026話『極夜を担いし翼と徒花』(2)
ニスタングの宿場街で一泊したサダューイン一行は、翌日の昼過ぎより再び覇王鷲に乗ってブレキア地方へと飛び発った。
ブレキア地方とは、グレミィル半島に存在する十の地方の最南端。
山野と森と小さな湾を要する、政治的影響力の低い土地。『人の民』の領域ではあるものの統治の中枢を担うヴィートボルグから最も離れているために、隠居した者や政争に敗れた者達が辿り着く僻地として知られていた。
この地方ならではと呼べる特徴的な要素があるとすれば、それはサダューイン達が目指している『カルス・ファルススの町』が真っ先に挙げられることだろう。
[ ブレキア地方 ~ 上空 ]
地上より高度一千八百メッテの空の上を、覇王鷲ベルガズゥが飛翔していた。
直上には真夏の分厚い雲が広がっており、仮に地上から見上げる者が居たとしても雲の影に紛れるために覇王鷲が飛んでいることに気付くことはない。
「あぁ~~~、めちゃくちゃ身体が重いわ……」
先頭で手綱を操る美女、エシャルトロッテが気怠げに肩を落としながら愚痴を零した。言うまでもないことだが昨晩の激しい情事が響いているのだろう。
寝台の上に横たわっていた時とは異なり、漆黒の甲冑に外套を纏った姿からは厳かさと華やかさが適度に調和しており、凛々しき黒騎士といった井出立ちである。
「ははっ、本当に済まなかった。次の晩からは気を付けるよ。
もし不調が響くようなら俺がベルガズゥの手綱を預かろうか」
「莫迦 言ってんじゃないわよ! 主君に自分の騎獣を操らせて
呑気に運んでもらう騎士が何処の世界に居るっていうの?」
一瞬だけ背後を振り返り、その主君であるサダューインと彼の横で毛布に包まって眠りこけている妹の姿を検めた。
「ラスフィもこの有様だし、貴方いったい何時まで盛ってたの……。
そのくせ一人だけ全く疲れる素振りを見せないし、本当に体力お化けよね」
「君が意識を失ってから……だいたい一刻くらいだったかな?
熱烈な要望を受けたものでね、応えないわけにはいかなかったのさ」
「……いや、律儀に答えてんじゃないわよ。
そういうのは暈して言うのが普通でしょうが!?」
「ふっ、それは失礼した」
謝罪しながらも爽やかな笑みは絶やさず。
部下であり臣下であり、それなりに付き合いの長い友人でもあるエシャルトロッテとの会話を純粋に楽しんでいるようであった。
他の『亡霊蜘蛛』の面々にも同じことが言えるのだが、サダューインの立場と理念と手管を理解し、赦し、褥を共にする間柄になってからもこうして平時は気さくに話し合える間柄を維持していることは、彼にとって大いなる癒しであった。
彼女達はただ単にサダューインという美丈夫に篭絡されて、夢のような甘い一時に浸っているわけではない。
主君としてサダューインに心酔しながら従う一方で、それぞれが抱えている目的や意思を貫き通すために彼を利用しているのである。
「……? どうしたのよ、今日は随分と殊勝じゃない。
いつもだったら、もっとねちっこく からかおうとしてくるのに」
「まあ、色々と指摘を受けたものでね」
普段よりも僅かに反応が鈍い主君を訝しむ。心なしかエシャルトロッテに対して負い目のようなものを懐いている雰囲気が感じ取れたのだ。
「ラスフィから何か言われたってこと? まあ貴方とラスフィの間での話なら、
どうせ私なんかが聞いても意味を理解できるとは思えないけど。
あっ、昨晩のことだったら私は特に気にしてないわよ?」
「そうか……」
「毎晩あの激しさだったら流石に私でも身体が保たないけど、
たまには ああいうのも……って、何を言わせてんのよ!!」
独りで勝手に赤面して、勝手に恥ずかしがって怒鳴ってくる。
昔から感情と表情をころころと様変わりさせる彼女の在り方に思わず微笑んだ。
「……それよりもカルス・ファルススに着くまでには、しゃんとしなさいよね。
これから隠者衆の偏屈爺どもを動かさなきゃいけないんでしょ?」
「ああ、必ず覇気を充填させておくと誓おう。
ザンディナムに蔓延した『負界』を灼き祓うためにも彼等の助力が必要だ」
「このまま速度を維持すれば今日の夜には町に着くでしょうね。
本当はもっと上空を飛ぶことが出来れば良かったんだけど……」
現在の高度は一千八百メッテ。雲の真下。
