026話『極夜を担いし翼と徒花』(5)
[ ブレキア地方 カルス・ファルススの町 ~ ジグモッド宅 ]
町の中央を流れる河を挟んだ北東の区画にジグモッドが住んでいる中規模の借家が建っており、四人組の軍人を処理したサダューイン一行は日が暮れる前には彼等の亡骸を運び終えていた。
「なんと……このような者達が我が物顔で潜んでいたとは……」
引退したとはいえ第一線で活躍していた魔術師が大勢暮らすカルス・ファルススの町で堂々と潜伏を許していたのだから、老人達の面子は丸潰れである。
「師と別れる直前で話していた『灰礬呪』の拡散にも関わっていると判断した。
生かしておいても益にはならないので、その場で処分したというわけです」
「懸命なご判断だと思いますぞ。よくぞ暴いてみせたものですな。
ふぅむ……これ程の隠形の遣い手はそう滅多に居りますまい」
「町の雰囲気に極僅かな違和感を感じる程度でした。
彼等を発見できたのは、全て彼女の功績だ」
背後を振り向き、再び面布で素顔を隠したラスフィシアを一瞥してみせた。
「成程、確かに"黒き徒花"の噂通りであれば
如何に高度な『姿隠し』であれ意味を為さなくなるでしょうな」
「彼女の有用性と従順性は俺が保証します。
ですので、どうか師も余計な偏見や警戒は解かれるが良い」
「……昼間の彼女への侮蔑は撤回いたします」
サダューインの言いたいことを察したジグモッドは、その場でラスフィシアに軽く頭を下げて謝罪の意を示した。
「ご理解いただけて何よりだ。
さて、師よ……大変申し訳ないが、この遺体を預かってもらえないだろうか?
貴方の見識と解析能力ならば彼等の身元や目的を正確に割り出せるでしょう」
「様々な意味合いで調べ甲斐のありそうな者達ですからな。承りましょう。
しかし、そうなりますと私はザンディナムへ向かうことが出来なくなります」
「ええ、火葬術式の共同構築に於いて貴方が抜けるのは非常に手痛いが
『灰礬呪』に関することを放置するわけにはいかない……」
ジグモッドは前大領主であるベルナルドに随伴して領内視察の旅に同行していたこともあり、その知識だけでなく人脈も非常に幅広い。
複数人の魔術師達が協力して『負界』を灼き祓う作戦を実施するならば、彼の顔の広さは偏屈な老人達の間を取り持つ上で大いに有力視されていたのである。
「お歴々の矜持にも関わるので、どうか内密にお願いしたい」
「心得ました。明朝には隠者衆の長老殿にのみ事情を話しておきますぞ。
……町に潜伏されていた事実も併せて伝えておきましょう。
そして必ずや遺体の解析を済ませて呪詛に繋がる何某かを掴んでみせまする」
「エデルギウス家の一員として、貴方の助力に心より感謝する」
礼を述べてからジグモット宅より離れると、三人は再び徒歩で町の広場へと戻っていった。サダューイン達が利用している宿は広場から南東の区画にあるのだが、北東の区画との間には河が流れているために広場を経由しなければならないのだ。
ちなみに広場とは町の中央、河の渦中の中州に存在しており、小さな岩山の周りを囲むようにして広がっている。そしてこの岩山こそが『幻始迷宮』の入り口なのであった。
嘗てはこの中州の岩山が村落の端だったのだが、人口の増加に伴なって町へと発展した際に、河の北側が新たな居住区として開拓されていった経緯を持つ。
[ ブレキア地方 カルス・ファルススの町 ~ 中央広場 ]
河に架けられた橋を利用して中州へと渡ると、岩山からぞろぞろと這い出る冒険者達を見咎めた。『幻始迷宮』での探索を終えて帰路に着くのだろう。
夏の夕日に照らされながら、広場の各地で冒険者を相手に商いを鬻ぐ屋台や露店が最も活性化する頃合いである。特に飲食物を取り扱っている店からは、如何にも鼻腔をくすぐる美味しそうな匂いが漂っていた。
「『幻始迷宮』か……なんだか懐かしいわね。
学園の課外実習で貴方と一緒の班になったのが、最初の出会いだったかしら」
「ふふ、そんなこともあったな。
皇都から少し離れた場所に存在する最小規模の『幻始迷宮』だったが、
学徒にとっては相当の刺激と、貴重な実戦の機会を与えてくれる場所だった」
圧倒的な頭脳を誇るラスフィシアは学園でも一際浮いた存在であり、そんな彼女を保護するかのように姉のエシャルトロッテが傍に張り付いていた。
姉妹は他の学徒達を寄せ付けず、常に二人だけで講義を受けたり実習を熟していたのだが、『幻始迷宮』への挑戦は最低でも三人以上で班を組まなければ入場を許可されなかったのである。
