032話『鏡移しの交差路』(2)
城館二階の資料室に収蔵されている『大戦期』の記録や、竜種の出没記録、そして過去に冒険者を雇い入れた記録などを検めたサダューイン一行は、離れの家屋に向かう途中で偶然にもノイシュリーベ達と遭遇してしまった。
決して温和なやり取りではないにしろ、一応は前向きな会話と面会を申し出る事は出来たので善しとする。
「後ろに控えていた娘が、件のラキリエルなのよね?
ラスフィから聞いていたけれど……たしかに私に似ていたわ」
階段を降りて城館一階に差し掛かったところで、サダューインに随伴するエシャルトロッテが怪訝そうな面持ちで呟いた。
「俺も最初に出会った時は大いに驚かされたよ。
今の彼女は、古代魔法で純人種に擬態した姿なのだそうだが
頭髪や瞳の色、顔立ち自体は元の姿と大きな差はなかったな」
「私達の家系に大海の竜人種が居たという記録はない。
そもそもドニルセン家は"燦熔の庭園"の古い貴族……」
妹のラスフィシアが補足を入れる。
彼女達は隣の大陸より渡航し、巡り巡ってサダューインの臣下となった身。
ラキリエルとは一切の関連性はなく、完全に他人の空似というやつであった。
「ま、考えても仕方のないことね!
地上世界は広いってことで納得しておきましょう」
呆気らかんとした態度と口調で豪語しながら割り切ってみせる。
浅慮と言えばそれまでだが、その切り換えの早さと如何なる現実をも受け容れられる度量の深さはエシャルトロッテの魅力の一つであると、サダューインは評価している。
「……で、その娘は貴方を見て随分と怯えていたけど、どうする気なの?」
「今は特に、どうもしないさ。
『亡霊蜘蛛』に勧誘する予定はないからね。
此処で暮らしていく以上、必ず顔を合わせることになるとは思うが……」
少々、歯切れの悪い口調で暈すように答えた。
「そういうことじゃなくて、女性としてはどう見ているのかってことよ」
「……俺とは、棲む世界が違う貴人だと考えている。
あの一件で完全に拒まれたのならば それで構わないし、順当だ」
「ふーん?」
「ラキリエルの今後の人生を真剣に考えるのなら
俺よりも姉上の傍で、その素養と能力を大いに活かした方が良い」
「確かにね。侯爵に付かせた方が、光り輝く路を歩めるのは間違いないわ」
「…………そういう事だ」
サダューインとは深い関係にあり、四年以上の時間を過ごして来たエシャルトロッテ達だからこそ察知できる、僅かな違和感。
表面上は平静を保ちながらも、この男の表情と口調からは何処となく強がっているような雰囲気が滲み出ているような気がしたのだ。
「でも私達は別に構わないわよ? こっちに引き込んだとしてもね。
貴方が本当に好きになった女性が現れたのなら心から応援したいと思ってる。
まあ正直に言えば、くやしくはあるけど」
「ふっ、それは勘繰り過ぎというものだ。
いずれにせよ彼女の心を無理やりどうにかする心算は、既にないさ。
離れて健やかに暮らしていくというのなら、結構なことだよ」
「(それは違う、あの女はサダューインの過去を調べようとしていた)
(禁書『樹腕の幹扉』の写本まで持ち出して……)」
ノイシュリーベ一行と擦れ違う間際に、ラスフィシアだけはラキリエルの持っていた数冊の本に着目し、それが意味するところを正確に類推していた。
即ち、彼女はまだサダューインに心を捕らわれている。理解しようと懸命に抗っていることを察したのだ。……しかし、そのことを告げる気にはなれなかった。
「今は何よりも、竜種への対応を優先するべきだろう。
……あの冒険者のこともな」
「"五本角"のエアドラゴンは相当の脅威でしょうからね。
他に四頭も手下を従えているのなら、私達も働かないといけないわ。
"春風"のアルビトラがまた加勢してくれたら随分と楽になるのだけれど……」
「冒険者は自由身分、最初から当てにするのは為政者としては失格だ。
それに、対面してみて分かったが……奴はかなり危険だと感じたよ」
壁上での一幕を思い出したのか、美丈夫の面貌が急激に険しくなる。
「貴方がそこまで難色を示すなんて珍しいわね」
「……アレは、我々とは棲む世界が異なる生き物だ。
ラキリエルとは全く別の意味でね」
彼女はサダューインのことを一目見るなり、明確に警戒を露わとしたのだ。
そして明らかに気付いていた、このヴィートボルグの地底深くに眠る人造生体兵器『バルバロイ』や、他に隠匿している数々の秘密について……。
