026話『極夜を担いし翼と徒花』(3)
ブレキア地方で近年 著しい発展を遂げつつあるカルス・ファルススの町。
元々は小さな村落に過ぎなかったが『大戦期』を終えて間もない頃に、村落の外れの岩山にて『幻始迷宮』が発見されたのである。
『幻始迷宮』とは惑星の息吹である魔力によって自然発生的に象られる構造物であり、中核を成す特殊な大精霊に拠って成立する。
通常の迷宮とは異なり大精霊が発する魔力の影響で常に内部構造が様変わりを果たし、魔力由来の魔晶材や、精霊が変質した異形体が半永久的に産み出される。
云わば『幻始迷宮』そのものが巨大な大精霊の胎内。
年月を経て胎内は拡張を続けており、余所から流れ込んで来た魔物などが棲み付いて独自の生態系を築くようになる。
その一方で『幻始迷宮』内で採取される魔晶材は希少であり、持ち帰れば高値で取引されるために、冒険者達の稼ぎの場となっているのであった。
この特殊な迷宮現象は大陸各地で確認されており、グレミィル半島に於いてはそれまでメルテリア地方とレアンドランジル地方に一つずつ存在していた。
それが『人の民』の領域であるブレキア地方に出現したことにより多くの冒険者や研究目的の碩学者などが集い始め、いつしか小さな村落は様々な利益を齎す一つの町へと発展していったのである。
また冒険者だけでなく現役を引退した魔術師の多くが身を寄せる町でもあった。
グレミィル半島の政治の中枢から最も離れた土地での隠居生活を望んだ者や、前途有望な冒険者に助力したり、冒険者を相手に新たな商いを鬻ぐ者など理由は様々。
そういった者達は、一括りに『隠者衆』と呼ばれていた。
[ ブレキア地方 カルス・ファルススの町 ~ 長老の館 ]
深夜近くに町に辿り着いたサダューイン一行は、現地の魔術師に使い魔を借りてヴィートボルグに留まっているスターシャナに宛てて伝文を送っていた。
即ち、港湾都市エーデルダリアにて皇国海洋軍とセオドラ卿の支援を受けた『ベルガンクス』がヴィートボルグ攻めを企んでいるという報せである。
使い魔の機動力を鑑みれば一両日中にはスターシャナを経由してノイシュリーベの耳に入る算段となる。
そうして成すべきことを済ませてから宿で一泊し、翌日の昼前には隠者衆や町長などが利用する一際 大きな館へと案内された。
建物内には既に現役を引退したのであろう老いた魔術師達が一堂に会している。
ザンディナム銀鉱山で発生した『負界』と、それを焼却するための魔術師の派遣について説明を行うために設けられた場であり、事前に段取りは全て整っていた。
城塞都市ヴィートボルグで暮らしている彼等の親族を利用して協力の確約まで漕ぎ着けているために、この会合は老人の面子を担保するための形骸に過ぎない。
とはいえ成功した引退者ほど、そういったものを重要視することをサダューインは知悉しており、故に心を砕いてヒトを動かすことに余念がなかった。
「……この資料に記してあります通り、ザンディナムの地で湧いた『負界』とは
それそものが有害物質であると同時に『灰礬呪』の苗床にも成り得るのです」
館内の大部屋の中央に立ち、居並ぶ老人達の前でサダューインは熟練の魔術師達の招聘を促すための解説と説得を行っていた。
既に一定人数の派遣は決定しているが、形式だけでも彼等の納得と決議を得ておくことは後に同じような事態に陥った際に役立つ事例となるだろう。
「ラナリキリュート大陸では『負界』が発生する事例は非常に珍しいことですが
隣の大陸"燦熔の庭園"の下層帯では頻繁に噴出する脅威であるとされています。
放置すれば付近に棲息する生物や人々に様々な悪影響を及ぼすとのこと……。
したがって早急にお歴々にご出向いただき、灼き祓ってもらいたいのです」
『負界』の発生にボルトディクス提督が放ったラナリア兵が関与していた事実は伏せる。
何故ならば、彼等は政治的な駆け引きの場に嫌気が指して隠居した者達なのだから大国の思惑が絡んでいることを知れば、後になって協力を渋る事態にも繋がりかねないからである。
「お歴々が第二級以上の火葬術式を行使している間の場の保全は、
ウープの学徒を中心とした魔法使い達に環境魔法を唱えさせます。
また付近の冒険者を搔き集めて防衛隊を編成する手筈となっています」
「お膳立ては全てそちらで整えておられる、ということですかな?」
「いやはや、この歳になって火葬術式とはのぅ」
「グレミィル侯爵に招聘されるというのは、あまり気が乗らないことだが……」
「何せ急を要する事態ですので、どうかご理解いただきたい。
環境魔法はともかく大規模且つ広範囲の火葬術式には綿密な計画性が必須。
それを実践するには豊富な実戦経験を経た者でなければ務まりません。
