028話『汝の背後に黄昏在り』(2)
学院長室に通されたノイシュリーベ一行は、ウープ図書学院の最高責任者であるウィルゴ・ランデルネード及び副院長、魔法使い達の代表者五名と面会した。
ザンディナムに派遣される魔法使いの総数は約百名。
現役で活動中の者や、在院生など立場で区分された五つの班に別れており、その班長達が列席していた。
「以前より打診していた通り、貴院の魔法使い達に依頼するのは
『負界』を焼却する際の補佐……気流操作を主体とした環境魔法により
坑道内の酸素の維持や、『負界』の噴出を抑制する役目を担ってもらいます」
閉所であるザンディナム銀鉱山内で第二級火葬術式を複数行使しようものならば瞬時に坑道内の酸素が燃焼して内部で作業する者達は息絶えてしまう。
更に浅層から段階的に焼却していくために、何かの拍子によって深層に留まっていた『負界』が突如 噴出する可能性も考えられる。
そうなれば一挙に宿場街全域に被害が及ぶので、坑道内のみならず周囲一帯の気流を完全に制御下に置いておくことで『負界』の拡散を未然に防ぎたかった。
そこで環境魔法を常時、行使し続けることで諸々の問題に対処しようというわけだが、当然ながら魔法使い達も常に危険に晒されることになる。
今回、志願した百名の魔法使い達は実に様々な事由を抱えていた。
純粋な善意や慈悲、名誉、救済の義務を懐く者。実績を積むため。学院の単位取得のため。報酬に釣られた苦学生……などなど。当然ながら士気も疎らである。
「グレミィル侯爵直々の申し出とあらば我々としても断る道理はありません。
どうにか百名、頭数は揃えましたが皆 前途ある若者達です。
どうか無事に帰還させていただきますよう……」
「分かっています。図書学院は我等の頭脳、決して軽んじたりはしない!
我がエデルギウス家の名に懸けて生還を確約します」
「ほっほっ……南に逃げた魔術師共の介添え役というのは少々 癪ですが
それでも我々の叡智がグレミィル半島のお役に立てるのなら光栄というもの」
ウィルゴ本人も相応の高齢であり、同じ年代の魔術師達には少なくない確執があるのだろう。しかし立場や状況を慮るだけの思慮と経験を積み重ねているためか、長く伸ばした白い顎髭と共に、個人の些末な拘りは指で梳いて流していく。
その後、参画する魔法使い達への基礎報酬や日数に応じた手当、有事の際の危険手当など、諸々の契約を結ぶための書類を紋章官の立ち合いの下で作成した。
「これで当院との契約は成立しました。我らが智の杖を暫し預けましょう。
……グレミィル侯爵、この後で何かご予定はお有りですかな?」
「いいえ、兵を休ませるために一両日は空けるようにしています」
「結構なことですな。では少々、お付き合い下さらぬか? 出来ればお一人で」
「……成程。分かりました」
朧気ながらウィルゴの意図を察したノイシュリーベは即座に頷き、同行させている従騎士達を一瞥した。
「レンノ、カルロッタ、此処はもう良いから貴方達は宿に戻っていなさい」
「主君を一人で置き去りにするのは……」
「控えよ、カルロッタ! お前が配慮する必要はない。
ノイシュリーベ様、それでは我々はお先に失礼いたします」
二人の従騎士のうちの若い方が意を唱えようとしたが年長の方が即座に嗜める。
「ネグ紋章官、ラキリエル、貴方達もよ。
ラキリエルは興味があれば図書学院内を見て回って来るといいわ」
「……良いでしょう。ご随時に」
「分かりました!」
続いて会話内容を記録したり契約書の作成を担当していた紋章官と、学院長達への顔繫ぎのために同行させていたラキリエルに対しても退出を促した。
「ほっほっ、それではこちらも副院長や各班長達を退がらせましょう。
……聞いての通りだ。各自 明後日の明朝まで自由にしておれ」
「かしこまりました、学院長殿」
そうして部屋内には、ノイシュリーベと学院長ウィルゴのみが残された――
「ラキリエル殿、院内を巡られるのなら手助けは必要でしょうか?」
院長室より退出させられた後、年長の従騎士が気を遣って話し掛けてくれた。
「いえ! 皆様のお手を煩わせてしまうのも申し訳ありませんし、
わたくし一人で色々と見て回ろうと思います」
「そうですか。では我々は宿で待機しておりますので、何かあれば申して下さい」
「どうか心行くまでご堪能下さい」
「私も部屋に戻って今日の内には清書に取り掛かるとします」
もう一人の従騎士と紋章官もそれぞれに言葉を述べて、本院より去っていく。
彼女達を見送った後に、ラキリエルは目当ての書物が収められているであろう大図書館へと足を運んだ。
[ ウープ地方 ~ ウープ図書学院 本院 一階・大図書館 ]
本院の一階部分から二階部分に掛けて、吹き抜け構造となっている一際 大きな部屋には天井近くまで伸びる本棚が柱の如く幾つも聳えており、相当数の書物が収蔵されていた。
「どこに何の本が収められているのか……から調べないといけませんね」
文字通り山と積まれた書物の数々を見上げながら、途方もないものを目にした表情をしているとラキリエルの背後より一人の女性が近寄って来た。
「学院外からやって来られたヒトでしょうか?
