029話『招かれざる隣人』(1)
「(朝日が昇り始めましたね……なんて綺麗な光景なのでしょう……)」
夜を徹して草原を一直線に駆け抜けて来たために、少々 疲労と眠気に塗れ始めた目を擦る。現在の時刻は一夜が明けた早朝、澄んだ大気が誠に心地良い。
馬上より日の出を目の当たりとして感激に打ち震えかけたラキリエルであったが現在の状況を思い出し、懸命に自制に努めた。
一大事が出来していなければ、実に晴れ晴れとした境地に浸れたことだろう。
[ ウープ地方 ~ デルテミアン領 ]
草原地帯と森林地帯を同時に抱えるデルテミアン領では、酪農や遊牧生活を営む者達が暮らしている他、ささやかな村や町が点在していた。
酪農に従事する者は森林地帯の近く、遊牧生活を営む者は草原地帯で……といった具合に別れており、この辺りで有名なオルデラ牛を育てているのである。
時として野盗や魔物……特にグラスウルフやグリフォンといった種に襲われることが多々あり、警邏隊が駐屯するための前哨砦が等間隔で築かれている。
今回ノイシュリーベ達が立ち寄ったのは、その中の一つ。
既に学院長ウィルゴの手配により、ウープ地方の治安維持を担う警邏隊の一部がこの砦に集結済であった。
「……あれが件の前哨砦か。
事前に聞いてはいたけれど、大した数を揃えてみせたものだわ」
「ここから見える全ての人達が訓練を受けた警邏隊の方々なのですね……」
前哨砦に集った者達の総数は四百名を優に超えている。
ノイシュリーベの白馬に相乗りしているラキリエルが感嘆の声を零した。
ウィルゴが申告していた通り、騎兵 百名、歩兵 二百五十名、治癒術師が十名、後は物資の運搬を担当する荷運び専門の人員といったところか。
本来なら前哨砦に詰めている者は精々が十名から二十名程度であることを鑑みれば明らかに砦の収容人数を超過している。周辺に天幕を張って待機する有様だ。
「ウープ地方中から手隙の者を片っ端から搔き集めたようね。
それだけ事態を重く見ている……ということ」
「これから……グレミィル半島に住むヒト同士で戦いが始まってしまうのですね」
故郷の同胞達を喪ったラキリエルにとって、それは何よりも痛ましい悲劇に他ならない。複雑な思いが表情に滲み出てしまうのは致し方ないことである。
またノイシュリーベとしても護るべき筈の領民の一端と刃を交えるのは、決して本意ではないのだ。
「既に村人が犠牲になっている上に"黄昏の氏族"は協定を破って侵犯しているわ。
この状況を看過すれば大領主として示しが付かなくなる。分かって頂戴」
「はい! 覚悟の上でお供させていただきました以上は、役目を果たします!」
時は昨晩まで遡る――
[ ウープ地方 ~ ウープ図書学院 市立宿泊所 (前日) ]
「"黄昏の氏族"のギルガロイアが兵を連れてガシュラ村を占拠したですって?!
しかも村人達はあの呪詛で結晶化させられた……最悪の事態だわ」
「キュィィ!」
エバンスが放った使い魔から報告書を受け取ったノイシュリーベは総身を震わせながら愕然としていた。
皇国海洋軍とギルガロイアが手を結び、レアンドランジル地方とヴェルムス地方を無視して海路で渡って来た。
これだけでも一大事だというのに、よりにもよって現在進行形でグレミィル半島を蝕んでいる『灰礬呪』の拡散と罹患にも加担していたという。
そもそも"黄昏の氏族"達は前大領主であるベルナルドとの契約により食人を見逃して貰う代償として漁で扱う小舟を除き船舶の所持を禁じられ、他の氏族の許可がなければグラナーシュ大森林内を渡り歩くことすら出来なくなっている。
にも関わらずギルガロイアという客将は、何度か大森林内を侵攻しようとした過去が有り、サダューインを筆頭とした鎮圧に赴いた者達を大いに苦しめていた。
それでも今までは『森の民』間での問題として処理して来れたが、今回は皇国海洋軍の手を借りて直接『人の民』の領域へと渡って来たのだから度を越えている。
「ボグルンド卿、直ぐに全ての騎士を武装状態で郊外に集結させなさい。
それからウィルゴ殿にもこの事を伝えて馬を供出させるわ!
