028話『汝の背後に黄昏在り』(4)
[ ウープ地方 ~ ティエルメ領 ガシュラ村 ]
ナーペリア海との海岸線沿いに位置する小さな漁村であるガシュラ村は異様な雰囲気に包まれていた。
純人種である村人達と、様々な亜人種……それもイェルズール地方で暮らす屈強な種族が混在していたからである。
加えて不自然な点を挙げるならば村人達は亜人種に一切動じる素振りを見せておらず、しかも立ち振る舞いからして素人のソレではない。
高度な軍事訓練を受けた者特有の足取りと警戒感を醸し出していた。
「(……此処から見えてるだけでも鬼人に吸血種、岩窟人に鎧人、魔眼人……)
(イェルズール地方の"黄昏の氏族"が何でこんなに居るんだよ!?)」
村から百メッテほど離れた岩場の影に伏せながら、望遠鏡を駆使して様子を伺っていたエバンスは思わず驚愕に満ちた表情を浮かべていた。
どう考えても有り得ない光景の数々である。
「(しかもあの村人……『幻換』で化けている痕跡がある)
(隣の領地には地方の警邏隊が集まって来ていたし、ただ事じゃないよねぇ)」
この場に至るまでに目にしてきた数々の不審な気配、一大事を確信したエバンスは知り得たことを速やかに文を認め、封をして己の使い魔に持たせた。
「これで良し、じゃあ急いでノイシュに届けてね! ……頼んだよ」
「キュィ!」
土竜型の小さな生き物が可愛らしく返事をし、地中深くに潜りながら凄まじい速度で遠ざかっていった。
エバンスが魔力を扱う技法は、主に楽器の音色に魔力を乗せる魔奏だが、それを習得するまでに魔法と魔術もある程度は修めていた。
ノイシュリーベやラキリエル、ドニルセン姉妹といった高度な遣い手達には遠く及ばず、保有魔力量自体も並程度ながら小粒な手管を幅広く扱えるので様々な状況で活躍することが出来るのである。
「(ノイシュ達が動き出す前に、ある程度 村の中も見ておこうか)」
荷物の中から筒状の体鳴楽器を取り出し、その場で楽器を演奏しながら魔力を乗せていく。
その音色は恰も波打ち音の如く。海岸沿いの漁村の日常に溶け込むかのような心地良い響きを醸し出しながら……エバンスの魔奏が発動する。
~~~♪
『魔奏・夜渡り烏』……エバンスが得意とする認識阻害と気配遮断を複合した効果を発揮し、隠密行動の際に重宝する。
エーデルダリアで食事を採っていたノイシュリーベの姿を衆目が認識できないようにしていたのも、この魔奏によるものであった。
ただし楽器の音色自体は可聴されるので、その場に適した演奏を行わなければならないという欠点を抱えているが、エバンスは様々な楽器を携行して使い分けることで巧みに補うようにしていた。今回であれば波打ち音を偽装する形となる。
同種の魔法や魔術と比べて有用な点としては、常時演奏することで効果を継続付与させ続けているために『魔断』や『破魔』、『看破』などで打ち破られても即座に修正・対応が可能なところにある。
現在の時刻は正午を目前に控えた時分。日の出より前に沖合まで漁に出掛けた者達が村に戻って来るのは一刻ほど後である筈だ。
にも関わらず漁村には漁師と思しき容姿の男性が平然と闊歩している。しかも、その足取りは実に機敏で隙が無い。明らかに軍人の歩き方であった。
「(偽装しているのは見た目だけ……ってことは短期間の潜伏が目的なのかな)
(村に溶け込む気概はなさそうだし、それに"黄昏の氏族"とは距離を置いてる)」
村人の姿をした者達と亜人種達は互いに一定の距離を保ちつつ村の家屋を出入りしているようであった。
小さな漁村ということで粗末な木壁に藁吹き屋根の家屋が多く、大半は漁具を仕舞っておくための倉庫と大差ない外観。唯一の例外は村長と思しき者の住居だけで石造りの壁に瓦屋根が特徴的だった。
「(……ん、あれは?)」
村長の家の扉が開き、中より一人の亜人種が姿を現した。
他の者達よりも明らかに上質な部分鎧を纏っており、腰に帯びた刀剣も立派な業物であることが伺える。恐らくは"黄昏の氏族"を率いている者なのだろう。
しかし何よりもエバンスの目を惹いたのは、その外見から類推できる種族。
彼は一メッテと九十トルメッテ程の背丈に加えて、見えている箇所の皮膚が全て真紅の鱗で覆われていたのである。
そして頭部は小型の竜種を思わせるような形状をしており、ぱっと見では蜥蜴人のようにも思えるが、明らかに雰囲気が異なる。
「(まさか竜人種? ……そうだとすれば、アイツは!)」
現在、グラナーシュ大森林に存在する竜人種は一人しか居ないのだ。
