021話『巡り往く季節の中で』(1)
雷雨は過ぎ去り、陽光が熱を増していく……。
グレミィル半島にも短い夏がやって来ようとしていた。
第三演習場での姉弟間の儀式が幕を閉じてから三日が経過した。
城塞都市ヴィートボルグの上空には未だ幾らかの雨雲が滞留してはいたものの、時折 切れ間より差し込む陽射しからは夏の息吹が確かに感じ取れた。
そんな曇天の帳の下、丘陵に沿った緩やかな傾斜の路を一台の黒塗りの馬車がゆっくりと降り進んでいる最中であった。
上等な造りの車体には振動を軽減する機構が組み込まれており、身分の高い者が乗車することを前提としていることが伺えるだろう。然れど、過分な装飾は施されておらず、エデルギウス家の家門だけが慎ましく刻まれているのみである。
「…………」
馬車内の車窓より空を見上げるのは、腰まで届く黄金の髪と碧い瞳を備えた貴人……ラキリエル。彼女は沈黙の中で物思いに耽っていた。
数日前に起こった出来事と真実を直視して、困惑の淵より抜け出せずにいた。
想い人の本性を目の当たりとし、今後どう接していけば良いのか答えが出ない。
互いに傑戦奥義を披露し合ったノイシュリーベとサダューインであったが、幸いにも双方の傷はそこまで深刻なものではなかった。
儀式の翌日にはノイシュリーベも意識を取り戻し、然るべき治癒術を施されたのか何事もなかったかのように政務に五体満足で復帰していた。
現在は、近日内に来訪予定の皇太子を出迎える準備を進める傍らで領地内に出没したという魔物の群れを掃討するために出陣したという。
領民の安寧を守ることは当然として、皇太子一行に魔物が襲い掛からないようにしておくためでもあった。
一方、サダューインのほうも既に城塞都市より飛び発っていた。
大空より優雅に舞い降りた途轍もなく大きな鳥……覇王鷲の背に乗って、南方のブレキア地方を目指していったのだ。
覇王鷲を初めて目にしたラキリエルは大いに驚いた。しかし心は動かなかった。
本来は感動を覚える筈の心すらも、困惑の淵にある今の状態では微動だにしてくれなかったのだ……。
飛び発つ彼の姿を、貴賓室の窓からただ見送ることしか出来なかった。
あれから、ただの一度としてサダューインとは言葉を交わしていない――
「そんじゃあ、今日も市街地の北区を中心に案内していくけど
何処か行ってみたい場所のリクエストはある?」
あの執務室での面会の時に言われた通り、馬車を使ってエバンスに城塞都市を案内してもらっている最中であった。
「…………お任せいたします」
「んー、じゃあエフメラスさんのパン屋に寄ってみようかなぁ。お腹空いたし!」
御者台で手綱を握るエバンスが適度に言葉を掛けてくれるものの、生返事を返すことしかできなかった。そんなラキリエルに対してもエバンスは辛抱強く接しながら、己に与えられた役目を全うしようとしている。
或いは、請われたからとはいえ、ラキリエルを第三演習場まで連れて行ったことに対して彼なりに引け目を感じているのかもしれない。
「あの、その……すみません。折角 案内していただいているというのに」
「いいよ、いいよ。気にしないで! あんなことがあった後だしね……。
まあ、すぐに答えは出ないだろうし、今は気分転換がてら
この街のことを見て回るのが一番いいと思うよ」
「……ありがとうございます」
「サダューインに関しては、じっくりと付き合い方を考えていけば良いと思う。
本当の意味で彼を理解するには、一朝一夕じゃあ到底 無理だろうからね」
「はい……」
御伽噺から醒めた衝撃は余りにも大きい。
グレミィル半島に辿り着いてからの数日間が本当に幸福と刺激の連続であっただけに、ラキリエルは己が歩んでいく路について今暫しの間、葛藤することとなる。
[ グラニアム地方 ~ シーリア湖畔 北西帯 ]
ノールエペ街道を北上した先にはシーリア湖の畔へと至り、更に北西へと進めばグラニアム地方と隣接するヴェルムス地方へ、北東に進めばメルテリア地方へと続いていく。
