028話『汝の背後に黄昏在り』(3)
・10/16にプロローグⅠ~第4話までの修正を行いました。
詳しくは活動報告の方をご覧いただければ幸いでございます。
ラキリエルが大図書館でサダューインの足跡を辿っている頃、学院長室に残ったノイシュリーベは祖父と孫ほどの年齢差もあるウィルゴと対談を続けていた。
「念のためです、どうかご容赦あれ」
執務机に置かれた水晶状の調度品……に偽装された魔具を作動させる。
その瞬間、部屋全体に魔力の波濤が三度広がり、三重の結界が形成された。
「『消音』、『魔力遮断』、『物理遮断』による三重防壁ですか。厳重ですね」
双眸に三十輪の『妖精眼』を灯し、魔具によって施された術式効果を看破する。
その類稀なるノイシュリーベの資質を承知しているウィルゴは聊かも動じない。
「誰が聞き耳を立てているか分かったものではありませんからな。
……実はつい先日、北西部のティエルメ領の漁村にて不審船が目撃されました」
「それは……穏やかな話題ではないですね」
事の重要性を瞬時に理解したノイシュリーベの表情が曇り始める。
ティエルメ領とはウープ地方の端に位置し、直ぐ北側には"獣人の氏族"が治めるヴェルムス地方との端境に差し掛かる地勢。また海岸線にも面していた。
「最初に目撃した村人の話によれば、不審船は灰色の平べったい船体で
おかしなことに窓や艦橋といった設備が一切、見当たらなかったのです」
「ナーペリア海に棲息する大型の魔物が沖合まで彷徨って来て
それと見間違えた可能性は? ……それはそれで問題ですけど」
「いいえ、明らかに生物ではなく人工物のような外観をしていたとのこと。
ただ金属特有の光沢は意図的に消されていたそうです」
「成程、そうなると可能性として考えられるのは
ラナリア皇国海洋軍のラナン・ゴラー式魔術艦……」
「然様。我々もそのように推測しておりました」
ラナン・ゴラー式魔術艦はその名の通り、推力から周辺状況の把握、敵艦への攻撃や妨害といった全てを魔術で賄っている特殊な艦船である。
普段は『姿隠し』などを行使して艦影自体を隠蔽しているため、姿を目撃されることがあるとすれば補給中や上陸中に限られるのである。
皇国海洋軍の艦船がこんな場所で補給作業を行う筈もないため、消去法で上陸途中を偶然 村人が目撃したという可能性が高くなるのだ。
「……その後、漁村の住人達からの追加の報告は?」
「それが奇妙なことに、不審船を一度見たきり何も起こっていないとのこと。
普段通りに漁に出ていると申しておりましたな」
「そうですか、魔術艦を動かす者達は当然ながら全員が魔術を修めた軍人です。
なら村人の意識を操るなり、そもそも村人に擬態することも容易な筈……」
胸騒ぎがした。確実に何かが起ころうとしている……。
そんなノイシュリーベの様子を伺いつつ、ウィルゴは余裕のある仕草で白い顎鬚を指で梳きながら言葉を選んで紡ぎ始める。
「……如何いたしますかな? もし貴方様に仇成す輩達が上陸したというのなら
ただちに兵を率いて討伐せねばなりますまい。
然れど、確証無きままに動けば無為に時間と物資を擦り減らすことになる」
ノイシュリーベは値踏みされているような心境に陥った。
否、事実としてこの老人に観られているのだ。この事態に大領主としてどう対処していくのかを。
二人きりの状況下で情報を提供することで、将来的にノイシュリーベという為政者に従い続けたほうが良いのかどうかを測ろうとしているのである。
「…………」
目を瞑り、思考を整えた。
如何にも老獪で回りくどい言い回しは好みではなかったし、憤りを感じないわけではない。検分されるというのも決して気分の良いものではない。
しかし学院長ウィルゴ・ランデルネードの立場で考えるなら理解は出来る。
英雄ベルナルドと"魔導師"ダュアンジーヌ亡き今、ウープ地方の未来を左右するかもしれない事態を、目の前の小娘の裁量に預けてしまって良いのかという不安があるのだろう。
