030話『雄浸-禍乱は亡霊の脚を喰らう』(4)
[ 城塞都市ヴィートボルグ ~ 城館地下 十階 魔導研究所 ]
城塞都市ヴィートボルグに戻ったテジレアは、スターシャナと共に丘陵の地底部に存在する『亡霊蜘蛛』の拠点へと足を運んだ。
なお彼女をここまで送り届けたエシャルトロッテは直ぐにザンディナムの宿場町まで引き返している。
「おや? 久しぶりに顔を見たのぅ……外地での仕事はどうしたのじゃ?」
「あんたは相変わらず不健康そうな肌の色をしてるね、ルシアノン。
正に今、その仕事の真っ最中さね。サダューイン殿から直々の勅命だよ」
ルシアノンの容姿は、色白の肌に薄い赤紫色の髪。長く尖った紅い爪が特徴的な小柄な女性で、面貌は十代のようにも三十代のようにも見えた。
伸ばし放題になっている波打った髪型はやや怠惰な印象を与えることだろう。
先導していたスターシャナが無言で一礼して脇に退くと、彼女の後ろを付いて歩いて来たテジレアが一歩前に出る。
魔導研究所の現在の責任者にして『亡霊蜘蛛』の一員でもある吸血種のルシアノンと対面し、軽い挨拶とささやかな牽制を交えた。
この二人は性格や主義主張の違いから、そこまで仲は良くないのだが互いの能力や得意分野に対する造詣の深さに関しては一定の尊敬の念を懐き合っている。
「くふふ、お主が伝えに来たということは……。
私とお主で協力して任務に当たれ、とサダューインは仰ったのかな?」
「それとジューレもだよ。私達三人と……あの子達を六体連れて行けってさ。
作戦目的は進撃中の『ベルガンクス』の足止めだ。
あの子達に実戦情報を収集させる狙いもあると言っていたっけね」
「なんと! まだまだ未完成品の子達を送り出せとは無体なことよな。
どうやらサダューインも中々に切羽詰まってきておるようじゃのぅ」
「此処に籠って研究だけ続けている あんたは知らないだろうけど、
地上では各方面から何かと厄介事が舞い込んでいるのさ。
そういう訳でね、少し急いで支度してくれないか?」
「生憎と、私はお主達と違って頭脳労働専門じゃからな。
まあ愛しのサダューインの命令とあらば拒むわけにはいくまいて。
未完成品を世に放つのは本意ではないのじゃが……付いて参れ」
所長用の席、嘗ては"魔導師"ダュアンジーヌが座っていた椅子より立ち上がり、更なる奥部へと続く階段を降りて行く。
テジレアとスターシャナは黙って彼女の後に続いた。
[ 城塞都市ヴィートボルグ ~ 城館地下 十一階 魔導研究所・最深部 ]
ガ ゴ ン …… ゴ ゴ ゴ ゴ ………
無機質な鋼鉄の空間へと降り立ち、奥部の仕掛けを操作すると重量物が稼働する物々しい音を鳴り響かせながら壁が左右に移動して新たな空間が開かれた。
様々な植物が生い茂り、魔具製の照明が光り輝く楽園のような場所。
中央には人口池、奥には玉座、そして周囲には巨大な柱の如き培養槽が佇立している。
楽園の中で、独りで転寝をしている少女の姿が在った――
「あっ、ママだー!」
少女はルシアノン達の入室を機に目を醒まし、八本の脚で以て立ち上がると勢いよく近寄って来たのである。
「おうおう、ジューレや。よく眠れていたかえ?」
「うん、皆といっしょにぐっすり眠れたよ!」
傍まで歩いて来た少女を見上げる。
ルシアノンの背丈は一メッテと四十五メッテほどなのに対して、ジューレと呼ばれた少女は実に二メッテもの巨体であった。
それもその筈、ジューレは純人種ではなく蜘蛛人という種族……を模した姿形をしており、上半身こそ純人種の少女だが下半身は大蜘蛛の如き多脚種。
更に言えば、大蜘蛛の下半身には蒼き石英のような六角柱状の鉱物が生えている異形であった。
「久しぶりだね、ジューレ。訓練は順調かい?」
「テジレアだ! 珍しいね! うん、いっぱい特訓したよ!
