032話『鏡移しの交差路』(1)
・西角の刻=午前9時頃
[ グラニアム地方 ~ ヴィンターブロット丘陵 ]
魔鳥の大群の襲来を受けた二日後の西角の刻、ウープ地方を出立した一団がヴィートボルグの直ぐ近くまで戻って来ていた。
強行軍を重ねた上に、図書学院の魔法使い達の護衛を担っている騎士や歩兵達は、流石に疲労の極に達しており一刻も早い休息が求められていた。
「丘陵が見えてきた! もう少しで都市に着くよ~」
装甲馬車の御者台で手綱を操るエバンスが、馬車内のラキリエルに話し掛ける。
なるべく明るい口調を心掛けているようだったが、目の下には大きな隈が出来ており彼もまた疲れきっている様子が伺えた。
無理もない。エバンスはガシュラ村での偵察行為や戦闘に加えて、帰路でも偵察や交渉、魔法使い達を安堵させるために大道芸を披露したりと八面六臂の働きぶりだったのだ。
「……ッ! す、すいません。つい転寝してしまっていました」
「あはは、君もひっきりなしに怪我人の手当をしていたからね。
むしろ起こしちゃってごめんね~。
着いたらまた声を掛けるから、ゆっくり休んでいるといいよ」
「うぅ、ありがとうございます……」
朦朧とした意識と瞳で恥ずかしそうに返事をしてから、言われた通り馬車内の壁に凭れ掛かるようにして再び浅い眠りに着いた。
彼女もまたガシュラ村から此処まで移動するまでの間、ずっと治癒魔法を行使し続けていた。重傷者は漁村に逗留している間に処置を終えていたので、それ以外の者の傷を只管に治していたのである。
そうして本日の明け方に、ようやく一区切りが着いたところであった。
「やっと此処まで戻って来れたわね。
恙なく魔鳥は撃退したと報せが入ったけど、皆 無事かしら」
「ハンマルグレン卿達を信じましょう。
そして、遠征に赴いた兵達にも早く休息を採らせなければなりません。
途中で二回、魔物の襲撃を受けたことも大きく影響しています」
「そうね……グレスヴァルグと矮鬼だったから軽く対処できたけど
学徒達の護衛のために、彼等には相当の心労を強いてしまったわ」
一団の先頭にて白馬を駆るノイシュリーベは、隣に並ぶボグルンド卿から一旦 視線を外して後続する騎士や歩兵達を一瞥しながら申し訳なさそうに言葉を紡ぐ。
グレスヴァルグとは、ウープ地方やヴェルムス地方の草原に棲息する狼に似た魔物の一種で、ザンディナムのグレイウルフなどに比べると小柄で俊敏。
しかし体毛の硬度は普通の狼と変わらないので、長槍を構えた兵士が陣形を組んで応戦すれば安全に撃退することが可能であった。
とはいえ連戦の疲弊に加えて護衛対象を抱えた状況では、決して楽観できるものではなかった。
「ヴィートボルグからウープへ向かった時は、ブロイル山地を突っ切れたけど
帰りは街道沿いを進まざるを得なかったのが大きく影響してしまった」
「それは仕方ありません。
確かにブロイルを通過すれば一日以上は日数を短縮できましたが
流石に百名の魔法使いを護りながらの山越えは厳しいでしょう。
手堅く順路を選択されたのは懸命かと」
などと話し合いながら歩を進めていくうちに丘陵地帯の中腹へと差し掛かる。
眼前には見慣れた白亜の城壁が聳え立ち、ノイシュリーベは帰還の喜びを感じると同時に安堵で全身が弛緩し始めたので、気を引き締め直した。
「自室に戻るまでは気を抜いたら駄目よね……って、あれは?」
外側の城壁より五百メッテ以上離れた地点にて、数十名の人影が何か作業をしている様子が視界に映った。
「冒険者達のようですね、マイエル卿 直属の支援部隊が指揮を採っています。
魔鳥の死骸を片付けているようです」
「ということは大きな被害を受けることなく迎撃を終えたようね、良かったわ。
だけど、なんて数の骸なのかしら……」
支援部隊の騎士が現場に出向くのは、戦いが完全に決着した後である。
よくよく見れば、彼等の近くには数十人規模で取り掛からなければ除去出来ない程の夥しい骸の山が積み上げられ始めていた。
魔鳥や魔物の各部位の中で素材に使えそうな物だけを回収してから解体を行い、火葬術式などで焼却しておかなければ疫病が発生してしまう可能性がある。
「使い魔からの伝令では、都市に迫る魔鳥達の総数は五百とのことでしたが
一羽も逃さずに殲滅したのでしょうね。
侯爵様の大魔法並の火力が必要となる筈ですが、いったい誰が?」
「そうね、『太陽の槍』を発射した形跡も見当たらない。
一先ずは入城してハンマルグレン卿やマイエル卿の説明を聞きましょう。
防衛部隊の指揮を任せたペルガメント卿がどうなっているのかも知りたいわ!」
丘陵地帯の三つの頂のうちの一角。巨大な弩砲が設置されている要塞施設を見上げてみたところ、発射準備は進めているようであったが対竜呪詛が施された特注の矢弾は装填されたままの状態であった。
幾つかの疑問を懐きながらノイシュリーベ達は正門より堂々と凱旋を果たした。
[ 城塞都市ヴィートボルグ ~ 丘上の城館 ]
正門を潜った矢先。ボグルンド卿及び第三部隊には、連れて来た魔法使い達を宿泊所まで案内するように命じた。