ラナリア皇国海洋軍の艦船が迫っているというのなら、いっそのこと皇国軍に通じて地方単位で庇護を求めるという手も無くはない、といったところか。
古来より『森の民』の脅威を躱し続けていた土地だからこそ、他の地方の為政者達よりも時代に適した恭順先を選択することを重要視しているのである。
むしろこうして、一対一の状況下を築いて正面からノイシュリーベのことを検分しようとしているのは僅かに期待するものがあるから、とも受け取れた。
「……村の近況を調べさせて、必要ならば手勢を連れて向かいます」
ただ怪しいからと闇雲に兵を引き連れて漁村に向かったとして、それで何も居なければただ日数を費やす結果に終わってしまう。
騎兵や歩兵、馬達を賄う糧食などの物資や行軍費用も消費してしまうし、何よりも今はザンディナムの問題を解決しなければならないのだ。
僅か数日の無意味な徒労が、後々に取り返しの付かない事態を招く恐れがある。
「今からですかな? それは少々 浅慮が過ぎる」
期待外れの回答だったのか、ウィルゴは静かに溜息を吐きながら言葉を続けた。
「ここから件の漁村へは、馬で向かっても一日近くは掛かります。
それに相手が皇国海洋軍なら何らかの魔術で隠蔽工作をしている可能性が高い。
ただの密偵に軍用魔術を見破れますかな?」
「勿論、対魔術の心得のある者を向かわせます」
「ほっほっ、そのような逸材がどれだけ存在していることやら……。
今から探して雇い、偵察に向かわせるとしたら更に時間が掛かりましょうな。
まあ我が図書学院ならば、そういった技能を有する『影の者』も居りますが」
「…………」
確かにウィルゴの言う通り、図書学院が抱える魔法使いの中には魔法だけでなく魔術にも精通した人物が在籍しているのだろう。
この老獪な人物ならば、そういった稀有な人材に密偵としての手管を仕込んでいたとしても何の不思議もない。
そうやってこの地方は、今日まで生き延びてきているのだから……。
彼の言動に乗じるのであれば、図書学院の優秀な密偵を借りて漁村を調べさせた後に騎兵を率いて向かうという筋書きが最良となる。
しかし、それは図書学院に大きな貸しを作ることになってしまうのだ。
ただでさえ大勢の魔法使い達によるザンディナム派遣を願い出ている最中だというのに、立て続けに頼ってしまえば後々 大領主として沙汰を下す場などで余計な配慮や忖度をしなければならなくなることは目に見えていた。
かと言って図書学院だけでこの事態を解決するよう命じたならば、最悪の場合は
彼等は皇国海洋軍に尻尾を振る可能性がある。
「どうされますかな?
我々としては『影の者』をお貸しすることも吝かではありませんし、
場合によっては独力でこの事態をやり過ごす算段を見出してみせますが」
「いいえ、その必要はない」
「ほう……?」
ノイシュリーベはきっぱりと断ってみせた。
無知な小娘が意地を張ったのか、それとも何か有効な策があるのか、ウィルゴは更に値踏みするような視線を傾けて来る。
「実はこの都市に入った直後より既に密偵を放っていました。
主な目的としてはヴェルムス地方との端境を調べさせるためでしたが、
周辺一帯の町や村も見て回るように言い付けてあります」
ノイシュリーベ一行がウープ図書学院に到着したのは昨日。
つまり彼女が放った密偵とやらは、既に北西の村々の様子を探っている頃合い。
「そして、その者は魔法と魔術の双方に充分な教養と理解があります。
軍用魔術による隠蔽工作が施されていたとしても看破してみせるでしょう」
「ほほう、存外 用意周到なのですな。
まるで在りし日のダュアンジーヌ様の御手腕のようだ……」
「そのように評価していただけるなら光栄です。
此方の密偵が異変の傾向を掴めば、今夜にでも私の方に報告が入るでしょう」
「ふむ、その者の名を伺ってもよろしいですかな?
