレミィルの民の誉です」
席より立つバラクードに合わせてノイシュリーベ達も立ち上がり、今宵の晩餐に一区切りを付けさせる。
そうして大食堂を後にしようとする皇太子一行を丁重に見送るのであった。
「お疲れ様でした、グレミィル侯爵。よく堪えてみせたものですな」
「我ながら、まだまだ不足を感じるわ……相手が相手だったとはいえ、
もっと上手に情報を引き出せるようにしていかないと」
上座に残ったノイシュリーベとエドヴァルドは一息着いたが故の安堵の表情を浮かべながら互いに所感を零した。
「いやいや、皇太子殿下に下手に探りを入れ過ぎて不敬と捉えられるよりは
多少は朴訥に、淑女として振舞っておいたほうがよろしいでしょう。
何せ彼は、侯爵殿のことを気に入っておられるのですからな」
「……今更、ただの偶像として振舞っても仕方ないでしょう?
ともあれ明日の昼過ぎにでも早速、殿下の下へお伺いするようにします」
「そうですな……予定より早めに皇太子一行がご来訪されたからには
この機に乗じて他の予定も前倒しにしていったほうが得策でしょう」
「ええ、ザンディナムの件にも早く着手していかないといけないわ。
"あいつ"が隠者衆を連れてくるまでには全部片づけておかないと……」
言いながらノイシュリーベ達も席を立ち、大食堂より退出するのであった。
その後は僅かな時間を置いて従者達にも食事が振舞われるのである。
・第22話の3節目をお読み下さり、ありがとうございました!
・冒頭の料理のうち乾酪焼きの補足となりますが、これは現代でいうところのグラタンのようなものを想像していただければ幸いでございます。
そのままグラタンと書くとハイファンタジー感が薄れてしまうような気がしたので、苦肉の策でこう表記させていただいておりますこと、どうかご容赦ください。
・元ネタは言うまでもなくヤンソンフレステルセでございます。乾酪はおそらく山羊乳で造られたものです。
・また固有種の篦鹿はヴィンターブロット丘陵に棲息する固有のヘラジカで、正直なところ肉質はそこまでではなく本来は塩漬け肉や腸詰にするような感じなのですが、今回は本国からやって来た皇太子達を持て成すということで、例外的にステーキにした……という背景がありました。