034話『忘れ貝は御伽噺の虹を見る』(4)
「それでね、地底の気配とお兄さんの関係について
最近 ピンと来た出来事があったんだよ!」
「ほう? それは是非お聞かせ願いたい」
「実はついこの間、同業者のクロッカスちゃんって子に会ってねぃ。
お兄さん達が放った大きな生き物達と戦ったって言ってたの」
「クロッカスだと? 『ベルガンクス』の幹部の一人か。
馬鹿な! こんな短期間でヴィートボルグに潜伏していたというのか」
聡明なサダューインはアルビトラの話す断片的な情報から瞬時に察した。
クロッカスが戦った大きな生き物とは、サダューインが極秘裏に保有する人造生体兵器『バルバロイ』のことであり、約一週間前のあの戦いを生き延びた彼はもう直ぐ傍まで近付いているのだ。
一拍遅れて隣のラキリエルもその事実に気付いたらしく、再び不安げな表情を浮かべ始めている。
「アルビトラ殿、その同業者と話したのはいつだ?」
「んー、最初に会ったのは一週間くらい前だったかな?
外側の城壁を警備していた時だよ! でも、大きな生き物と戦ったことや、
お兄さん達のことを教えてもらったのは一昨日だね」
「(ということは、防衛部隊と『ベルガンクス』の戦いが終わった直後には)
(この都市に向かっていたということか)」
新たに告げられた情報を冷静に受け止めつつ、そのこと自体はアルビトラの話の本筋ではないと理解していたので続きを促すことにした。
「……感謝する。話の腰を折って済まなかったな、続けてくれ」
「うん! それでね、クロッカスちゃんは巨妖蜘蛛みたいな敵だと言ってたけど
それはちょっとおかしいなって思ったんだー。
巨妖蜘蛛はヒトに服従するような魔獣じゃないし、そもそも絶滅寸前だよね」
生まれながらの王者にして捕食者、そして生きた居城でもある巨大な魔獣。
しかもクロッカス達が交戦した個体達は脚部や背面に奇妙な水晶なようなものが生えており、異常な再生能力を有していたという。
そんな生物が同時に六体も現れ、統率の取れた動きでヒトの戦場に介入し、しかも『姿隠し』で隠形までやってのけた。
「で、聞かされた話と、私がこの都市で感じた違和感を合わせて考えてみると
その大きな生き物は……魔導兵器なんじゃないかな?」
魔導兵器とは魔法によって産み出された疑似霊、魔術によって駆動する石塊像、錬金術によって製造された錬成像の技法などを結集した高位の人造生命体である。
「つまり天然自然では産まれて来ることのない、人工的に造られた生命だね」
既存の生物を模倣することは容易く、純人種は勿論のこと魔物や魔獣を再現して効率的な品種改良や生体機能を合成させることも可能であった。
扱い方を誤れば国または文明すら滅ぼしかねない可能性を秘めているため、大陸を管轄する"主"はその研究や開発を大々的に禁じているのだが、"魔導師"の称号を持つ限れた者にだけは例外的に運用を許していた。
「そ、そのようなものが実在するというのですか……」
相当の衝撃を受けたのか、思わず両掌で口元を覆いながら震える声でラキリエルが呟いていた。
「んー、そういう風に辿っていくと色々と辻褄が合うってだけだよ! よ!
……お兄さん、魔導兵器をこの都市の地底でこっそり造っていたりしない?」
それまで朗らかな様子で会話とミルクティーを嗜んでいたアルビトラの面貌が一変する。歴戦の冒険者特有の、冷厳なる視線を傾けられた。
「クロッカスという者が真実を話しているとは限らないでしょう」
「そうかもしれないねぃ。
でも、この都市の地底から良くない気配が漂っているのは間違いないよ」
「それが魔導兵器が発するものだと何故 分かる?」
「実は、私の知り合いの中に魔導兵器の子がいるんだ~。
今はキーリメルベス連邦のマッキリーで工房を構えて生活しているよ」
アルビトラが脳内で真っ先に想起したのは、極寒の大地で歯を食い縛りながら運命に抗い続けた射手の姿。
現在は伴侶を得て家庭を築き、夫の留守を一人で守る気丈な新妻である。
「……ほう? それはもしや、ヴィルツ殿の奥方のユングフラウ殿ことかな?
直接会ったことはないが、ヴィルツ殿から多少は事情を聞いている」
「あ、そっか! お兄さんはヴィルツくんとも知り合いだもんね。
そうそう、ユングちゃんのことだよ!