そんな三つの地方が隣接し合う端境の土地にて、放置できない数の魔物の群れが屯しているとの報せが届いた。
こういった事例は定期的に起こることであり、対処が遅れれば道行く旅人や商人達が被害を被り、治安の悪化や流通の停滞などに繋がる恐れがある。
故にノイシュリーベは、能う限り率先して魔物を討伐するために出陣する。
三日前の儀式による消耗は自覚してはいたものの、だからといって大領主の務めを放棄するわけにはいかなかった。
ましてや皇太子バラクードの来訪を控えた時期であれば、尚更に。
「……マドラスクラブが三十頭。妙な場所に出てきたものね」
馬上から見下ろす彼女の視線の先には、今し方に討伐を終えたばかりの魔物の死骸が散乱していた。馬ほどの大きさで、蟹と蝲蛄を足して割ったような姿形をしている。
本来はグラナーシュ大森林の奥地であるイェルズール地方……"黄昏の氏族"が治める魔境とも呼ぶべき土地に棲息している筈の魔物であった。
硬い外殻と強靭な鋏を備えた腕部を持ち、地中や水中に潜ったり、口から高圧の水鉄砲を吐き出して襲い掛かるなど、水陸両用の厄介な存在だ。
しかし討伐に赴いた『翠聖騎士団』の前では、その真価を発揮することなく、騎士達の連携によって次々と討ち獲られていった。
『翠聖騎士団』の支援部隊が魔法や魔具術を駆使して魔物の群を抑え込み、ノイシュリーを含む魔法騎士達が騎馬突撃によって早々に蹴散らしたのだ。
「呵々ッ! どうせ"黄昏の氏族"のアゴラス家辺りの嫌がらせでしょうな。
まあ、このザリガニどもが湖に入っちまうと大変なことになりますがね」
ノイシュリーベの隣に近寄って来た狼人の騎士が嗤いながら語り掛けてきた。
狼に酷似した頭……というより二足歩行する狼といった容姿をしており、全身の至る箇所には見事な造りの甲冑を纏っている。
そして腰には、やや小振りながらも良質な魔具製の騎士剣を帯びていた。
獣人と呼ばれる亜人種には大別して二つのパターンが存在する。片方は純人種をベースに獣耳や尻尾など部分的に獣に似た特徴を宿す者達。もう片方は獣の特徴を多く残したまま純人種のように二足歩行をするようになった者達である。
狸人の旅芸人エバンスや、狐人の冒険者アルビトラは前者に該当し、この狼人の騎士は後者に該当していた。
「……ペルガメント卿、貴殿の部下達の被害は?」
「損害ゼロ! に決まってますぜ。
我が第二部隊は、こんな雑魚にやられる連中じゃないっすからねぇ!
第一部隊の貧弱な純人種とは、鍛え方が違うんですわ」
狼そのものといった頭部より顎門を大きく開いて大胆不敵に言ってのけた。
彼こそは、『翠聖騎士団』第二部隊を率いる部隊長の一角、ペルガメント卿。
"獣人の氏族"の中でも多くの氏族長を輩出してきたペルガメント家の当主であり粗野な言動こそ目立つものの、厳格な実力主義を貫く生粋の武人でもあった。
今回、ペルガメント卿を含む第二部隊を連れて来たのは、偏に魔物の群れが現れた場所が『グラナーシュ大森林』に隣接する土地だったからである。
万が一に魔物を討ち漏らして『グラナーシュ大森林』内に逃げ込まれたとしても"獣人の氏族"出身者であれば幾らでも融通が利くのである。当然、地の利もある。
『森の民』の多くは、未だに『人の民』に対して強い警戒心を懐いていた。
故に純人種が中心の第一部隊や第四部隊では集団で森に入ることは難しく、逆に亜人種の騎士が主力となって編成されている第二部隊や第三部隊なら容易となる。
更に第二部隊は屈指の機動力を有しており、小回りが利いた。
平地での遠征ならば第一部隊も負けてはいないが、『グラナーシュ大森林』付近の地勢では、どうしても第二部隊のほうが有用性が高くなるのだ。
「そう、なら良かったわ」
ノイシュリーベにしては、やや覇気の欠けた声色で言葉を返した。やはり三日前の儀式が影響しているのである。
「随分とお疲れのご様子ですね? まあ『ベルガンクス』にエルドグリフォン、
そしてあの貴弟殿との連戦を重ねてきたのだから無理もない話っすけど」
