020話『オーバーチュア・ロスト』(1)
同じ血を別けた双子の姉弟である筈なのに。
両者が歩み始めた道の先は、同じ方向に在る筈なのに。
まるで鏡合わせの如く、一見すると似ているようで、何もかもが正反対。
英雄と呼ばれた父親の武勇と聡明なる母親の理知を受け継いだ姉弟は、互いが表立って反目し合えば領民の生活を地獄の底に突き落とすことを理解していた。
故に普段は、互いが互いの姿を視界に入れぬように努めて歩み続けたのだ。
互いが理想の姿であるからこそ、視界に入れると互いに狂うと知悉していた。
然れど、嗚呼……然れども。幾ら視界に入らぬように努めたとしても。
幾ら鏡に写らないように勤めたとしても、ヒトである以上は限界があるのだ。
故に時折は、互いが互いの姿を視界に入れて蛮勇と蒙昧を晒す必要があった。
衆目の及ばぬ隔離された舞台は、姉弟が正面から向き合う儀式の場。
[ 城塞都市ヴィートボルグ ~ 第三練兵所 ]
城塞都市ヴィートボルグの丘陵部には様々な軍事施設が設けられている。
櫓としての城塔、防風林や防護柵を兼ねる果樹園、武器や兵站の貯蔵庫、兵士達の詰め所、そして屈強な兵を鍛え上げる練兵所など。
中でも練兵所は四箇所が存在し、有事の際には市街地で暮らす民達を収容・保護する一次避難先としての役割も担っている。
ノイシュリーベ達が足を運んだ第三練兵所は最も敷地面積の狭い施設であり、造りも他と比べて質素だった。
大規模な施設である第一練兵所や、騎馬の修練に適した第二練兵所、最新の魔具設備を備えた第四練兵所に比べれば訓練効率が劣るために現在では活用される機会が少なく、また設備の更新が後回しにされてしまっているので、好んで足を運ぶ者はほとんど居ないのだ。
第三練兵所を利用するメリットとしては、あまり人が立ち入らないことを逆手に取って、集中して個人技の鍛錬を積みたい者や、人知れず決闘を行いたい場合などに適している。
逆に言えば、それくらいの用途でしか活用されることはないのだ。
「……お互いに、やるべきことは山積みでしょうに。
こんなことをしている暇は無いと思いますが?」
黒尽くめの装束を纏い、愛用の魔具杖を携えて練兵所へと足を踏み入れたサダューインが、諦観交じりの嘆息を吐きながら空を見上げて嘯く。
第三練兵所は過去に大規模な絶技と絶技が激突した衝撃によって、施設の天井部分に大穴が開いている。
予算の都合から、使用頻度の高い他の練兵所の修繕や改修が優先されるため、こちらは未だに手付かずな状態で放置されてしまっていたのだ。
そうして施設を利用する者の足を更に遠避けてしまう悪循環に陥っている。
故に、この忘れ去られた練兵所は姉弟が揃って訪れるには誂え向きだった。
穴の開いた天井。垣間見る空模様は、先刻までは穏やかな陽光が降り注ぐ晴天であったのに、いつの間にやら不穏な天蓋が漂い始めていた。
数日前にナーペリア海の洋上で発生した雷雲が……流れてきたのだろう。
「あんたが普段から正直に全て話せば、こんな手間は取らせないのよ?」
白く輝く甲冑を着込み、斧槍を抱えたノイシュリーベも施設内へと入場した。
銀輝の長い髪は結い上げて束ねられており、布頭巾と鎖頭巾を被っている。
あとは兜を装着すれば、いつでも戦いを始められるという井出立ちだ。
「……ラキリエル。とてもいい子そうだったわね」
正式に仲間として迎え入れた亡命者の容姿と態度、そして若干の世間知らずのきらいはあるが誠実そうな性格はノイシュリーベに対しても好印象を与えた。
だからこそ、こうして早めに問い質しておく必要を感じたのだ。
「海底都市の秘宝を託され、規格外の古代魔法を習得している。
おまけに美人で素直……如何にも、あんた好みよね」
「…………」
ノイシュリーべが何を言いたいかを察しているサダューインは、押し黙るより他に選択肢はなかった。
「……また利用するだけ利用して、用がなくなったら棄てる心算?