彼女と最初に会った時に感じた気配と、この都市の地底から漂う気配が
すごくよく似てる気がするんだよ……だから多分、間違いないんじゃないかな」
「具体的には、どのような気配だと仰るのか。
『良くない感じ』というだけでは貴方の主観や好みに過ぎないだろう」
「んーとね、普通の子よりも生命の波長が整い過ぎてるって感じかな?
あまりにも綺麗過ぎるよ……不揃いな箇所が無いからこそ不気味なんだ」
天然自然の生物であれば必ず波長に揺らぎを生じさせながら生きている。
機械や石塊像、錬金像ならば、そもそも生命の波長は存在しない。
即ち、揺らぎ無き生命体とは限りなくヒトに近しい別の何かということであり、アルビトラはその類稀なる素養よって鋭敏に嗅ぎ取ることが出来るようだ。
「ユングちゃんもそうだったけど、こういう波長を放つヒトは
何か一つ路を誤れば、未曾有の災厄を引き起こす力を身に付けちゃうんだ」
「……約十年前にキーリメルベス連邦全土を揺るがした『ゼビル島事変』、か。
ユングフラウ殿が騒動の中心人物だったということだけは聞いている。
しかし生命の波長とは、いったい何のことだ?」
「んー、それはちょっと説明が難しいねぃ。
私を含めた極一部のヒトは、それを感じ取ることが出来ちゃうんだよ」
口調はそのままに、眼光だけを鋭く研ぎ澄ませる彼女の視線を一身に浴びたサダューインは観念したように溜息を吐いた。
「(成程、恐らくは母上のような"魔導師"の称号を持つ偉人達が会得する)
(ある種の心眼のようなものか……これ以上の言い逃れは出来そうにないな)」
そして眼前のカップを手に取り、一口だけ紅茶を口に含んだ。
ナルジムティー特有の渋みが舌に広がり、それを完全に打ち消す清涼さが遅れてやって来ることにより、彼の思考は一挙に切り替えられてく。
同様に、アルビトラ側もまた合間にミルクティーに口を着けた。
話題が話題だけに、じっくりとサダューインの反応を伺う算段なのだろう。
隣のラキリエルは固唾を飲んで見守り続け、カウンターの奥に居座る店主は我関せずといった風に黙々と洗い物をしている。
尤も、事前に用いた魔具の効果により三人の話し声が届かなくなっているので当然といえば当然なのだが。
「……ああ、貴方の仰る通りだ」
数十秒が経過した後にサダューインはカップを静かに置くと、諦観を滲ませた声調で釈明をし始める。
その様子を見ていたラキリエルは、それが彼が肚を括って真実を吐露する合図であることを漠然と察していた。
「我が母、ダュアンジーヌは大陸に五人だけ存在する"魔導師"だった。
『ベルガンクス』に向けて差し向けたのは、その遺産のようなものだ」
ここまで類推されてしまっているのなら、中途半端に誤魔化すよりも真っ当に答えてしまったほうが良いと判断したのだ。
「そっかー、それなら納得だよ! 効率的な手段を選ぶっていうスタンスなら
たとえ禁じられた魔導兵器でも惜しみなく使っちゃうよねぃ」
果たして正直に答えたことが功を奏したのか。
アルビトラは特に嫌悪する素振りは見せず、むしろパズルのピースがカチッと収まった時のような晴れやかな表情を返してきた。
一瞬だけ垣間見せた咎めるような鋭い眼光も、既に元通りである。
「ご理解いただけた、と思っても良いのかな?」
「うん! ばっちりだよ! つまり、それと同じ気配を纏うお兄さん自身も
魔導兵器か、それに近い何かってことだよね?」
「……ッ!?」
今度こそ、サダューインの面貌が驚愕に包まれた。
触れられたくない真実に迫られたがために心臓の鼓動が盛大に跳ね上がり、冷や汗が止まらない。
隣で心配そうに見詰めるラキリエルの気配も、どこか遠いものとなっている。
「まあ、お兄さんは他にも邪悪な力をいっぱい抱え込んでいそうだけど。
そう考えると色々とピタピタッ! って当て嵌まるんだー」
カップの隣に置いていた冊子の頁を捲り、つい先日 記述した文章を検める。
それはクロッカス……の分身体と市街地で対談した際に、彼女が話していたことの中で特に重要そうだと感じた一節であった。
「クロッカスちゃんと話した時に、随分と不思議がっていたんだけど
お兄さん達の父親のベルナルドってヒトは昔の戦争で大怪我しちゃったせいで
子供を作れなくなったそうだねぃ」