多面騎士や歩兵の一部にも騎乗して騎兵扱いとし、現場に向かわせる」
「かしこまりました。懸命な判断だと思います。
相手が"黄昏の氏族"の凶兵ならば手勢は一人でも多い方が良いでしょう」
「ええ、彼等は一人一人が並外れた戦闘能力を持っているわ。
素直に投降するとは思えないし、ある程度の犠牲は覚悟で鎮圧するしかない!」
同じ『森の民』であり、イェルズール地方と隣接するベルシンガ地方出身であるボグルンド卿だからこそ人一倍"黄昏の氏族"の危険性を熟知していた。
普段は冷静沈着な彼女も、今回ばかりは焦燥感が顔と声に滲み出ている。
ギルガロイアのように氏族長会議の決定すら無視する狂人を野に放てばどうなってしまうのかなど、火を見るより明らかなのである。
「ラキリエル、貴方は残りの歩兵や兵站部隊と一緒に後詰でティエルメ領に
向かってほしい。恐らく到着する頃には戦闘は終わっていると思うけど……」
「いいえ、ノイシュリーベ様! 凶悪な者達との戦いが控えているというのなら
尚更にわたくしの治癒魔法をお役立てください」
「……"黄昏の氏族"は、その辺の魔物を相手にするのとはわけが違うわ。
貴方を護りながら戦う余裕は無いの」
「か、覚悟の上です!
無為に命を落とされるヒトを……一人でも減らしたいのです!」
「…………」
強い決意に満ちた瞳。それは滅亡した故郷より一人だけ生き延びてしまったことへの贖罪か、或いは彼女の芯から湧き出る慈愛なのか。
ガシュラ村の村人が、海底都市の民やノイシュリーベ達の両親と同じ呪詛によって結晶化してしまっていると聞いた以上は一刻も早く赴きたいと願ったのだ。
「…………分かったわ、貴方の意志を尊重する。
それじゃあ現地までは私の馬に相乗りしなさい、馬車では間に合わないからね」
僅かな間のみ逡巡した末に承諾する。今は何よりも時間が惜しい、彼女の意思を曲げるための説得をしている余裕など無いのである。
「はい! 必ず……必ず皆さんを救ってみせます!」
胸に右掌を当てて、決意に満ち溢れた言葉を発してみせた。
その後、図書学院が保有する馬を何頭か供出させて兵を騎乗させ、警邏隊が集結しているというデルテミアン地方へ速やかに発ち、夜駆けで急行したのであった。
[ ウープ地方 ~ デルテミアン領 前哨砦 ]
「ご足労いただき痛み入ります、グレミィル侯爵閣下。
某は集結した警邏隊の指揮官に任じられしベイロンと申す者でございます」
騎士が纏う全身甲冑に比べれば軽装だが、確りとした造りの部分鎧を着用した中年の男性が挨拶にやって来た。
黒ずんだ茶色の短髪と髭が特徴で、数々の修羅場を潜って来たと思しき者特有の双眸は、急な事態にも関わらず落ち着いて現実を見据えていた。
「非常時につき御前で鎧と剣を纏っておりますこと、どうかご容赦あれ」
その場で恭しく跪いて、為政者に対する礼節を通した。
「ノイシュリーベ・ファル・シドラ・エデルギウス・グレミィルだ。
事態は把握している。ベイロン殿、配慮は不要よ」
「ははっ! 音に聞こえしベルナルド様の御子とこの地で轡を並べられますこと
誠に栄誉であることを噛み締めながら御役目を全うしてみせます。
それでは、この場の兵の総指揮権を閣下に移譲いたします!」
「感謝する。ベイロン殿は副官として、そのまま警邏隊の指揮を採りなさい。
二刻の間、此方の兵と馬を休ませた後にガシュラ村へと進軍する」
「……なれば先に歩兵部隊と輜重隊を先行させてもよろしいでしょうか?
