025話『何も知らなければ ただ憎むだけで良かったのに』(2)
「信じたい気持ちと、また裏切られるかもって気持ちがぶつかってるのかな?」
「……はい」
エバンスの言うように、サダューインを信じたい気持ちはある。
練兵所で感情に任せて拒絶してしまったことを謝りたいという気持ちもある。
然れど、サダューインの所業を正面から受け容れられるだけの心の器は、今のラキリエルには未だ備わっていないのだ。
尤も、彼の本性を知った上で受け停めることが出来る者など非常に限られているだろう。双子の姉のノイシュリーベですら嫌悪を隠そうとしていないのだから。
いっそ何も知らないままであったなら、どれだけ心が楽になれたことだろう。
サダューインのことを、手段を選ばず他者を利用して目的を遂げようとするだけの悪辣者や、常軌を逸した邪法に平然と手を伸ばす狂人だと認識することが出来たのなら、ただ憎悪を向けるだけで事足りた筈なのだ。
無論、救出してもらったことへの恩は何らかの形で果たすにしろ必要以上に関わることはない。後はノイシュリーベの庇護に縋れば良いのである。
だがラキリエルはヴィートボルグに辿り着くまでの道中でサダューインという人物の一端を垣間見て、曲がりなりにも間近で接してきた。
領内で暮らす者達のために、人知れず身体を張って奮戦する姿を。
身分を隠して村々を巡り、病や呪詛を前にしては持ち得る知識を余さず発揮して解決しようとする姿を。それが自力では適わなければ己の無力さを嘆く姿を。
彼は常に真摯だった。少なくとも、やろうとしていること自体は善性であった。
真摯に理念を遂げようとするからこそ、凡庸な物事を置き去りにしてしまう。
他人の心を利用するのも、自分自身すら道具同然に扱うのも、全てはその一環。
類稀なる頭脳と肉体を併せ持ち、亡きダュアンジーヌの跡を継いで理念を塗り固めているがために、常人とは感性が乖離し始めているのかもしれない。
ラキリエルに対しても、彼なりの価値観で真摯に扱おうとはしていた筈だ。
更にエバンスから聞かされた彼の過去を知った今、ただ彼を憎み、拒絶するだけで済ませることなどラキリエルには出来そうになかった。
何故ならば、仮にサダューインの手管の一環で丁重に扱われていたのだとしても、サダューインという人物に心を奪われたのは紛れもない事実なのだから……。
「サダューイン様を嫌悪しているわけではない……のだとは思います。
ご領地で暮らす人々のために身を粉にして奔走しておられる姿を拝見しました。
それはとても尊く素晴らしい行いですし、何よりも嘘偽りは感じませんでした」
「まあ、その点に関してはノイシュ以上に大真面目に取り組んでいるからねぇ」
「背中や左腕に生やしておられた亡き臣下の方々の腕部も、きっと……
サダューイン様なりに考え抜かれた大いなる理由があったのかもしれません」
今一度、練兵所で見咎めた悍ましきサダューインの姿を想起して、恐怖で身体が震えそうになってしまうのを堪えながら、懸命に胸中の想いを言の葉に変換する。
「……君を連れて行った おいらが言うのも難だけど
あの姿を見て、まだそういう風に言える人は滅多に居ないと思うよ」
「正直に申し上げて恐ろしいのです……あの御方はもうヒトではないのでしょう。
でも、だからこそ……もっとサダューイン様のことを深く知りたい。
底を視てみないことには、この気持ちを整理することは出来そうにありません」
震える十指を絡め、胸元で自身の両掌を重ねながら胸中を吐露する。
アルドナ内海の遥か海底よりも更に深いのかもしれない、化け物の底……。
果たしてそれを目にした時、ラキリエルの心が正視に耐え得るのかどうかは定かではないが、それでも知らなければならないと感じたのだ。
「そっか、うん……やっぱり君はただのお客さんじゃあなさそうだね」
ラキリエルの言葉に耳を傾けながら、エバンスは何度か頷いてみせた。
「エシャルトロッテやラスフィシアみたいに彼に心酔するわけでもなく、
カリーナさんみたいに一歩引いた場所に逃れるわけでもない、か」
「えっと、それはどういう……?」
「んー、そのうち分かることかもね。
ともかく、まだサダューインを見限っていないのなら安心したよ。
彼のことを知りたいと思えるのなら、時間を掛けてじっくりとやれば良いさ」
「ですが、どのように顔を会わしていけば良いのか……」
「そこは焦る必要はないんじゃないかな?