「…………」
クロッカスは『大戦期』に英雄ベルナルドの下で戦っていた古強者。
であれば、ある程度の諸事情を知っていても何もおかしくはないのだ。
「そんな状態のベルナルドってヒトが、自分の血を引く子供達を授かるのは
普通だとちょっと考えられないことだよ」
サダューインの外見は髪と瞳の色以外は英雄ベルナルドと瓜二つとして多くの者達に認められていた。故に、他家からの養子という可能性は限りなく低い。
「でも、お母さんが魔導兵器を研究していた"魔導師"なんだったら話は別だよね」
今度は少しだけ哀れみと同情を交えた視線を傾けてくる。
確信を突かれたサダューインは普段のように咄嗟に弁明することが出来ず、隣に佇むラキリエルもまたどのような言葉を掛けて良いのか困惑している。
二人の眼前に置かれたナルジムティーだけが、少しずつ温度を下げ続けていく。
液体の表面が微かに揺れているのは、カップの取っ手に添えたままとなっているサダューインの指から伝わる動揺や、こうも容易く核心に触れられてしまった己の不甲斐なさに対する憤りによるものか……。
「……仮に」
一拍置いて感情を制し、会話を再開させていく。
真実に触れることに対してではなく、ラキリエルに聞かれることに対しての覚悟を決めたということである。
「仮に俺が、魔導兵器に類する存在なのだとしたら
貴方はその情報を代々的に流布するというのか?」
普段の流暢な語り方からは程遠く、まるで言葉が喉に貼り付くようだった。
勿論、本当にこの情報を暴露されたとしてもサダューインの能力と人脈であれば外様の冒険者が発した悪質なデマとして封殺することは難しくはない。
しかしアルビトラの放つ常人場慣れした存在感と影響力は、そのまま放置して良いとは思えなかった。
「んー、特に何もする気はないかな。
ユングちゃんもそうだけど、別に魔導兵器であることが悪いわけじゃないし
お兄さんは本気でこの都市のヒト達を護ろうとしているわけだしねぃ」
アルビトラが懸念しているのは都市の地底に超大型の生態兵器を複数抱えていることや、サダューインから漂う別の邪悪な力……"樹腕"や魔眼であった。
「ま、とりあえずは明後日にやって来るエアドラゴン対策をがんばってね!
この都市は気に入りかけてるし、無事に解決することを応援しているよ!」
にっこりと微笑みながら右掌に魔力を収斂させ、その場で軽く振るってみせる。
するとサダューインが魔具を用いて構築した大気の膜が霧散してアルビトラ達の声が店主の耳にも届くようになった。
「ごちそうさまです! 紅茶おいしかったよ! よ!」
「はいよ、君みたいな可愛い冒険者さんにそう言ってもらえるなら嬉しいねぇ。
良かったら また来てくだいさいな」
「はーい!」
カウンターに置いていた冊子を革鞄に仕舞ってから両手を挙げて元気よく返事を行い、最後にサダューイン達の方を一瞥する。
「色々と言っちゃったけど、私はこの都市の平和が続いてほしいと思ってるよ。
ヴィルツくんも、ここで支店を出すって言っていたしねぃ」
そこまで言い放ったところで、一瞬だけ彼女の瞳が輝きを隠し、声調を一段階落とした極めて真摯なものへと移り変わる。
「だから、もし お兄さんの力が危ういなと感じた時は、
次はお喋りしながら 一緒にお茶を飲んで、そのまま解散とはいかないかもね」
普段、天真爛漫で朗らかに喋る者だからこそ瞬間的な変化による落差は大きく、それがアルビトラからの警告だと察したラキリエルは身体を震わせていた。
「……そうはならないよう、留意しておきましょう」
「私もそれを願っているよ。
じゃあね お兄さん、それにラキリエルちゃんも! また会おうねぃ」
最後に笑顔で大きく手を振りながら、アルビトラは茶屋を離れて何処かへと歩き出していった。
「ふむ、"春風"というよりは むしろ突風のような御仁だな」
提供された軽食を頬張り、少し温くなったナルジムティーを飲み干しながら力なく呟く。その声からは若干の疲労感が滲んでいた。
茶屋で軽く小腹を満たすだけの筈が、己の深淵を暴かれる羽目になったのだから無理もないといったところか。
「思わぬ形で途方もない話を聞かせてしまって申し訳ない」
「い、いえ……」