「……相変わらず、耳が早いのね」
「ふふん、"獣人の氏族"の情報網を侮ってくれちゃ困りますぜ。
戦に関する情報は誰よりも素早く仕入れるように心掛けてますからねぇ?」
狼の耳をピクピクと動かしてアピールしつつ、言葉を続けた。
「良ければ、この近くにあるミルキアっていう飯の美味い村を案内しますぜ。
我がペルガメント家が管理している村で、最近は特に菜食に注力してるんすわ。
旅人用に宿泊施設も拡充してあるんで、ご希望なら喜んで招待しましょう」
「ご飯は魅力的だけど、今は遠慮しておくわ。まだまだ政務が山積みだから」
「呵々ッ! そりゃあ残念だ。まあ気が向いたらいつでも言って下さいや。
シドラ様……いやノイシュリーベ様なら、いつだって大歓迎っすから。
勿論、個人的な付き合いのほうでもね」
雄の獣性を隠すことなく撒き散らしながら、炯々とした瞳を傾ける。
「"獣人の氏族"は強ぇ女を娶ることを誉れの一つとしていますからね。
貴方を嫁に迎えることができたなら、末代まで称えられるってもんですわ」
「そういう話は、私や"あいつ"から模擬戦で一本獲ってから言いなさい」
「呵ッ! 御尤もなことで!」
これまでに既に何度か交わされてきたのであろう、両者のやり取りの焼き直し。
と、その時だった。ノイシュリーベ達の直ぐ傍で転がっていた魔物の死骸の一つが微かに動き出し、もぞもぞと匍匐前進をし始めた。
「おぉっと? 生き意地の汚いザリガニ野郎が居やがりますな!」
目敏く魔物を見咎めると同時に、逸早く駆け出すぺルガメント卿。
甲冑を纏って尚も、獣人の真骨頂である凄まじい脚力を以て疾走した後に跳躍。空中で総身を縦方向に一回転させる宙返りを打ち、そのまま脚部を下方向へ振り降ろす要領で魔物の外殻へと強烈な蹴撃を叩き込んだ。
…… バ ギィィ ッ !!
マドラスクラブの堅牢な外殻が一撃で叩き割られ、無防備な肉塊が露わとなる。
「死を受け容れな。手前ぇの血肉と魂は、俺達が責任持って喰らってやるぜ!」
馬乗りになって魔物の身体に覆い被さりながら抑え込み、腰に帯びた騎士剣を引き抜いて無防備に晒された肉塊へと突き刺す。今度こそ確実に絶命させた。
「ご苦労様。相変わらず素晴らしい駆け出し具合だったわ」
「これくらいは朝飯前ってやつですよ。
仕留め損なっていやがった部下達には、後でキツく説教しておきますがね。
それと先刻の件はいつでも応じますんで、気が変わったら言って下さいや」
再び哄笑を挙げながら、他の報告を簡潔に済ませてから己が率いる部下達の下へと戻っていった。
「(……まあ、裏表が無さそうな点だけは異性として評価できるのだけどね)」
第二部隊を率いるペルガメント卿の様子を伺いつつ、自身が率いる多面騎士達を束ねて帰還の準備を進めていく。
どうあれ、現状では色恋沙汰に現を抜かしている場合ではないのだ。
数日後には皇太子であるバラクード殿下の来訪を控えているし、ザンディナムの問題にも然るべき時に着手していかなければならない。それに……。
「(……あの娘、持ち直してくれれば良いんだけど)」
あの儀式の場にて、サダューインの本性を垣間見たラキリエルの落ち込みようは凄まじいものであった。
ノイシュリーベとしては、後々に彼女が大きく後悔しないよう早期に真実を目の当たりにさせておく必要があると思っていたのだが、どうやら良くない方向に進んでいったのかもしれない……と考えるようになっていた。
「(どの道、今はエバンスに任せておくしかないわね)」
すっかり夏の風情を見せ始めた空を見上げ、上空で踊る精霊達を眺める。
ヴィートボルグの市街地を観て回る中で少しでも彼女の心が晴れてくれることを願いつつ、為政者として成すべきことに専心するのであった――
・第21話の1節目をお読みくださり、ありがとうございました!
新章突入ということで、新たな登場人物達とともに物語を進めて参りたいと思います。
・2人の主人公とその友人、そしてメインヒロインの行く末をどうか見守っていただければ幸いでございます!