つまるところ、今このグレミィル半島の危難を拭えるのは貴方達だけなのです」
「ふむ、報酬には興味はないが若者達に儂等の存在を周知させる良い機会じゃな」
「なんのなんの、それではまるで大道芸人ではないですか! 矜持はないのか?」
「それにグレミィル侯爵の命令で出向くというのは、
我々が権力に屈したという形にはならないか? それでは……」
「よろしいのではないですかな? サダューイン殿は信用に値する人物ですぞ。
昔から懇意にさせてもらっておりますが、彼は個人の尊厳と利益に理解がある。
皆様方にとっても悪い取引にはならないよう、上手く処して下さりましょう」
「ジグモッド殿がそこまで仰るのなら……」
サダューインが事前に段取りを付けて協力を確約している魔術師は、この場に居座る半数以上となる。議論の如何に関わらずザンディナムへの出向は既に決まっており、後は老人達が面子を保つためのお遊戯会を眺めるのみであった――
長老の館での説明を経て、居合わせた者達で採決を採り、隠者衆より約二十名の手練れの魔術師の出向が決議された。
その日のうちには選抜を終えて然るべき装備を整えさせ、二日後には覇王鷲に乗せて直接ザンディナムの宿場町まで送り届ける手筈となったのである。
予定調和と云えばそれまでだが、だからといって気を抜ける場ではなかった。
曲がりなりにも彼等は歴戦の魔術師であり、その多くは『大戦期』を生き延びてきた猛者なのだから、不興を買わないに越したことはないだろう。
「助かりましたよ、ジグモッド師。
貴方が適度に助勢してくれたおかげで限りなく自然な形で話が纏まった」
館を出て宿へと戻る道中、サダューインは先刻の解説の場に居合わせた魔術師の一人であるジグモッドと肩を並べて町中を徒歩で移動していた。
なお背後には漆黒の外套を纏い、同色の面布で素顔を覆い隠した二名の女性……ドニルセン姉妹が随伴している。
「サダューイン殿に請われては引き受けざるを得ますまい。
それに此度の一件はベルナルド様達を亡き者とした、あの忌まわしき呪詛にも
関わっているとお見受けいたしましたので……」
「ええ、『負界』を放置すれば『灰礬呪』の罹患者は加速度的に増加します」
肩書こそ魔術師ではあるものの、ジグモッドは魔術だけでなく魔法や呪物にも精通した見識の広い人物である。
嘗てはエデルギウス家お抱えの魔術師として館に住み込み、ベルナルド亡き後は引退してブレキア地方に渡り、諸々の功績と実力を評価されて隠者衆に加わった。
そして幼少の頃のサダューインに魔術の手解きを行った経緯もあってか現在でも両者は良好な関係を維持し続けている。
「『灰礬呪』……生物の体内より魔力を消滅させた上で鉱物へと換える呪詛。
此処だけの話ではありますが、実はこのカルス・ファルススの町でも
同様の症状を発露する者が、ここ最近になって散見されております」
「ほう、ブレキア地方でも……ですか」
「この町は冒険者を中心にヒトの往来が激しいですからな。
ならば地方全体に街道が伸び渡っている、隣のグライェル地方の村や町では
更に多くの罹患者を潜在的に抱えている可能性があるやもしれません」
「……確かに」
「サダューイン殿、私は既に引退した身ですがこの呪詛に関連することだけは
今でも老体に鞭打って馳せ参じる所存です。どうか存分にご利用下され。
それがベルナルド様達への義を果たすことに繋がると信じております故に」
「貴方の善意と流儀に心より感謝する。大いに頼らせてもらいますよ。
そしてエデルギウス家の一員として必ずや解決してみせると誓う」
「ほっほっ、貴方やノイシュ様であればきっと成し遂げましょうぞ。
それにしても……また随分と面白い御仁を従えておられますな?」
町の広場に差し掛かったところで、ジグモッドはサダューインの背後に影の如く付き従う二人の女性のうちの背の低い方……ラスフィシアを一瞥した。
「まさか"黒き徒花"を陣中に迎え入れるとは……」
その視線には若干の畏れが含まれていた。
それもその筈で、ラスフィシアは魔術師として類稀にして異端な素質を有しており、彼女が自ら開発した数々の独自魔術は魔術師や魔法使いの常識を悉く打ち破る天敵として一部の者達の間では畏怖されている。
幸か不幸か、彼女の保有魔力量自体は凡人の域を出ないために独自魔術を多様することは出来ず、戦略に干渉し得る程の影響力は無い。
故に、ジグモッドのような見識の広い者の間でのみ知られる存在であった。
「…………」
「……ッ!」
一切 言葉を発することなく主君に付き従うドニルセン姉妹であったが、自身の二つ名というよりは忌み名を耳にしたラスフィシアが僅かに肩を落とし、隣のエシャルトロッテが面布越しにジグモッドを睨むような仕草をした……ような気がしたことをサダューインは目敏く捉えていた。