直接 視たわけではないだろうに、都市全体に漂う気配から違和感を感じ取り、更にその中枢がサダューインであると嗅ぎ取っているようであった。
恐るべき直感。数多の修羅場を潜り抜けた者 特有の獣染みた勘の鋭さ。
また引き受けた依頼次第では、味方にも、敵にも成り得る冒険者であるのなら、場合によっては"五本角"など問題にならない脅威と化す恐れがあるのだ。
深刻そうに語る主君の様子を見咎めて、エシャルトロッテ達は思わず言葉に詰まり、それ以上の追求は出来なかった。
[ 城塞都市ヴィートボルグ ~ 丘上の家屋 ]
「お帰りなさいませ、サダューイン様。それにロッティとラスフィも」
「ああ、一時的な帰宅に過ぎないがな」
「ただいま! いつもながら留守を預かってくれて助かるわ」
「そちらは変わりないようで安心した」
サダューイン一行は、表向きの拠点にして居住地でもある丘上の家屋にも立ち寄るとスターシャナが出迎えてくれた。
「テジレア達はまだ戻っていないのか?」
「はい、重傷を負ったペルガメント卿やジューレの手当を行うために
ルシアノンと共に、暫くボレンターナの町に留まっております」
「……そうか、ジューレの容体は?」
「脚部を四本、"紫影双刃"クロッカスに斬り落とされたという伝令を受けました。
ですがジューレもまた『バルバロイ』ですので、直ぐに再生するでしょう」
淡々と告げる彼女であったが、その能面のような表情の奥底には一廉の憤怒が見え隠れしていた。
経緯はどうあれ同じ主君に仕え、愛し、寝食を共にした同僚達に対する仲間意識は意外なほど高いようである。たとえ身体を自己再生できるジューレだとはいえ、仲間の脚を斬り落とした者に対して静かな敵意を滾らせていた。
「クロッカス、か……『ベルガンクス』に雇われている冒険者だが
元々はこのヴィートボルグに所属して、父上とも面識があるらしい。
非常に厄介な存在だ、今のうちに対策を講じておかないとな」
エーデルダリアの郊外で一度、交戦した際には"樹腕"を全て展開していたにも関わらず相手の斬撃を往なすことで精一杯だった。
対してクロッカスの方は、バランガロンやショウジョウヒと組んでいたとはいえ自慢の二刀のうちの片方の刀剣しか抜いていない。明らかに手加減されていた。
「クロッカスが前線まで出張って来ていたのなら
出撃させた『バルバロイ』達は、流石に生きてはいないな」
「はい、全滅いたしました。
ですが彼女達の尊い犠牲は全てジューレに記憶されましたので……」
「そうか……分かってはいたが、辛いな。
特にルシアノン達はさぞ堪えることだろう」
自らが意図的に造り上げた生体兵器とはいえ、曲がりなりにも一つの生命であり『亡霊蜘蛛』の仲間であった。
故に、サダューインはその場で黙祷を捧げ、エシャルトロッテ達もそれに倣う。
「はい、戻ってきたら入念に慰めてさしあげるのがよろしいかと」
「ふっ……我ながら業を感じるよ。さておき、本題に入るとしようか」
自嘲気味に嘯きつつ、家屋の中に入り一直線に奥の工房を目指した。
そして工房の壁に立て掛けられていた四本の騎士剣型の魔具……嘗てラキリエルを招き入れた際に、彼女も少なからず興味を懐いていた代物である。
「次なるエアドラゴン達との戦いではこれを全て持って行く。
出し惜しみは抜きだ」
四本のうちの一本をエシャルトロッテに、もう一本をスターシャナに手渡し、残る二本は自身が持ち歩くことにする。
「成程ね、胃袋を採取しないといけないのなら
あまり悠長に戦いを長引かせるのはよろしくないってわけね!」
「先手必勝、というわけですね」
受け取った騎士剣型の魔具を検めながらエシャルトロッテが納得したように呟くと、スターシャナも同様の表情で静かに頷いた。
「"五本角"との戦いも控えているからな。
俺とテジレアが採算度外視で造ってきた試作型の魔具だ、有効に活用してくれ」
「ええ、天空騎士の誇りに懸けて有難く使わせてもらうわ!」
「心得ました。使い処を見極める必要がありそうですね」
「無論、基本的には姉上や『翠聖騎士団』の援護が主体となるだろう。
だが我々の方で仕留められそうなら遠慮は要らない」
「……我々は竜種の胃袋という戦果を、"竜殺し"の名誉は侯爵達に与える」
「その通りだ、ラスフィシア。俺達にとって名誉など重荷でしかない。