ルシアノンやドニルセン姉妹の時のように!」
「彼女達を棄てた覚えははありませんよ。
今でも『亡霊蜘蛛』の一員として、俺の傍で立派に働いてくれています」
「よく言うわ。あの娘達はあんたに惚れ込んで人生を捧げようとしているのよ。
才能ある娘を誑し込んで、手駒にして……卑怯な上に、穢らわしいわ」
『亡霊蜘蛛』はテジレアやスターシャナといったの初期メンバーを除き、後から加入した者は皆 サダューインが直接勧誘した人員なのである。
その手法は様々だが、美丈夫であるサダューインが己の魅力を余さず活用して惹き込んでいくことを要訣としているのだと、ノイシュリーベは認識していた。
勧誘に値するほど類稀なる才能を有しつつも、何らかの事情で凋落した娘達。その心の隙を的確に突いて掴むことで『亡霊蜘蛛』は文字通りに頭の意のままに動く手足として働いていく。
それも全てはグレミィル半島の安寧のためであり、領民を護るために手段は極力選ばないというサダューインの意思が像を結んだ成果なのであった。
ノイシュリーベとしても行き場を失った才女が、新天地で与えられた役割を熟すことで人生の再起を遂げていることは理解していた。
しかもグレミィル半島の益となっているのだから、大領主としては咎める理由など本来ならば見当たらない。
問題は、サダューインが"偉大なる騎士"にして英雄ベルナルドの息子であること。髪と瞳の色以外はベルナルドに酷似した容姿をしていることだった。
心の底より父の姿に憧れ、尊敬するノイシュリーベにとって、父と瓜二つな弟が女性を誑かして回るという行為は、堪え難き苦痛なのである。
あとは純粋に、女性としては唾棄すべき行為であると感じてしまうのだ。
「ラキリエルが辿って来た運命は、これまでに あんたが連れてきたどの娘達よりも過酷だわ。
そんな娘まで利用するなんて、流石にこれは認められない!!」
英雄の息子にあるまじき行為に対する非難。ラキリエルに対する同情心。
そういった要因が合わさり、ノイシュリーベは怒鳴り声を挙げてしまった。
"貴き白夜"の怒りに呼応したかの如く、上空より雨粒が零れ始めた――
ぽつぽつと、穴の開いた天井より雫が垂れ落ち、練兵所の床を濡らしていく。
「…………ふぅ」
激昂する姉の言葉を正面から受け停めた上で、サダューインは一度目を瞑り、深く息を吸い込んだ後にゆっくりと吐き出した。
気持ちを整え、思考を乱さぬよう堪え、慎重に言葉を選んで紡ぐために。
「姉上が懸念されているようなことは一切ありませんよ。
今のところ彼女を『亡霊蜘蛛』に勧誘する予定もありません。
確かに亡命の申し出を受け取った時なら多少の打算はありましたがね……」
言葉通り、亡命を受け容れるためにサダューインが救出作戦を進言したのも、海底都市の竜の巫女という存在を抱えることで半島の利益に繋がるかもしれないと考えたからである。
然れど、ラキリエルを連れてヴィートボルグに向かうまでの道中でその考えは変わりつつあったのだ。
自身の全てとも云うべき場所を喪って尚も、新たな人生を己の両脚で……否、古代魔法によって創られし仮初の脚で踏み出そうとしていた。
地上の世界を知らぬが故に、見るもの全てが新鮮だと感じてグレミィルの地を共に巡る間にありのままの感想を、絶えず楽しそうに伝えてくれた。
訪れた先の村で怪我や呪詛に苦しむ者を見咎めれば、自身に如何なる負荷を強いてでも救おうとした。
故郷の仇である軍人を前にして震えながらも、サダューインを援けるために勇気を振り絞って魔法を唱えて活路を切り開いてくれた。
そして、脆弱な魔力しか持たない惨めな存在にも関わらず、母のような"魔導師"を志す哀れな男に対しても無碍にすることなく理解しようとしてくれた。
「しかし現在は違う、ラキリエルは俺が護りたい……領民の一人です」
短い間ながらも黒馬に乗って旅路を共にした際のラキリエルの表情の一つ一つを思い返しながら、芯にて告げる。
同時にサダューインは自覚した。思っていた以上に、彼女に絆されてしまっているな……と。
この身は翳にして不屈の防壁。総てを呑み込んだ果ての漆黒の如く、極夜の天蓋の如く在れ。捧げし我が血肉はグレミィル半島を護るために。処した心は影ながら支えるための燃料と成れ。
如何なる手段も厭わず、使えるものは全て使い潰し、己の手を汚し尽くしてでも貫き通すと誓った筈なのに。
ラキリエルという女性を利用することを、"堅き極夜"の心が拒んでいるのだ。
「……珍しいじゃない。あんたがそこまで言うなんてね」
これまでの彼であれば、姉からの詰問に対して幾らかそれらしき言葉を並べて煙に撒こうとしてきたのだが、今回はそうではなかった。
真なる芯にして、心とともに、曇りなき眼差しを傾けられたのだ。
故に嘘を見抜く眼を持つノイシュリーベは若干、戸惑いながらも、納得した。
「良いでしょう、ラキリエルの件に関しては一旦保留にしておくわ」
毒気を抜かれたような表情を浮かべる。激昂した心を落ち着かせた後に、次なる詰問へと移ることにした。
「少し前から気になってはいたけれど、あんたの左腕……魔力の波長が途絶えているわよね?
