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020話『オーバーチュア・ロスト』(5)


 [ ナーペリア海 洋上 ~ エングケルヌス号 艦長室 ]


 ラナリキリュート大陸の西側に広がるナーペリア海の最北端。極寒の大氷海と隣接する海域にて、皇国海洋軍に所属する第四艦隊の各艦艇が展開していた。


 旗艦である『エングケルヌス号』を中心に、ゲルト級主力戦闘艦が四隻、ソヴァルド級護衛艦が十三隻、ラナン・ゴラー式魔術艦が八隻、メルダリウス級補給艦が十五隻、その他 哨戒艇や雇われた海賊船や冒険者の船などが多数……海上で視認できるだけでも優に六十隻を超える豪勢な布陣である。



 第四艦隊に与えられた役割は主に次の三つ。


 新型兵器や試作艦の運用試験。海上演習に於ける敵役(アグレッサー)と演習の段取り全般。そしてナーペリア海を南下するキーリメルベス連邦所属艦の監視と迎撃であった。

 北方の国防の要ではあるが誉れ高き第一艦隊などに比べれば日陰者も同然であり、皇国民にもあまり注目される機会がないのだが、その代わり幅広い権限や最新技術を導入した兵器や艦艇を任されている。



 『エングケルヌスス号』の艦長室では、現在 二人の人物が机を挟んで椅子に腰掛け、談笑交じりに盤上遊戯を嗜んでいた。

 白と黒の駒を交互に動かす遊戯で、皇国軍の軍人達の間では定番の余興。時には戦術家としての資質を見出していく際に役立つこともあった。



「成程のう、ベルナルドの(せがれ)達もよく働き回っておるものだ」


 厳格そうな老将が所感を零しながら白の駒を一つ動かし、黒の駒を排斥した。

 色の抜け落ちた白髪と白髭。しかし姿勢の良さや眼光の鋭さは聊かも衰えてはおらず、如何にも歴戦の軍人であることを周囲に諭させる雰囲気を醸し出していた。


 彼こそが、この第四艦隊を統べる者。"水爵"の二つ名で恐れられし生粋の海の男にして飽くなき野心家、ボルトディクス提督 その人なのである。



「ええ、思った以上に素早く動き、しかも頭も回るようでしたね。

 私が発信した亡命の要請にも二重三重の保険を掛けた上で応じていたようです」


 机を挟んで対局しているのは紺色の士官服を纏った若い男。金色の髪をオールバックで束ね上げ、角眼鏡を掛けた生真面目そうな風貌。

 即ち、嘗てラキリエルの従者を勤めていたツェルナーであった。


 盤面を一瞥したのちに、黒の駒の一つを斜め後ろに退がらせた。



「セオドラ子爵が放った悪漢達は撃退され、巫女様と秘宝はエデルギウス家に

 順当に確保されてしまいました……」



「ふふ、まさかあの『ベルガンクス』のバランガロンが退けられるとはのう……」


 再び白の駒を動かし、近くに布陣していた黒の駒の一つをまた排斥した。


 盤上遊戯は、時にプレイヤーの性質が如実に反映されると云われるのだが、盤面からこの老将を分析するとしたら、耐えるべき局面では亀のように甲羅に籠り、攻めるべき時は鮫の如く只管に食い破る、基本に忠実な打ち手といった具合か。


