026話『極夜を担いし翼と徒花』(1)
【第2章までのサダューイン陣営のあらすじ】
ザンディナム銀鉱山に滞留する『負界』を焼却するために、ブレキア地方で暮らす『隠者衆』と呼ばれる魔術師達を連れて来ることになったサダューインは部下であるエシャルトロッテ、ラスフィシアの二人と共に覇王鷲ベルガズゥに乗ってグレミィル半島の南端を目指して飛び発ちました。
[ エルディア地方 ~ ロスカラント領 ニスタングの宿場街 ]
エルディア地方の南端、ブレキア地方との境目にはロスカラント男爵家が治めるささやかな領地が存在している。
山野で覆われたロスカラント領はあまり裕福な土地ではなく、また隣領には地方と地方を跨ぐスドルエペ街道が通っているために、こちらは人々の往来も少ない。
したがって街道沿いに建立される旅籠屋なども存在せず、山野を渡り歩く漁師や物好きな旅人、魔物討伐などの依頼を受けて足を運んだ冒険者や傭兵を相手に商いをする小さな町が一箇所だけ発展していた。それがニスタングの宿場街である。
覇王鷲に乗ってグレミィル半島を南下したサダューイン、エシャルトロッテ、ラスフィシアの三人は、ブレキア地方に入る直前にて一晩の宿を採っていた。
スドルエペ街道が敷かれているエルケト領ではなく、わざわざ隣のロスカラント領に立ち寄ったのは、覇王鷲を逗留させるのに適した山地が広がっているからだ。
元々は運搬用の飼い竜を降ろすために設けられた用地であり、覇王鷲の巨体を余裕をもって停めておけるので、この近辺に立ち寄る際はよく利用していた。
深夜帯に差し掛かる時分、四人部屋に設けられた寝台の上には、逢瀬を終えたばかりの男女が一糸纏わぬ姿で横たわっている。男性一名、女性二名の計三名。
二名の女性のうちの年長者のほうは黄金に輝く長い髪を激しく乱れさせ、精魂尽き果てたのか、ぐったりとして気を失っていた。
もう一方の女性も同じような髪質をしており、顔立ちも似通っていたが年長者の側に比べると幾らか幼い印象を与える……つまり二人は同じ血を別けた姉妹であり、先に果てた姉の姿を眺めながら優しく微笑んでいた。
「姉様、すごく幸せそうだった……」
羨ましそうに呟きながら、掌を伸ばす。
乱れた姉の髪を梳いて軽く整え、大きく開いた口や白目を向いたまま気絶した双眸をそっと閉じる。涙や涎、鼻水など顔の周りに付着した液体も拭ってあげた。
そうして普段の凛々しい井出立ちの彼女からは想像も付かないような、あられもない姿から安らかな寝顔へと変えていく。
「少々、加減を誤ってしまったかな」
「貴方にしては……今日は姉様に対して随分と激しかったと思う」
姉から視線を僅かに移し、その隣で淡々と語る美丈夫……サダューインの首筋に両腕を回して体重を預け、自ら唇を重ねていった。
「んっ…………」
甘い吐息を零しながら舌を絡めていくと美丈夫はわけもなくこれに応じて適度に熱を籠めて絡め返してきた。
脳髄が痺れ、全身の細胞が歓喜に震え、一瞬で思考が微睡み始める。
これまでに何度もこの美丈夫と逢瀬を重ねるうちに骨の髄まで蕩かされてしまっていた。今更、この熱から抜け出せる筈がないのだ。
一頻り唇を重ねた後に、ラスフィシアは幼さの残る顔を僅かに離して眼前のサダューインと見つめ合った。憎らしいほどに涼し気な表情のままである。
この美丈夫は自分の肉体の魅力を熟知しており、必要に応じて相手にした女性を歓ばす術を十二分に心得ている。様々な意味合いで百戦錬磨というやつだ。
したがって自身の肉欲に任せて女性を抱くような真似は絶対にしない。
……筈なのだが、今宵に限っては姉のエシャルトロッテに対して獣の如く盛っていたように視えたのだ。
ラスフィシアはその理由が大いに気になっていた。勿論、姉に対する軽い嫉妬も含まれてはいるのだが。
「貴方の状態について、推測する」
「……急にどうした、ラスフィシア?」
「貴方はつい先日まで余所から亡命してきたラキリエルという女と行動していた。
城館を発つ前に一瞬だけ、その女の姿を確認した。姉様とよく似ていた」
「……何が言いたい?」
それまで爽やかな美丈夫を繕っていたサダューインの表情が険しくなり始める。
尋ねつつも、聡明な彼ならば既にラスフィシアが言おうとしていることについて多少は察しつつあるのだろう。
「貴方はその女に惹かれ始めている。潜在的に懸想しているのかもしれない。
