022話『今は遠き熱月の風』(2)
バラクード・ラ・ニアンデス。
属領の一つであるロフェリア領にて大領主を務めるニアンデス公爵家の出身者を母親に持つラナリア皇国の第一皇子にして現皇太子。
しかし数年前に母親の生家が謀反を企てたという疑いにより、その血を継ぐ彼は皇位継承権を一時的に剥奪されたことがあった。
ニアンデス公爵家は古くからの名門にしてロフェリア領では絶大な影響力を誇るがために、その地位と爵位に関する処分は一旦保留とされることとなったのだが、その代替として彼の皇位継承権が失われたのだ。
腹違いの兄弟達が順当に権力を強めていく一方、廃太子と化した彼には何も与えられることはなかった。だが、バラクードは気にしなかった。
彼の才覚と行動力は人並外れており、元よりラナリア皇国という枠組みには納まりきらない逸材であったが故に、むしろ才能を開花させる絶好の機会となった。
気紛れなれど情熱的。自由奔放にして才気煥発。常人の埒外の思考と行動。
自らの足だけで歩いて回り、己を磨き、信頼できる仲間を見出していった結果、他の腹違いの皇子達よりも遥かに民に慕われる人物へと成長を遂げたのである。
皇位継承権を失ったからこそ比較的自由に他国へ出歩くことが適い、様々な文化や価値観に触れて見識を広めていったのだ。
そうして着実な成果を積み重ねた末にニアンデス公爵家を陥れようとした張本人を突き止めて捕え挙げ、皇王府に身柄を突き出すことで一連の騒動は収束し、彼が本来持っていた皇位継承権は元通りに納まったのである。
しかし一時的とはいえ皇位継承権を失効したという事実は残り、他の皇子を担ぎ上げようとする有力者達にとって彼から再び皇位継承権を取り上げるための絶好の口実として利用されようとしている。
当然、腹違いの皇子達とは水面下で静かに権力争いが行われている最中なのだ。
「このような時期にお越し下さるとは、臣下の身では大変に身に余る思いです」
皮肉を籠めて、首を垂れたまま淡々と告げた。
ノイシュリーベの本心としては「私も貴方も悠長に会って話をしていられるような状況じゃないでしょ?」と言い捨てたいところである。
そんなノイシュリーベの胸中を察しているのか、いないのか、バラクードは特に気負った様子を見せず悠々と言葉を返してきた。
「はははっ! 僕と君の仲じゃないか、そんなに畏まる必要はないよ。
どうか面を上げて、楽にしてくれたまえ」
「……分かりました」
静かに頷き、言われた通りに視線を皇太子へと傾ける。
彼の身長は一メッテと九十トルメッテ。サダューインとほぼ同じくらいではあるものの、鍛え上げた肉体の双子の弟とは異なり、この皇太子は細身の部類だ。
更に言えば二メッテを超える巨漢が多く存在する皇族男子の中ではむしろ背丈が低いほうなのである。
生粋の武人というよりは漂々とした政治家や商人といった風情ではあるが、仮に武力で競うことになったとしても、決して油断することはできない。
正式な騎士として叙勲を受け、実戦を重ねてきたノイシュリーベの眼から見てもただの優男とは映らないのである。
尤も、この皇太子に一瞬でも敵意を傾けたのならば彼自身が動くよりも早く護衛のコングリゲガード達が大陸最強の武勇を以て即座に対処してくることだろう。
「相変わらず君は真っ直ぐだね。そこが気に入ってるんだけども」
「……光栄です。しかし殿下、エルディア地方からは御身がご利用されておられる
船が入港したという報せは届いていませんでしたが、いったい何方から?」
皇族専用艦は非常に巨大な船体を誇り、入港できる場所は限られている。
海路でグレミィル半島に訪れるのなら、最有力候補はエルディア地方の港湾都市エーデルダリアとなる筈なのである。
「ああ、そのことか。最近は、私が独自に造らせた中型の船を愛用していてね。
今回はティグメア……といったかな? あの小さな町で下船したんだよ。
おかげで、いつもよりかなり短い日数でここまで辿り着けたというわけさ」
「……把握が追い付いておらず、申し訳ございません」
自慢気に語るバラクードに対して、ノイシュリーベは表面上は詫びつつも内心では「ルートを変えるなさら予め連絡しないさいよ!」と叫びたくなる衝動を必死に堪えていた。
「ははっ、気にしないでくれたまえ。
皇都を発つ時に思い付いたから試してみたんだけど、案外 上手くいったのさ」
愉快そうに笑いながら、上空を見上げて陽の位置を検める素振りを見せた。
「……ゆっくりと話がしたいところだけど、もう直ぐ正午だ。
今日こそは街中で食事がしたいと思っていたところだったからね。
この場での面会はこのくらいにして、午後から改めて君の城に向いたい」
「お食事でしたら城館のほうで直ぐにでも用意させますが……」
「いやいや、僕は市勢の店の味も好きなんでね。最近の旅の楽しみの一つなんだ。
特に君の領地は優れた魔具を用いた調理場が普及しているから
訪れる度にどんな進化を遂げているのか毎回わくわくしているのさ」
それに関してはノイシュリーベとして同意するところではあった。