何かお探しの書物があるのなら、ご案内いたしますわ」
振り返ると、そこには艶のある黒髪を連続して編み込んだ髪型にした人物が立っている。
図書学院に勤める者達特有の、白と黄土色を基調とした衣装を纏い、頭部には年季の入った眼鏡を装着していた。
「貴方は……?」
「申し遅れました。私の名はヴィオラ・バリエンダール。
この本院で司書と魔法学の講師を兼任して務めている者でございます」
「バリエンダール……様?」
聞き覚えのある家名に思わず驚き、そのまま表情に出してしまった。
「おや、この名に心当たりがお有りということは
ヴィートボルグからお見えになられた一団の御方でしょうか?」
「はい! グレミィル侯爵様のお供として参りました。
その……『翠聖騎士団』の人達の中に
同じ家名の人がいらっしゃったので、つい……」
「そうですか。恐らく妹のキヤンタル……いえ、カリーナのことでしょう。
あの愚妹も昔はこの図書学院で司書として働いていたのですが
数年前よりヴィートボルグに移り住んだのですよ」
「そうだったのですね。
でもバリエンダー……カリーナ様とご姉妹なのでしたら
ヴィオラ様も妖魔ということなのでしょうか?」
ウープ地方は『人の民』の領域である。
ヴィートボルグのような二つの民が交流する最前線の土地でもないというのに、『森の民』出身の亜人種が高い役職に就くということに違和感を覚えたのである。
「ふふ、我々"魔女の氏族"に属する者達は古来より『幻換』を用いて
様々な種族が暮らす土地に溶け込んで来た歴史があるのですよ。
……貴方も、本来の姿を偽っておられるのでしょう?」
「……ッ!!」
また一目で見破られてしまった。
本当にこのグレミィル半島という土地は、魔法に対する嗅覚が鋭い者ばかりであることをラキリエルは実感する。
「弱者が強者達の中に溶け込んで生き伸びていくには最良の方法ですもの」
「…………はい。わたくしも今日まで生きてこれました」
「まあ、そういった経緯を別にしても、此処は古くから叡智を蒐集してきた土地。
時には"魔女の氏族"が研鑽して来た秘術や秘法を提供しておりました。
そういった縁が積み重なり、バリエンダール家は特例的に就労を許可され
その多くは司書として登用して貰えるようになっているのです」
「な、成程……。
でも、そこからどうしてカリーナ様は騎士団の部隊長になられたのでしょう」
しかも、ただの騎士団ではなくグレミィル半島に於ける最精鋭戦力である『翠聖騎士団』の支援部隊長なのだ。
図書学院の司書も高位の役職であることに違いはないが、それでも部隊長の地位には遠く及ばない。正に畑違いの組織での大出世といった具合である。
「愚妹は元々、軍事方面……特に戦闘支援に関する魔法の素養に長けていました。
ただ切欠となりましたのは……」
「……?」
何やら言い辛い理由からなのか急に押し黙るヴィオラに、ラキリエルは首を傾げることしか出来なかった。
「身内の過ちを語るような形となり恐縮なのですが、移転の切欠は……殿方です。
その昔、当院に時折通っておられた少年に愚妹は心を奪われてしまいまして
彼を追い掛けるためにヴィートボルグに移り住んだのですよ。
……まったく、はしたない限りです」
「そ、そのようことが!? …………あの、その殿方って、もしや」
意外な答えに驚きつつも、話の途中から一つの心当たりが思い浮かんでしまう。
この図書学院の外から来て、妙齢の女性を心酔させ得る少年など、一人くらいしか居ないのだから……。
「グレミィル侯爵様の御身内……だったりするのですか?」
「その通りです。現在の侯爵様の弟のエヌウィグス様ですね」
エヌウィグスとは、サダューインの『森の民』としての名である。
「……やっぱり、そうでしたか」
『亡霊蜘蛛』を始め、彼は各地の令嬢や町娘を虜にして来たというのだから、今更 驚くには値しない。値しないのだが……!