だから……容姿の似ている姉様を無自覚のうちに求めた」
「……ッ!?」
ラキリエルとエシャルトロッテは背丈や手足の長さ、髪の長さ、髪の色、純人種としての肌の色、瞳の色、顔立ち……など共通している部分が非常に多かった。
衣装を入れ替えて振舞えば短期間なら他者を謀ることが出来るかもしれない。
それぞれが生きて来た境遇から、眼差しの強さや性格、口調に相応の違いが見受けられるものの、両者のことを知らぬ者ならば見分けを付けるのは難しいだろう。
「……それが、この結果」
彼の隣で眠る姉に視線を移す。これまでのサダューインであれば、相手が何度も意識を失って果てるまで貪るような真似はしなかった。
適度な頃合いを見計らって自然な形で逢瀬を終えるか、相手が速やかに果てるように計算して手管を尽くし、虚構の熱き一夜を共に過ごしてみせるのである。
それはラスフィシア達『亡霊蜘蛛』に対しても例外ではなかった。
サダューインという傑物は、ヒトを愛する機能を疾の昔に投棄した化け物であった筈なのに……。
「馬鹿な! 俺が、そんな…………いや、だが確かに……」
思わず竜人種より移植した異形の左掌で頭を抱えて狼狽し始めた。
しかし彼にも少なからず心当たりがあったのか、直ぐに押し黙る。
「……だとしたら我ながら最低だな。
彼女にも、エシャルトロッテにも……とても失礼なことをしてしまった」
「それはそう」
一丁前に罪悪感を露わにする化け物を目の当たりとして、ラスフィシアは率直な言葉で肯定した。凡俗より乖離した感性を持ち合わせている癖に、褥を共にする相手への配慮や敬意を欠かさない、この歪さ。
手駒にするために、或いは己に心酔させるために抱いた以上、その瞬間は一人の異性として尊重して扱うのが彼の流儀であったのだが、それを破った形となる。
所詮は化け物の流儀であり、常人からすれば傲慢もいいところだろう。
嗚呼、然れど……だからこそラスフィシアはこの化け物に骨抜きにされたのだ。
「貴方らくしくない。"堅き極夜"は表向きは熱く激しい夜を与えてくれるけど、
その裏では誰よりも冷淡に、合理的に盤面を進めるために肉体を使う化け物。
特定の女を引き摺るなんて、これまでの貴方では有り得なかった」
「…………君に言われてしまっては、きっと反論の余地はないのだろうな」
サダューインは、ラスフィシアが発した意見には決して逆らおうとはしない。
彼女に言われたままに事実を受け容れるようにしていた。
それは彼女が、自身に対して不利益となる行いを絶対にしないという信頼であると同時に、自身よりも優れた頭脳と分析力を持っていると認めているからである。
更に今回の場合は、同じ女性としての観点を交えた所感なのだから尚更にだ。
「それでも姉様は幸せそうだったから、私は貴方を責めない。
だけど、そんなにあの女がいいの?」
「いや、それは……」
この化け物にしては珍しく言葉を詰まらせている。
どうやら本当に、自分の感情と欲望の由来を自覚していないのだろう。
悍ましき化け物へと至った筈の主君の異変を喜ばしく感じる一方で、今後の活動に支障を来す可能性があると考えたラスフィシアは即座に手を打つことにした。
「求めるは幻創の楽園、捧げるは我が身と我が心による二重螺旋。
虹輝の赤誠を以て塗り固めし蠟人形は、独り舞台にて道化の如く踊り狂う。
『――万象を欺く虹化粧』」
「『幻換』だと……いったい何の心算だ?」
術者の姿を変える『幻換』の術式は魔術にも、魔法にもそれぞれ存在するのだが、大抵は見た目のみを謀る程度のまやかしである。
触れれば即座に看破されるし、『妖精眼』を持つ者や魔力の扱いに長けた者ならば離れた場所から凝視するだけで容易く見破ってしまうだろう。
しかしラスフィシアの行使する独自魔術はまるで異なり、身体構造そのものを一時的に変容させてしまうのである。
その精度の高さは、ラキリエルが地上で常時行使している古代魔法すら瞬間的に上回り、『ベルガンクス』の本拠地にいとも容易く潜入してみせた程であった。
そうして独自魔術の効力が発揮されると、ラスフィシアの身体に異変が起こり始めた。手足をはじめ総身が伸びていき、姉のエシャルトロッテに近い体付きへと様変わりする。
しかし顔立ちは彼女よりも幾分か柔らかい。戦いとは無縁な、優しく無垢な美女といった風貌を形成していく。