ヴィートボルグで一両日、休ませた後にジェーモス率いる第一部隊がザンディナムの宿場街まで送り届ける手筈となっている。
そうして第三部隊以外の者を連れて丘上へと至り、内側の城壁を抜けて己の居城へと辿り着いた。
「お帰りなさいませ、ノイシュリーベ様」
「侯爵閣下のご帰還を心より喜ばしく思っております!」
城館の入口を守護する二名の多面騎士が恭しく首を垂れて出迎えてくれた。
「貴方達も、よく留守を守ってくれました。
ブレンケ卿には午後から面会の場を設けたいと伝えておいて頂戴」
「ははっ! 直ぐにお伝えいたしまする」
入口の前で随伴する騎士や歩兵達を解散させ、半日の休暇を与えた。
翌日から、それぞれが所属する部署に戻って普段通りの勤務に携わる形となる。
城館内の通路を進む頃には、ノイシュリーベに付き従うのは二名の女性の従騎士とエバンス、そしてラキリエルだけであった。
「レンノ、カルロッタ、貴方達も今日はこのまま部屋に戻って良いわ。
私は溜まっている書類に目を通さないと行けないから執務室に向かうけど」
「そんな! 主君が働き続けると言うのに我々だけが休むなど……」
「カルロッタ、弁えなさい。
ノイシュリーベ様の温情を無碍にする気か?」
「大丈夫よ、書類に目を通してブレンケ卿や各部隊長からの報告を聞いたら
私も直ぐに休養を採らせてもらうから」
比較的、年齢が近い方の従騎士へ向けて優しく微笑み掛けながら諭す。
「……分かりました。ですが、あれだけの激戦を潜り抜けた上に
治療を受けたとはいえ左腕をご負傷なされたのですから、
絶対に今日くらいは安静になさってくださいね!」
ギルガロイアとの戦いで斬り落とされたノイシュリーベの左腕の無惨な有様を、直接 視てしまったからこそ彼女の語気は普段よりも何割か強く感じた。
「も、勿論よ。心配してくれて有難う」
少々、気圧されながらも従騎士達を退がらせる。
そして残るエバンスとラキリエルを連れて二階へ続く階段を登った。
「ラキリエル、貴方もこのまま二階の自室に戻って休みなさい。
……明け方まで怪我人を診ていたそうね?」
「はい、どうしても放っておけなかったもので……。
お言葉に甘えて部屋で身体を休めながら、読書に励みたいと思います」
ウープ図書学院より借りてきた数冊の本……中には禁書の写本も混じったものを彼女は両手で抱えるようにして携えていた。
「ふふっ、私が言えたことじゃないけれど、あまり無理はしないでね。
でも有難う、貴方の働きで救われた者は とても多いわ」
「そうそう、グラニアム地方に入る頃には
殆どの人が自力で歩けるようになっていたからねぇ。
ラキリエルが居なかったら、あと一日か二日は到着が遅れていたと思うよ~」
などと三人で談笑を交えていると、二階の通路の奥より近寄って来る者達が現れた。向こうも三人、いずれも黒尽くめの衣装を身に纏っている。
「ご無事で何よりです、姉上」
「…………」
「…………」
近寄って来たのはサダューインであった。
背後には『亡霊蜘蛛』のドニルセン姉妹が控えており、それぞれノイシュリーベの姿を見咎めると無言で軽く会釈を行った。
「……ッ!?」
その声を耳にした瞬間、ラキリエルは肩をビクっと振るわせて条件反射的に俯いてしまった。サダューインの方も、一先ずは用のある姉の方のみを注視した。
「……あんたが城館内で出迎えてくれるなんてね。
いったい どういう風の吹き回し? それとも、これも予定通りなのかしら?」
途端に眉を顰めて険しい表情を浮かべると、左腕を広げてラキリエルを庇うように振舞いながら双子の弟と向き合った。
直接 顔を会わせるのは先月の儀式の場 以来である。
「たまたまですよ。
此方もやるべき事が山積みだったので城館に立ち寄っていただけです。
……まあ、それはさておき」
真剣な面持ちで双子の姉に向き合うと、両腕を身体の側面に付けて深々と頭を下げてみせた。
「何のつもり……?」
「遠征先で"黄昏の氏族"を率いる敵将ギルガロイアと交戦したと聞きました。
そして深手を負われたとも……」
「……問題無いわ。既にラキリエルの治療を受けて快癒している」
「ギルガロイアは俺と因縁があり、過去の戦いで奴を討てずにいたことが
結果として今回の件に繋がった……つまり貴方に尻拭いをさせてしまった形だ。
そのことについて深くお詫びする次第です」
その言葉や態度からは、一切の打算の気配は感じ取れない。
ある程度の嘘を見抜けるノイシュリーベの双眸を以てしても同じであった。
故に、彼にとってそれだけ真摯に告げるべき件だと捉えていたのだろう。
「自惚れるな!」
しかしノイシュリーベは弟の謝罪を真っ向から拒否し、更に眦を釣り上げた。
「元より"黄昏の氏族"の問題を解決するのは、大領主である私の責務よ。
それに騎士として漁村の解放に赴き、交戦したのは私の意志。
あんたが負うべき責任も、下げる頭も、何処にもない。……面を上げなさい」
「ふっ、姉上なら そう仰ると思っていましたよ」
義は果たしたとばかりに、言われた通りに上半身を起こして再び視線を交わす。
「しかし丁度良かった、後で面会の時間を頂いてもよろしいか?