覇王鷲は更なる上空でヒトを乗せて優雅に飛び回ることが出来る鳥種であり、実際に"燦熔の庭園"では高度五千メッテの空に漂う浮遊島で生活する人々の足として古来より重用されているのであった。
雲上を飛行すれば地上から目撃される可能性が極めて低く、最大速度を出せるようになるが、逆に同じ高さを飛ぶ飼い竜に乗った者に発見される恐れがある。
グレミィル半島の暗部として活躍するエシャルトロッテとしては、それは避けたい事態であり、普段ならばラスフィシアの扱う高水準な『姿隠し』の術式効果でベルガズゥの巨体を丸ごと隠蔽していた。
しかしラスフィシアは昨晩の情事の影響により、まだ眠りから醒めない様子。
故に、一行は仕方なく現在の高度を飛んでいる……というわけなのである。
「いや、本当に……返す言葉もない」
「済んだことを気にしても仕方ないわ。
とりあえず今日はこのまま、この高度で町まで飛ぶから……って、拙いわね」
遥か前方、進行方向上の空域を見詰めていたエシャルトロッテが突然、渋い声を挙げた。
「向かって前方に魔鳥の群れが飛んでるわ。数は、十羽ってところかしら」
「ふむ、この時期なら大山脈颪を降ったギィルフルバの群れだろうな。
ブレキア地方まで渡って来るとは珍しい。
だが飛行速度ではベルガズゥの方が上回っている。充分に振り切れるだろう」
まさか眼前の魔鳥が、『竜弾郷』のエアドラゴンから懸命に逃げ果せた個体達だとは露知らず、淡々と持前の知識を披露していった。
「それは可能でしょうけど、推奨できないわね。
ギィルフルバって一度目を付けた獲物をしつこく追って来る習性があるもの。
目を付けられて町まで追って来られたら余計な混乱を招くわ!」
「確かに、君の言う通りだな。では速やかに駆逐して道を開けてもらうとしよう」
臣下の意見に耳を傾け、ベルトのホルダー部分に納めてある試験管型の魔具に手を添えようとした。
「ふん、あれくらい本調子じゃない私一人でも充分よ!
貴方は眠っているラスフィが落っこちないように、しっかりと支えてなさい」
手綱を握る掌を離し、黄金の長い髪を雑に束ねて外套の裡へと仕舞い込む。
そして鞍に括り付けていた漆黒の兜を手に取り、頭部へと装着した。
エシャルトロッテが着用している漆黒の甲冑は、ノイシュリーベの全身甲冑のように総体を覆い包んで密封するような代物ではなく、部分的に装甲を獲得する用途なので幾らか融通が利く構造であった。
「分かった、任せよう。
空の上では君の意見を最も優先すると決めているからな」
言われた通りに、隣で眠るラスフィシアの身体を右腕で強く抱き締めつつ、取り出し掛けた魔具をベルトに納めた。
「我が騎士エシャルトロッテよ、眼前の害鳥を討ち破るべし」
「御意! 我が翼は、"堅き極夜"の路を拓くために有り!」
主君の命令に応じると共に兜の面当てを降ろし、腰に帯びた宝剣を抜き放つ。
彼女の掌に有るのはドニルセン家に伝わる一振りのレイピア型の刃。通常の鋼鉄ではなくまるで青色黄玉を研いだかのような鉱物状の刀身であった。
"燦熔の庭園"で造られている『ウェポン』と呼ばれる特殊兵装に分類される代物であり、彼女の祖国では『界獣』なる災厄に抗うために産み出されたという。
右掌で宝剣を握り締め、左掌で手綱を巧みに操る。
大空を駆ける騎獣と一体化して敵対者を討つ者のことを"燦熔の庭園"では天空騎士と呼ぶ。彼女はその名門であるドニルセン家の長女なのだ。
「ギィィ!?」
「ギュィァアァ!」
魔鳥ギィルフルバの群れに凄まじき速度で迫り、そのまま追い越してみせる。背後より迫って来た巨体を見咎めて魔鳥達はそれぞれ驚愕の面貌を浮かべていた。
その気になれば一方的に奇襲を仕掛けて殲滅することも出来た。しかし相手が魔鳥であったとしても、そのような行いは天空騎士の名を穢すのだ。
群れを追い越して百メッテほど直進したところで覇王鷲の総体を直角に傾けながら右方向へ急旋回。騎手であるエシャルトロッテの意図を汲み取ったベルガズゥは、両翼を斜め後方に伸ばしたまま固定させることで旋回効率を底上げしている。
そのまま旋回機動を維持し続け、魔鳥の群れの側面を突ける体勢と位置取りを整えていく。この時になってようやく魔鳥達は、襲撃者の存在を検め、遅蒔きながら迎え撃つべく散開し始めようとしていた。
「求めるは絶亡と切望、捧げるは雷架の軛!