偵察技能に加えて魔法や魔術にも精通しているとは稀有な人物だ」
「エバンス・エルカーダと申します。
我がエデルギウス家に昔から仕える狸人の旅芸人です!」
誇らし気な表情と共に言い放つ。
ちなみにウープ図書学院に到着すると同時に周辺地域を調査することを打診してきたのも、この悪友なのであった。
「ほう……エルカーダ、成程。
あの古強者の下で世を渡って来た者ならば、偵察などお手の物でしょうな。
そしてエデルギウス家と懇意にしているのなら対魔術技能も納得できる」
"魔導師"ダュアンジーヌは当然として、その子供であるノイシュリーベも類稀なる素質を受け継いでいる。更にサダューインも素質こそ皆無なれど子供の時に図書学院に通っていたためにウィルゴは鮮明に記憶していた。
「……そういうわけですので、都市の外に兵を待機させておき
一大事の報せが届けば夜通し駆けて現地に向かうようにします」
ノイシュリーベの言うように騎兵隊を編成して今宵より出撃させれば、遅くとも明日にはティエルメ領に到着できることだろう。
もしも悪辣な企みが進行しているというのなら、そのまま打ち砕くなり、妨害するなり試みれば良い。騎兵達には強行軍を強いることにはなるが……。
「(今回 連れて来ているボグルンド卿の第三部隊は最も魔法騎士の質が高い)
(出発前に強化魔法を多重掛けさせれば更に馬足を上げることが出来るわ)
(上手くやれば、漁村の手前で休息を採る時間すら確保できる筈……)」
素の行軍速度や戦闘能力では第二部隊などには劣るものの、細かい調整や現地での対応力の高さに於いて第三部隊の右に出る部隊は居なかった。
「ふむ、成程……英雄の御子として遜色ない振舞でございますな。
先程までの不躾な言動の数々をお詫びさせていただきたい」
「いいえ、ウィルゴ殿。むしろ貴重な情報をいただき感謝したいくらいです。
私が爵位と大領主の座を継いだばかりの若輩者であることは事実。
貴方達のようにグレミィル半島の歴史を見て来られた方々が
不安に思うところがあるのも理解しています」
頭を下げて詫びを入れる体裁を採るウィルゴを素早く静止する。
「皇国海洋軍の中の一部の派閥は前々から我が領土を脅かそうとしています。
大領主としては到底、座視することなど出来ない事態。
成すべき責務を果たしてみせますので、どうか安心して座っていて下さい」
この老獪な人物に今後 侮られることがないように。
そしてエデルギウス家の統治を疑わせないようにするためにも、堂々とした態度と声色で告げた。
「……グレミィル侯爵のご威光を拝見させていただきましょう。
しかし我々もただ貴方様にのみ頼るだけでは申し訳が立たない。
そこでウープ地方の警邏隊の一部をどうかお連れ下され」
「それは心強いことですが、今から打診して間に合うのですか?」
「ほっほっ、ご心配には及びませぬ。ティエルメ領の南隣のデルテミアン領にて
騎兵 百名、歩兵 二百五十名、治癒術師 十名を集結させておりまする。
彼等は騎士ではございませんが、それなりの訓練を受けた者達です」
「(……この狸爺!)」
今度こそ怒鳴りそうになったが、ノイシュリーベは懸命に自制を促した。
訓練を受けた三百五十名以上の兵力を近隣に伏せていたとなれば、明らかに彼等は自力で漁村を制圧する算段を整えていたのだろう。
この分ならウィルゴ達も既に密偵を放って漁村の仔細な状況を掴んでいる可能性が高い。
たまたま別件でノイシュリーベ達が来訪したために、大領主としての資質を測るついでに話を振ってみたというわけである。
更に言えば、集結させた兵の指揮をノイシュリーベに預けることにより、後々に皇国海洋軍と取引をすることになった際にも「グレミィル侯爵に要請されて警邏隊を差し出すしかなかった」などと弁明することも適う。
「……有難く旗下に加えさせていただきましょう。
早速ですが、私は臣下達にこのことを話して部隊を編成して来ます。
ウィルゴ殿、現時点で何か他にそちらが掴んでいる情報は?」
「そうですな、一点だけ言い忘れていたことがあります。
件の船影と同時期に、"黄昏の氏族"と思しき者が
我が地方の外れで目撃されたという報せが入って来ておりました」
「……ッ!? それが本当なら随分と話は変わってきます」
「ええ、何故 今の今まで忘れていたのやら……。
いやはや、歳は取りたくないものですなぁ」
何食わぬ顔で、いけしゃあしゃあと言ってくる。
もし仮に不審船の騒動に"黄昏の氏族"が絡んでいたとしたら、ただの漁村の危機という問題では済まされなくなるというのに!