そこで姉妹の才覚に注目していた当時のサダューインが共に実習を行うように申し出て、姉妹は渋々ながら彼を受け容れた。
それが三人の出会いであり、交流の切欠であり、路が交わった瞬間であった。
「それが今じゃ、こんな関係になるなんてね~」
自らが纏っている衣装……サダューインの直属の部下であり『亡霊蜘蛛』の一員であることを示す漆黒の外套を眺めながら感慨深そうに嘯いた。
加えて夜の帳が降りる時分には、自ら彼を求めて褥を共にするような間柄。
当時の、一切の余裕がなく周囲の全てが敵だと思い込んでいた頃のエシャルトロッテ達からは到底 想像も出来ないような環境である。
「たまには昔を思い出しながら屋台巡りでもしてみるか。
今日はここで食事を済ませてしまうのも悪くない」
「いいわね、私は賛成よ!」
皇都の近くの『幻始迷宮』の周りにも、似たような露店や屋台が軒を連ねていた。洗練された皇都の街並みやオルスフラ学園の敷地内では目にすることのない庶民的な食べ物に触れたことは誠に新鮮な体験であったのだ。
「……私は遠慮しておく。先に宿に戻って休みたい」
しかしラスフィシアだけは静かに首を横に振って、己の意見を二人に告げた。
「あら、魔力を消耗し過ぎちゃったの? 昼間の件もあるし無理もないけど」
「いいえ、姉様。まだ半分以上は残っています。
ただ今日はゆっくりとしていたい。それに……」
サダューインの整った面貌を見上げる。ラスフィシアとの身長差は三十八メッテもあるために、ほぼ首を直角に傾けなければならないので大変だ。
「どうした?」
「姉様を、労わってあげて」
「……成程」
感情の起伏がやや乏しいラスフィシアの瞳の奥より、真摯な想いを感じ取った。
ニスタングで宿泊した際に、寝台の上でラスフィシアと交わしたやり取りのことを言っているのだ。即ち、エシャルトロッテへの詫びと償いをしろということ。
「二人でなに見詰め合って話してんのよ? 私にも分かるように言いなさい」
類稀な頭脳を持つ妹と主君が交わす会話に付いていくことが出来ないことを知悉するエシャルトロッテは、今回もそんな頭の良い者同士のわけの分からない話が繰り広げられているのではないかと捉えたのである。
「いや、これはそう難しい話ではないさ。
どうあれラスフィシアの意志は尊重しよう、宿まで気を付けて帰るといい」
「ん、じゃあ部屋に戻ってるから……楽しんで」
姉に向けて僅かに微笑みながら、『姿隠し』を行使した。
瞬く間に幼さの残る彼女の総体が、黄昏時の橙色の光の渦中へと霧散する。
「楽しんでって言われても……遊びに来たわけじゃないってのに」
「良いじゃないか。どうせ明後日の朝までは、この町でやれることは少ない。
老人達の準備が整ったらザンディナムまで休まず飛び続けることになるのだし
今日くらいは羽根を伸ばしても罰は当たらないさ」
極自然な所作でエシャルトロッテの傍まで忍び寄り、彼女の肩にそっと右掌を乗せつつ左掌の五指で広場の屋台を指差した。
正に令嬢を先導する貴公子の如き洗練された振舞いであり、エシャルトロッテは思わず息を呑んで密かに頬を朱色に染める。
「きゅ、急にどうしたっていうのよ……! いえ、別に悪い気はしないけど!」
「ふふ、彼女のお膳立てを無碍には出来ないと思ってね。
さあ行こうか、ドニルセン家のお嬢さん……」
肩に添えた右掌を離し、首筋を伝って彼女の頬へと移す。そして漆黒の面布を剥ぎ取ってみせた。
これより先は主君に随伴する部下や臣下としてではなく、一人の女性として連れていくという意思の表明である。
「……ッ!! もう勝手にしなさい!」
満更でもないらしく、言葉とは裏腹に粛々とサダューインの先導を受け容れた。
同時に、学園に通っていた頃にも似たような一幕があったことを思い出していた。
その一方でサダューインは、ラキリエルと酷似した容姿の彼女を連れることに少なからず思うところはあるものの、今この瞬間はエシャルトロッテにのみ心を砕くことで己の流儀と、彼女に対する尊重を遂げることに専心していった。
黄昏時を越え、間もなく降り注ぐ夜の帳は、全てを優しく覆い隠してくれる。
たとえそれが常人の感性から乖離した、化け物の流儀の貫徹だとしても……。
"堅き極夜"が従える翼と徒花は彼への思慕と忠節を以て、今暫しの間 グレミィル半島の宵空を駆け巡り続けるのであった――
・第26話の5節目をお読み下さり、ありがとうございました!
・僅かでもサダューインとその部下達のやり取りや雰囲気をお伝えできていれば幸いでございます。
・次回更新は10/3を予定しています。