 奇策や妙策の類はあまり好まず、じっくりと準備を整えた上で勝機を逃さず確実に勝ちを拾いにいく性質なのである。ただし勝利への執念は人一倍 強い。



「"海王斧"と"灰煙卿"が揃っていたのに失敗するとは私としても大きな誤算です。

 しかしセオドラ子爵はまだ諦めていない様子でしたが……如何いたしますか?」



「奴にはまだまだ利用価値がある。暫くは好きにやらせておけば善い。

 精々、私財を使い果たすまで『ベルガンクス』を繋ぎ止めて貰うとしよう」



「セオドラ子爵は、富だけは持っておられますからね。

 ああ、それと……ザンディナムに配置していた"水爵"様の懐刀達からの連絡が途絶えました」


 盤の端に展開していた黒の駒の一つを静かに前進させながら、淡々と告げた。



「ほう、『エイリーク』のマグヌスに担当させていた土地だったな」



「私が確認しに向かったところ、あの魔具像(ゴリアテ)……『グロシュラス』も消失。

 僅かな破片が山道の避難所に散らばっておりました」


 その報告を耳にした老将の双眸が、鋭さを増していく。



「……マグヌス達は我が第四艦隊の中でも指折りの優秀な兵士。

 そう簡単に任地で失態を晒すような真似はせぬ筈なのだがな」



「念のため宿場街内で我々と通じているベルダ家にも連絡を取りましたが

 そちらでも貴方の部下や『グロシュラス』の行方は知らないとのこと。

 おそらくは排除されたと見ておくべきでしょう」



「ふははは! どうして中々、やりおるのう!」


 呵々(かか)と笑い声を挙げながら、老獪な軍人は白の駒を動かす。



「もしエデルギウス家の者が動いていたのなら、

 ぼちぼち『灰礬呪(かいばんじゅ)』の存在と対策も広まっていくことでしょう」



「ならば致し方なし! 少々、予定を前倒しにしてしまうことになるが

 本格的に半島全土に『灰礬呪(かいばんじゅ)』を撒き散らしてくれようぞ!

 その上で、混乱に乗じて『灼熔の心臓(ドラゴンオーブ)』を回収してしまえば良い」



「そうですね……エデルギウス家の姉弟は二人とも有能です。

 時間を与えれば与えるだけ確度の高い対抗策を講じてくることは間違いない」



「然り、正しく然り……。

 なにせあの悪鬼! ダュアンジーヌの子供なら大いに有り得るぞ」


 部屋の天井を見上げ、『大戦期』に受けた苦い敗北の記憶が想起させた。



「二十五年前に儂が味わった屈辱を余さず晴らすためにも

 奴等の全てを、能う限りの汚辱で以て叩き潰してやらねばならん」



「既に貴方の計略によってベルナルドとダュアンジーヌの二名は死んだ筈では?」



「足りぬさ。安易に死を与えただけでは全く以て足りぬ。

 奴等が生涯を賭して守ろうとしたもの全てを滅ぼさねば、儂の傷は癒えぬ!

 故にな、奴等の子供達も念入りに潰していかなくてはのう」


 齢にして八十を越えて尚も、闘争本能の一切が衰えていないとばかりに双眸には燃え盛る恩讐の焔を宿していた。



「……既にグレミィル半島の各地に布石は打ってあります。

 末端の微弱な呪詛とはいえ、住人達の肉体と精神を蝕むには十二分。

 あとはこの……原罪(オリジン)を解き放てば、貴方の悲願は達成されるでしょう」


 言いながら、ツェルナーは己が纏う紺色の軍服の胸元を(はだ)けさせた。


 其処には、心臓があるべき場所には、闇の深淵の如く濁りきった結晶呪物が埋め込まれていたのだ。

 濁り水の如く蔓延し続けている『灰礬呪(かいばんじゅ)』の罹患者とは明らかに異なる禍々しき結晶体。呪詛に詳しい者が見れば一目で解るだろう……此れがこの呪詛の原罪(オリジン)なのであると。



「……も、もう良い! 早くそれを仕舞え!!」


 反射的にボルトディクス提督は呪詛の原罪(オリジン)から目を逸らし、己の腕で目元を覆って視界に入れないようにした。生物としての本能が視認すら拒んだのだ。



「おっと、これは大変に失礼いたしました。

 ともあれ次に大きな混乱の一つでも起こった際には、決行してみせましょう」


 軍服を元に戻し、強力な呪詛封じの魔具を稼働させて原罪(オリジン)を抑え込んだ。

 ツェルナーが放った言葉の裏には、グレミィル半島でこれより確実に大きな事件が起こるという確信を含ませている。

 