杖術と槍術はほとんど完璧に覚えた!」
「そうかい、そいつは頼もしい限りだね」
ルシアノンよりも更に背の低いテジレアも同様にして、ジューレを見上げた。
会話の様子から察するに、このジューレという少女の精神年齢は十代前半相当であると見受けられる。
「くふふ……ジューレや、我等がサダューインより外出の許可が出たのじゃ。
お前と私、そしてそこなテジレアの三人とに加えて、眠っておる子供達。
合計で九人で戦場へと赴くことになった」
「本当! すごいすごい! ついにお外に出られるの!?」
「本当じゃとも。お前にとって初陣になるのぅ。
しかし主役となるのは他の子共達。お前には戦場で私を守ってほしいのじゃ。
お前達と違って私は非力じゃからな……」
「うん、分かった。すぐに支度して来るね!」
元気良く答えてから、直ぐにジューレは八本の脚を巧みに動かして楽園の隅に置かれている私物入れの棚へと移動していった。
「くふふ、では今の内にこの子達を目覚めさせるとするかの……」
柱の如き培養槽の前に立ち、操作管に掌を添える。
培養槽を見上げると、何等かの液体に浸された巨大な生き物が浮滞していた。
ジューレと同じ蜘蛛人を模した肉体ながら遥かにスケールアップしたかのような体躯。一体一体が全長十五メッテ以上もの規格外の怪物だ。
人造生体兵器『バルバロイ』――
亡きダュアンジーヌが遺した研究の一環に端を発し、サダューイン主導の下で極秘裏に開発が進められている秘中の秘。
遥か太古の時代に棲息していたという巨大な異形種達の遺伝子を元に復元させた肉塊を素体とし、様々な禁術や邪法を用いて培養・進化させた代物である。
広義の意味では魔導兵器に分類されるが、其の実態はまるで別物であった。
基本形態として蜘蛛人を模した姿をしているが、他にも翼人、蛇人、唄人といった亜人種に変形することが可能。
最大の特徴は、戦場に投入した際に交戦相手の能力を自動解析し、学習し、己のものとする模倣機能を備えていること。
更に会得した戦闘情報は『バルバロイ』同士での共有を可能としており、全ての個体が死滅しない限り半永久的に進化を繰り返す悪夢のような存在であった。
「…………」
操作管に触れたルシアノンは掌を停めて押し黙ってしまっていた。
「どうしたんだい、培養槽に不備でもあったのかい?」
「いや、そういうわけではないのじゃが。
こう、何というか……この子達を出撃させることに後ろ髪を引かれてのぅ」
その言葉を耳にして、テジレアは思わず目を見開いた。
背後に付き従うスターシャナも同様であったらしく、驚愕を露わにする。
「この子達はまだ未完成品なのじゃ。
今のままでも充分に強いし、非常に強力な自己再生機能も与えてはいる。
しかし相手が『ベルガンクス』とやらではのぅ……恐らく生きては帰れまい」
「……こいつは驚いた! アンタがそんなことを言い出すなんてね。
イェルズール地方に居た頃は人間牧場を運営していた"魔荘"のルシアノンが
生体兵器に情でも移っちまったのかい?」
「くふふ……或いはそうなのかもしれんのぅ。
ジューレの奴もそうじゃが、今となっては自分の娘のように感じておる。
それもこれも、全ては私を此処へ誘ったサダューインのせいじゃ」
「母性にでも目覚められましたか」
それまで言葉を挟むことを控えていたスターシャナがぽつりと呟いた。
これに対してルシアノンは彼女を……『森の民』にとって忌むべき存在であるダークエルフの方は見ようとはせず、ただ返事のみを返す。
「否定はせぬよ、敢えてな。
所詮は私も一人の雌に過ぎぬということじゃ……お主と同じく、のぅ」
「…………」
「とはいえ主君からの勅命とあらば出撃さぬわけにはいかぬ」
意を決して操作管を降ろし、幾つかの決められた手順で機構を操作した。
すると、ゴポゴポゴポ……と音を立てて培養槽内に満たされていた液体が急速に失われていき、浮力を消失した十五メッテの巨体が重力の影響を受け始めた。
ガコンッ プュゥゥゥゥゥ……。
分厚い硝子で構成されていた四角柱の一角が開き、凄まじい瘴気が漏れ出すと同時に内部に納められていた『バルバロイ』達が一斉に蠢き出す。
現在、楽園内で造られている二十体の内の、六体分を目覚めさせる形となった。
「あっ ああ………」
「ぅ、ぁあ……」
「………あぁぅ」
産まれたばかりの赤子。否、この場合は充分に育ちきる前に堕胎された赤子とでも例えるべきだろうか?