「おい、まさか……」
先程の指摘の言葉を受けた時よりも、更にサダューインが動揺し始めた。
それもその筈、変容したラスフィシアの肉体はラキリエルそのものへと変わっていたのだから……。
「……サダューイン様」
ゆっくりと両掌を伸ばしてサダューインの頬を包み、身体ごと迫る。
声帯すらも再現してしまう『万象を欺く虹化粧』の術式効果に加えてラスフィシアの頭脳と演技力が合わさることにより、眼前に存在する女性がラキリエル本人であるとしか思えなくなってしまった。
「貴方が求めてくださるのでしたら……その、すごく恥ずかしいですけれど
わたくしのことを好きにしていただいてもかまいません」
恥ずかしさと純朴さが入り混じったような仕草。
如何にもラキリエルらしく微笑みながら、行為を促そうとしてくる。
ラスフィシアは城館で一瞬だけラキリエルの姿を見たと言っていたが、それだけで彼女の立ち振る舞いや喋り方などを完璧に模倣してみせているのである。
その記憶力と分析力は常人の埒外であり、故に非常に高度な『幻換』の独自魔術を開発して使い熟しているのである。
「違う……俺は、ラキリエルにそんなことを求めてはいない。
薄汚い俺の掌などで彼女を穢すような真似はしたくない……ッ!」
頬を包む掌を振り払い拒絶の言葉を吐き出すと、はっと表情を浮かべた。
「そうですか、それがサダューイン様の奥底で抱えておられる本心なのですね」
眼前のラキリエルの姿をした生き物が、淡々と呟く。
ラキリエルに対するサダューインの価値観と認識が暴かれていく。
主君の珍しい姿を目の当たりとしたラスフィシアは、複雑な感情を懐きながらも嗜虐心をそそられたのか、更なる戯れを思い付いてしまった。
そして間髪入れずに実行に移し始めた。
『万象を欺く虹化粧』の効力を途中で書き換えて、サダューインに迫った体勢のまま変異した姿を更に違えていく。
まるで蝋人形の如く、熱で炙って溶かした後に自由自在に姿を書き換える。
ラキリエルよりも僅かに手足や背丈が伸びた代わりに乳房が控えめになり、瞳の色は翡翠色。そして……真珠の如き銀輝の髪が部屋の灯りに照らされる。
「や、やめろ、それだけは……止めてくれッ!!」
この化け物と出会ってから四年ほどの付き合いとなるが、これまでに聴いたこともないような悲鳴を挙げて後退る姿を見咎めた。
そう、ラスフィシアが新たに変容した姿とは彼の双子の姉であるノイシュリーベであったのだ。
「姉上の……そんな姿を俺に見せるな! 姉上だけは絶対に、穢すわけには……」
視界を遮るように左掌を目元に翳し、こちらを見ないようにされた。
一切の余裕を失っており、ぶつぶつと何かを呟くことしか出来なくなっている。
普段のサダューインからは余りにも掛け離れた、情けない姿。
恐らくは彼と最も深い位置に居るのであろう、同僚のスターシャナですら目にしたことがない筈だ。その事実にラスフィシアは僅かな優越感を得た。
「(なるほど、これがサダューインの……やはり彼の根底にあるのは……)」
とはいえ異様な反応を示していることに違いなく、これ以上は悪戯に踏み込むべきではないと判断して『万象を欺く虹化粧』の効果を解除する。
すると元のラスフィシアの肉体……エシャルトロッテを一回り幼くしたような姿へと戻っていったのである。
「ごめんなさい、やりすぎた。
魔術は解いたから、もう目を開けてもだいじょうぶ」
「…………はぁ」
恐る恐る左掌を降ろし、見慣れたラスフィシアの姿を検めて安堵の溜息を吐く。
「……ラキリエルの件は暫く捨て置いてくれ。いずれ俺なりの答えは示す。
エシャルトロッテには後日、改めて謝罪と償いをすると約束しよう」
先程のラスフィシアの行動を己を咎めるための行いであると解釈したようだ。
故に、彼女に対して文句の言葉を口にしようとはしなかった。
「ん、じゃあ……この件はこれでお仕舞にする。
その代わり、さっき姉様にしたような激しさで……私にもしてほしい」
「……正気か?」
「勿論。本音を言えば姉様だけずるい、と思っていた」
「……そうか」
やや感情の起伏の薄いラスフィシアにしては興奮と期待が入り混じったような表情を浮かべているのを見咎めて、サダューインは彼女の要望に応じることにした。
「ん……」
逞しい両腕に抱き締められて、ラスフィシアは瞬時に陶酔し始めた。