市街地に点在する飲食店の中には大人数で利用できる店も少なくはない、バラクード自身が平民……それも亜人種も出入りする場に混じって食事を採ることに抵抗を感じないのであれば、好きにさせてしまっても良いような気がしてきた。
そんな思惑をノイシュリーベが巡らせていると、彼の視線は遥か後方で待機しているヴィートボルグの騎士達へと傾けられていた。
「君の部下達も疲れてきっているだろうし、長話はなるべく控えようじゃないか。
僕達は市街地で時間を潰しておくから、その間に自分の城に帰還したまえ。
おそらく夕方過ぎくらいに、君の根城に向かわせていただくことになるかな」
「ご配慮いただき、痛み入ります」
「じゃあ、そういうことで! お先に市街地に入らせてもらうよ」
手を振って挨拶した後に、皇太子バラクードは馬車の中へと戻っていく。
青髪のコングリゲガードがノイシュリーベに対して深々と一礼し、一行は再び城塞都市の入り口である鋼鉄の門扉へ向けて歩みを再開し始める。
「(まったく、相変わらず身勝手な男ね……)」
とはいえ最低限の相手への配慮を講じる頭と手際を心得ているのも事実。故にノイシュリーベは真向からバラクードのことを批判するまでには至らないのである。
皇太子一行を見送った後にノイシュリーベもまた己が率いる部隊の下へと戻り、四半刻ほどの時間差を付けて凱旋を果たすのであった――
[ 城塞都市ヴィートボルグ 城館一階 大食堂 ]
皇太子一行が市街地でゆっくりと食事を採り、丘上の城館へと入城を果たしたのはすっかり日が暮れた夜分ことであった。
市街地で時を費やしたのは観光のためであるのと同時に、予定より早い来訪に対して属領の為政者達に準備を整えさせる時間を与える目的も兼ねてのこと。
筆頭紋章官のエドヴァルドなどは大慌てで、予め組んでいた段取りを大幅に前倒しにして皇太子を迎え入れる体勢を整えていく羽目になったという。
その甲斐あってか大領主であるノイシュリーベと皇太子バラクードの正式な場での歓待の挨拶と幾許かの対話は恙なく行われ、晩餐の時刻にはどうにか迎賓の準備も整い、こうして城館一階の大食堂に一行を招くことが適ったのである。
大食堂は本来、城主や主だった騎士を含む城内で働く全ての者達が一度に食事に有り付けるだけの席数を備えていた。
実際には歩哨や他の仕事、遠征などの都合により全員が同時に食事を採ることはあり得ないのだが、こうして来賓がある場合などには大いに真価を発揮する。
現在の大食堂には城主であるノイシュリーベと上級騎士の面々、そしてエドヴァルドなどの一部の高位の紋章官達が集っている。
来賓者側の上座には皇太子バラクードと、彼の側近である青髪のコングリゲガードが座っており、他の席には皇太子一行の騎士達と、それと同じ数のヴィートボルグ駐在の騎士達が座っていた。従者達の食事はこの後に執り行われるのである。
来賓者の中には樹人であるエドヴァルドが上座に座ることに若干の抵抗を感じる者も居ないわけではなかったが、彼の数百年に渡る実績への敬意のほうが勝っているらしく、表立って不満を述べる者は現れなかった。
「やあやあ、これは見事なものだ!
最近はどうしても予定を違えて各領地にお邪魔することが多くなったけど
ここまで見事に、臨機応変に対応してみせた城は滅多になかったよ」
「はは……それはまた、バラクード殿下にお喜びいただけたのであれば
我々も脚に火を宿して駆け回った甲斐があったというものです」
引き攣った笑みで愛想笑いをしながらエドヴァルドが応対していた。
彼からしてみれば少しずつ整えていた迎賓の段取りが台無しになったのだから内心では相応に憤りを感じていることだろう。
これまで幾度か皇太子バラクードを出迎えてきたという自負や面目も、今日一日で丸潰れとまではいかずとも幾らか砕かれた筈である。
ちなみに『脚に火を宿して駆け回った』というのは、燃えるような凄まじい速度で疾走して事を成し遂げるという意味合いで使われる故事であり、旧イングレス王国に伝わる守護霊獣グリーヴァを歓待した逸話に由来している。
「殿下、拝謁ながらご一行を歓迎させていただくための挨拶を私のほうから
させていただいてもよろしいでしょうか?」
「うん、ご随時に」
「それでは……バラクード殿下をはじめ、各々方が長き旅路を経て
このヴィートボルグへご来訪いただいた今日この日を祝福させていただきます。
ラナリア皇国の栄光に! 大陸を統べる"主"様のお導きに! 乾杯」
ノイシュリーベが手元の酒杯を高らかに掲げて宣言すると、バラクードを筆頭に食卓に着く者達もそれに倣い酒杯を掲げ合った。
そうして少し遅い晩餐会が開かれたのである。
・第22話の2節目をお読み下さり、ありがとうございました!
・冒頭で少しだけ綴らせていただきましたが、バラクード殿下は一度 皇位継承権を失って皇太子ではなくなったのですが紆余曲折を経て再び皇太子の座に返り咲いたという経歴となります。
ですが、その立場は不安定なものとなっていて他の皇子達から虎視眈々と皇太子の座を狙われている感じとなります。