騎兵部隊は閣下達と足並みを揃えて発たせれば、村の手前で合流が適います」
「そうね。この辺りの地勢は貴方達の方が詳しいでしょうし、かまわないわ。
他にも進言すべきことがあれば遠慮なく言いなさい」
「はっ! 閣下の柔軟なご姿勢に感服いたします。
では早速ながら歩兵部隊を動かして参ります!」
再び首を垂れて礼節を示し、副官となったベイロンはその場を離れた。
「……よく訓練されている。
これなら"黄昏の氏族"相手でも少しはまとな戦いになりそうね」
大領主とはいえ遥かに年下の女性に急に総指揮権を明け渡すことになったにも関わらず、一切の不満不平を零さない戦士をノイシュリーベは高く評価した。
ノイシュリーベが引き連れる現在の兵力は、騎兵が七十名とラキリエル一名。
内別はノイシュリーベ直属が二十名と、ボグルンド卿旗下の第三部隊が五十名。
ノイシュリーベ側には騎乗させた多面騎士が含まれており、同じくボグルンド卿側も歩兵であった者達の一部を騎乗させた形となる。
他の歩兵達は、後から支援部隊や兵站部隊と共に到着する手筈となっている。
一方で、ベイロンの指揮下の警邏隊の総数は約四百十名。
騎兵は百名、歩兵は二百五十名、治癒術師が十名、輜重隊が約五十名。
輜重隊は物資の運搬も兼ねる役回りである。
つまり戦闘開始時の総兵力は、上記の三百六十名にノイシュリーベ側の約七十名を加えた、四百三十名……といった具合になるだろう。
過去に起こった国同士の領土争いや『大戦期』の激戦に比べれば数の上では遥かに少ない軍勢ではあったが、徴兵した農民に武器を持たせたような数合わせの兵は一人として居らず、全員が何らかの戦闘訓練を受けた集団である。
したがって急な混成部隊にも関わらず、僅かな打ち合わせのみで一廉の統率が取れた軍勢として機能し始める。
前哨砦でニ刻の休息を採ったノイシュリーベは、軍勢の先頭に立って徐に右腕を掲げた。
既に歩兵部隊や、物資を積んだ荷馬車を運ぶ輜重隊は発たせてあるために砦に留まる兵士を除けば、この場に居るのは全て騎兵のみとなる。
「これよりガシュラ村へ向けて進軍を開始する。
悪辣者に貪られた罪なき村人達の無念を晴らし、彼等の故郷を解放するべし!」
「グレミィル侯爵閣下に続け!!
我等 ウープの防人の矜持に懸けて、禍乱の火種を悉く断ち斬るのだ!」
「総員、常歩で前進せよ。二里を越えた後に速足で目的地まで駆ける」
ノイシュリーベ、ベイロン、ボグルンド卿の順番で号令が響き渡り、騎乗した一同はより一層 表情を引き締めながら前哨砦より発っていく。
同じく休息を採ったラキリエルもまた、硬く掌を握り締めて緊迫した面持ちで戦場となる漁村へと同行するのであった。
[ グラニアム地方 ~ 上空 ]
隠者衆の魔術師達を乗せた覇王鷲ベルガズゥは、ラスフィシアによって施された『姿隠し』によりその巨体を完全に天空に溶け込ませながら、悠々とグライェル地方を通り過ぎてグラニアム地方へと渡っていた。
後 一刻程も経てば、ザンディナムの宿場街に到着する算段である。
当初の予定よりも少々 老人達の運搬が難航してしまっていたが飛び発った後は比較的 順調に目的地に向かえており、どうにか帳尻を合わせられそうであった。
「(……何だ? 妙に腕が疼くな)」
凄まじい速度で上空を駆け抜ける最中、サダューインは左腕の肘から下……竜人種の腕を移植した際の縫合痕辺りから、チクリとした痛痒が広がっていく不快な感覚に見舞われていた。
「どうかした? サダューイン」
「いや、何でもない。少しだけ……妙な感じがしただけさ」
隣で『姿隠し』を維持し続ける部下に優しく微笑み掛けながら、右掌で違和感を感じる左腕を摩った。
古傷が疼く感覚。戦いに身を置く者 特有の、難敵の予兆を告げる第六感にも近しい警鐘といったところだろうか。
「(……まさか、ギルガロイアがまた動き出したというのか?)」
グラナーシュ大森林の果て、イェルズール地方の在る方角へと視線を傾ける。
サダューインは因縁深い宿敵とこれまでに二度戦い、決着が着かずにいる。
四年前に交えた一度目の交戦では自身の左目と数多くの部下達を奪われ、そして若いサダューインの矜持と自信は完全に粉砕されてしまった。
今年の頭に遭遇した二度目の交戦では相手の左腕を切り落とし、撃退することに成功したものの首を撥ねるまでには至らなかった……。
その後、諸々の事由を経て宿敵の左腕を移植して更なるチカラを得ると、次こそは必ず討ち滅ぼしてみせると強く決意を固めたのである。
「(姉上やラキリエル達は今頃、ウープ地方に滞在している筈)
(ギルガロイアとて『人の民』の領域へはそう簡単に侵攻できないとは思うが)
(この胸騒ぎは、いったい……)」
奇妙な感覚に陥りながらも、部下達や『隠者衆』に要らぬ不安を与えるわけにはいかないため、表面上は努めて平然を装うことに専念した。
[ ウープ地方 ~ デルテミアン領 ガシュラ村 ]
「へっ、古傷が疼きやがるぜ……」
村長の家だった家屋に居座るギルガロイアは、行儀悪く両脚を食卓机に乗せながら木製の椅子にふんぞり返っていた。
彼の左肘から先は喪われており、義手替わりに装着している腕甲の先端部には分厚い刃が備え付けられている。
「くぁ~~、ラナリアの酒も中々 悪くないぜ!