サダューインの肉体は一見すると細身の長身のようでいて、その実態は非常に密度の高い筋肉の塊。純人種の位階を遥かに超越しており、オーガーやトロールといった魔物すら上回る程なのである。
度重なる人体改造……特に"腕"の移植にも耐え得るのは、彼の類稀なる肉体という土台が在ってこそ成立していた。
そんな筋肉の塊が発する体温は、常人よりも遥かに高い。
近寄っただけで圧倒的な熱が伝播し、密着して抱き締められたとあらば、まるで天然の温泉に浸かったかのような心地となり、接する人々を蕩かすのだ。
そこへ更に美丈夫といって差支えのない面貌を備えているのだから質が悪い。
魅了されるな、というほうが無理難題な話なのである。
彼がその気になればラスフィシアの華奢な身体など一思いに握り潰せてしまうのだろう。生物としての圧倒的な格差を実感する。
肉体的には絶対に抗えない強者……それも心の底より信頼を寄せる主君に抱かれるという状況はラスフィシアにとって、非常に興奮を感じるものであった。
「(もし許されるのなら……ずっとこの腕に包まれていたい……)
(たとえこのヒトが他の誰かを愛したのだとしても……)」
ラスフィシアとエシャルトロッテがサダューインと初めて出会ったのは、現在より遡ること約八年前。当時の彼女はまだ十歳ほどで、今こうして彼の部下となり、女として抱かれるようになるなど夢にも思っていなかった……。
彼女達は上層、中層、下層で明確な階級と棲み処を隔てられている"燦熔の庭園"と呼ばれる大陸の出身であり、その内の上層で暮らす名門貴族の生まれであった。
姉のエシャルトロッテが十四歳、妹のラスフィシアが十歳の時に揃ってラナリア皇国のオルスフラ学園に留学することになり、そこで彼と知り合ったのである。
ラスフィシアは、生家どころか本国でも持て余される程の類稀なる頭脳を持ち、それ故に多くの者から目を付けられ、或いは危険視されていた。
将来を見越して政敵からの暗殺の危機に晒されることも珍しくなく、わざわざ隣の大陸まで逃れる羽目になった。
誰も彼女の話に付いていける者は居らず、実の両親ですら早々に匙を曲げた。
唯一、姉のエシャルトロッテだけは話が通じないなりに彼女と真摯に接してくれて、他国への留学という名目で亡命する際にも一緒に付いて来てくれたのだ。
そうして留学先であるオルスフラ学園で偶然にもサダューインと出会い、彼女は初めて素の状態で自分と対話できる人物……それも年の近い異性と巡り合えた。
サダューインという傑物に惹かれていくのは時間の問題であり、彼が学園に在学している間に姉妹は揃って骨抜きにされてしまっていた。
その数年後、生家の没落などの紆余曲折を経て、サダューインが組閣した『亡霊蜘蛛』に勧誘され、晴れてグレミィル半島のエデルギウス家に身を寄せることになったのである。
「(……このヒトは、最終的に姉様と結ばれるものだと思っていた)」
熱い抱擁からの接吻を受けて完全に蕩けきり、自然な流れで寝台に押し倒された状態にて頭上のサダューインの整った面貌を見上げながら、胸中のみで呟く。
サダューインにはセンリニウムという婚約者が居たが、現状はほぼ破談状態。
したがって諸々の観点からエシャルトロッテを娶る可能性が高いと考えていた。
彼女達の生家であるドニルセン家は没落したとはいえ祖国では『纏駆爵』という位を持つ高位貴族であり、これはラナリキリュート大陸の基準で照らし合わせたならば伯爵相当の位階となる。家格としてはエデルギウス家より上回るのだ。
家督や爵位を持たぬサダューインが娶る相手として判断する場合、エシャルトロッテは様々な面で都合が良い筈である。
彼の才覚ならば没落したドニルセン家を復興させることもそう難しくはないし、
将来的に彼が他の大陸に進出していくための足掛かりにも成り得るだろう。
「(だけど、今になってあのラキリエルという女が現れた……)
(もし……このヒトに真に相応しい女だというのなら、それでもいい)」
一方的に蹂躙されて矯正を挙げ、そのことに歓びを感じる最中にも、彼女の思考は途切れることはない。
「(でも、そうではないのなら……私達の幸せを邪魔するだけの女なのなら)
(その時は姉様達が傷付く前に、私が……)」
体内に直接 彼の熱を激しく打ち込まれ、いよいよ朦朧としていく脳内でそのようなことを考えながら、ラスフィシアは意識を手放すのであった……。