燦然と輝く古の綺譚は、漆黒の嵐壁より三度刻まれる」
中位の雷撃魔術の詠唱。其は"燦熔の庭園"で広く用いられているという汎用的な軍用魔術の一種であり、妹のラスフィシアほどではないにしろエシャルトロッテもある程度の魔術の遣い手であった。
「『――喰い千切れ、三厄の雷獣』!」
カッ ゴロゴロゴロ……!! ドドォォン!
エシャルトロッテが高らかに宝剣を掲げながら魔術の鍵語を唱え終えると同時、頭上を覆う雲より稲光が迸り、三本の収束された雷が降り注いだ。
しかし、その狙いは魔鳥に非ず。魔術に拠って産み出された雷は全て彼女の宝剣の刀身へと落ちて行ったのである。
「いっ……くわよぉ!」
自身が発生させた三本の雷を束ねて凝縮させる。さすらば青色黄玉の刀身は凄まじい雷光のエネルギーを迸らせる光剣へと変貌していった。
魔鳥が散開するよりも早く再接近を果たし、群れの渦中に激突する寸前にて手綱を短く引いて更に機動に変化を加える。
それまで真横に円を描いて旋回していた状態から、やや斜め上方に角度を付けた小さな円を描き直すかのような、僅かな軌道修正。
新たに描き直した極小の機動に合わせて、雷を纏った光剣を……薙ぎ払う!
振り抜く刹那に雷を一挙に解放させると、光剣は瞬間的に百メッテほどの長さにまで拡張し、十羽の魔鳥の悉くを捉えたのである。
「……ッ!!」
「ギャュィィィ……!」
「ギィァ……ギャッ?!」
何が起こったのか分からず、ただただ間抜けな鳴き声を上げながら光に呑まれていく魔鳥達。
超高温の雷の光で叩き斬られて、消し炭すら遺らず空の上にて蒸発していった。
「他愛もない……けど、やっぱり今日は調子が出ないわ」
一薙ぎで魔鳥の群れを屠った後も旋回機動を維持しつつ残心を怠らない。
周囲より脅威と成り得る存在が消失したことを入念に確認した後に、ようやくエシャルトロッテは面当てを上げて一息着き、臨戦態勢を解いた。
そしてベルガズゥを戦闘機動から巡行状態へと徐々に戻していく。
パチパチパチパチ。
「相変わらず素晴らしい手際だ。空の上に在る君は、誰よりも美しい」
拍手と共に臣下を労うサダューイン。一瞬の攻防だったとはいえ、あれだけの速度で急旋回を用いたにも関わらず、まるで振り落とされる気配はなかった。
「……どうせ、誰に対してでも言ってるんでしょ?
ま、主君からの有難い労いのお言葉として受け取っておくわ」
「頼りにしているのは事実だよ」
覇王鷲に騎乗したエシャルトロッテの武力は、現在の『亡霊蜘蛛』の中では頭一つ抜きん出た存在であった。
「とはいえ、ブレキア地方の空をギィルフルバの群れが飛んでいるのは
やはり気になる……ヴィートボルグにも魔鳥などが襲来しているかもしれない」
「だとしても侯爵や『翠聖騎士団』が揃ってるなら大丈夫でしょ。
仮にエアドラゴンや炎獄鳥が降りて来ても喰い止められるわよ、きっと」
「対空防御の要である君を欠いた状態で何処まで被害を抑えられるかが問題だが、
ここで考えても詮無いことだな。姉上達を信じるしかあるまい」
「ええ、貴方が今 考えなきゃいけないのは隠者衆の説得と運搬でしょ?
ちゃんとやりなさいよね。そのために乗せてあげてるんだから」
「そうだな……」
その場で背後を、ヴィートボルグの在る方角を振り返りながら淡々とした返事を返した。
果たして彼が真に危惧しているのは都市が被る被害なのか、それとも都市に滞在することになった、あの無垢な貴人のことなのか……。
「先を急ごう、頼むぞ エシャルトロッテ」
「当然よ、さっきも言ったけど今日の夜にはカルス・ファルススに入りたいわ」
そうして覇王鷲に乗った一行は、真夏の雲の下を飛び続けるのであった。
・第26話の2節目をお読みくださり、ありがとうございました!
・この大陸では覇王鷲は本来ならば棲息しない鳥種なので、飛んでいる姿を目撃されたら即座に身バレしてしまう可能性があるためエシャルトロッテ達は飛行ルートの選定にかなり気を遣っている……という設定があります。
・次回更新は9/27を予定しております。どうかお楽しみいただければ幸いでございます。