「私としても……『灼熔の心臓(ドラゴンオーブ)』の奪取には大いに興味がありますからね。

 貴方に自由を与えていただいた恩を完済するためにも、

 今暫くの間は喜んで悲願を成し遂げるお手伝いをさせていただきますよ」


 黒の駒を斜めに大きく動かし、盤上遊戯を終わらせる決定的な一手を打った。



「ああ、これで王手(チェック)ですね」



「ぬぅぅ……」


 それまで一方的に攻勢を打ち続けていたボルトディクス提督の手が停まる。

 僅か一手で全ての流れを断ち切って、喉元に刃を突き付けられてしまったのだ。改めて盤面を入念に見渡し、やがて抜け道が存在しないことを察した。

 この局面からでも時間稼ぎくらいは出来るかもしれないが……それだけだ。


 いつの間にやら、この若輩に見える男の巧妙な手管に翻弄されていたのだ。

 じっくりと随所に布石を仕込み、防戦を演じて機会を伺い、そして然るべき時に致命的な一撃を叩き込まれた事実を遅巻きながらに思い知ることとなった。



「……投了する。相変わらず見事な腕前だのう」



「"水爵"様こそ、この時代の軍人にしては中々に手堅い打ち手ですよ。

 ラナリアの野蛮な猿の末裔どもとは、やはりモノが違う。

 それなりの年季と、数多の敗北を経験なされてこられただけのことはある」


 

「ふはは……言いおるわ!」


 再び愉快そうに笑う。しかし双眸だけは笑っておらず。盤上遊戯とはいえ敗北の屈辱をいつか晴らしてやると訴えかけていた。

 そんな強壮な視線に晒されてもツェルナーは一切慌てることなく言葉を続けた。



「それでは報告も終わりましたし、私はセオドラ子爵の監視に戻りますよ。

 なにかあれば使い魔を通じてご連絡ください」



「うむ、其方(そなた)の変わらぬ働きに期待しておるぞ」


 ツェルナーが席から立ち上がり、部屋の中央まで歩を進めると、特に気負った素振りも見せず詠唱句を口にし始めた。




「……楚々たる大海の赤誠。我は古人(いにしえびと)の足跡 刻み、導曲ヶ丘に独り酔う。

 過日の業にして時枢の協奏。曙光の如く躙る先に、纏位の路を繋ぎ給え。


 『――叡理の蒼角は(ラクリマ)、圧し折られる(・ヴィアルマ)』」




 古代魔法の詠唱。朗々と淀みなく唄い挙げた果てに、ツェルナーの総体が蒼光に包まれる。泡のように肉体を溶かし、分解した末に彼の姿は忽然と消え失せた。


 完全にツェルナーの気配を感じられなくなったことを確認したボルトディクス提督は、遊戯盤と駒を片付けながら神妙な面持ちとなっていた。



「……全く、恐ろしい男だ。海底都市で継承されてきた古代魔法の中にも

 其方(そなた)が多様する完全転移を(もたら)す法は存在しなかったというのに」


 神々が斬獲され、新たな管轄者として"(トーラー)"が君臨する現在の地上世界に於いて、ヒトは長距離転移や飛行に類する魔法や魔術を封じられていた。

 他にも永遠の生命や、不壊の肉体、異相世界からの渡航など様々な超常の権能の須らくを白紙と化し、厳格な秩序が敷かれている。


 にも関わらず、ツェルナーと云う男は"(トーラー)"の秩序の埒外に在ったのだ。



「遥か太古の時代に栄えた、アルダイン魔導帝国を滅亡に導いた張本人。

 胸部に埋め込んだ呪詛の原罪(オリジン)を用いて滅ぼしたと伝え聞いたが……」


 その逸話が真実であるならば、呪詛が蔓延すればグレミィル半島を汚辱することなど造作もないだろう。

 そればかりか上手く活用すれば大陸全土を支配することも夢ではないのだ。


 尤も、そうなれば"(トーラー)"とて黙ってはいないだろう。確実に制裁に動き出すことは目に見えているので、ボルトディクス提督は慎重に動こうとしているのだ。 

 