「どうやら貴方様は、エデルギウス家の方々と親密なご関係の様子ですね。
失礼ですが、お名前を伺っても?」
「あっ! 申し遅れました、ラキリエルと申します。
この度はグレミィル侯爵……ノイシュリーベ様の付き添いとして
伺わせていただきました」
「ああ、成程。貴方が海底都市からやって来られた貴き御方でしたか。
纏っておられる魔法の質からして只人ではないと思っておりましたわ」
「すみません、隠すつもりはなかったのです」
「お気になさらずに。そして、つい話が脱線してしまいましたけど
今回はどのような書物をお探しになっておられるのでしょうか?」
バリエンダール家の説明から飛び火してしまったが、ラキリエルは本来の用事を思い出し、目当ての本のことを話そうとして……少し言葉を詰まらせた。
「ええっと、その……グラナーシュ大森林の歴史が綴られた資料、です。
それから伝統文化や技術、特産品なども知ることが出来れば……」
「ああ、そういうことですか」
挙げられた分類を耳にして、何かを察したようだ。
「先程、名が挙がった書物はエヌウィグス様がよく目にしておられました。
実は同じように彼の足跡を辿ろうと、本を借りていく女学徒が多いのですよ。
そういった事例が多いので、あちらの本棚に一纏めにしております。
題して、エヌウィグス様コーナーですね」
「えぇっ……!?」
「……貴方も彼に絆された女性というわけですか、お気の毒に。
ともあれ、ご所望の書物は見付け易いようにしてありますので
どうぞ心行くまで、見繕われるとよろしいでしょう」
「うぅ、ありがとう……ございました」
件の本棚を紹介し、お辞儀をしてから去っていくヴィオラを見送りながら、ラキリエルは思わず困惑してしまっていた。
図星を突かれたことへの恥ずかしさもあるが、それ以上にサダューインという男はいったいどれだけの女性に影響を与えているのだろうか? という呆れ。
その数多存在する女性の中の一人に自分も含まれていることを再度、実感しつつ紹介された本棚の方へと移動するのであった。
専用に設けられた本棚には、同じ書物が何冊か収められており半分近くは貸し出し中となっていた。
つまり、それだけサダューインの痕跡を辿ろうとしている……或いは純粋に彼に熱狂している崇拝者の女性が居るというわけだ。
「…………」
複雑な心境ながらも、一塊にされた書物に触れて頁を捲っていく。
ラキリエルが最初に手に取ったのはグラナーシュ大森林の歴史書で、当然ながらグレミィル半島そのものの歴史とも深く関連付けられている。
『森の民』の所感が多分に含まれているために、やや偏った内容となっているようであったが、それでも『人の民』の町では決して知ることが出来ない凄惨な歴史の数々が偽りなく綴られている。
中には少年が目にするには刺激が強すぎる惨劇の真実も含まれており、それは現在のラキリエルですら思わず目を逸らしたくなった程である。
続いて『森の民』の伝統文化や工芸品、魔法学や魔具造りの入門書。各地方の特産品と氏族社会の在り方など多岐に渡る書物を目にしていった。
「(凄いです……内容もですけど、古い文字や難しい表現や象形文字も多くて)
(これをお一人で全て解釈しながら読まれていたのですね……)」
此処に置かれているのは子供の頃の彼が読破した書物のほんの一部なのだろう。在院生ならばまだしも、時折 外から来訪していただけなのに、とんでもない読書量と速度と理解力であることが伺える。
そうしてラキリエルは、自身に能う限りの範疇ながらサダューインが辿った道程の極一部を目にし、彼がどのような価値観を形成していったのかを必死に考えながら理解しようとしたのであった。
「ある一定の時期から読まれていた書物の傾向が一変しておられますね。
こちらは……禁書?」
本棚の隅の一角にて『無断貸出厳禁・要許可』という張り紙と共に、封印魔法で厳重に拘禁された書物が数冊、置かれていたのである。
「それは、忌むべき邪法の書でございます……」
「……ヴィオラ様!」
封印された書物を興味深く眺めていると、またしても背後から妖魔の司書が近付いて声を掛けてきた。
「一応、エヌウィグス様に関する書物として置かせていただいていますが
学徒達が目にするには余りにも危険過ぎるので、このようにしております。
まあ……夢を見過ぎて暴走しかけた女学生への戒めも兼ねておりますが」
「あの、これはいったい……どのような書物なのでしょうか?」
「そうですね。ここまで拝見させていただきましたところ、
貴方は純粋に彼への興味と理解のためだけに書物をお求めのご様子でした。