"黄昏の氏族"の有力者であるアゴラス家の客将として在籍する、ギルガロイア……数年前にサダューインに苦い敗北を与えた因縁の敵である。
ちなみに地上の竜人種と、ラキリエルのような大海の竜人は祖先を同じとしているが長い年月を経て生活環境から能力の傾向、竜種への接し方など、あらゆる面で大きく枝分かれしているらしい。
魔奏を行使し続けながらも、エバンスは念のために近くの家屋の影に隠れてギルガロイアと思しき者の視界に入らないようにした。
一部の竜人種は『竜眼』と呼ばれる特殊な瞳を持って産まれるため、それを警戒してのことであった。
「(……腕甲で隠しているけど、左腕の肘から先は義手だな)
(サダューインが、二度目の交戦で斬り落としたと言っていた箇所と合致する)
(ってことは間違いなくギルガロイアだ!!)」
確証に至り、より慎重に歩を進めながら家屋を伝って近付いていく。
すると村人の姿をした者の一人がギルガロイアの傍に寄り、何やら話し掛け始めたのである。
「……此方の作業は完了した。ニ刻発った後には村を撤収する」
「はっ、そうかい。そりゃご苦労様なこったな」
「村の南西にある小屋に被験者を固めておいた。
扉に鍵は掛けてあるが、くれぐれも開けるんじゃないぞ?」
「分かっているさ。むしろ誰が好き好んで"時限爆弾"に近寄るもんかよ!
ご丁寧にそっちの取り分の村人全員を結晶化させやがって……。
趣味の悪い連中も居たもんだな」
「……ヒト喰いの貴様達に云われる筋合いはない。土着の化け物共め!」
「くくく、そいつは誉め言葉として受け取っておいてやるが
他の連中の前じゃ言わない方が良いぜ。
俺とは違って『森の民』としての矜持とやらを大事にしているからな」
ギルガロイアは元々はキーリメルベス大山脈の奥地に存在していた『火の民』の隠れ里より流れ着いた放浪者である。
故に『森の民』としての価値基準は持ち合わせてはいない。
「ふん、まあ良い……。ボルトディクス提督からの密命を完遂できたのだから
我々としてはもう、こんな場所に留まっておく理由はない。
後は貴様達で好きにしろ。折角ここまで運んで来てやったんだからな」
「何だよ、連れねぇな。
快適な船旅の駄賃として『負界』を運ぶのを手伝ってやった仲じゃねえかよ。
だからこうして、あんた達はこの村人共に呪詛を植え付けられたんだろ?」
「……取引は既に全て完了している」
馴れ馴れしく話し掛けるギルガロイアに辟易した様子で、一線を引く。
その面貌からは亜人種に対する嫌悪と忌避感が溢れていた。
「今後も同じように関わっていく可能性もあるだろうが。
あんた達はこの半島に呪詛を撒いて、あのクソ生意気な大領主を困らせたい。
俺達は大領主が取り仕切る縄張りを幾らか切り取って、自分のものにしたい。
利害は一致している。これからも上手くやっていこうや、なあ?」
「それを決めるのはボルトディクス提督だ!」
馴れ馴れしく語り掛けるギルガロイアの態度に辟易した男性が足早にその場を離れて何処かへと去っていった。
「くく、青いねぇ……、
まあ、面倒な氏族間の手続きをすっ飛ばしてウープ地方まで来れたんだ。
これ以上はない便利な足として、今後も上手いこと利用し続けてやるさ」
嗤いながら、ギルガロイアも村長の家から別の場所……村で唯一の酒場を目指して歩いて行く。
「(……な、なんて事だ!)」
その会話を聞いていたエバンスは愕然となった。一大事どころではない。
能う限り足音を立てないように、魔奏を維持しつつ話に挙がっていた南西の小屋へと早歩きで向かう。
「…………ッ!!?」
そして小屋の傍まで辿り着き、十字の木枠のみが設けられた窓から建物内を伺った瞬間に絶句してしまった。
驚愕のあまり悲鳴すら挙げることが出来なかったのは唯一の救いであろうか。
其処は正に常世とは思えぬ光景。
建物内は、濁った翡翠の如き結晶体だらけだったのだ。
一体や二体では済まされない。会話にもあったように、恐らくは村人全員分のソレが一箇所に集められていたのだろう……。
「嘘、だろ……こんな所業が許されて良いのか……」
喉が嗄れる。怒りが満ちる。
この濁った翡翠の如き結晶体は、大恩あるベルナルドやダュアンジーヌ達の最期の姿と全く同じだったのだ。
こんな悍ましき呪詛を意図的に撒いている者が現実に存在していた。
しかしも"黄昏の氏族"を駆り出して、その手伝いをさせて、見返りとして彼等を『人の民』の土地まで運ぶという最悪の所業。