特殊な魔具の影響かとも思っていけど、単なる魔力遮断にしては不自然だわ」
漆黒の手袋で覆われたサダューインの左腕に向けて、眼光を炯々と灯らせながら鋭い視線を傾ける。云わずと知れた『妖精眼』の輝きである。
大気中や生体内に流れる魔力を正確に看破するノイシュリーベであるからこそ其処だけぽっかりと魔力が喪失していることに違和感と猜疑を懐いていたのだ。
「そして最近、エーデルダリアで『灰礬呪』に侵された少年を視たわ。
その子の結晶化した部分が、丁度あんたの左腕と同じような魔力の途絶え方をしていた」
「……それで?」
「それから、あんた……また"樹腕"を増やしたでしょう?
背中に流れる魔力の波長が二つ増えているじゃない」
「流石ですね、母上から『妖精眼』を受け継いだだけのことはある。
魔力の流れ一つでそこまで見破ることが出来るなんて、いつものことながら
全く以て羨ましい限りですよ」
誤魔化すことができそうにないと理解しつつも、肯定はしないが否定もしない口振りでサダューインが返答する。
或いは練兵所に連れて来られた時点で、この件について指摘されることを分かっていたのかもしれない。
「お父様達を死に追いやった『灰礬呪』はあんたが中心になって解析していたわけだけど、自分の身体を実験台にしているんじゃないでしょうね!?
"樹腕"もそうよ! いったいどれだけのことを隠して裏で蠢いているの?」
「適度に必要な報告はさせていただいている筈ですが?」
「不十分過ぎる。それに、あんたからの言葉は全てを鵜呑みにできない」
「だから、自分の眼で見て確かめなければならない……ということですか。
やれやれ、そういうところは本当にあの男にそっくりだ」
魔力が途切れた不可解な左腕を検めるために、どれだけのモノを隠しているのかを見定めるために、ここでサダューインの所業を暴く算段である。
言葉で真実を説かぬのなら、武器を携えて身体で説かせるしかないだろう。
これがこの姉弟のやり方。表向きは練兵所で模擬戦を演じるという体裁だ。
騎士を主体とした社会性が根強く残る旧イングレス王国に所縁のある地では、大領主の権限で模擬戦を命じられたならば、例え身内であったとしてもサダューインがそれを拒むことは出来ない。拒めば現在の権限の剥奪にも繋がるのだ。
したがって大人しく姉の流儀に則ってここまで付いて行くしかなかったのだ。
裡に抱えたモノを守秘したいと欲するならば、例え道化の如き儀式であったとしても、正統に終わらせるより他に選択肢はなかった。
そのことを弁えているサダューインは練兵所の中央を挟んで北側に立ち、南側にはノイシュリーベが立って相対した。
空模様は更に悪化していき、疎らな雫はやがて驟雨へと威勢を増していく。
「……これで何度目かしらね。
最近じゃ言葉よりも刃を交わすほうが多くなったような気がするわ。
それもこれも、あんたが人に言えないような真似をしているからよ」
「俺には俺の理想があり、それは貴方の理想とは大きく異なる。
母上から受け継いだ魔力や『妖精眼』を余さず使い熟せる姉上には
到底、理解できないことでしょうけどね」
「あんたこそ、お父様に勝るとも劣らない立派な身体を貰っておいて!
人目に付かない場所で這い回るような真似ばかりして!」
カッ…! ゴロゴロゴロ……
南北に陣取る両者の頭上にて分厚い雨雲が稲光を発し始めた。
西方のナーペリア海で頻発する雷雨が伝播してきたのだろう。雨の勢いは更に増していき、ずぶ濡れになることも厭わずに姉弟は互いの武器を構えた。
サダューインの奥底で燻る、黒い感情が噴出し始めた。
ノイシュリーベの奥底で燻る、全てを漂白させ得る理想が滲み始めた。
「さっさと終わらせよう、風邪でも引いたら政務に差し障りますからね」
「ええ……そうね」
其れは愚かな演目を踊る役者の如く。舞台に立って儀式を行う演者の如く。
限りなく理知的に執り行われる、限られた空間での蒙昧的な審問劇。
偽りなき武勇を奮い合う、偽りで塗り固めた蛮勇を吐き出す決闘劇。
カッ ……!!
二度目の稲光を打鐘の代わりとして、鏡写しの姉弟は静かに動き出した――
・第20話の1節目をお読みくださり、誠にありがとうございました。
・ノイシュリーベVSサダューイン、2人の主人公による対決はこの御話の主軸でもありますので気合を入れて書いていきます!
・本編中には合計3回の対決を予定しており、今回のその1回目に該当します。
双方が第1章で披露してきた手札+αを出し尽くしていくことになりますので、どうか2人の行く末を見守っていただけると嬉しく思います。