サダューインも暫くはヴィートボルグに戻っては来れないと思うし、
その間に君はここでの暮らしや、その衣装に慣れることに専念すればいい。
慣れた頃には、きっとサダューインとの向き合い方を見出せているかもね」
「そういうもの……なのでしょうか?」
「確証は何もないけどね。だけど今、ラキリエルの心が彷徨っているのは
きっとまだ地に両脚が完全に着いていない状態だからだと思うんだ。
この都市に根差してみれば、何かが変わっていくかもしれないよ。
もし変わらなければ、その時はその時だ」
「はい……」
「ま、おいらの本音としては君がサダューインのことを受け容れられるのなら
彼とは今後とも仲良くやってほしいなぁと思っているよ」
何度か連絡を取り合ってきた中で、ラキリエルのことを報告する際のサダューインの様子をエバンスは思い出していた。
はっきりと本人から言葉で伝えられたわけではないのだが、サダューインにとってラキリエルは他の女性とは明らかに扱いが異なるように感じていたのである。
故に、エバンスは一縷の望みを見出そうとしていた。
「……ここ数年、ノイシュとサダューインの軋轢は増していくばかりだ。
おいらもどうにか二人の仲を取り持つよう頑張ってはいるけど、ジリ貧でね。
もしラキリエルがサダューインとこれからも関わってくれるのなら
あの姉弟を繋ぎ止める手助けをしてほしいんだ……」
それまでの陽気に話す旅芸人の面貌から一転して、深刻そうな顔付きと声色で己の悩みを独白し始めた。
「ノイシュも君のことはかなり気に掛けているみたいだからね。
直ぐに本音で話してくれるようになるんじゃないかな?」
ラキリエルの髪を束ねている瑠璃色の髪留め布に視線を移した。
それは幼き日のノイシュリーベがよく身に付けていた代物であり、父ベルナルドから贈られた宝物の一つ。
彼女と共に過ごしてきたエバンスだからこそ、その髪留め布を譲られたラキリエルのことを如何に気に掛けているのか誰よりも察しているのである。
「おいら一人じゃ難しくても、君の手助けがあれば好転が望めるかもしれない。
自分の不甲斐なさを棚に上げてお願いするのは申し訳ないけれど、
もし検討してもらえる余地があれば、お願いします」
「エバンスさん……」
その場でラキリエルに頭を下げて希う。
そんなエバンスの姿を目にして困惑しながらも、彼の真剣な想いを感じ取った。
「ま、とりあえずは次にサダューインがヴィートボルグに戻って来るまでの間に
考えておいてもらえると嬉しいかな!」
「分かりました、必ず答えを用意するようにいたします」
面を上げて苦笑するエバンスに釣られるように、ラキリエルも僅かに微笑みながら一先ずの返事を返した。
「じゃあ完全に日が暮れる前に今日のところはお城に戻ろうか。
何だかごめんね~、ほとんど弾き語りばかりで あまり案内できなかった」
「いいえ、わたくしが申し出たことですので!
むしろ今日、エバンスさん達のことを知ることが出来て良かったと思います」
「うぃうぃ、なら何よりだよ~」
実際に、この日 彼等の過去についてエバンスから直接聞けたことで、後のラキリエルの選択と在り方に少なからず影響を及ぼしていくのである。
そうして二人は共同の馬車駅に預けておいた馬車に再び乗り込むと、夕日を背景にヴィンターブロット丘陵の傾斜に沿って敷かれた路を登っていくのであった。
馬車の中にてラキリエルは、車窓より差し込む橙色の光に包まれながら物思いに耽っていた。然れど、それは先日までの濃霧の渦中を歩むような思索ではない。
ノイシュリーベより贈られた新たな衣装を身に纏い、グレミィル半島で暮らしていく者の一員と成れた。
エバンスより語られた彼等の過去を知り、納得と理解と、新たな疑念を懐いた。
サダューインに対する想いから生じる戸惑いと、故に自身の在り方を定める必然性を得たことにより、彼女の思索は少しずつ前に進んでいくこととなる。
現在の季節は夏の盛り。
グレミィル半島の風土では、直ぐに秋の気候が押し寄せて来ることだろう。
若者の恋路のように僅かな間のみ燃え盛る、幻日の如き熱き一時に過ぎないが、それでも地上世界に両脚を着けたラキリエルは今この瞬間を歩み続けていた――
・第25話の2節目をお読みくださり、ありがとうございました!
・一先ず、今話にてエバンスとラキリエルの立ち位置もある程度は定まってきたかな……と思う次第でございます。
・以前の後書き欄にてお話させていただきました通り、当初の予定を変更して25語をもって第2章を区切りといたします。
そして続く26話より第三章の開幕とさせていただきますが、そのうち何処かで第2章の登場人物一覧を書き上げて、後で第2章の欄の最後に挿入していきたいと考えております。
・次回更新は9/23を予定しています。