 


「……果たして、其方(そなた)を使い熟せる器が儂にあるのかどうかよな」


 ボルトディクス提督は、海底都市ハルモレシアで生まれ育ちながら海神龍ハルモアラァトに反旗を翻し、結果として故郷を追放されることになった。

 然れど、執念深い彼がただで敗北を受け容れる筈はなく、追い出される間際にて

海底都市の最奥で封印を施されていた忌物……一つの棺桶を奪取したのである。


 紆余曲折を経てラナリア皇国のボルトディクス公爵家の養子となり、皇国軍に士官候補生として入軍した後も地道に忌物の封印を解くための研究を重ねていった。


 

 何十年にも渡る試行錯誤の果て、遂に忌物を解封することが適ったのは皮肉にも『大戦期』の末期、グレミィル半島を襲撃していた時であった。


 "魔導師"ダュアンジーヌの放った霊滓綺装の原典『刻陽の翠礫(グラナグラム)』の暴威に晒され、当時の彼が所属していた艦隊が悉く灼き尽くされようとした際に、棺桶の裡より這い出たツェルナーが辛うじて防いでくれたのだ。



 そうして辛くも生き延びたボルトディクス提督は、失地回復に努める傍らで復活を果たしたツェルナーと結託し、様々な策を試みた。

 古代魔法を自在に扱うことのできるツェルナーを海底都市に向かわせて、巫女の従者として潜伏させていたのも、その一環であった。

 己を追放した故郷への復讐、『灼熔の心臓(ドラゴンオーブ)』奪取の布石など……容易な道程ではなかったものの、その大半は成就した。全てツェルナーという男の功績だった。



 故に、時として空恐ろしく感じる時があるのだ。この男は何を考えているのか?

 これほど強大な力を持ちながら、何故 未だに己に付き従ってくれているのか?

その真意を測りきれぬまま、此処まで来てしまったのだ。




「だが今更、退き返すことなどは出来ぬ。

 儂に残された寿命が腐り果てるまで、このまま利用させて貰おうぞ。


 のう……"闇の魔導師"ツェルナー・ウェルゲネス・アルダインよ!」



 其は、遥か太古の時代に於いて大陸史に刻まれた忌むべき汚泥の象徴。

 現代では、魔導帝国の存在とともに忘却されて久しき過去の幻象。


 彼が完全転移した後に漂う蒼光の残滓に向けて、老将は独り宣言を発した――


・第20話の5節目をお読みくださり、ありがとうございました!

・今話をもちまして第1章の閉幕となります、ここまで読み続けてくださった方々には本当に、本当に心より感謝しております!


・初めて小説を書き、初めて投稿するという私にとっては途轍もなく大きな挑戦でしたが、まずは一つの章を書き終えることができて感無量であります。

 それも全てはここまで読んでくださった全ての人のおかげでございます!


・ノイシュリーベとサダューインを取り巻く物語はここからが本番ということもあり、第2章以降も全ての力を注いで書き続けていきたいと考えております!

 ただ前話の後書きでも触れましたが少しだけ間を空けることをお許しください。

・それまでの間、もし余力があれば第1章の登場人物や用語などを資料として纏めてみたいなとも考えておりますので、実現した暁には是非読んでいただけると嬉しいです。


・もし良ければブックマークや評価、ご感想いただけるとより励みとなります!

・それでは、改めてここまでありがとうございました!

 【7月の上旬】頃の投稿予定の第2章でまたお会いしましょう!!

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