「彼女は優秀な俺の部下です。我が『亡霊蜘蛛』の頭脳でもある。
姉のエシャルトロッテ共々、これからのグレミィル半島に必要となる人材だ」
「貴方が見出した人物なのであれば、心強い味方だと思っておきましょう。
ノイシュ殿が拾って来られた あの狸人の少年、エバンスのようにね」
姉妹の微細な反応には気付くことなく、ジグモッドは古い弟子であるサダューインの躍進を期待する言葉を残して町の広場で一行と別れた。
「ふん、失礼なジジイね!」
妹に代わって憤りを露わにするエシャルトロッテはその場で悪態を着いた。
「ジグモッド師は恩義には厚い人物だが、良くも悪くも魔術師だ。
関係性の薄い個人への気遣いは、それほど重要視しない人物だからな。
……不快な思いをさせて済まなかった」
「いいえ、私は気にしてない……から」
「君が不名誉に感じている徒花の二つ名は、必ず俺が一転させてみせよう。
祖国や魔術師達の間で何と言われようとも、俺には君達の力が必要だ」
「サダューイン……」
「本当、貴方はそういう台詞を恥ずかし気も無く口にするわよね~」
と言いつつも満更ではない様子の二人を率いて、サダューインは広場より宿へ向けての帰路を歩み始めた。何事も起こらなければ二日後の明朝までは待機となる。
然れど、その途中。やや狭い路地に差し掛かったところで急に脚を停めて双眸を細め、眉間に皺を寄せた。
「どうしたの、サダューイン?」
「……不埒者ね」
騎士としての鍛錬を積んでいるエシャルトロッテは主君の表情を察して腰に帯びた宝剣の柄に掌を添えて、全周囲からの襲撃に備える構えを採った。
「ああ、ラスフィシア……早速だが君の二つ名の真価を発揮してくれないか?」
「……ッ! ん、分かった」
主君の意図を汲み取り、鈍色の光沢を放つ金属で象られた短杖を取り出して慣れた手付きで術式の構築をし始める。
「求めるは母胎への回帰、捧げるは叡智と史蹟の鑽架の頁。
白紙を以て薄志すら剥ぎ取る、剥落の拍羅を博すべし。
『――回暦する惑星の息吹』!」
瞬く間に独自魔術を完成させ、鍵語を以てその効力を発揮する。
するとラスフィシアを中心とした周囲一帯より急速に魔力および魔力を用いた術式効果の一切が急速に失われていく。
術者であるラスフィシア本人も魔術が使えなくなる代わりに、彼女の展開する領域の優位性は絶対的なものであった。
惑星の息吹である魔力を枯らし尽くす悍ましき存在。輝かしき大輪の華を無価値な炭屑へと変質させるかの如き行為を以て、"黒き徒花"の二つ名を得た。
「な、なんだ……急に!?」
「『姿隠し』が強制解除されただと?」
「くっ! 一体どうなっているんだ」
四方八方より驚愕の声が響く。どうやら魔術を用いて姿と気配を隠蔽してサダューイン一行を尾行していた者達のようだった。
「……鼠が嗅ぎ回っている気配がすると思ってはいたが、成程な。
纏っている装束からして皇国海洋軍に連なる者達か」
「町中で『姿隠し』まで使ってくるだなんて真っ当な連中じゃないわね。
どうするの? 本国の軍人が相手なら貴方の立場だとやり難いでしょ」
『姿隠し』は比較的高度な術式に分類され、常時使用するにはそれなりの魔力を消耗するか、術式を刻印させた第一級の魔具が必要となる。
そんなものを平然と扱えるのは非常に高度な訓練を受け、潤沢な装備を許されている特殊部隊か、それに相当する実働員でしか有り得なかった。
「だがザントル山道での前例があるし、見逃すという選択肢は無いな。
適切に処理してジグモッド師に後処理をお願いするとしよう」
「……了解。このまま封魔結界を維持します」
「頼んだぞ、ラスフィシア。こちらも魔術や魔具が使えなくなるが
俺とエシャルトロッテの二人ならば体術だけで充分に圧しきれるだろう」
長老の館での所要を済ませた帰りであったために、スターシャナより借り受けていた鋼鉄の大剣は携行しておらず、外套の下に忍ばせていた短剣を取り出して両掌でそれぞれ一本ずつ握り締める。
隠形を解かれた上に追跡対象が臨戦態勢を採ったことを見咎めた軍人達もまた、意を決して各々が携える武器……ラナリア皇国海洋軍で正式採用されている片手斧を抜き放ち、静かな殺意を傾け始めるのであった。
・第26話の3節目をお読みくださり、ありがとうございました!
・『幻始迷宮』に関しましては、珍しい場所ではあるものの大陸の各所でそれぞれ存在していたりします。町の近くに出現すれば、それでだけで観光名所にも有り得たりします。
・本編中でダンジョン攻略や探索劇を描く機会はまず無いと思いますので、いずれ投稿させていただきます外伝の方でやれたら良いな……と考えています。
・次回更新は9/29を予定しております!