他の将達が同席する場でも構いません」
「……ふぅん? 何か他にも言っておきたいことでもあるってわけね。
良いわよ。午後から執務室に来なさい、ブレンケ卿達も立ち合う形になるわ」
探るような眼差しと言葉を傾けつつも、承諾する。
あの儀式の場で、知っている事は全て報告しろと要求したのは他ならぬノイシュリーベなのだから拒むわけにはいかない。
「…………」
「…………」
両者の眼交いの間には突き刺すような鋭さと、緊迫した空気が漂っている。
明確に敵対こそしていないが、さりとて一瞬なりとも油断ならぬ者と接する時 特有の、血が冷え渡るような感覚とでも言うべきか。
背後のドニルセン姉妹は、真顔のまま表情を崩さずに双子のやり取りを見守っていた。姉弟間の事に率先して意見を挟む気は毛頭ないのだろう。
同様に、ノイシュリーベ側で控えているエバンスも今回は横槍を入れたり、場を和まそうとはしなかった。する必要は無いと判断しているのだろう。
「充分です。むしろ その方が都合が良い。……では後ほど、改めて」
そう告げて軽く会釈した後、立ち去る間際にノイシュリーベの傍に佇むエバンスとラキリエルにも視線を傾けた。
「エバンス、いつもながら姉上を護ってくれて感謝する」
「勿体ないお言葉です。それがおいらの役目だと心得ていますからね!」
ドニルセン姉妹の目があるため普段のような友人としての振舞いは控え、あくまで主家に仕える密偵としての立場で言葉を返した。
「……君も、無事で良かった」
「……はい」
ラキリエルの右隣りを通り過ぎながら、どこか ぎこちない口調で労いの言葉だけを掛けた。
対する彼女もまた視線を床に落としたまま、両手で抱える数冊の本を ぎゅっと握り締めながら掠れるような声色で辛うじて言葉を返すのみ。
両者の距離は、すっかり遠くへと離れてしまったまま 戻っていない。
恰も瑠璃色の空と、漆黒の地底のような、天地の開き。
したがってラキリエルはこの時、サダューインの背後を影の如く追随する姉妹の容姿が自身によく似ていることに まだ気付くことはなかった……。
「……あいつにしては妙に殊勝な態度だったわね」
一階へ向かって行ったサダューイン一行の姿が見えなくなった後、ようやく表情を元に戻しながら呟いた。
「確かにね~、いつもより余裕が無さそうな感じだったかな。
でもノイシュの方も、もう少し棘を抑えた言葉の方が良かったんじゃない?」
「ふん! 今更 あいつへの態度は変わらないし、変えられないわ。
ラキリエル……嫌な思いをさせてしまって、ごめんなさいね」
「い、いえ! 決して そのようなことは……」
「無理をしなくても良いのよ。
今後は極力あいつとは顔を合わせる事がないようにするから。
繰り言になるけど、このまま自分の部屋に戻って ゆっくりと休みなさい」
「……はい」
僅かな逡巡。それの意味するところを、ノイシュリーベは遠慮か何かだと捉えていたが実際のところは少し異なるのかもしれない。
その後、ラキリエルとは二階で別れ、エバンスと三階の執務室へと向かった。
【Result】
・第32話の1節目をお読みくださり、ありがとうございました。
・ここから中盤の山場に向けて、どんどん盛り上げて行きたいと思いますので
どうかご期待くださいませ。
・次回投稿は11/28を予定しています!