斯様にして常理に晒された造られし生命達は、微かな産声を上げて培養槽より這い出たのである。
「おはよう、我が子供達……おうおう、よくぞ目覚めてくれたのぅ」
赤子をあやす様な口調で巨体に語り掛けるルシアノン。
其の真紅の瞳には確かな母性と共に狂い疲れた碩学者の色合いを含有していた。
「早速じゃが、お前達にはやってもらわねばならないことがある。
我が愛しきサダューインの庭を荒らす害獣共を喰らいに行くのじゃ!」
吸血種の専売である血唱魔法を平和的に行使して、液体に塗れていた『バルバロイ』達の総体を乾かしていると、準備を整えたジューレが戻って来た。
「お出掛けの準備できたよー! 今日はね、この杖を持って行く!
サダューインが使ってるのとお揃いなんだよね」
「くふふ、よく似合っておるぞ ジューレ」
他の『バルバロイ』と比べれば遥かに矮躯なれど、それでも二メッテもの巨体を誇るジューレ用に用意された『極夜の装束』と雑嚢を身に纏い、掌にはサダューインの持つ『サーペントスタッフ・改』に酷似した杖を握り締めていた。
「……サダューイン様の魔具杖の量産に成功したのですか?」
「いいや、ジューレが今 持っているのは予備の素材で組んだ代物さね。
この間 私が修理を依頼された時に幾らか素材が余っちまってねぇ、
魔導研究所で保管しておくように言っておいたのさ」
「成程、そういうことでしたか」
「アンタの腕甲も、ぼちぼち点検が必要な時期だろう?
この作戦を終えて帰ってきたら見てあげるよ」
「有難うございます。是非お願いします」
スターシャナの疑問に答えたテジレアは、整列する『バルバロイ』に視線を一瞥させた後に玉座の方へと移動する。
ルシアノンとジューレも同様に玉座の傍へと歩み寄った。
空席の地底の玉座。
此処に座るべき彼女達の主君は、今この場には居ない。
「それじゃあ、行くとするかねぇ」
「久しぶりの外出じゃ、ジューレにとっては初めての外の世界になるかの」
「うん、すごく楽しみ!」
玉座の肘掛け部分に設えられた操作盤を幾らか動かしてみせると、突如 凄まじい地響きが鳴って庭園の池の水位が下がり始めた。
やがて池の水が何処かへと消失した果てに、池の底部に巨大な洞穴が出現……即ち、『バルバロイ』達を出撃させるための路が現れたのであった。
「スターシャナ、留守は任せたよ」
「くふふ……上の部屋に散らばっておる資料は片付けなくとも良い。
そのままにしておくのじゃ」
「おみやげ いっぱい持ってくるね!」
三者三様の言葉を残しながら洞穴の奥に続く最果ての路を歩んで行く。
その直ぐ後ろには十五メッテの巨体が六体 付き従っている……傍から見れば、恰も魔軍の行進の如き光景と映ることだろう。
「いってらっしゃいませ、皆様の無事のご帰還を心より願っております……」
同じ主君に仕える同僚達の出陣を見送るスターシャナは彼女達の姿が完全に見えなくなるまで、その場で恭しく首を垂れていた。
【Result】