概要くらいなら、お話しても問題はなさそうですね」
どうやら離れた場所でラキリエルの行動を観察していたようだ。
「この書物は、禁書『樹腕の幹扉』の写本でございます」
「『樹腕の幹扉』……それは、まさかサダューイン様の背中の……」
題目を耳にした瞬間、あの悍ましき魔人の姿を想起して僅かに身体を震わせる。
「……そこまでご存じだったのですね。
その通り、彼の背に様々な生き物の"腕"を植え付ける邪法の基となる術式が
幾つか記されている書物なのです」
「…………」
「特殊な外科手術と、邪法による定着を以て移植した部位は"樹腕"と化します。
その代償は凄まじく大きく、また体力の無い者はそもそも手術に耐えられない。
移植する"樹腕"一本につき、約二十回の死に値する苦痛を伴うことでしょう」
「…………ッ!!?」
「加えて、これは当然のことですが移植した部位の分だけ体積が増し、
体重も増加していきます。体力が無ければまともに歩くことすら出来なくなる。
しかし"樹腕"を扱い熟せるようになった際に得られる成果はとても大きい……。
常人では容易には至れない位階まで、一足飛びで辿り着けてしまうのです」
「どうして……あの御方はそこまで……」
エバンスの昔話で断片的に聞いた限りでは、喪った仲間達の想いを背負うと誓い彼等の遺骸を移植したそうだが、何故にその結論へと至ったのかは不明だった。
「手術の現場に居合わせた愚妹が話していたことで恐縮ですが、
エヌウィグス様は、この邪法を用いて全ての意思を束ねていかねば
強大な"黄昏の氏族"や、大国の介入を跳ね除けられないと考えたそうです。
勿論、散って逝った仲間を想う歪な執念も含まれてはいるのでしょうが……」
「全ての意思を……束ねる……」
「遥か太古の時代にて、このグレミィル半島で産み出されたという大いなる幻象
……収束した意思が、常理の埒外から襲来せし者達を退けたという逸話。
"樹腕"はその苗床として伝えられつつも長らく詳細不明とされていましたが、
もしかしたら彼は何かを掴んで、実践されようとしているのかもしれませんね」
「それ程までに途方もない力を得ないと、グレミィル半島に未来はないと?」
「はて、凡庸な私共では到底及びも付かないような視点で
あの御方は物事を俯瞰して視ておられるのでしょうね」
「……ヴィオラ様。もし可能でしたら、この写本をお貸し願えないでしょうか!
どうしても……どうしても知りたいのです!!
あの御方が何を視ているのか、何を成そうとされているのか!」
今直ぐには無理だとしても、この禁書の写本の意味を解読することが出来たのならば、サダューインが見据えている世界を理解できるかもしれないと思った。
それまで素直で大人しい無害な貴人としか思えなかったラキリエルの発した強い意思と行動力に、ヴィオラは若干ながら気圧されかける。
「そ、そうですね。まあ……侯爵様が直接お連れになられているのですから
ラキリエル様も只人というわけではないのでしょう。
分かりました。手続きは私の名で行っておきますので、どうぞお持ちください」
「ありがとうございます! 必ず読み終えたら、お返しします!」
他にも嘗てサダューインが目にしていたという書物や、別の本棚に収蔵されていた御伽噺の本を一冊だけ、借りることにしたのであった。
写本を含めて合計四冊の書物を抱えながら、上機嫌で大図書館を後にするラキリエルを見送ったヴィオラは、即座に貸出履歴を認め始めていた。
そして文字を綴る最中に数年前の出来事を思い出す。
「……あの愚妹は化け物になっていくエヌウィグス様に恐怖を懐き、
夢から醒めて『亡霊蜘蛛』を脱退したけれど、先刻の娘は強かったわね。
自ら禁書の写本まで借りて、彼のことを知りたいと言い出すだなんて……」
身内の愚を知悉するからこそ、妖魔の司書はラキリエルが踏み出そうとした一歩の重さを誰よりも実感するのである。
【Result】
・第28話の2節目をお読みくださり、ありがとうございました。
・このような感じでサダューインは各地でささやかな爪痕を残しております。
・次回更新は10/17を予定しています。
学院長室に残ったノイシュリーベの様子をこうご期待ください。
・また10/16にプロローグⅠ、プロローグⅡの微修正と、
第1話と第2話の大幅な加筆修正をいたします。
そして上記より一部独立させたプロローグⅢを追加いたします!
・特に第1話、第2話の加筆修正にはかなり力を入れましたので、
どうか……どうかご覧いただければ嬉しく思います!!