022話『今は遠き熱月の風』(1)
[ グラニアム地方 ~ ヴィンターブロット丘陵付近 ]
マドラスクラブの群れを討伐したノイシュリーベ達は、更に三日ほどを費やして付近の村々を巡回し、領民達との交流を経て他に脅威となりそうな魔物が出没していないかどうかを聞き入れてはその都度、適格な措置を施していった。
魔物討伐のために出陣してから、約一週間の遠征と相成る形である。
幸いにも現地で告げられた目撃情報によると群れで徘徊している魔物達は何れも小型種であり、各村では数人の騎兵を差し向けるだけで対処することが適った。
領民達からの感謝と安堵の声を聞き遂げたノイシュリーベは満足気な表情で己の本拠地である城塞都市ヴィートボルグの目前まで戻って来たのである。
討伐隊の先頭にはノイシュリーベとペルガメント卿が馬を並べ、背後には『翠聖騎士団』の紋章、グレミィル侯爵の紋章がそれぞれ描かれた旗を掲げた側近の騎兵達が随伴している。
そして両者が率いてきた多面騎士部隊や第二部隊に所属する面々、彼等に随伴する従騎士や従者、輜重隊などが続く形の一団となっていた。
「ノイシュリーベ様が直々に、これだけ入念に視て回っておられれば
今年のライ麦も滞りなく刈り入れることができるでしょうな」
「ええ。貴方達、第二部隊に同行してもらった甲斐があったわ。
収穫期に魔物や害獣による被害が増えることは例年のことだけれど
今年はザンディナムの問題があるから、食料はより確実に確保しておかないと」
「これから大規模な浄化作業をやらかすからには、人手が要りますからねぇ。
そうなりゃ当然、メシも多めに用意しとかなきゃならない……ですか」
「ブレキア地方の隠者衆や、ウープ地方の学徒達を招き寄せる手筈になっている。
彼等には長期間に渡って滞在してもらうことになるわ。
少しでもライ麦の収穫量が減ってしまうと備蓄を崩すことになりかねない……」
仮にそうなったとしてもヴィートボルグには大量の食料が貯蔵されているので、数ヶ月程度であればザンディナムへの供給を全て賄うことは可能である。
しかしそれはあくまで緊急の手段であり、可能な限りは例年通りに収穫した作物をグラニアム地方内で循環させたいところであった。
「本当は南域のグレキ村周辺やミゼッタ領辺りも視ておきたいところだけど
そろそろ戻っておかないと空からの魔物の襲来があるかもしれないわ」
馬上より遥か北東……大陸中央部から北部に跨って聳え立つキーリメルベス大山脈の方角を見据えて、静かに嘯いた。
遠く離れたグレミィル半島からでも、大山脈の誇る威容は薄っすらと視認することが適うほどである。
「……ああ、貴弟殿の手勢が出張中でしたからな」
ノイシュリーベの言わんとしていることを察したペルガメント卿は、彼にしては少々堅めの表情になりながら頷いてみせた。
地勢上の特性により、グレミィル半島にはキーリメルベス大山脈の傾斜を降って山上の寒気を含んだ気流が流れ込んで来る。いわゆる『大山脈颪』が訪れる。
問題は、この大山脈颪に呑まれて山上付近を飛び回る鳥種や魔物が降りて来ることがあるのだ。代表的な例にナゴルラゴプスなどが挙げられるのだが、時折 強大な飛竜種や魔鳥、飛行蟲などが迷い込む事例が発生している。
そういった空からの襲来者に対して古来より城塞都市ヴィートボルグでは、対空防御の術が研鑽されているのだが、近年では天空騎士の末裔であり覇王鷲を駆るエシャルトロッテが上空の哨戒と、防衛の際の先駆けを引き受けてくれていた。
しかし彼女は現在、隠者衆の送迎のためにブレキア地方へ向けて遠征の最中にあった。故に、対空防御が手薄となってしまっているのである。
「まあ、ハンマルグレン卿が守将に就いている間は滅多ことは起きますまい。
あのオッサン……いや、歴戦の騎士殿達は守備には定評がありますからねぇ」
ハンマルグレン卿とは、彼と同じく『翠聖騎士団』の部隊長の一角を担う魔法騎士であり、主に第四部隊を率いている。