この都市を守るため、そして姉上達に華を添えるために力を貸してほしい」
「貴方の臣下になった時点で全て承知している」
「日陰者の生き方ってやつも、すっかり慣れたもんねぇ」
「全てはサダューイン様のなさりたいように……」
「有難う。それでは汗を流してから姉上達との面会に臨むとしよう」
この場に居合わす三名の部下、そして少し離れた町に駐留するもう三名の部下達に一頻り感謝の念を示しつつ、サダューインは午後に備えて身を清めた。
[ 城塞都市ヴィートボルグ ~ リーテンシーリア広場 ]
「もぐもぐ……むしゃむしゃ、ごくごく……おかわりー!」
オープンテラス席を採用している飲食店で早めの昼食を採っていたアルビトラは山と積まれた料理を次々に平らげては、周囲の他の客や通行人達から驚愕の視線を一身に集めていた。
量もさることながら食べる速度も尋常ではない、平均的な体格の彼女の身体のいったいどこに入っているというのだろうか。
そんな疑問の声や眼差しなど一切お構いなしとばかりに、己の空腹を満たすことのみに腐心しているようであった。
「あ、あの……お客様、少しよろしいでしょうか?」
給仕の男性が若干引き攣った笑顔を浮かべながら、恐る恐る話し掛けてくる。
「ん、何か用? それとも注文し過ぎちゃってた?」
「いえ、食べ切っていただけるのなら むしろ有難いことです!
そうではなくてですね、午後から雨が降るだろうと通達がありまして。
申し訳ありません、外の席は半刻後に片付けさせていただきたいのですが……」
ヴィートボルグは優れた魔具設備を幾つも備えており、中には大まかに天候を予測する術も備えているのだろう。
そうした情報は都市で商いに携わる者達の間で共有されており、給仕の男性はオープンテラス席を利用していた客の一人一人に頭を下げて回っていた。
「そっかー、じゃあ仕方ないねぃ。
早めに食べてしまうから、もう少し待っててね!」
「ご理解とご協力をいただき誠に有難うございます」
深々とお辞儀をしてから、他の席の客達にも同様の説明をし始めた。
「雨かー……そういえば私がこの半島に来てからは
一度しか降ってるところを見たことがなかったかも」
「んふふ♥ グレミィル半島は冬から春過ぎが一番 雨量が多いのよ。
特に春過ぎはナーペリア海で発生する嵐の影響が大きいのよねん♪」
「……っ!?」
話し掛けてきた給仕から目の前の料理へと再び視線を戻そうとした矢先、なんと正面の椅子に青紫の頭髪の長身の男性……クロッカスが座っていたのである。
「……んー、生き物の気配じゃないねぃ。
魔術か魔法による思念体や分身体を飛ばしているのかな? かな?」
「わぁお! そんなことまで一目で解っちゃうの?
やっぱり貴方、凄いわぁ♥」
アルビトラの推察を否定はしない、むしろ喜々として肯定しているようだった。
大袈裟に両手を挙げて反応を示しつつ、直ぐに獰猛な笑顔を浮かべ直している。
一見しただけでは生身と全く見分けが付かない程度には精巧に象られていた。
「生き物だったら、ここまで近くに来られたら直ぐに分かるし
幻覚だったら椅子は動かせないからねぃ」
「ふふっ……大・正・解! この間の去り際に言った通り
貴方とゆっくりお話がしてみたくて、こうして分身だけを潜入させたってわけ。
まあ時間制限があるからぁ? そこまで長居は出来ないんだけど」
「んー……この店の人が席を片付けるまでの間なら良いよ」
「ありがと♪ アタシの分身体も丁度 それくらいで消滅するのよね」
ここで慌てても仕方がないし、何よりも目の前の料理を楽しみたい。
適当に聞き流しつつ食事を続けておけば良いだろう。
「んふ♥ じゃあ、先に本題から言っておこうかしら?
いつ天気と貴方の心が変わるか分からないし、次の機会があるとも限らない」
「……もぐもぐ。あっ、これも美味しい!」
「アルビトラちゃんって、今はフリーで依頼を受けているのでしょう?
だったら、次はアタシ達に雇われてみる気はない? きっと楽しくなるわよ♪」
「むしゃむしゃ、ばりばり……それはちょっと美味しくなさそうだねぃ」
雨が降り出す直前までの僅かな間の一幕。
類稀なる実力を持つ冒険者同士の対話と、ささやかな交渉が始まった――
【Result】
・第32話の2節目をお読みくださり、ありがとうございました。
・次回投稿は11/30を予定しています。