どう答えて良いものか困惑するラキリエルは、一先ずサダューインに倣って目の前のライ麦パンを少しずつ口にしつつ紅茶で流し込むことにした。
砂糖とミルクを加えた筈なのに、甘さどころか何も味を感じなかった――
「馳走になったな。また近くまで来たら立ち寄らせてもらうよ」
「こちらこそ! お客さんみたいな羽振りの良さそうなヒトは大歓迎さ」
代金に加えて少量の手当を店主に渡してから席を立つ。
魔具の効果によってサダューイン達の会話が聞こえていなかったこともあるが、元よりこの店では客の内情を深く詮索しない方針なのだろう。
何事もなかったのように振舞う店主の姿が、今は有難く感じた。
そうして茶屋から退店した二人は再び黒馬に乗って市街地を進み出す。
頭上には見事な虹の橋が輝いているというのに、馬上より眺める景色はどこか色褪せたものになり始めている。
唯一の救いは、雨上がりの後の湿気が纏わり付くより先に丘陵地帯に吹く風によって流されてくれたことだろうか。
リィン…… リィィン……。
ふと、小さな金属同士が打ち重なる風流な音色が響き渡った。
手綱を握るサダューインが前方のラキリエルの手元に視線を落とすと、茶屋に立ち寄る前に購入した魔除けの鈴を小箱から取り出して風に当てている。
リィン……。
「サダューイン様、よろしいでしょうか」
「ああ」
何度目かの鈴の音が鳴った後、正面を向いたままのラキリエルが静かに訊ねた。
「先程のアルビトラさんとのお話の中で挙げられた魔導兵器の件ですが
彼女が仰っていたことは全て本当なのですか?」
「まあ、概ねは……と言うしかないかな。
俺自身が造られた生命にも関わらず、同じような生体兵器を従えている」
言葉を濁したり、黙秘することも出来た。
しかし、それではサダューインの本性に正面から向き合おうとしてくれたラキリエルに対して不義理となる。故に、肯定するより他に選択肢は考えられない。
「最上位の冒険者の直感と推理力というのは恐ろしいものだ。
ああやって、数々の難解な冒険依頼を何度も熟してきたのだろうね。
まるで御伽噺に登場する主役のような立ち回りだと戦慄してしまったよ」
アルビトラに対する掛け値無しの称賛と、同じだけの警戒を自嘲気味に嘯く。
その言葉を聞き遂げたラキリエルは、サダューインから贈られた鈴を手にしたまま背後を振り向き、強い意思を宿した瞳で見据えてきた。
「わたくしはサダューイン様と共に過ごし、全てを受け容れたいと申しました。
その言葉は絶対に違えるつもりはありません!」
たった一日の間にラキリエルは多くの衝撃的な真実を知ってしまった。
だが以前のように戸惑うだけの少女はもう此処には居ない。
無理を徹して彼の黒馬に乗せてもらっているのだから、混乱して立ち止まっている暇はない。進み続けるしかない、踏み込んで行くしかないのだ。
たとえそれが、深淵を覗くような業に至ろうとも。
「貴方が地の底で抱えているもの、貴方自身のこと、全てを教えてください」
その言葉と意思はサダューインの胸の奥底の、ある種の恐れを灼き払う。
「本当に、君の無垢さと優しさには驚かされる」
困ったように微笑みながら首を上方向に傾けて虹を見上げる。
先程より色褪せて視えたが、それでも綺麗だと素直に感じられた。
何故ならば、ラキリエルの真摯な視線と想いを正面から傾けられたからである。
触れられたくない己の深淵が暴かれて尚も、心が腐るまでには至らなかった。
「……分かった。こうなってしまったからには全てを解き明かそう。
君が後悔しないというのならな」
「勿論です。もう逃げませんし、目を背ける気はありませんから!」
一際、強い意思を以てサダューインの左掌をきゅっと握り締めた。
「では市街地の散策はここでまでだ。
一旦 着替えたいので丘上の家まで戻るとしよう」
「はい!」
彼女の掌より伝わる微かな熱と、真実を垣間見ることに対する恐怖と緊張から来る震えを受けて、サダューインもまた意を決した。
右掌のみで手綱を引いて黒馬を進ませると、来た道を引き返すようにして丘陵地帯の傾斜に沿って設えた路を登っていくのだった。
【Result】
・第34話の4節目をお読みくださり、ありがとうございました!
・次回投稿は、できれば12/30を目指したいと思っていますが
もしかしたら31日なるかもしれません。