第一部隊長のジェーモスと同じく、英雄ベルナルドの代からエデルギウス家に仕える最古参の騎士であった。
ちなみに第二部隊長ペルガメント卿、第三部隊長ボグルンド卿はノイシュリーベの代から登用された『森の民』出身の亜人種であり、古参の騎士とは世代や種族の違いからか若干の温度差が生じている。
「勿論、彼等を信用していないわけではないけど……」
防備に関しての不足は感じていなかった。問題は城塞都市内で暮らす領民や滞在者達に余計な不安感を与えてしまうこと。
自ら大空へと飛び発つ攻性防御を実行することが出来るエシャルトロッテとは異なり、ハンマルグレン卿達はどうしても拠点での迎撃を強いられてしまう。
故に領民達が空の魔物の姿を目の当たりとする機会が増えてしまうのだ。
その点、ノイシュリーベが戻れば『白夜の甲冑』の機能を駆使して疑似的に飛翔したり、大魔法による長距離迎撃を試みることも可能となるのである。
「(ラキリエルにも、今はあまり刺激を与えないほうが良いでしょうしね)」
故郷を失った悲しみに加えて、想い人の本性を目の当たりとして混沌の淵に在るであろう彼女の心が立ち直っていく間だけでも、穏やかに過ごしてほしい。
それがノイシュリーベが帰路を急ぐ最大の理由の一つと成り得ていたのだ。
「今のヴィートボルグには、ザンディナムから避難して来た連中も居ますからな。
いつの間にやら貴弟殿の手勢にも随分と頼り過ぎていた……怖いっすねぇ」
「そうね……それも将来的には何とかしていかないといけないわ」
エシャルトロッテ個人は信用できる人物ではあったが、彼女もまたサダューインの手駒であり『亡霊蜘蛛』の一員なのである。
領民を護るという目的が一致しているとはいえ、ノイシュリーベ達としては彼女を頼り過ぎるわけにはいかなかった。
「気が付いた時には貴弟殿が張り巡らせる蜘蛛の糸に絡め捕られていた。
……なんてザマにはならないように、期待させていただきますぜ」
「当然よ。効率のために肉体どころかヒトの心すら道具として扱う"あいつ"には
このグレミィル半島の民を導く資格はないもの」
「呵々ッ! その意気ですぜ」
主君を肯定するとともに揚々と笑い飛ばす最中にもペルガメント卿の瞳は何処かノイシュリーベを値踏みするような色味を含ませていた。
彼としては、より強く、より領地や領民を護る術に長けた者の下に着きたいと考えている。それが実力至上主義を根底とする"獣人の氏族"の習性なのだから。
「さて、もう四半刻もすりゃ壁が見えてきますが……ん?」
見慣れた白亜の外壁の在る方角を見やると、丘陵の麓辺りに五十名ほどの団体が行進している光景を目の当たりとして、ペルガメント卿は思わず訝しんだ。
先頭には見事な甲冑を着込んだ重装騎士が三騎。その後ろにも軽騎兵と従者達が何騎か随伴しており、彼等に取り囲まれた馬車がゆっくりと直進していたのだ。
「あの旗は、ラナリア皇国の皇族紋!」
真紅の生地に、焔の揺らめきを彷彿とさせるラナリア皇国の象徴たる紋様。
即ち、皇族が率いる一団であることを示しているのだ。
「うぉぉ……マジですかい。ありゃ件の皇太子の一団でしょうよ。
予定より随分と早いご到着じゃないっすか!?」
「バラクード殿下の気紛れな性分が出たのでしょうね。エドヴァルド……いえ、
アッペルバーリ卿達が頭を抱えている姿が容易に想像できるわ」
尤も、頭を抱えたくなっているのはノイシュリーベも同じであった。
「都市に入る前に見掛けたからには、挨拶しないわけにはいかないっすよね。
……なら俺達は遠回りして城に戻ってますわ」
「気を遣わせてしまって、悪いわね」
「お気になさらず。本国の連中は亜人種を快く思っていないでしょうから」
純人種に近い獣人であればまだしも、ペルガメント卿のように獣の特徴を色濃く遺す狼人ともなれば、グレミィル半島以外で暮らす者達は魔物と区別することすら出来ない者も相応に存在するのだ。