もしも早期に気付くことが出来なかったら、村人が消失したことに不信感を募らせたウープ地方の警邏隊や冒険者が漁村を散策し、この小屋を発見するだろう。
そして呪詛たる『灰礬呪』に侵された結晶体は持ち帰られて、広まっていく。
『負界』を苗床としなければ容易には拡散しないとはいえ、呪詛を抱え込むことに変わりはないし、ザンディナムのように後から意図的に『負界』を噴出させる手段とて現に実施されているのだから。
「どっちにしろ後手に回ってしまっている、早くノイシュに報せないと!」
一旦 窓から離れてから改めて背後を振り返る。
「……間に合わなくてごめんなさい。
貴方達の症状を元に戻す手立ては、未だ確立されていない……。
これ以上の被害者が出ないように自分に出来る限りのことをやっていきます」
小屋内に一固めにされた元村人達。結晶化して尚も生きている……或いは自分から死ぬことすら許されなくなった被害者達に、心の底から謝罪をした。
「……くそっ!」
エバンスにしては珍しく悪態を着き、全速力でその場より駆け出していた。
昨晩から徹夜で近隣の領地を巡って偵察を続けていた疲労が圧し掛かってきたが今はそれ以上に、憤りから来る神経の昂りが補ってくれている。
ノイシュリーベ達と合流を果たす前に何処かで仮眠を採っておくべきではあるが、その前にやっておかなければならないことがある。
全速力で走りつつ、素早く他の家屋も見て回る。勿論、漁村内を闊歩する亜人種達や村人に扮した軍人に見咎められないよう細心の注意を払いながら。
一通り村を巡って他に結晶化した村人が固められている家屋が無いことを確認した後に、三百メッテほど離れた場所に存在する小さな洞穴へと潜り込んだ。
其処にはノイシュリーベに伝文を届け終えた使い魔が戻って来ていた。
使い魔とは魔術によって産み出される特殊な生き物であり、その形状や特性は術者が修めた術式によって大きく様変わりする。
エバンスの場合は土竜の死骸を媒体として術式を刻んだ魔術生物に近い形態であり、戦闘能力や重量物の運搬には適さないものの、隠密性と移動速度を極限まで高めた伝令専用として設計されている。
「悪いけど、追加で届けてほしいんだ」
「キュ キュイ!」
短い前足を片方挙げて、元気よく使い魔が返事をした。
少しだけ表情を綻ばせたエバンスは、ザラ紙に筆を走らせて簡潔な報告書を作成し、軽くて丈夫な銀筒に納めて使い魔に持たせた。
「頼んだよ! 出来れば最速でね」
「キュッ!」
言われた通りに即座に地中に潜り、凄まじいい速度で遠ざかる使い魔の気配に安堵しつつ、エバンスはその場に座り込んだ。
彼の常軌を逸した体力ならば、まだまだ活動は続けられたのだが休息を採るのは今が最良だと弁えて、そのまま一眠りすることにした。
怒りに満ちた頭を冷やすという意味もある。密偵役を買って出た者が冷静さを欠いてしまっては意味がない。
それに恐らく、事態を知ったノイシュリーベは彼以上の怒りを露わとすることは目に見えている。
彼女が到着した時に、僅かなりとも宥めてやらねばギルガロイアを相手に不覚を取ってしまう可能性もあるだろう。
「……"黄昏の氏族"のギルガロイアにボルトディクスの手先。
グレミィル半島の端っこの漁村にまで手を伸ばして来ていることもそうだけど
厄介な連中同士が手を組み始めた……これは、面倒なことになった……ね」
エルカーダ一座の一員として旅を続ける最中に身に付けた技能。
眠りに着く時は即座に眠る。起きる時は即座に起きることを実践するエバンスは現状に対する呟きを一つ零してから、全ての意識を一時的に自ら断った。
そうして更なる凶報はノイシュリーベの元へと伝えられ、ガシュラ村を目指す者達と、漁村を占拠した者達による激しい戦の準備が進められていくのであった。
【Result】
・第28話の4節目をお読みくださり、ありがとうございました!
・冒頭の方で"黄昏の氏族"の様々な種族の名前を挙げていますが
現時点では「そんな名前の種族も居るのかー」くらいの感覚で
読み流していただければ幸いでございます。
・ちなみに本文中でエバンスが使っていた体鳴楽器という楽器は
現実世界にも存在するもので、通販などでも手軽に入手できたりします。
・次回から第29話に移り、ギルガロイア軍との戦いに入っていきます。
手勢を率いての包囲戦となりますが、なるべく29話内で纏められるように頑張っていきたいと思います!
・次回更新は10/21を予定しておりますので、こうご期待ください!