これから戦を始めるっていうのに、湿気た気分に浸ってちゃ意味がねぇよな」
急に疼き始めた不快な痛痒を誤魔化すため食卓机に乱雑に積み上げていた酒瓶の一つを右掌で掴み、そのまま豪快に飲み干した。
ラナリア皇国で製造されているラム酒の一種で、味わいよりも保存性と酒精の強さのみを優先した船乗り達の必需品。
皇国海洋軍のラナン・ゴラー式魔術艦に乗ってウープ地方まで渡る際に、無断で拝借していたのであった。
と、その時。家屋の扉が開いて一人の鬼人の男性が入って来た。
灰色の粗末な衣を僅かに纏っただけの井出立ちで、腰には蛮刀を帯びている。
「ギルガロイア、作業は凡そ八割くらい終わったところだ。
夜までには完成するだろうよ」
「おう、ご苦労さん。急がせた甲斐があったな!
やっぱ無理やりにでも鎧人共を連れて来て良かったぜ。
連中は図体がでかくて船に乗せ辛ぇが、その分 土木工事はお手の物ってな」
「……ふん、なら後で酒の一本でも振舞ってやりな。
それにしても、此処でこんなことをしていて良かったのか?」
鬼人の男性が木枠の窓の外の様子を伺う。
現在、皇国海洋軍が撤収して"黄昏の氏族"が占拠したガシュラ村を囲むように、土を掘って大きな溝を造る工事を行っていた。
そして掘り起こされた土は、壁の如く高く積み上げられている。
即ち、簡易的な堀と土塁を築いて村を要塞化している最中なのであった。
小さな漁村とはいえ、百名を僅かに超える程度の人数であるギルガロイア軍にとっては村の要塞化は聊か大変な筈であったが、其処は屈強なる"黄昏の氏族"の亜人種達である。純人種の常識は通用しない。
海岸線沿いの土地ならではの砂利混じりの柔い土でもお構いなしに掘っては積み上げ、たった一日で形にしてみせたのである。
「防備を固めるよりも、食料の確保を優先するべきだったんじゃないか?
『大森界』の外では我々を支援してくれる者なんて居ないんだ……」
「くく、分かってねぇな~。だからこそ、だよ」
不敵な笑みと共にギルガロイアが自信満々に語り出した。
「この地方には頭の良い爺や、いい肉食って育った健康な若者が大量に居やがる。
だから今頃はこの村の異変に気付いて討伐隊でも差し向けてる頃合いだろうぜ」
「……ッ! だったら尚更、村を捨てて別の場所へ移ったほうが良いだろう?
適当な町や村を襲って、そこの住人を喰っちまえばいい」
「あと一ヶ月くらい経てば、そうしても良いかもな? だが、それは今じゃない。
良いか? ここで陣取ってりゃ食料が向こうからやって来る。
きっちり防備を固めて返り討ちにし続けて、肉と馬を揃えるんだよ」
「成程……確かに、下手に動き回るよりは幾らか楽かもしれないな」
「全員分の馬を奪い獲ったら他の町に攻め込めば良い。
それまでは此処が俺達の根城になるってわけだ!
それに……皇国の連中から聞いたんだが、面白ぇことにもなってやがる」
「…………?」
「くくく、丁度 この地方に大領主のクソガキが来てるんだとよ!
だったら俺達を討伐する部隊に加わる確率が高いぜ」
「大領主……フィグリス家のシドラ嬢か?
おいおい、"貴き白夜"と正面からやり合う心算なのかよ……」
「燃えるだろ? 此処であのクソガキを嬲ってやれば、さぞや爽快だろうぜ。
それに、もう一人のクソガキへの意趣返しにもなるしな!
これまでのように、ちまちま魔物を送り込むような温い手じゃ済まさねぇ」
フィグリス家とはダュアンジーヌの生家のことであり、シドラとはノイシュリーベの『森の民』としての名前。
彼等にとっては此方の名のほうが通りが良いのである。
「そういうわけでな……酒ならくれてやるから奴等には更に工事を急がせてくれ。
俺の勘だと、今日の夜には連中が押し寄せて来る気がしてるんだよ……くく」
義手の付け根を右掌で摩りながら、これより始まる激しい戦いの予兆を嗅ぎ取って竜人種の客将は武者震いを大いに楽しんだ。
【Result】
・第29話の1節目をお読みくださり、ありがとうございます。
・次回よりノイシュリーベ軍とギルガロイア軍が本格的に激突してきます。
果たして如何なる決着を迎えるのか、サダューインとの因縁はどうなるのか。
後々の展開にも繋がっていく話にしていきたいと考えております!
・次回更新は10/23を予定しています! こうご期待ください。