要らぬトラブルを避けるためにも、ペルガメント卿は率先して迂回案を申し出てくれた。そうして彼が率いる第二部隊には別行動を採らせて先に帰還させる一方、従者の一人を皇太子一行に送り込み、道中での面会の段取りを整えていった。
程なくして此方の従者と、皇太子一行の使者が揃ってノイシュリーベの傍へと近付いてきたのである。
彼女の目前まで迫ると、使者の男は乗馬したまま一礼して要件を伝えてきた。
「グレミィル侯爵殿。予定日を大幅に早めての来訪をお詫びするとともに、
皇太子殿下は是非ともこの場でお会いしたいと申してございます」
「快く、承らせていただきましょう」
短く返答した後に従者には待機を命じた。そして護衛を付けずに皇太子の下へと一人で出向かう。
大領主とはいえ、所詮は属領を治める家臣であり彼我の権力差は明白なのだ。
万が一にも謀反の可能性有りと受け取られることのないように、単独で此方から挨拶に赴く必要があった。
「(本国のコングリゲガードを三騎も連れているとはね……)」
皇太子一行の団体に近付き、先頭に配置された重装騎士の井出立ちを検めながら、その物々しさに思わず胸中のみで驚嘆していた。
ラナリア皇国のコングリゲガードとは、英雄級の実力者のみで構成された大陸最強の戦闘部隊であり、皇族達の護衛を務める者達なのである。
『翠聖騎士団』もラナリア皇国陸軍では屈指の戦力とされているが、騎士の質ではコングリゲガードの方が上回るだろう。
尤も、それだけに員数が限られており三騎も引き連れることは稀なのだ。
皇族専用の馬車の傍にてノイシュリーベは下馬すると、その場で片膝を突いて跪いてみせた。
「……ノイシュリーベ・ファル・エデルギウス・グレミィル、参上いたしました。
討伐作戦より帰還途中の身にて甲冑を着込んでおりますこと、お許しください」
兜こそ脱いで面貌を晒してはいるが、首から下は『白夜の甲冑』を着込んだままとなっている。なお愛用の斧槍は部下に預けている。
「殿下が統べる一行の足を停めていただき、こうして謁見の機会を賜れたことに
心より感謝と栄誉を感じていることを先んじてお伝えさせていただきます」
すると、コングリゲガードの一人……ノイシュリーベとそう歳が離れていないであろう青髪の騎士が馬車の取っ手に掌を添え、厳かに扉を開いていく。
数秒の後に、馬車内より緩慢な所作で一人の青年が顔を出してきた。
同時に、遥か南方の熱海に満ちる潮の香が漂った……ような気がしたのだ。
「やあやあノイシュリーベ! 久しぶりだね、会えて嬉しいよ。
君に会いたかったから、少しばかり急いで来てしまったんだ」
陽に焼けた健康的な肌に明るい薄茶の長髪を優雅に結った美青年が朗らかな笑みを浮かべながら優しく語り掛けてくる。
彼こそは現在のラナリア皇王バランガリアの第一子にして皇位継承権第一位を持つとされている人物……皇太子バラクードが、堂々と姿を現したのであった。
・第22話の1節目をお読み下さり、ありがとうございました!
・前々より名前の挙がっていたバラクード殿下のご登場でございます!
ただ、先に皆様にお詫び申し上げさせていただきますと、彼が本筋に関わって来る機会は、そう多くありません。
真の意味で彼と、彼の臣下である青髪のコングリゲガードにスポットライトが当たるのは、恐らくこの物語が完結した後の騒動の時となることでしょう。
とはいえ、主人公であるノイシュリーベが大領主として邁進していく上で避けては通れない重要人物であることに変わりはなく、また皇太子という立場に相応しき設定も練り上げさせていただいておりますので、どうか少しでも皆様のご興味と愛着を得られれば嬉しく思います。
・より一層 自分に描ける限りの物語を目指して執筆を続けていく所存ですので、もし良ければブックマーク登録や評価、ご感想などを賜れれば今後の励みとなります。
ここまで読んでくださり、重ねてお礼申し上げます。