更に憤る気持ちを今一度 押さえ付けてノイシュリーベは必死に平静を装った。
「今年の雪解け前にも"黄昏の氏族"の侵攻がありました。
その時は事態に気付いた"あいつ"が……失礼、弟が逸早く動いて鎮圧しましたが
また懲りずにやって来たとしたら、非常に厄介な事態だと云えます」
「心中お察しします。
彼等とだけは真っ当な交渉など見込める筈もない上に、
イェルズール地方は一枚岩とは行きませんからな」
「ええ、氏族長こそ居ますが……地方を統治する気概が感じられませんからね。
我が父も相当に手を焼いていたと聞かされています。
ウィルゴ殿、そういうことなら益々 対応を急いでしまいたい」
「それがよろしいでしょうな。
我々も万一の事態には備えておくようにいたします」
「グレミィル半島の叡智を継ぐお歴々に控えていただけるなら心強い。
それでは私はこれで失礼します。有益な情報に感謝します」
向こうが掴んでいる情報と兵力を引き出せたのだから、ウィルゴの検分には一先ず合格したと思って良いだろう。
それはそれとして新たな問題が山積する結果となってしまったのだが……。
ノイシュリーベは踵を返して学院長室への扉の前まで歩いて行く。
扉及び壁沿いには、未だに魔具によって形成されし三重結界が健在だった。
「直ぐに結界を解除します、お待ちあれ……」
「必要ありません」
ウィルゴが魔具を操作するよも早く、右掌に魔力を収斂させて結界の一部に触れてみせた。
ノイシュリーベは双眸に三十輪……即ち、最高位の『妖精眼』を備えている。
如何に強力で精緻な結界であれ、魔力に拠って構築された術式である以上は必ず何処かしら綻びとなる点が存在し、そういった箇所を彼女の瞳は瞬時に看破する。
つまるところノイシュリーベにとって魔術や魔法による防護や妨害、欺瞞に隠蔽といった手管は何の意味も成さないのである。
シュ イィン……。
右掌に込められた魔力が結界に干渉し、そのまま腕を振るう所作に合わせて切り裂く。術式を霧散させたことにより扉が開くようになった。
「なんと……この三重結界をこうも容易く……。
看破するだけならばともかく、一瞬で分解までなされるとは……」
学院長室に張り巡らされた結界は非常に高精度な複層術式であった。
魔具を操作するだけでこれだけの備えを施せるのだから、恐らく執務机の上に置かれている水晶状の調度品は伝説級の逸品なのだろう。
然れど、ノイシュリーベの前では無力に等しい。
その事実を学院長ウィルゴ・ランデルネードの眼前で披露することにより、今代の大領主としての威厳を示してみせた。
英雄ベルナルドと"魔導師"ダュアンジーヌの血と意思と理想を継ぐ者は、此処に健在であるのだと理解させたのだ! ……尤も、先程のまでのやり取りで蓄積していた鬱憤を晴らすという意図も多少は含まれていたのだが。
そうしてノイシュリーベは本院を出る直前にて、何かの書物を借りたと思しきラキリエルと合流してボグルンド卿達が滞在する宿へと戻るのであった。
【Result】
・第28話の3節目をお読みくださり、ありがとうございました。
・本文中で綴っておりましたウープ地方の警邏隊350人というのは、
一地方から捻出できる戦力として結構な数だったりします。
・警邏隊は常備兵とは別物で、元々は各地方の自警団や義勇軍が発展した代物で
現代日本で例えるところの県警みたいな立ち位置となります。
・常備兵と騎士の間くらいの戦力だと思っていただければ幸いです。
・次回更新は10/19を予定しております!
偵察中のエバンスの様子をこうご期待ください!